[古 城] 中項目・目次 HPのトップ |
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1.西日本 2. 東日本(三重・北陸含む) |
1.西日本 姫路城 竹田城址 三木城 出石城 明石城 大阪城 原田城 池田城 赤坂城 高槻城 岸和田城 二条城 勝竜寺城 淀城 福知山城 長浜城 彦根城 和歌山城 高松城 岡山城 備中高松城 高知城 松山城 松江城 茶臼山城 岩国城 |
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世界遺産姫路城にて(2月) クリックで拡大 |
世界遺産姫路城にて(2月) 内濠 |
姫路城にて(2月) 多くの門を経て天守入口に着く |
姫路城にて(2月) 天守閣入口 |
世界遺産姫路城にて(2月) 設計図代わりの木組 |
世界遺産姫路城にて(2月) |
姫路城にて(2月) 天守閣より姫路市の南方 |
姫路城にて(2月) 天守閣内部 |
大阪城にて(6月) 大手前より南外堀・東南方面を撮影 |
大阪城にて(6月) 千貫櫓と大手門 遠くに天守閣 |
大阪城にて(6月) 天守閣 |
桜門から大阪歴史博物館、NHK、大阪府警本部 |
大阪府 服部緑地公園の民家集落の中にある 原田右衛門尉の五輪塔 原田右衛門尉は阪急曽根駅西の 原田城の三好日向守の武将か 460年前に細川晴元に滅ぼされた。 城址は豊中市教育委員会の管理 |
池田城跡公園にて(4月) 南門 |
大阪府池田城にて(11月) 天主閣跡 |
大阪府 池田城跡公園にて(2月) 城跡公園碑 |
池田城にて(7月) 茶室 |
池田城にて(7月) 井戸(復元) |
池田城にて(11月) 庭園 枯山水(復元) |
池田城にて(7月) 庭園 |
池田城跡公園 地図 クリックで拡大 |
池田城にて(11月) 西門 |
池田城にて(11月) 虎口 |
大阪府千早赤坂村 下赤坂城址碑 |
鎌倉時代末期より南北朝時代に存在した 楠木正成の城である。標高185.7メートル、 遺構はほとんど残っていない。 現在の千早赤阪村役場裏手付近が主郭(本丸) であったとされる。千早赤阪中学校の裏手に 石碑が残り、日本の棚田百選にも選ばれた 美しい棚田の風景が広がる。 昭和9年(1934年)「赤阪城跡」として 国の史跡に指定された。 楠木七城の一つ。(参考資料より) |
岸和田市にて(12月) 岸和田城 心技館 |
岸和田城にて(12月) 重森三玲作八陣の庭 |
京都市元離宮二条城 東大手門 内側 写真左に番所 |
京都市二条城にて(9月) 東南隅櫓 |
京都市二条城にて(9月) 外堀 |
京都市 二条城 内堀(TM氏) |
二条城にて(9月) 東大手門から二の丸御殿への唐門 |
京都市二条城にて(9月) 二の丸御殿(国宝) |
京都市 二条城 二の丸庭園 写真クリックで説明板 |
二条城にて(9月) 内堀にかかる東橋から本丸御殿(手前)へ |
京都市 二条城 本丸玄関 | 京都市 二条城 本丸庭園から本丸御殿を眺む |
二条城にて(9月) 内堀にかかる西橋を経て本丸御殿の外へ |
二条城にて(9月) 北中仕切門から清流園へ |
二条城にて(9月) 庭園清流園の碑 クリックで説明板 |
二条城にて(9月) 庭園 清流園 香雲亭 |
福知山市福知山城にて(3月) 昇龍橋 |
福知山市福知山城にて(3月) 福知山城(東側より見る) |
福知山市福知山城にて(3月) こちらも無数の墓石 |
福知山市にて(3月) 佐藤太清記念美術館 |
彦根城と第15代穴太衆頭 栗田純徳氏 クリックで拡大 JAF Mate 2015 8.9 より転載 立木義浩撮影談 |
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彦根城の石垣を積んだ穴太衆 クリックで拡大 JAF Mate 2015 8.9 pp61 記事 |
彦根市にて(4月) 彦根城 正門 |
彦根市にて(4月) 彦根城 天秤櫓と廊下橋 |
彦根市にて(4月) 彦根城 井伊直弼像 |
井伊家 忠臣 遠城謙道の碑 写真クリックで説明板 |
和歌山県 伏虎城 和歌山城 天守閣 写真は(TM氏)による
姫路城に次いで国宝に指定されたが、戦災で消失し再建された
和歌山市にて 和歌山城 天守閣 右は大手門 和歌山城管理事務所
和歌山県 和歌山城 伏虎 写真クリックで説明板
西条八十 鞠と殿様の歌碑 鞠と殿様合唱曲 |
和歌山城 乾櫓 日本の城案内 |
紀州犬はクリックで説明文 御橋廊下 藩主の生活の場である二の丸と, 紅葉渓庭園のある西の丸とを行き来する橋 |
和歌山城 追廻門 写真クリックで説明板 |
岡山県高松城にて(1月) 高松城懐古碑 (TM氏) クリックで拡大 |
備中高松城にて(1月) 天守閣跡 (TM氏) |
岡山県赤磐周匝の茶臼山には 本丸手前の位置に周匝領主池田氏の墓地がある。 江戸期に備前領主として岡山城に入った池田氏は、 周匝地域を一族や譜代の家老の知行地としてあてがい、 池田伊賀守が周匝(すさい)陣屋を構えた。 茶臼山城-1は池田氏以前の天文初年(1532)頃に 築かれた山城である。すなわち、 「備前軍記」によれば、浦上宗景の麾下であった 笹部勘二郎が天文初年頃に築いたという。 茶臼山城-2 茶臼山城-3 池田氏以前、天文年間に笹部勘斎が居城して、 天神山城主浦上宗景に臣従していた。 天正5年、浦上氏が滅亡すると、天正7年、 城主笹部勘斎・仙千代父子は 討ち死にし茶臼山城は落城した。 二層の天守が自治省昭和59-60年度整備事業として 再現され、本丸部分ともに城山公園となった。 |