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1.句碑 2.歌碑 3.布引滝歌碑 4.小倉百人一首歌碑 5.碑文 |
3.布引歌碑特集 |
藤原輔親<954-1038> 「水上はいつこなるらん 白雲の 中より落つる 布引の滝」 |
藤原盛方<1137-1178> 「岩間より落ちくる滝の 白糸は むすはて見るも 涼しかりけり」 手にとらないで見るだけで涼しい 滝を詠んでいる |
藤原隆季<1127-没年不明> 「雲井よりつらぬきかくる 白玉をたれ布引の たきといひけむ」 |
藤原師通<1062-1099> 「水上の空に見ゆれば 白雲の 立つにまかへる 布引の滝」 |
藤原基隆<生没年不明> 「津の国の生田の川の 水上は 今こそ見つれ 布引の滝」 |
藤原公実(きんざね)<1053-1107> 「世と共にこや山姫の 晒すなる 白玉われぬ 布引のたき」 |
藤原為忠<1309-1373> 「うちはへて 晒す日もなし布引の 滝の白糸 さみたれのころ」 |
鈴木重嶺<1814-1898> 江戸末期の歌人 「くりかえし 見てこそ行かめ 山姫のとる手ひまなき 滝の白糸」 |
源 顕房<1037-1094> 「水の色たた白雪と みゆるかな たれ晒しけん 布引のたき」 滝水の白さを 白雪に譬えた |
小沢芦庵<1723-1801> 江戸の歌人 「主なしと誰かいひけむ おりたちて きて見る人の 布引のたき」 |
澄覚法親王<1219-1289> (ちょうかくほっしんのう) 「ぬのひきの 滝見てけふの日はくれぬ 一夜やとかせ みねのささ竹」 「布引のたきつせかけて 難波津や 梅か香おくる 春の浦風」 |
高階為家<生没年不明> 「水上は霧たちこめて 見えねとも 音そ空なる布引のたき」 立ち込めたきりの中に 轟く滝の音を詠んだ歌 |
西園寺実氏<1194-1269> 「呉竹の夜の間に雨の 洗ひほして 朝日に晒す 布引の滝」 呉竹は夜にかかる枕詞 |
加藤枝直(えなお)<1692-1785> 「雲かすみたてぬきにして 山姫の 織りて晒せる 布引のたき」 雲と霞を縦糸と横糸にして山の神が 織った布と滝を讃えている |
源 雅実<1059-1127> 「たちかへり生田の森の 幾度も 見るとも飽かし 布引の滝」 生田の森は枕草子にも 出てくる名勝地 |
賀茂真淵<1697-1769> 江戸の国学者・歌人 「布引の滝のたきつ瀬 音に聞く 山のいわほを 今日見つるかも」 知人の家に置かれている 布引きの滝の岩の断片を見て詠んだ歌 |
藤原良清<生没年不明> 「音にのみ聞きしはことの 数ならで名よりも高き 布引の滝」 有名な名の通った高名さより なお雄大である滝を称えた歌 |
太政大臣 藤原良経<1169-1206> 「山人の衣なるらし 白妙の月に晒せる 布引のたき」 月光を浴びた滝は 仙人の衣のようだと詠まれた |
布引坊栄滝 「涼しさや 嶋へかたふく 夕日かけ」 夏の太陽が淡路島に落ちるとき 松風が涼しげに吹き出すことだ |
摂政・関白 藤原忠通(師実)<1097-1164> 「さらしけむ 甲斐もあるかな山姫の たつねて来つる布引の滝」 滝に白布を晒すような、山の神の衣を 紙が来て着ることを想って詠める歌 |
在原行平<818-893> 新古今集 「我世をは今日か明日かと 待つ甲斐の 涙の滝といつれ高けむ」 不幸なわが身の涙の方が この滝よりも高いと詠まれた |
在原行平<818-893> 古今集 「こきちらすたきのしら玉 拾ひおきて世のうきときの なみたにそかる」 散らす滝水の白玉を拾っておいて 悲しい時の涙に借りようと詠んだ |
賀茂季鷹(すえたか) <1752-1841> 「たち縫はぬ 絹にしあれと旅人の まつきて見や布曳の滝」 たち縫はぬ衣は 人間が着ることが できないが 旅人が 衣の滝を 眺めることはできる |
従三位大蔵卿 藤原有家<1155-1216> 最勝四天王院障子和歌 「久かたの天津乙女の夏衣 雲井にさらす布引の滝」 まるで天女が夏衣を大空に干していると 見える布引の滝 |
後鳥羽院<1180-1239> 最勝四天王院障子和歌 「布引の たきのしらいとうちはえて たれ山かぜにかけてほすらむ」 「蛍とぶあしやの浦のあまのたく 一夜もはれぬ五月雨のそら」 |
宮内卿 藤原家隆<1158-1237> 「幾世とも 知られぬものは白雲の 上より落つる布引の滝」 布引の滝の壮大さと永続性を読んだ歌 |
藤原継蔭の娘 伊勢<877-940> 古今集より 「たち縫はぬ 衣着し人もなきものを なに山姫の布晒すらむ」 大和の龍門の滝を詠んだ歌 |
後鳥羽院の子 順徳院<1197-1242> 「たち縫はぬ紅葉の衣そめいでて 何山姫のぬの引きの滝」 紅葉に映える布引の滝を、 山の神の無縫の天衣に見立てて詠んだ歌 |
藤原定長 寂連法師<不詳-1202> 「岩はしる音は氷にとざされて 松風おつる布引の滝」 音もない氷瀑の滝と松風を詠んだ歌 |
上賀茂神社神官 賀茂季鷹(すえたか)<1752-1841> 「分入し生田の小野の柄もここに くちしやはてむ布曳の滝」 布引の滝のすばらしさに見とれて 時の経つのを忘れる様を昔の中国の故事に 譬えて詠んだ歌 |
九条内大臣兼実 藤原基家<1203-1280> 「あしのやの 砂子の山のみなかみを のぼりて見れば布びきのたき」 伊勢物語の読み方に影響を与えたと いわれる滝の歌 |
在原業平<825-880> 伊勢物語より 「ぬきみだる 人こそあるらし白たまの まなくもちるか袖のせまきに」 伊勢物語にある歌。 滝のしぶきを緒の切れた白玉に見立てて 自分の衣の袖で受け止めようという歌 |
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藤原行能(ゆきよし)<1180-不詳> 「布引の滝の白糸わくらばに 訪ひ来る人も幾代経るらん」 たまに滝を見に訪れる人も この滝はどの位の年月、人に愛されたのかと 詠んだ歌 |
藤原俊成<1114-1204> 「いかなれや 雲間も見えぬ五月雨に さらし添はらむ布引の滝」 新古今歌風を生み出す 母胎となった 歌碑文字は明治の 南天棒禅僧になるもの |
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橘 長盛<不詳> 七夕に詠める 古今集より 「ぬしなくて 晒せる布を棚はたに 我こころとやけふはかさまし」 持主なく晒している白布(滝)を 七夕だから 織姫に貸してあげようと詠んだ歌 |
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藤原定家 (藤原俊成の子)<1162-1241> 最勝四天王院障子和歌 「布引の滝の白糸なつくれば 絶えずぞ人の山ぢたづぬる」 布引の滝へ夏に来ると、涼しい滝道は 人が絶えない様を詠んだ歌と思われる |
源 俊頼(としより)<1055-1129> 「山姫の嶺の梢にひきかけて 晒せる布や滝の白波」 この滝は山の神が 山のこずえに引っ掛けて 晒している白布の様子を詠んだ歌 |
源 経信<1016-1097> 「白雲と よそに見つれど足曳きの 山もとどろに落ちつる滝津瀬」 遠目に白雲と思っていたが、 近づくと大きな音で轟き落ちる たきであった様を詠んだ歌 |
紀 貫之<不詳-945> 見事な屏風絵の滝を詠んだ屏風歌 「松の音琴に調ぶる山風は 滝の糸をやすげて弾くらん」 松風が琴の糸のように 響いている滝水の糸を 張った琴であろうと詠んだ |
昭和12年4月 布引三十六歌碑復興提唱者 太田錦里 「みそ六のひに響けり山姫の 織るや妙なる布引の滝」 |
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1.句碑 2.歌碑 3.布引滝歌碑 4.小倉百人一首歌碑 5.碑文 |
小倉百人一首第1番 大津市近江神宮にて(10月) 天智天皇<626年〜672> 「秋の田の 刈穂の庵の苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」 |
小倉百人一首第1番 嵯峨文芸苑にて(11月) 天智天皇<626年〜672> 「秋の田の 刈穂の庵の苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」 嵯峨文芸苑は 野々宮神社前 |
小倉百人一首第3番 柿本人麻呂<660頃〜720頃> 「あし引きの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む」 嵐山公園にて(12月)(TM氏) |
小倉百人一首第5番 猿丸大夫<生没年不詳> 「奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋はかなしき」 嵐山公園にて(12月)(TM氏) |
小倉百人一首第7番 安倍仲麿<698〜770> 「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」 安倍文殊院にて(12月) |
小倉百人一首第7番 安倍仲麿<698〜770> 「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」 嵐山公園にて(12月)(TM氏) |
小倉百人一首第8番 宇治市 宇治神社にて(2月) 喜撰法師<生没年不詳> 「わが庵は都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と人はいふなり」 この歌から 「喜撰」は茶(宇治茶)の銘柄名とされ、 茶の隠語となった。 |
小倉百人一首第8番 喜撰法師<生没年不詳> 「わが庵は 都の辰巳 しかぞ住む 世をうぢ山と 人はいふなり」 嵐山公園にて(12月)(TM氏) 嵐山小倉山にある歌碑へ |
小倉百人一首第9番 小野小町<生没年不詳> 「花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせし間に」 嵐山公園にて(12月)(TM氏) |
小倉百人一首第10番 嵯峨文芸苑にて(11月) 蝉丸<生没年未詳> 「これやこの 行くも帰るも別れては 知るも知らぬも あふ坂の関」 |
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小倉百人一首第11番 参議篁<802〜853> 「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海女の釣舟」 嵐山公園にて(12月)(TM氏) |
小倉百人一首第13番 嵯峨文芸苑にて(11月) 陽成院<868-949> 「筑波嶺の 峰より落つるみなの川 恋ぞ積もりて 淵となりぬる 」 |
小倉百人一首第16番 中納言行平(ちゅうなごんゆきひら) <818〜893> 「立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む」 嵐山公園にて(12月)(TM氏) |
小倉百人一首第17番 在原業平朝臣(ありわらのなりひらあそん) (825〜880) 「ちはやぶる 神代も聞かず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは 」 嵐山公園にて(12月)(TM氏) |
小倉百人一首第18番 藤原敏行朝臣(ふじわらのとしゆきあそん)( 〜901) 「住の江の 岸に寄る波 よるさへや 夢の通ひ路 人目よくらむ」 嵐山公園にて(12月)(TM氏) |
小倉百人一首第20番 嵯峨文芸苑にて(11月) 元良親王<890-943> 「わびぬれば 今はたおなじ難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ」 |
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小倉百人一首第21番 素性法師(そせいほうし)(僧正遍照の子) 「今来むと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな」 嵐山公園にて(12月)(TM氏) |
小倉百人一首第22番 文屋康秀(ふんやのやすひで)<生年不詳〜885> 「吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を あらしといふらむ」 嵐山公園にて(12月)(TM氏) |
小倉百人一首第23番 大江千里(おおえのちさと) 「月見れば 千々に物こそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど」 嵐山公園にて(12月)(TM氏) |
小倉百人一首第24番 長岡天満宮にて(10月) 菅原道真<845〜903> 「このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに」 写真クリックで拡大 百人一首第24番 和歌の意味 |
小倉百人一首第24番 菅家(かんけ) 菅原道真(845〜903) 「このたびは 幣も取りあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに 」 嵐山公園にて(12月)(TM氏) |
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小倉百人一首第25番 嵯峨文芸苑にて(11月) 三条右大臣<生没年不詳> 「名にし負はば 逢う坂山のさねかずら 人に知られで 来るよしもがな 」 |
常寂光寺にて(11月) 「定家山荘跡」 小倉百人一首第26番 貞信公 藤原忠平<880〜949> 「小倉山 峯のもみじ葉こころあらば いまひとたびの 御幸またなん」 |
小倉百人一首第26番 貞信公(ていしんこう) 藤原忠平(ふじわらのただひら) (880〜949) 「小倉山 峰のもみじ葉 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ」 嵐山公園にて(12月)(TM氏) |
小倉百人一首第29番 凡河内躬恒(おおしこうちのみつね) 「心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置きまどはせる 白菊の花」 嵐山公園にて(12月)(TM氏) |
小倉百人一首第30番 壬生忠岑(みぶのただみね) 「有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし 」 嵐山公園にて(12月)(TM氏) |
小倉百人一首第31番 坂上是則(さかのうえのこれのり) 「朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪 」 嵐山公園にて(12月)(TM氏) |
小倉百人一首第32番 春道列樹(はるみちのつらき)( 〜920) 「山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり」 嵐山公園にて(12月)(TM氏) |
小倉百人一首第33番 紀友則(きのとものり)( 〜905頃) 「久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ 」 嵐山公園にて(12月)(TM氏) |
小倉百人一首第34番 藤原興風(ふじわらのおきかぜ) 「誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに」 嵐山公園にて(12月)(TM氏) |
小倉百人一首第35番 紀貫之(きのつらゆき)(868頃〜946) 「人はいさ 心も知らず 古里は 花ぞ昔の 香ににほひける」 嵐山公園にて(12月)(TM氏) |
小倉百人一首第37番 嵯峨文芸苑にて(11月) 文屋朝康<生没年不詳> 「白露に 風の吹きしく秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける」 |
小倉百人一首第38番 右近(うこん) 「忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな」 嵐山公園にて(12月)(TM氏) |
小倉百人一首第39番 嵯峨文芸苑にて(11月) 参議等<生没年不詳> 源 等 「浅茅生の 小野の篠原忍ぶれど あまりてなどか 人の恋しき」 |
嵯峨嵐山にて(11月) 亀山公園 百人一首歌碑 小倉百人一首第40番 平兼盛<生年不詳〜990> 「忍ぶれど 色に出でにけり 我が恋は 物や思ふと 人の問ふまで」 |
嵯峨嵐山にて(11月) 亀山公園 百人一首歌碑 小倉百人一首第41番 壬生忠見<生没年不詳> 「恋すてふ 我が名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか」 嵐山公園にて(12月)(TM氏) |
嵯峨嵐山にて(11月) 亀山公園 百人一首歌碑 小倉百人一首第43番 権中納言敦忠 藤原敦忠<906〜943> 「逢ひ見ての 後の心に くらぶれば 昔は物を 思はざりけり」 嵐山公園にて(12月)(TM氏) |
小倉百人一首第44番 中納言朝忠(910〜966) 「逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし」 嵐山公園にて(12月)(TM氏) |
小倉百人一首第45番 謙徳公(けんとくこう)(924〜972) 藤原伊尹(ふじわらのこれただ) 「あはれとも 言ふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな 」 嵐山公園にて(12月)(TM氏) |
小倉百人一首第47番 恵慶法師(えぎょうほうし) 「八重葎 しげれる宿の さびしきに 人こそ見えね 秋は来にけり」 嵐山公園にて(12月)(TM氏) |
嵯峨嵐山にて(11月) 亀山公園 百人一首歌碑 小倉百人一首第53番 大納言公任 右大将道綱母 藤原道綱母<> 「嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る」 |
嵯峨嵐山にて(11月) 亀山公園 百人一首歌碑 小倉百人一首第55番 大納言公任 藤原公任<966〜1041> 「滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ」 |
小倉百人一首第62番 清少納言(せいしょうなごん) 「夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢阪の 関はゆるさじ」 嵐山公園にて(12月)(TM氏) |
嵯峨嵐山 にて(11月) 野々宮地区百人一首歌碑 小倉百人一首第93番 鎌倉右大臣 源実朝<1192〜1219> 「世の中は常にもがもな渚漕ぐ 海人の小舟の綱手かなしも」 |
嵯峨嵐山にて(11月) 野々宮地区 新勅撰集より 小倉百人一首第96番 太政大臣公経 藤原公経<1171-1244> 内大臣実宗の子、西園寺家を興す。 「花さそふ 嵐の庭の雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり」 |
嵯峨嵐山 にて(11月) 野々宮地区百人一首歌碑 小倉百人一首第97番 権中納言定家 藤原定家<1162-1241> 「こぬ人をまつ帆の浦の夕なぎに 焼くやもしほの身もこがれつゝ」 |
嵯峨嵐山 にて(11月) 野々宮地区百人一首歌碑 小倉百人一首第98番 従二位家隆 藤原家隆<1158〜1237> 「風そよぐ楢の小川の夕暮は 御禊ぞ夏のしるしなりける」 百人一首索引 |