[句碑・歌碑・碑文] 中項目・目次         HPのトップへ
1.句碑  2.歌碑  3.布引滝歌碑  4.小倉百人一首歌碑 5.碑文

2.歌碑  2.1大阪 2.2兵庫 2.3京都 2.4滋賀 2.5奈良 2.6和歌山 2.7北陸 2.8その他の地域 


大阪
2.1 大阪の歌
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大阪市和光寺阿弥陀池にて(3月) 狂歌6首 
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「あそびもし、○もしくらひもし 極楽で もうけつかひの きのこりはなし」(桐丸)
「花ならで 御笑ひ○ 言(こと)のはを のこしてきゆる つゆの玉麻呂」 (玉丸)
「みのかさも つえもつきせぬ 天の下 ふり行 死での旅立」 (花才丸)     
「念佛をとなふることのつきてのち あみだが池に のこすいしぶみ」 (むら丸)  
「すみなれし ここも極楽浄土なり 後世を願ふ なむあみだ池」 (七宝丸)    
「不詳」(此丸)
 は文字不明 以上解読は和光寺別府浄照副住職による        

 
大阪市西淀川区佃町にて(1月) 紀貫之歌碑 
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紀貫之<866〜945但し詳細不明>が田蓑嶋(現在の佃)に立ちより、詠まれた歌。
古今和歌集巻十七 
雨により田蓑の嶋をけふゆけど名にはかくれぬものにぞありける
雨が降ったので、田蓑の島を今日歩いてみたが、蓑とは名ばかりで雨を防いではくれなかった。

 
堺市大仙公園にて(5月) 昭和61年第37回全国植樹祭の昭和天皇御製  クリックで拡大
大阪のまちもみどりになれかしと くすの若木をけふうゑにけり」大阪府知事岸昌謹書


堺市大仙公園にて(4月) 与謝野晶子の歌碑 クリックで拡大
花の名は一年草もある故に忘れず星は忘れやすかり

  
堺市大仙公園にて(4月) 仁徳天皇百舌鳥耳原中陵と仁徳天皇御歌
高き屋にのぼりて見れば煙立つ民のかまどはにぎはいにけり
 写真右は百舌鳥耳原由来の像(仁徳天皇と伝説の鹿と百舌鳥の塑像と解説板)   写真クリックで拡大


 大阪市 住吉大社にて(7月) 昭和天皇<1901〜 1989> 御製
いくさのあと いたましかりし町々を わが訪ふたびに立ちなほりゆく
天皇陛下御在位六十年奉祝記念碑 



八尾市大聖勝軍寺にて(5月)聖太子 和を説きますし お眸の・・・」
リックで歌の部分が拡大


大阪市天王寺区夕陽丘にて(5月)
藤原家隆の歌碑

藤原家隆<1158-1237>
契りあれば
難波の里に宿りきて
浪の入り日を
拝みけるかな

(古今著聞集)
夕陽丘ストリート
大阪市天王寺区夕陽丘にて(5月) 
伊達千広 自得翁<1802-1877>
(伊達千広 号は自得。陸奥宗光の実父)
空蝉の殻は何処に朽ちぬとも
我魂やどるかた岡ぞこれ


この歌の元歌と思しき歌が古今集にある
空蝉の殻は木ごとに留むれど
魂の行方を見ぬぞ悲しき

古今集0448
 よみびと知らず参考
 
吹田市垂水にて(1月)(KK氏)
垂水神社の万葉歌碑
垂水の滝
写真クリックで碑文を
拡大します


この歌碑は「史跡のページ
にもあります
垂水神社の北には垂水ヶ岡(千里山)の泉の湧水が滝となっており、
この滝をご神体として水神を祀っていたと思われる。万葉集の志貴皇子の歌
いははしる 垂水の上のさわらびの もえいずる 春になりにけるかも
は、この滝を詠んだものとされて
いる。垂水とは滝の古語である。


大阪市生国魂神社にて(8月)

中山琴主<1803 〜1880>
二つ緒の
八雲の琴に神の世の
しらべを移し
伝え来にけり」




堺市大鳥大社にて(7月) 平清盛<1118〜1181>
かひこぞよかへりはてなば 飛びかけり
はぐくみたてよ 大鳥の神

堺市大鳥大社にて(7月) 
与謝野晶子<1878〜1942>

和泉なる
わがうぶすなの 大鳥の
宮居の杉の 青きひとむら






天王寺区四天王寺にて(12月)
田中塊堂<1896−1976>

椽大(てんだい)の
筆を揮(
ふる)ひて日の本の
佛法最初と書き下したり
 

池田市逸翁美術館にて(7月)(TM氏)
 小林一三<1873-1957>

 「鶏鳴暁を破って七返る初日出かな
 小林一三 7回目の鶏歳を迎えた
 新年に詠める 
豊中市曽根 曹洞宗別格寺院 御詠歌
仏日山東光院萩の寺にて(9月)(TM氏)


まいり来て袖ぬらしけりはぎのてら
花野にあまる露の恵に


さかえゆく限りをしらず延命の
実りの露に生いし樟

大阪天満宮にて 慶応2年建碑
富山の薬売の家訓


楽すれば
らくがわざして楽ならず
らくをせぬ身ははるか楽々

拾遺和歌集より
紀貫之<872〜945頃>の歌碑
大阪府 五月山動物園にて


五月山 
木の下闇にともす火は
鹿のたちどのしるべなりけり



牡丹花肖柏(ぼたんかしょうはく)<1443〜1527>
号は夢庵、牡丹花(ぼたんか)、弄花軒
(ろうかけん)

初雁を詠みし和歌 牡丹花
舟人の舵をたゝ行 波の上に
由良の 岬の初雁の声

池田市 大広寺にて
池田市、堺市にゆかりの歌人、
応仁の乱のあと大広寺に小庵を結ぶが
また戦乱で晩年に堺へ
参考
池田市観光協会から句の内容を
教えて頂きました
 
池田市久安寺にて
大村呉楼
(おおむらごろう)<1895〜1968>


雑木やま騒がせてたつ
春のあらし
(かや)の花粉の
散りけぶり来る


*人名辞典

大阪府 五月山公園にて
紀貫之<866〜945>


五月山 
 こずえを高み ほととぎす
   鳴く音 そらなる
    恋もするかな


 

秋田篤孝(青雨)
大阪府 正智寺にて 


 「
萩の上の
月吹かれたりそののちや
とりとめし何かなしきならず

秋田篤孝の師匠大田水穂自筆の歌碑が
高遠にあるらしい

花ぐもりいささか風のある日なり
昼野火もゆる高遠の山

池田市の鳥瞰地図作者の山田虹映

  
島根県浜田市出身
岸井庸充俊実の箕面山讃歌 
滝安寺境内にて 


箕山欝崢栄 瀑水夏生冷  
 更疑控銀河  偏濺千刃嶺

雲か煙箕面の山の滝つ瀬は天の河原の
  水や落つらん


立看板クリックで拡大
*箕面の句碑・歌碑


兵庫
2.2 兵庫の歌碑
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昆陽寺にて(12月) 後醍醐天皇<1288〜1339>
命あれば こやの軒端の 月も見つ
又いかならん ゆく末の空

伊丹市昆陽寺にて(12月) 行基<668〜749>
山鳥の ほろほろとなく  声きけば
父かとぞ思う 母かとぞ思う


神戸市西区太山寺にて(11月) 歌碑

神戸市生田神社生田の森にて(1月)
古今和歌集巻第一26
紀貫之<866〜945>

青柳の 糸よりかくる 春しもぞ 
みだれて花の ほころびにける



神戸市生田神社生田池にて(1月)
白鳳<不詳>
「うるはしき 唐破風もちし拝殿は
地上に這ひて 獣のごとし」
「朱に光る 唐破風今そ聳えたち
羽を拡げし 真名鶴のごと」

参考 
神戸市生田神社にて(1月)
梶原景季<1162〜1200>

けふもまた
生田の神の恵かや
ふたたび匂ふ
森の梅が香



  三田市 東光山花山院菩提寺にて(8月)     
 
写真クリックで説明板
児玉尊臣<生年不詳>


やまの鳥 木々のしげみに 啼きゝほい
みささぎの邊の すがしあさかも


 
別所長治辞世の句碑
兵庫県 歴史街道の旅
播磨三木城址にて
右写真クリックで拡大

今はたゝ
うらみもあらし諸人の
いのちにかはる
我か身とおもへは




兵庫県川西市多田神社境内
北里闌の歌碑
千代のこけむす・・・
国学者北里闌<1870〜1960>は
医学者北里柴三郎のいとこにあたり、
北里家が清和源氏多田満仲の流れをくむとして
多田神社に歌碑を残している

淡路 明石海峡公園にて
今上天皇御製の歌碑


園児らと
たいさんぼくを
植えにけり
地震ゆりし島の
春ふかみつつ


写真クリックで趣意書拡大
兵庫県 麻耶山天上寺にて
花山院<968〜1008>
花山天皇御製の歌碑


山の名を 
 佛の母と きくからは 
これそまことの 
  慈悲のみなかみ



須磨寺にて
大井広<1893〜1943>

明滅の
ひかりをおくる
灯台は

いずこにあらむ
寂しき海原

須磨寺にて
白崎弘晧<不詳>

公達の 
血のりを秘めて
七百年
 水静かなり
須磨寺の池


須磨寺にて
真鍋豊平<1809〜1899>

ひとすじに 
こころこめたる 
ことなれば 
ちよのしらべも 
 たえじとぞおもう」


須磨寺にて
良寛<1758〜1831>

すまでらの
むかしを問えば山桜
よしやねむ
すまのうらわの
なみまくら

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磨 関守稲荷神社にて
源兼昌<生没年未詳>


あはぢしま
 かよふちどりの鳴く声に
 いくよねざめぬ
 須磨のせきもり

須磨 関守稲荷神社にて
藤原俊成<1114〜1204>


聞き渡る 関の中にも 須磨の関 
名をとどめける 波の音かな




藤原定家<1162〜1241>
桜花 たが世の若木 ふり果てて
 須磨の関屋の 跡うづむらん  


須磨 関守稲荷神社にて

写真クリックで観光協会の写真に接続
荒木村重の妻
あらきたし<生没年不明>

霜かれに残りてわれは八重むくら
なにはのうらのそこのみくつに


荒木村重<1535〜1586>
思いきやあまのかり橋ふみならし
なにはの花の夢ならむとは

有岡城址にて(TM氏)
写真クリックで拡大リンク
伊丹城の城主
伊丹之親
 <生没年不明>
春秋の
花と月とをときならで
見はてぬ夢の
   暁はうし

伊丹の歌碑
有岡城址にて(TM氏)
写真クリックで拡大リンク
伊丹にて牧水 伊丹の歌碑
銘酒「白雪」の小西酒造にて(TM氏)
写真クリックで拡大リンク
若山 牧水<1885〜1928>

手にとらば
 消なむしら雪はしけやし
   この白雪はわがこころ焼く



須磨 関守稲荷神社にて


中村良臣<1794〜1850>
志ら露と
たまにぬきとのおとめ子が
かざしにまがふ
あきに萩はら

兵庫県 伊丹市 昆陽池公園にて

兵庫県伊丹市の歌碑・句碑

*文学人名辞典
滋円<1155〜1225>
ゑにかきて今唐土の人に見せん
霞わたれる昆陽の松原

兵庫県 伊丹市 昆陽池公園にて
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兵庫県伊丹市の歌碑・句碑
藤原定家 (藤原俊成の子)<1162-1241>
新雨初めて晴れ 池水満つ
 恩波 風緩やかにして豊年を楽しむ
 遠松 我を迎えて 親故の如し
 群鳥 人を驚かし 後先を争う
 暁涙 伴い来る 江館の月
 春望 相似たり 洞庭の天
 頭を廻らし遥かに顧みる 青巌の路
 漸く帝都を隔つ 山復(ま)た川

兵庫県 伊丹市 昆陽池公園にて (TM氏)
大弐三位<999頃-1082頃)>
紫式部の娘、藤原賢子

ありま山ゐなのささ原風吹けば
いでそよひとを
わすれやわする

兵庫県 伊丹市 昆陽池公園にて
 (TM氏)

写真クリックで部分拡大にリンク
兵庫県 伊丹市 昆陽池公園にて 
(TM氏)
写真クリックで部分拡大にリンク

詠み人知らず 古今和歌集より


しなが鳥猪名野をゆけば有馬山
夕霧立ちぬ明けぬこの夜は


庫県 伊丹市 昆陽池公園にて
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兵庫県伊丹市の歌碑・句碑

夏目甕麿<1774〜1822>


遠つあふみ入江の月のおもかけも
思ひそ出る昆陽の大池


兵庫県 伊丹市 昆陽池公園にて
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西行法師
<1118〜1190>

冴る夜はよその空にぞ鴛鳥も鳴く
凍りにけりな昆陽の池水

兵庫県 伊丹市 昆陽池公園にて
田辺聖子書
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待賢門院堀河<生没年未詳>


こやの池に生ふる菖蒲のながき根は
ひく白糸の心地こそすれ

兵庫県 伊丹市 昆陽池公園にて
高市連黒人<生没年未詳>

わぎもこに
猪名野は見せつつ名次山
角の松原いつか示さむ


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島根県津和野出身
桐田蕗村<1883〜1955>


さらさらと
 草がよれゆく風に和ひ
  ひとりの道は
   思ひにあまる

宝塚市 中山寺 成就院にて 
歌の読み方を掲示板で式部さんに
教えて頂きました。
「和ひ」の現代読みは「あい」か、或いは
資料3の「そい」か疑問ですが「あい」を採用。
桐田蕗村資料 
写真と資料は(TM氏)

写真クリックで歌碑を拡大


兵庫県 宝塚市小浜首塚
小浜首塚地蔵再建委員会(TM氏)

いざさらば心はここに身は西に
つとめ果たしてゆく身なら
後の世までもまもりたまわむ

庫県 須磨離宮公園にて(TM氏)
いくたびか 
 立ちかえりみし松かげに
  月を寄せくる須磨の浦浪


詠人は、海士のたね平

須磨観光協会事務局に歌詞を
教えて頂きました

神戸市生田神社にて(1月) かぢはら井 
壽永の昔(800年前)源平生田の森の合戦の折、梶原景季が
この井戸の水を汲んで生田の神に武運を祈ったと伝えられる。

神戸市生田神社にて(1月) 白魚<作者詳細不詳>
ほのかなる 土の香たちて 青葉なす
生田の杜が あめ晴れわたる

神戸市生田神社にて(1月)  白鳳<作者詳細不詳>
ふるさとの歴史きはめて百年の歩みを語る杜の老樹に」 

神戸市生田神社にて(1月)
森の東口にある稲荷社の隣に、楠の大木の切り株
の一部が展示されている。500年の樹齢を持つ神木は、
神戸大空襲で焼けたが、蘇った。再生・再起・復興の象徴
となっている。駒札に白鳳<作者詳細不詳>の歌。
  「五百年の楠の年輪尊貴なり幾多の森のいにしへしのぶ」 


京都
2.3 京都の歌碑
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京都市東山区 長楽寺にて(10月) 長楽寺境内の歌碑
齋<作者不詳> クリックで拡大
山にゐて寂しきものか草原の子馬のひとつ我が後を追ふ


 
京都市嵯峨滝口寺にて(6月) 「滝口と横笛の歌問答旧跡三寳寺歌石」の碑
横笛の歌碑(写真中央奥)の写真はネットより転載 

山深み思い入りぬる柴の戸のまことの道にわれをみちびけ
と横笛が滝口入道に会えず、指を切って血で書き、奈良の法華寺に入ったという。



京都市右京区嵯峨祇王寺にて(6月) 祇王が清盛のもとを去る際に詠んだ歌碑
萌え出づるも枯るるも同じ野辺の草いづれか秋にあはではつべき


 
京都市八幡市松花堂にて(10月) 吉井勇の歌碑 クリックで夫々拡大
昭乗といへる隠者の住みし處 近くにあるをうれしみて寝る

京都市永観堂にて(8月)


昭和天皇御製


夏たけて
ほりのはちすの
花みつゝ
ほとけのおしえ
思う朝かな



写真クリックで
拡大します
京都市永観堂にて(8月)


与謝野晶子


秋を三人
椎の実なげし
鯉やいづこ
池の朝かぜ
手と手つめたき



写真クリックで
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長岡京市楊谷寺柳谷観音にて(7月) 夢生菴<生年不詳>歌碑
 「見えぬ目の わがうつせみを みほとけの
み手にすがりて 明るく生きむ


・・・・・・・・・・・・・・・
京都洛西大原野神社にて(6月) 富小路禎子<1926〜2002>     
母胎より彼岸に到るここの道 いましばらくの緋なる夕映」     

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
        京都洛西大原野神社にて(6月) 植松壽樹<1890〜1964>
        「
竹郡に降る音ありて更くるらむ 雪の一夜を来て泊まりたし

 
京都洛西大原野神社にて(6月) 歌碑 左は五島 茂、右は島美代子
五島 茂<1900-2003> 「
まさかりを過ぎしもみじ葉ためいろのくれなゐ霧らし夕日かがよふ
五島美代子<1898-1977> 「
目さむればいのちありけり露ふふむ朝山ざくら額にふれゐて

 
京都洛西大原野神社にて(6月) 史跡「瀬和井」 右は瀬和井(せがい)に関わる歌の駒札
左大臣「
大原や小塩の山のほととぎすわれに神代のことかたらなん
紀貫之「
大原や小塩の山の小松原はや木高かれ千代の蔭見ん
大伴家持「
大原やせがいの水を手にむすび鳥は鳴くとも遊びてゆかん
大江匡房「
夜を寒みせがいの水は氷るとも庭燎は春のここちこそすれ


京都府八幡市石清水八幡宮前安居橋にて(6月)
能蓮法師<生没不詳>歌碑

岩清水清き流れの絶えせねば やどる月さえ 隈なかりけり

京都府八幡市石清水八幡宮上院にて(6月) 歌碑
松田南窓<生年不詳>

道も狭に 椿の花の散り布きて あゆみためろふ 八幡神山


伏見稲荷大社にて(3月) 後醍醐天皇
<1288〜1339>
クリックで説明文拡大
ぬば玉のくらきやみ路にまよふなり
我にかさなむ三つのともし火



伏見区伏見稲荷大社にて(3月) 前川佐美雄<1903〜1990>
あかあかと ただあかあかと照りゐれば
伏見稲荷の 神と思ひぬ
」 写真クリックで歌碑を拡大


京都市東山区清水寺にて(2月) 月照信海両上人遺跡
信海辞世(左歌碑)「西の海あずまのそらとかわれどもこころはおなじ君が世のため
月照辞世(中央)「大君の為には何か惜しからん 薩摩の迫門(せと)に身は沈むとも
西郷隆盛右詩碑)「相約投淵無後先 豈図波上再生縁 回首十有餘年夢 空隔幽明哭墓前
(相約して渕に投ず後先なし あに図らんや波上再生の縁 
頭を回らせば十有余年は夢 空しく幽明を隔てて墓前に哭す)



南禅寺森永湛堂老師 杉洞<1900〜1975>
この門を入れば涼風おのづから


京都市西明寺にて(11月) 中興の祖我宝自性上人 クリックで拡大 
「白露の 己が姿をそのままに 紅葉に置けば 紅の玉」


京都嵯峨二尊院にて(11月) 西行法師庵の跡
我がものと秋の梢を思ふかな小倉の里に家居せしより


山科区隨心院にて(9月) 小野小町<平安前期8世紀、生没年不詳>
小倉百人一首 第9番

花のいろはうつりにけりないたづらに
わが身よにふるながめせしまに



京都市平安神宮にて(7月) 大極殿右近の橘
古今集より
さつき待つ花橘の春をかけば 昔の人の 袖の香ぞする

京都市平安神宮にて(7月) 大極殿左近の桜
本居宣長<1730〜1801>
敷島の大和心を人とはば 朝日のにほふ山ざくらばな

 
京都市左京区曼殊院にて(6月) 谷垣潤一郎氏寄贈の鐘
谷崎潤一郎<1886〜1965>
あさゆふの かねのひびきに 吹そへよ 我たつ杣乃 やまおろしのかぜ
この鐘は法要の合図に使用される「けんち」


京都市東山
平安神宮にて(TM氏)

昭和天皇<1901〜1989>
遠つおやの
 しろしめしたる大和路の
 歴史をしのび
けふも旅ゆく

京都市伏見区
御香宮神社にて(3月)

御香宮
宮司三木善則
<1944〜>
みととせを
 昨日の如く煎茶点
 手振る雅春の大前

京都市円山公園にて(11月) 師弟愛の像
昭和9年の室戸台風で殉死した
教師と生徒の像

 吉井勇<1886.〜1960>
 「
かく大き 愛のすがたを いまだ見ず
,  この群像に 涙しながる

この像は知恩院南門友禅苑西出入り口の
横にもあった。
 常寂光寺にて(11月) 「定家山荘跡」 

小倉百人一首 第26番 
貞信公 藤原忠平<880〜949>
小倉山
峯のもみじ葉こころあらば
いまひとたびの
御幸またなん

京都市嵯峨落柿舎にて(11月)

嵯峨天皇の皇女
有智子内親王
(うちこないしんのう)を称えて
昭憲皇太后
<生年調査中>
加茂川の
はやせの波の
うちこえし
ことばのしらべ
世にひびきけり




長岡京市長岡天神にて(10月) 菅原道真<845〜903>
うみならずたたえる水の底までも
清き心は月ぞてらさん
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 京都市善峰寺にて(10月) 桂昌院<1627〜1705> 
たらちをの 願をこめし寺なれば 我も忘れじなむやくし佛
右は春は花 秋はもみじの むすび木は この世のいやわせ めでたかりけり

長岡京市 長岡天満宮にて(10月)
菅原道真<845〜903>

 「
海ならず
  たたへる水の底までも
   清き心は月ぞ照らさむ

 愛国百人一首 第25番
長岡天満宮にて(10月) 
菅原道真<845〜903>
このたびは
幣もとりあへず 手向山
 紅葉の錦 神のまにまに


百人一首第24番

和歌の意味

宇治市 さわらびの道にて(2月) 晶子の歌碑(表)
与謝野晶子<1878〜1942>

橋姫「しめやかに心の濡れぬ川ぎりの立舞ふ
家はあはれなるかな」
椎が本「朝の月涙の如し真白けれ御寺のか
ねの水わたる時」
総角「こころおば火の思ひもて焼かましと願ひ
き身をば煙にぞする」
さわらび「さわらびの歌を法師す君に似ずよき言
葉をば知らぬめでたき」
宿り木「あふけなく大御女をいにしへの人に似よ
とも思ひけるかな」

源氏物語ゆかりの宇治にて
宇治十帖歌碑の場所
宇治市 さわらびの道にて(2月) 晶子の歌碑(裏)

  東屋「ありし世の霧きて袖を濡らしけり
わりなけれども宇治近づけば
  浮舟「何よりも危なきものとかねて見し
小舟の上に自らをおく」
  蜻蛉「ひと時は目に見しものを
かげろふのあるかなきかをしらぬはかなき」
  手習「ほど近き法の御山をたのみたる
女郎花かと見ゆるなりけれ」
  夢浮橋「明けくれに昔こひしきこころもて
生くる世もはたゆめのうきはし」


宇治市 宇治神社にて(2月) 
喜撰法師<生没年不詳>
百人一首第8番

わが庵は都のたつみしかぞすむ
世をうぢ山と人はいふなり

この歌から
「喜撰」は宇治茶)の銘柄名とされ、
茶の隠語となった。

嵐山小倉山にある歌碑へ

京都市東山 青蓮院にて(11月)

京都市伏見 日野誕生院にて(3月)
親鸞聖人<1173〜1263> 親鸞聖人が9歳で詠んだ歌
 「明日ありと 思うこころの仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは

中村 芳子(なかむら よしこ)<1920年〜 1987>
あでやかに 太夫となりて 我死なん 
六十路過ぎにし 霧はかなくも

夕霧太夫を襲名した初代・中村雁治郎の娘で
「夕霧供養祭」を始めた女優・中村芳子の歌碑

京都市嵯峨清涼寺にて(11月)

写真クリックで説明板
京都市嵯峨清涼寺にて(11月)

「夕霧供養祭」を始めた
女優・中村芳子・夕霧太夫
を偲んだ歌碑

吉井 勇
<1886〜1960>
いまのなほ 
なつかしとおもふ 夕霧の
墓にまうでし かへり路の雨



京都市鞍馬寺にて(9月)
与謝野晶子<1878〜1942>

何となく君にまたるるここちして
いでし花野の夕月夜かな


京都市鞍馬寺にて(9月)
与謝野 寛<1873-1935>

遮那王が背くらべ石を山に見て
わが心なお朝日を待つかな




京都府 城南宮にて
與謝野晶子<1878〜1942>
五月雨に
築土くづれし鳥羽殿の
 いぬゐの池に
 おもだかさきぬ


「おもだか」の花へリンク
晶子」の孫与謝野馨
妙心寺 東林院にて
東林院は平家物語の
沙羅双樹の花の寺として有名


山田無文<1900〜1988>
「仏さえ みまかりませし 花の色
見ていま沙羅に おもえ諸人」

東林院の沙羅双樹のページへ


上賀茂神社にて(TM氏)
紫式部<978〜1016>

ほととぎす声まつほどは片岡の
   もりのしずくに
      立ちやぬれまし

京都府宇治 平等院 扇芝にて
源頼政<1104〜1180>


花さきて みとなるならば 後の世に
もののふの名も いかでのこらん


写真クリックで拡大
京都府名神桂川SAにて 
西園寺公経
<1171〜1244>
千五百番歌合より


長岡や 田面の庵に
荒れまくに
寝覚めいざなふ 鴨の羽掻き




京都市 祇園 白川にて(KK氏)
かにかくに歌碑
吉井 勇<1886.〜1960>


かにかくに
祇園はこひし寝るときも
枕のしたを水のながるる




京都府 天橋立にて 鉄幹 晶子の句碑 クリックで拡大
小雨はれ みどりとあけの虹ながる 与謝の細江の 絹のさざ波」寛
人おして 回旋橋のひらく時 くろ雲うごく天橋立」 晶子



京都府 城南宮庭園にて
源氏物語 若菜下 紫の上の歌
写真をクリックすると扇看板が読めます

 ◎ こちらをクリックすると源氏物語

城南宮平安の庭にて
      かじの木  源氏物語の和歌
住の江の 松に夜深くおく霜は
  神のかけたるゆう鬘かも
   


滋賀
2.4 滋賀の歌碑
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草津市草津宿本陣前街道にて(11月) 草津を詠んだ歌碑
堯考法師<1390〜1455> 「
近江路や秋の草つはなのみして
花咲くのべぞ何処ともなき
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 大津市にて(6月)  三井寺境内 毘沙門堂前の歌碑
園城寺学問所々長 柳田暹暎<生年不詳>

限りなく 刻へし如くたまゆらの 
ことのごとしも いま定を出づ
」 
 大津市近江神宮にて(10月) 
 天智天皇<626年〜672> 
 「
秋の田の
  刈穂の庵の苫をあらみ
  わが衣手は
    露にぬれつつ

 小倉百人一首第1番

 大津市近江神宮にて(10月) 
平田貫一<生年不詳> 
 「
比叡ヶ嶺に 近く琵琶湖を目下に
  大神の辺に 永世住まなむ

 大津市近江神宮にて(10月) 
 横井時常<生年不詳> 
 「
とし神は
  いま帰らすか左義長の
  青竹はぜて
    高くもえ立つ

 大津市近江神宮にて(10月) 
 香川進<1910−1998> 
湖ほとに息づき比そめと波はいひ
は留けく可奈志と 波はまたいふ


山村金三郎<生年不詳
湖に音なき音を韻かせて
比良ゆ流るる夕茜雲

 大津市近江神宮にて(10月) 
 春日真木子<1926〜> 
 「
人間の
 知恵のはじめよひそひそと
  秘色の水に
    刻まあたらし
 

 大津市近江神宮にて(10月) 
 高市黒人<生没年不詳> 
 「
楽浪乃国津美神乃
 浦佐備而荒有京見者悲毛
 さざなみのくにつみかみのうらさびて
 あれたるみやこみればかなしも」

  (万葉集巻1-33)

 大津市近江神宮にて(10月) 
 柿本人麻呂<生没年不詳> 
 「
淡海
夕波千鳥が鳴けば
心もしのに
いにしへ思ほゆ

(万葉集巻3-266)

 大津市近江神宮にて(10月) 
 保田與重郎<1910年〜1981> 
 「
さゝ波のしがの山路の春に迷ひ
  ひとり眺めし花ざかりかな


琉球国王尚泰の曾孫にあたる歌人
井伊文子<1917〜2004>
滋賀県 彦根城前の井伊直弼銅像横


一身に責負いまして
立ちましし大老ありてこそ
開港はなりぬ
『三光鳥』第1号
昭和28年発行「京の鳥」より

延暦寺 西塔にて

川村多実二(かはむらたみじ)<1883〜1964>
時ならぬ
津ばきの花をよろこびて
め志ろ友よぶ山かげの寺




滋賀県 比叡山延暦寺西塔にて

九条武子
<1887〜1928>

山の院
蓮子の端にせきれいの
巣ありひな三つ
母まちて鳴く


滋賀県 
比叡山延暦寺
西塔にて


米田雄郎
 (よねだゆうろう)
<1891〜1959>

しづやかに
輪廻生死の
世なりけり
はるくるそらの
かすみしてけり





滋賀県 
比叡山延暦寺
西塔
にて
参考

若山 牧水
<1885〜1928>

比叡山(ひえやま)
(ふ)りぬる寺の
木がくれの
庭の筧
(かけひ)
聞きつつ眠る

滋賀県 比叡山延暦寺西塔にて
*大津市の句碑・歌碑


中西悟堂<1895〜1984>
樹之雫(きのしずく)
 しきりに落つる
 暁暗(ぎょうあん)
  比叡をこめて
   啼くほととぎす



  (TM氏) 写真クリックで拡大

井伊直弼<1815-1860>の歌碑
滋賀県 彦根市 彦根城前にて

あふみの海
  磯うつ波のいく度か
   御世にこころを
    くだきぬるかな


この3ヶ月後の3月3日
江戸城桜田門外で
凶刃に倒れた 

写真クリックで説明板


奈良
2.5 奈良の歌碑
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奈良公園東大寺勧学院附近にて(11月) 八一歌碑 クリックで拡大
会津八一<1881〜1956> 「おほらかに もろてのゆびを ひらかせて おほきほとけは あまたらしたり」

 
奈良公園春日大社イチイガシ巨樹群附近にて(11月) 山上憶良<660〜733?>歌碑2種 
クリックで拡大
万葉集巻八(1537)
「秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七種の花」
万葉集巻八(1538)
「萩の花尾花葛花なでしこの花 をみなへしまた藤袴朝顔の花」

   
奈良市般若寺にて(10月) 右からご詠歌「み仏のめぐみもふかき般若寺台ももの願ひをかなへ給はむ」
会津八一<1881〜1956> 
「ならさかの いしのほとけの おとがひに こさめなかるる はるはきにけり」
森鴎外<1862〜1922> 
「般若寺は 端ぢかき寺 仇の手を のがれわびけむ 皇子しおもほゆ」
かをる<生年不詳> 
「うれしくも 人と生れて御仏の み名を称えて 年を重ぬる」


橿原市今井町にて(5月)
今井まちなみ交流センターの万葉歌碑
柿本人麻呂

明日香川しがらみ渡し塞かませば
流るる水ものどにかあらまし

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明日香村聖徳太子生誕地橘寺にて(2月)
橘寺の歌碑
會津八一(
あいづ・やいち
)1881-1956

「くろこまの あさのあがきにふませたる
 をかのくさねと なづさひぞこし」
黒駒の 朝の足掻きに踏ませたる
  岡の草根と なづさひぞ来し

 聖徳太子が朝、黒い馬に乗って、その馬に
踏ませたのがこの岡の草だという意味。

 
201211
橘寺で八一歌碑の除幕式が行われた。

 八一は黒駒に乗って疾駆する聖徳太子への
思慕を込めて、歌にした。
 橘寺は、明日香村の聖徳太子生誕の地と
伝えられる寺で、開創は606年、太子建立の
7ヶ寺の一つで、太子が勝鬘経(しようまんきょう)
を講じた地と伝えられている。
8世紀の最盛期には堂宇60余の大寺院だった。
明日香村聖徳太子生誕地橘寺にて(2月)
万葉集巻16 3822 作者未詳

橘の 寺の長屋に我が率(ゐ)寝し
童女放髪(うないはなり)は 髪上げつらむか

橘寺(たちばなでら)の長屋に連れ込んで寝た
まだ髪を結ってもいなかったあの少女は
もう髪上げをするような娘さんに
になったかなぁ


日本書紀 推古14年(606)7月の条

秋7月に、天皇、皇太子(ひつぎのみこ)を
請(ま)せて、勝鬘経(しょうまんぎゃう)を
講(と)かしめたまふ。三日(みか)に説(と)き
竟(を)へつ。 是歳(ことし)、皇太子、亦(また)
法華経(ほふくゑきゃう)を岡本宮
(をかもとのみや)に講く。
天皇、大(おほ)きに喜びて、
播磨国の水田(た)百町(ももところ)を
皇太子に施(おく)りたまふ。因りて
斑鳩寺(いかるがでら)に納(い)れたまふ。


クリックで
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奈良市秋篠
単立寺院秋篠寺にて(3月)
会津八一の歌碑 
会津八一<1881〜1956>

秋篠の
御寺を出てて
かへり見る
生駒が岳に
日は落ちむとす

秋篠寺和歌
奈良市秋篠秋篠寺にて(3月) 
川田 順<1882〜1966>
諸々のみ仏の中の伎芸天
何のえにしぞ吾を見たまふ

川田 順は、歌人、実業家。
住友総本社常務理事。
漢学者川田甕江の3男。
女優・歌手の佐良直美は従曾孫娘


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 秋篠寺和歌

奈良市西大寺にて(1月) 歌碑
万葉集巻第十九 4268
孝謙天皇*の御製歌
この里は
継ぎて霜や置く夏の野に
我が見し草はもみちたりけり


歌碑建立 道鏡を守る会

*孝謙天皇(女帝)の
父は聖武天皇
母は光明皇后である
道鏡を寵愛し後に
藤原仲麻呂の乱を招く
この乱が西大寺建立に繋がる

長谷寺にて(10月)
紀貫之故里の梅
紀貫之<866頃〜945頃>

 「
人はいさ心も知らず故里は
花ぞ昔の香ににほひける

桜井市長谷寺にて(10月) 大伴坂上郎女<不詳>
こもりくの泊瀬の山は色づきぬ
しぐれの雨は降りにけらしも
筆者里見ク
奈良市南都鏡神社にて(9月)
歌碑はクリックで拡大

万葉集 第8巻 1456番 
藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ)
<生年不詳〜740>
この花の
一弁(ひとよ)のうちに
百種(ももくさ)の
言(こと)ぞ籠れる
おほろかにすな

「 この桜の枝には
沢山の言葉が
込められているので、
粗末にしないで 」


奈良市法華寺にて(9月)
会津八一<1881〜1956>
ふぢわらの おほききさきを
うつしみに あひみるごとく
あかきくちびる
クリックで拡大

奈良市法華寺門跡にて(9月) 
山部赤人<生年不詳〜736>

いにしえの 古き堤は年深み
池のなぎさに 水草生ひにけり」
法華寺の歌碑 


 明日香村飛鳥座神社にて(2月) 折口信夫
ほすすきに 夕雲ひくき 明日香のや
   わがふるさとは 灯をともしけり



明日香村岡寺にて(2月) 
君が目に永遠に消ざらむ
ふるさとの明日香の丘の夕月の色

辰己利文   明日香村地図 

 明日香村飛鳥寺にて(2月) 
 正岡子規高弟の安江不空
 つくつくしつみいためつつ あすかのに
ますおほぼとけ みにきつるかも

 
 明日香村飛鳥寺にて(2月) 飛鳥寺 万葉歌碑


三諸の神奈備山に、五百枝さし 繁に生いたる 栂の木のいや継ぎ継ぎに 玉葛 絶ゆることなく
ありつつも やまず通はむ 明日香の 古き都は山高み 川とほしろし 春の日は山し見が欲し 
秋の夜は 川しさやけし 朝雲に鶴は乱る 夕霧にかはずは騒ぐ 見るごとに 音のみし 
泣かゆいにしへ思へば」 万葉集巻3−324  
「明日香川川淀さらず立つ霧の思ひ過ぐべき恋に あらなくに」 万葉集3−325


 
 明日香村飛鳥座神社にて(2月) 碑文内容は調査中 



 奈良市富雄霊山寺にて(2月) クリック拡大

昭和天皇の皇后(旧名良子女王)
香淳皇后
<1903〜2000>
中宮寺 境内にて
歌碑クリックで説明文

中宮寺の 
築地のうちに 
しつもりて
山茶花の花 
清らかに咲く
 」

桜井市談山神社にて(2月) 
「多武峰往生院歌合」の判者
素意法師<生年不詳 〜1094>
花ごろも
 かざらき山に色かへて
 もみぢのほらの
  月をながめよ

玉葉和歌集 
2623番
 奈良西ノ京 唐招提寺にて(5月)
会津八一<1881〜1956>

おほてらの まろきはしらの つきかげを 
   つちにふみつつ ものをこそおもへ


歌意
 唐招提寺の丸いエンタシスの柱が
 月の光で大地にくっきりと影を落としている。
 その影を踏みながら私は深いもの思いに耽っている。
折口信夫<1887〜1953> 
人過ぎて 思ふすべなし 伝え来し
常世の木の実 古木となれり


 奈良県桜井市談山神社にて(2月) 
 菴羅樹 アンラジュ カリン バラ科 ボケ属
 


春日大社万葉植物園にて(5月)
島崎藤村の揮毫になる万葉集歌碑 
作者不詳(巻十二より)
 
「むらさきは 灰さすものそ つば市の 
やそのちまたに 逢へる子や 誰」 
「たらちねの 母が呼ぶ名を申さめと 
道ゆく人を 誰としりてか」 
 春日大社万葉植物園にて(5月) 
 前川佐美雄<1903〜1990> 

 「浅き水にすすき風さとはしるさへ
 驚きやすく鹿の子のゐる」
前川緑<生年不詳>
 「万葉の そのふのさくら たわたわに
 なみよすること 花ゆれにけり」

 

(上) 春日大社 万葉植物園にて(5月) 
 折口信夫<1887〜1953>
 
 「この冬も 老いかゝまりて 奈良の京 
 たきぎの能を 思ひつゝ居む
」 

(右) 春日大社 万葉植物園にて(5月) 
 秋艸(しゅうそう)道人(會津八一)<1881〜1956>
 
 「かすがのに おしてるつきの ほがらかに 
 あきのゆふへと なりにけるかも
」  

クリックで拡大
春日大社万葉植物園にて(5月) 
宮柊二(みや しゅうじ)<1912〜 1986>
 
 「春日野の いにしえさまに 木の草を 
 のこす園にて 春逝かんとす
」 


 奈良平城宮跡にて(5月) 
 小野老(おののおゆ)朝臣<生年不詳〜737>
 
 「あをによし寧楽の都は 咲く華の 
 薫ふがごとく 今盛りなり
奈良県葛城市當麻寺にて(3月) 
折口信夫<1887〜1953>
 
ねりくよう すぎてしずまる 
寺のには はたとせまえを かくしつつゐし
」 
 
 奈良県葛城市當麻寺にて(3月) 
 佐藤佐太郎<1909〜1987>

 「白藤の 花に群がる蜂の音 
 歩みさかりて その音はなし

春日大社先代宮司葉室頼昭による
郡国久仁香さんの顕彰歌碑
.
春日山 久仁香の思い 水の音
清き流れや 白藤の瀧

平成16年3月吉日 春日大社 頼昭書
(詳細調査中)


 奈良平城宮跡にて(5月) 
北浦定政 <1817-1871>
 
敷島の 書に林に 分入ば 
 はてなき道の まさ道そある
」 

 
奈良平城宮跡にて(5月) 
 伊勢大輔<989年〜1060>

 「
いにしへの 奈良の都の 八重桜 
 けふ九重に にほひぬるかな
」 

 奈良県桜井市談山神社東門にて(2月)
 山岡荘八の書になる万葉歌碑

柿本人麿<660頃〜720頃>
久方の 天ゆく月を 網にさし 
わが大君は 蓋(きぬがさ)にせり

( 私がお仕えしている皇子のご威光は
盛んなものだ。
空を渡る月を網に通して、お側の人に
引かせながら、天蓋にしていらっしゃる。)

(写真上)奈良公園にて(10月)
森 鴎外<(1862〜1922>
猿の来し 官舎の裏の 大杉は 
  折れて迹なし 常なき世なり

上写真クリックで鴎外の門








(写真左)奈良公園東大寺前にて(10月)
会津八一<1881〜1956>
おほらかに もろてのゆびを ひらかせて
  おほきほとけは あまたらしたり

左写真クリックで説明板
後醍醐天皇<1288〜1339>
ここにても 
雲井の桜咲きにけり
ただかりそめの 
宿と思ふに


奈良県吉野 
吉水神社にて(10月)
奈良県吉野
吉水神社にて(10月)

後醍醐天皇<1288〜1339>
花にねて 
よしや吉野の吉水の
枕の下に 石走る音


奈良県吉野 
竹林院群芳園にて(10月)

西行<1118〜1190>
吉野山 
こぞのしをりの
 道かへて
まだ見ぬかたの 
花をたずねむ




奈良県吉野竹林院群芳園にて(10月) 歌碑 与謝野鉄幹(左)晶子(右)

 
奈良県吉野竹林院群芳園にて(10月)  歌碑写真クリックで拡大
与謝野晶子<1878〜1942> 「何山の鳥 竹林院の 林泉を楽しむ朝と なりにけるかな
右は与謝野 寛<1873-1935> 「三吉野の竹林院の静かなり花なき後も ここに在らばや


奈良県吉野 竹林院群芳園にて(10月)
竹林院縁起説明板より

本居宣長<1730〜1801>
花とのみ 思ひいりぬる よしの山
四方の眺めも たぐひやはある


和歌山
2.6 和歌山の歌碑
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和歌山県 根来寺にて

歌山大学名誉教授
垣穂短歌会主宰
田林義信<1906〜没年不詳>の歌碑

結界はさすかに寂か  
 諸鳥の聲々きこゆ 
  渓谷の方より



 
和歌山県中辺路瀧尻王子宮にて(10月) 滝尻王子遺跡保存会の後鳥羽院の歌碑 後鳥羽天皇<1180〜1239>
「おもひやる かものうはげのいかならむ しもさへわたる 山河の水」


和歌山県 粉河寺にて
 若山牧水<1885〜1928>の歌碑

粉河寺
 遍路の衆の
  打ち鳴らす
鉦々きこゆ
 秋の樹の間に
」   ・ 


後鳥羽上皇<1180〜1239>
おもひやる
 かものうはけの
  いかならむ
 しもさへわたる
  やま河の水


和歌山県田辺市中辺路町栗栖川
    (熊野古道)滝尻王子 にて

この歌は熊野懐紙に残されている。
熊野詣で歌会に参加した人々が
自詠の歌を書いて差出した和歌懐紙
(滝尻王子の熊野古道館に複製品あり)


後鳥羽上皇<1180〜1239>
はるはるとさかしき峰を わけ過きて音無川を
 けふみつるかな

和歌山県田辺市本宮町本宮
    (熊野古道)熊野本宮大社 にて

    


白河上皇<1053〜1129>
咲きにほふ
 花の景色を見るからに
 神のこころそ
  そらにしらるる

秩父宮勢津子妃殿下 御筆

和歌山県田辺市本宮町本宮
(熊野古道)熊野本宮大社 にて


詠み人知らず
万葉集巻7−1208より
和歌山県道の駅「紀ノ川万葉の里」にて

妹に恋ひ
我が越えゆ行けば勢能山の
妹に恋ひずて
あるがともしさ


藤原定家 (藤原俊成の子)<1162〜1142>
熊野古道発心門王子にて

いりがたき 
みのりの門はけふ過ぎぬ
今より六の道に帰すな

六道とは地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天界
難しい仏道に入門したからには、
戻ることなく六道の天界にのぼるように
写真はTM氏



北陸
2.7 北陸の歌碑
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詠み人調査中
岐阜県 分水嶺公園にて
(TM氏)
行きかた

白雲の峰も映せる
ひるが野の
分水嶺を吹く風甘し



富山市城址公園にて(10月)(TM氏)

藻谷 銀河<1900〜1945>
藻谷 銀河歌碑  
写真クリックで読めます

夕まけて 心さびしく なりにけり
  遠く澄みたる ひぐらしのこゑ



その他
2.8 その他地域の歌碑
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昭和天皇
きし近く 烏城そびえて旭川
 ながれゆたかに
   春たけむとす

岡山市後楽園にて(1月)(TM氏))

江戸さい子 <1884〜1961>
江戸さい子 と 歌碑


天地のおのづからなる声きかむ
人の世などは思ひ忘れて



石川県尾山神社にて(TM氏)写真クリックで拡大
御母衣ダム 荘川桜説明板より(TM氏)
詠み人不明

御母衣なる蒼き湖水に花ちらす
桜の心 誰か知るらん





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*箕面の句碑・歌碑 
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