[句碑・歌碑・碑文] 中項目・目次 HPのトップへ |
---|
1.句碑 2.歌碑 3.布引滝歌碑 4.小倉百人一首歌碑 5.碑文 |
藤原家隆の歌碑 藤原家隆<1158-1237> 「契りあれば 難波の里に宿りきて 浪の入り日を 拝みけるかな」 (古今著聞集) 夕陽丘ストリート |
大阪市天王寺区夕陽丘にて(5月) 伊達千広 自得翁<1802-1877> (伊達千広 号は自得。陸奥宗光の実父) 「空蝉の殻は何処に朽ちぬとも 我魂やどるかた岡ぞこれ」 この歌の元歌と思しき歌が古今集にある |
吹田市垂水にて(1月)(KK氏) 垂水神社の万葉歌碑 垂水の滝碑 写真クリックで碑文を 拡大します この歌碑は「史跡のページ」 にもあります。 |
大阪市生国魂神社にて(8月) 中山琴主<1803 〜1880> 「二つ緒の 八雲の琴に神の世の しらべを移し 伝え来にけり」 |
堺市大鳥大社にて(7月) 平清盛<1118〜1181> 「かひこぞよかへりはてなば 飛びかけり はぐくみたてよ 大鳥の神」 |
堺市大鳥大社にて(7月) 与謝野晶子<1878〜1942> 「和泉なる わがうぶすなの 大鳥の 宮居の杉の 青きひとむら」 |
天王寺区四天王寺にて(12月) 田中塊堂<1896−1976> 「椽大(てんだい)の 筆を揮(ふる)ひて日の本の 佛法最初と書き下したり」 |
池田市逸翁美術館にて(7月)(TM氏) 小林一三<1873-1957> 「鶏鳴暁を破って七返る初日出かな」 小林一三 7回目の鶏歳を迎えた 新年に詠める |
豊中市曽根 曹洞宗別格寺院 御詠歌 仏日山東光院萩の寺にて(9月)(TM氏) 「まいり来て袖ぬらしけりはぎのてら 花野にあまる露の恵に」 「さかえゆく限りをしらず延命の 実りの露に生いし樟」 |
大阪天満宮にて 慶応2年建碑 富山の薬売の家訓 「楽すれば らくがわざして楽ならず らくをせぬ身ははるか楽々」 |
拾遺和歌集より 紀貫之<872〜945頃>の歌碑 大阪府 五月山動物園にて 「五月山 木の下闇にともす火は 鹿のたちどのしるべなりけり」 |
牡丹花肖柏(ぼたんかしょうはく)<1443〜1527> 号は夢庵、牡丹花(ぼたんか)、弄花軒(ろうかけん) 「初雁を詠みし和歌 牡丹花 舟人の舵をたゝ行 波の上に 由良の 岬の初雁の声」 池田市 大広寺にて 池田市、堺市にゆかりの歌人、 応仁の乱のあと大広寺に小庵を結ぶが また戦乱で晩年に堺へ 参考 池田市観光協会から句の内容を 教えて頂きました |
池田市久安寺にて 大村呉楼 (おおむらごろう)<1895〜1968> 「雑木やま騒がせてたつ 春のあらし 榧(かや)の花粉の 散りけぶり来る」 *人名辞典 |
大阪府 五月山公園にて 紀貫之<866〜945> 「五月山 こずえを高み ほととぎす 鳴く音 そらなる 恋もするかな」 |
|
秋田篤孝(青雨) 大阪府 正智寺にて 「萩の上の 月吹かれたりそののちや とりとめし何かなしきならず」 秋田篤孝の師匠大田水穂自筆の歌碑が 高遠にあるらしい 「花ぐもりいささか風のある日なり 昼野火もゆる高遠の山」 池田市の鳥瞰地図作者の山田虹映へ |
|
島根県浜田市出身 岸井庸充俊実の箕面山讃歌 滝安寺境内にて 「箕山欝崢栄 瀑水夏生冷 更疑控銀河 偏濺千刃嶺」 「雲か煙箕面の山の滝つ瀬は天の河原の 水や落つらん」 立看板クリックで拡大 *箕面の句碑・歌碑 |
昆陽寺にて(12月) 後醍醐天皇<1288〜1339> 「命あれば こやの軒端の 月も見つ 又いかならん ゆく末の空」 |
伊丹市昆陽寺にて(12月) 行基<668〜749> 「山鳥の ほろほろとなく 声きけば 父かとぞ思う 母かとぞ思う」 |
神戸市生田神社生田の森にて(1月) 古今和歌集巻第一26 紀貫之<866〜945> 「青柳の 糸よりかくる 春しもぞ みだれて花の ほころびにける」 |
神戸市生田神社生田池にて(1月) 白鳳<不詳> 「うるはしき 唐破風もちし拝殿は 地上に這ひて 獣のごとし」 「朱に光る 唐破風今そ聳えたち 羽を拡げし 真名鶴のごと」 参考 |
神戸市生田神社にて(1月) 梶原景季<1162〜1200> 「けふもまた 生田の神の恵かや ふたたび匂ふ 森の梅が香」 |
三田市 東光山花山院菩提寺にて(8月) 写真クリックで説明板 児玉尊臣<生年不詳> 「やまの鳥 木々のしげみに 啼きゝほい みささぎの邊の すがしあさかも」 |
別所長治辞世の句碑 兵庫県 歴史街道の旅 播磨三木城址にて 右写真クリックで拡大 「今はたゝ うらみもあらし諸人の いのちにかはる 我か身とおもへは」 |
兵庫県川西市多田神社境内 北里闌の歌碑 「千代のこけむす・・・」 国学者北里闌<1870〜1960>は 医学者北里柴三郎のいとこにあたり、 北里家が清和源氏多田満仲の流れをくむとして 多田神社に歌碑を残している |
淡路 明石海峡公園にて 今上天皇御製の歌碑 「園児らと たいさんぼくを 植えにけり 地震ゆりし島の 春ふかみつつ」 写真クリックで趣意書拡大 |
兵庫県 麻耶山天上寺にて 花山院<968〜1008> 花山天皇御製の歌碑 「山の名を 佛の母と きくからは これそまことの 慈悲のみなかみ」 |
須磨寺にて
|
須磨寺にて 白崎弘晧<不詳> 「公達の 血のりを秘めて 七百年 水静かなり 須磨寺の池」 |
須磨寺にて
|
須磨寺にて
|
須磨 関守稲荷神社にて 源兼昌<生没年未詳> 「あはぢしま かよふちどりの鳴く声に いくよねざめぬ 須磨のせきもり」 |
須磨 関守稲荷神社にて 藤原俊成<1114〜1204> 「聞き渡る 関の中にも 須磨の関 名をとどめける 波の音かな」 |
藤原定家<1162〜1241> 「桜花 たが世の若木 ふり果てて 須磨の関屋の 跡うづむらん 」 須磨 関守稲荷神社にて 写真クリックで観光協会の写真に接続 |
荒木村重の妻 あらきたし<生没年不明> 「霜かれに残りてわれは八重むくら なにはのうらのそこのみくつに」 荒木村重<1535〜1586> 「思いきやあまのかり橋ふみならし なにはの花の夢ならむとは」 有岡城址にて(TM氏) 写真クリックで拡大リンク |
伊丹城の城主 伊丹之親 <生没年不明> 「春秋の 花と月とをときならで 見はてぬ夢の 暁はうし」 伊丹の歌碑 有岡城址にて(TM氏) 写真クリックで拡大リンク |
伊丹にて牧水 伊丹の歌碑 銘酒「白雪」の小西酒造にて(TM氏) 写真クリックで拡大リンク 若山 牧水<1885〜1928> 「手にとらば 消なむしら雪はしけやし この白雪はわがこころ焼く」 |
中村良臣<1794〜1850> 「志ら露と たまにぬきとのおとめ子が かざしにまがふ あきに萩はら」 兵庫県 伊丹市 昆陽池公園にて 兵庫県伊丹市の歌碑・句碑 *文学人名辞典 |
滋円<1155〜1225> 「ゑにかきて今唐土の人に見せん 霞わたれる昆陽の松原」 兵庫県 伊丹市 昆陽池公園にて 写真クリックで部分拡大にリンク 兵庫県伊丹市の歌碑・句碑 |
藤原定家 (藤原俊成の子)<1162-1241> 「 新雨初めて晴れ 池水満つ 恩波 風緩やかにして豊年を楽しむ 遠松 我を迎えて 親故の如し 群鳥 人を驚かし 後先を争う 暁涙 伴い来る 江館の月 春望 相似たり 洞庭の天 頭を廻らし遥かに顧みる 青巌の路 漸く帝都を隔つ 山復(ま)た川」 兵庫県 伊丹市 昆陽池公園にて (TM氏) |
大弐三位<999頃-1082頃)> 紫式部の娘、藤原賢子 「ありま山ゐなのささ原風吹けば いでそよひとを わすれやわする」 兵庫県 伊丹市 昆陽池公園にて (TM氏) 写真クリックで部分拡大にリンク |
兵庫県 伊丹市 昆陽池公園にて (TM氏) 写真クリックで部分拡大にリンク 詠み人知らず 古今和歌集より 「しなが鳥猪名野をゆけば有馬山 夕霧立ちぬ明けぬこの夜は」 |
兵庫県 伊丹市 昆陽池公園にて 写真クリックで部分拡大にリンク 兵庫県伊丹市の歌碑・句碑 夏目甕麿<1774〜1822> 「遠つあふみ入江の月のおもかけも 思ひそ出る昆陽の大池」 |
兵庫県 伊丹市 昆陽池公園にて 写真クリックで部分拡大にリンク 西行法師<1118〜1190> 「冴る夜はよその空にぞ鴛鳥も鳴く 凍りにけりな昆陽の池水」 |
兵庫県 伊丹市 昆陽池公園にて 田辺聖子書 写真クリックで部分拡大にリンク 待賢門院堀河<生没年未詳> 「こやの池に生ふる菖蒲のながき根は ひく白糸の心地こそすれ」 |
兵庫県 伊丹市 昆陽池公園にて 高市連黒人<生没年未詳> 「わぎもこに 猪名野は見せつつ名次山 角の松原いつか示さむ」 写真クリックで部分拡大にリンク |
|
島根県津和野出身 桐田蕗村<1883〜1955> 「さらさらと 草がよれゆく風に和ひ ひとりの道は 思ひにあまる」 宝塚市 中山寺 成就院にて 歌の読み方を掲示板で式部さんに 教えて頂きました。 「和ひ」の現代読みは「あい」か、或いは 資料3の「そい」か疑問ですが「あい」を採用。 桐田蕗村資料 写真と資料は(TM氏) 写真クリックで歌碑を拡大 |
兵庫県 宝塚市小浜首塚 小浜首塚地蔵再建委員会(TM氏) 「いざさらば心はここに身は西に つとめ果たしてゆく身なら 後の世までもまもりたまわむ」 |
兵庫県 須磨離宮公園にて(TM氏) 「いくたびか 立ちかえりみし松かげに 月を寄せくる須磨の浦浪」 詠人は、海士のたね平 須磨観光協会事務局に歌詞を 教えて頂きました |
神戸市生田神社にて(1月) かぢはら井 壽永の昔(800年前)源平生田の森の合戦の折、梶原景季が この井戸の水を汲んで生田の神に武運を祈ったと伝えられる。 |
神戸市生田神社にて(1月) 白魚<作者詳細不詳> 「ほのかなる 土の香たちて 青葉なす 生田の杜が あめ晴れわたる」 |
神戸市生田神社にて(1月) 白鳳<作者詳細不詳> 「ふるさとの歴史きはめて百年の歩みを語る杜の老樹に」 |
神戸市生田神社にて(1月) 森の東口にある稲荷社の隣に、楠の大木の切り株 の一部が展示されている。500年の樹齢を持つ神木は、 神戸大空襲で焼けたが、蘇った。再生・再起・復興の象徴 となっている。駒札に白鳳<作者詳細不詳>の歌。 「五百年の楠の年輪尊貴なり幾多の森のいにしへしのぶ」 |
京都市永観堂にて(8月) 昭和天皇御製 「夏たけて ほりのはちすの 花みつゝ ほとけのおしえ 思う朝かな」 写真クリックで 拡大します |
京都市永観堂にて(8月) 与謝野晶子 「秋を三人 椎の実なげし 鯉やいづこ 池の朝かぜ 手と手つめたき」 写真クリックで 拡大します |
京都府八幡市石清水八幡宮前安居橋にて(6月) 能蓮法師<生没不詳>歌碑 「岩清水清き流れの絶えせねば やどる月さえ 隈なかりけり」 |
京都府八幡市石清水八幡宮上院にて(6月) 歌碑 松田南窓<生年不詳> 「道も狭に 椿の花の散り布きて あゆみためろふ 八幡神山」 |
京都市平安神宮にて(7月) 大極殿右近の橘 古今集より 「さつき待つ花橘の春をかけば 昔の人の 袖の香ぞする」 |
京都市平安神宮にて(7月) 大極殿左近の桜 本居宣長<1730〜1801> 「敷島の大和心を人とはば 朝日のにほふ山ざくらばな」 |
京都市東山 平安神宮にて(TM氏) 昭和天皇<1901〜1989> 「遠つおやの しろしめしたる大和路の 歴史をしのび けふも旅ゆく」 |
京都市伏見区 御香宮神社にて(3月) 御香宮 宮司三木善則 <1944〜> 「みととせを 昨日の如く煎茶点 手振る雅春の大前」 |
京都市円山公園にて(11月) 師弟愛の像 昭和9年の室戸台風で殉死した 教師と生徒の像 |
吉井勇<1886.〜1960> 「かく大き 愛のすがたを いまだ見ず , この群像に 涙しながる」 この像は知恩院南門友禅苑西出入り口の 横にもあった。 |
常寂光寺にて(11月) 「定家山荘跡」 小倉百人一首 第26番 貞信公 藤原忠平<880〜949> 「小倉山 峯のもみじ葉こころあらば いまひとたびの 御幸またなん」 |
京都市嵯峨落柿舎にて(11月) 嵯峨天皇の皇女 を称えて <生年調査中> 「加茂川の はやせの波の うちこえし ことばのしらべ 世にひびきけり」 |
長岡京市 長岡天満宮にて(10月) 菅原道真<845〜903> 「海ならず たたへる水の底までも 清き心は月ぞ照らさむ」 愛国百人一首 第25番 |
長岡天満宮にて(10月) 菅原道真<845〜903> 「このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに」 百人一首第24番 和歌の意味 |
宇治市 さわらびの道にて(2月) 晶子の歌碑(表) 与謝野晶子<1878〜1942> 橋姫「しめやかに心の濡れぬ川ぎりの立舞ふ 家はあはれなるかな」 椎が本「朝の月涙の如し真白けれ御寺のか ねの水わたる時」 総角「こころおば火の思ひもて焼かましと願ひ き身をば煙にぞする」 さわらび「さわらびの歌を法師す君に似ずよき言 葉をば知らぬめでたき」 宿り木「あふけなく大御女をいにしへの人に似よ とも思ひけるかな」 源氏物語ゆかりの宇治にて 宇治十帖歌碑の場所 |
宇治市 さわらびの道にて(2月) 晶子の歌碑(裏) 東屋「ありし世の霧きて袖を濡らしけり わりなけれども宇治近づけば 浮舟「何よりも危なきものとかねて見し 小舟の上に自らをおく」 蜻蛉「ひと時は目に見しものを かげろふのあるかなきかをしらぬはかなき」 手習「ほど近き法の御山をたのみたる 女郎花かと見ゆるなりけれ」 夢浮橋「明けくれに昔こひしきこころもて 生くる世もはたゆめのうきはし」 |
宇治市 宇治神社にて(2月) 喜撰法師<生没年不詳> 百人一首第8番 「わが庵は都のたつみしかぞすむ 世をうぢ山と人はいふなり」 この歌から 「喜撰」は茶(宇治茶)の銘柄名とされ、 茶の隠語となった。 嵐山小倉山にある歌碑へ |
京都市東山 青蓮院にて(11月) |
京都市伏見 日野誕生院にて(3月) |
中村 芳子(なかむら よしこ)<1920年〜 1987> 「あでやかに 太夫となりて 我死なん 六十路過ぎにし 霧はかなくも」 夕霧太夫を襲名した初代・中村雁治郎の娘で 「夕霧供養祭」を始めた女優・中村芳子の歌碑 京都市嵯峨清涼寺にて(11月) 写真クリックで説明板 |
京都市嵯峨清涼寺にて(11月) 「夕霧供養祭」を始めた 女優・中村芳子・夕霧太夫 を偲んだ歌碑 吉井 勇<1886〜1960> 「いまのなほ なつかしとおもふ 夕霧の 墓にまうでし かへり路の雨」 |
京都市鞍馬寺にて(9月) 与謝野晶子<1878〜1942> 「何となく君にまたるるここちして いでし花野の夕月夜かな」 |
京都市鞍馬寺にて(9月) 与謝野 寛<1873-1935> 「遮那王が背くらべ石を山に見て わが心なお朝日を待つかな」 |
京都府 城南宮にて 與謝野晶子<1878〜1942> 「五月雨に 築土くづれし鳥羽殿の いぬゐの池に おもだかさきぬ」 「おもだか」の花へリンク 晶子」の孫与謝野馨 |
妙心寺 東林院にて 東林院は平家物語の 沙羅双樹の花の寺として有名 山田無文<1900〜1988> 「仏さえ みまかりませし 花の色 見ていま沙羅に おもえ諸人」 東林院の沙羅双樹のページへ |
上賀茂神社にて(TM氏) 紫式部<978〜1016> 「ほととぎす声まつほどは片岡の もりのしずくに 立ちやぬれまし」 |
京都府宇治 平等院 扇芝にて 源頼政<1104〜1180> 「花さきて みとなるならば 後の世に もののふの名も いかでのこらん」 写真クリックで拡大 |
京都府名神桂川SAにて 西園寺公経<1171〜1244> 千五百番歌合より 「長岡や 田面の庵に 荒れまくに 寝覚めいざなふ 鴨の羽掻き」 |
京都市 祇園 白川にて(KK氏) かにかくに歌碑 吉井 勇<1886.〜1960> 「かにかくに 祇園はこひし寝るときも 枕のしたを水のながるる」 |
京都府 城南宮庭園にて 源氏物語 若菜下 紫の上の歌 写真をクリックすると扇看板が読めます ◎ こちらをクリックすると源氏物語 |
城南宮平安の庭にて かじの木 源氏物語の和歌 「住の江の 松に夜深くおく霜は 神のかけたるゆう鬘かも」 |
大津市近江神宮にて(10月) 天智天皇<626年〜672> 「秋の田の 刈穂の庵の苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」 小倉百人一首第1番 |
大津市近江神宮にて(10月) 平田貫一<生年不詳> 「比叡ヶ嶺に 近く琵琶湖を目下に 大神の辺に 永世住まなむ」 |
大津市近江神宮にて(10月) 横井時常<生年不詳> 「とし神は いま帰らすか左義長の 青竹はぜて 高くもえ立つ」 |
大津市近江神宮にて(10月) 香川進<1910−1998> 「湖ほとに息づき比そめと波はいひ は留けく可奈志と 波はまたいふ」 山村金三郎<生年不詳> 「湖に音なき音を韻かせて 比良ゆ流るる夕茜雲」 |
大津市近江神宮にて(10月) 春日真木子<1926〜> 「人間の 知恵のはじめよひそひそと 秘色の水に 刻まあたらし」 |
大津市近江神宮にて(10月) 高市黒人<生没年不詳> 「楽浪乃国津美神乃 浦佐備而荒有京見者悲毛 さざなみのくにつみかみのうらさびて あれたるみやこみればかなしも」 (万葉集巻1-33) |
大津市近江神宮にて(10月) 柿本人麻呂<生没年不詳> 「 夕波千鳥 心もしのに いにしへ思ほゆ」 (万葉集巻3-266) |
大津市近江神宮にて(10月) 保田與重郎<1910年〜1981> 「さゝ波のしがの山路の春に迷ひ ひとり眺めし花ざかりかな」 |
琉球国王尚泰の曾孫にあたる歌人 井伊文子<1917〜2004> 滋賀県 彦根城前の井伊直弼銅像横 「一身に責負いまして 立ちましし大老ありてこそ 開港はなりぬ」 |
『三光鳥』第1号: 昭和28年発行「京の鳥」より 延暦寺 西塔にて 川村多実二(かはむらたみじ)<1883〜1964> 「時ならぬ 津ばきの花をよろこびて め志ろ友よぶ山かげの寺」 |
滋賀県 比叡山延暦寺西塔にて 九条武子<1887〜1928> 「山の院 蓮子の端にせきれいの 巣ありひな三つ 母まちて鳴く」 |
滋賀県 比叡山延暦寺 西塔にて 米田雄郎 (よねだゆうろう) <1891〜1959> 「しづやかに 輪廻生死の 世なりけり はるくるそらの かすみしてけり」 |
滋賀県 比叡山延暦寺 西塔にて 参考 若山 牧水 <1885〜1928> 「比叡山(ひえやま)の 古(ふ)りぬる寺の 木がくれの 庭の筧(かけひ)を 聞きつつ眠る」 |
滋賀県 比叡山延暦寺西塔にて *大津市の句碑・歌碑 中西悟堂<1895〜1984> 「樹之雫(きのしずく) しきりに落つる 暁暗(ぎょうあん)の 比叡をこめて 啼くほととぎす」 |
(TM氏) 写真クリックで拡大 |
井伊直弼<1815-1860>の歌碑 滋賀県 彦根市 彦根城前にて 「あふみの海 磯うつ波のいく度か 御世にこころを くだきぬるかな」 この3ヶ月後の3月3日 江戸城桜田門外で 凶刃に倒れた 写真クリックで説明板 |
橿原市今井町にて(5月) 今井まちなみ交流センターの万葉歌碑 柿本人麻呂 「明日香川しがらみ渡し塞かませば 流るる水ものどにかあらまし」 クリックで拡大 |
明日香村聖徳太子生誕地橘寺にて(2月) 橘寺の歌碑 會津八一(あいづ・やいち)(1881-1956) 「くろこまの あさのあがきにふませたる をかのくさねと なづさひぞこし」 「黒駒の 朝の足掻きに踏ませたる 岡の草根と なづさひぞ来し」 聖徳太子が朝、黒い馬に乗って、その馬に 踏ませたのがこの岡の草だという意味。 2012年11月 橘寺で八一歌碑の除幕式が行われた。 八一は黒駒に乗って疾駆する聖徳太子への 思慕を込めて、歌にした。 橘寺は、明日香村の聖徳太子生誕の地と 伝えられる寺で、開創は606年、太子建立の 7ヶ寺の一つで、太子が勝鬘経(しようまんきょう) を講じた地と伝えられている。 8世紀の最盛期には堂宇60余の大寺院だった。 |
クリックで 文字部拡大 |
奈良市秋篠 単立寺院秋篠寺にて(3月) 会津八一の歌碑 会津八一<1881〜1956> 「秋篠の 御寺を出てて かへり見る 生駒が岳に 日は落ちむとす」 秋篠寺和歌 |
奈良市秋篠秋篠寺にて(3月) 川田 順<1882〜1966> 「諸々のみ仏の中の伎芸天 何のえにしぞ吾を見たまふ」 川田 順は、歌人、実業家。 住友総本社常務理事。 漢学者川田甕江の3男。 女優・歌手の佐良直美は従曾孫娘 クリックで文字部拡大 秋篠寺和歌 |
奈良市西大寺にて(1月) 歌碑 万葉集巻第十九 4268 孝謙天皇*の御製歌 「この里は 継ぎて霜や置く夏の野に 我が見し草はもみちたりけり」 歌碑建立 道鏡を守る会 *孝謙天皇(女帝)の 父は聖武天皇 母は光明皇后である 道鏡を寵愛し後に 藤原仲麻呂の乱を招く この乱が西大寺建立に繋がる |
長谷寺にて(10月) 紀貫之故里の梅 紀貫之<866頃〜945頃> 「人はいさ心も知らず故里は 花ぞ昔の香ににほひける」 |
桜井市長谷寺にて(10月) 大伴坂上郎女<不詳> 「こもりくの泊瀬の山は色づきぬ しぐれの雨は降りにけらしも」筆者里見ク |
奈良市南都鏡神社にて(9月) 歌碑はクリックで拡大 万葉集 第8巻 1456番 藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ) <生年不詳〜740> 「この花の 一弁(ひとよ)のうちに 百種(ももくさ)の 言(こと)ぞ籠れる おほろかにすな」 「 この桜の枝には 沢山の言葉が 込められているので、 粗末にしないで 」 |
奈良市法華寺にて(9月) 会津八一<1881〜1956> 「ふぢわらの おほききさきを うつしみに あひみるごとく あかきくちびる」 クリックで拡大 |
奈良市法華寺門跡にて(9月) 山部赤人<生年不詳〜736> 「いにしえの 古き堤は年深み 池のなぎさに 水草生ひにけり」 法華寺の歌碑 |
明日香村岡寺にて(2月) 「君が目に永遠に消ざらむ ふるさとの明日香の丘の夕月の色」 辰己利文 明日香村地図 |
明日香村飛鳥寺にて(2月) 正岡子規高弟の安江不空 「つくつくしつみいためつつ あすかのに ますおほぼとけ みにきつるかも」 |
昭和天皇の皇后(旧名良子女王) 香淳皇后<1903〜2000> 中宮寺 境内にて 歌碑クリックで説明文 「中宮寺の 築地のうちに しつもりて 山茶花の花 清らかに咲く 」 |
桜井市談山神社にて(2月) 「多武峰往生院歌合」の判者 素意法師<生年不詳 〜1094> 「花ごろも かざらき山に色かへて もみぢのほらの 月をながめよ」 玉葉和歌集 2623番 |
奈良西ノ京 唐招提寺にて(5月) 会津八一<1881〜1956> 「おほてらの まろきはしらの つきかげを つちにふみつつ ものをこそおもへ」 歌意 唐招提寺の丸いエンタシスの柱が 月の光で大地にくっきりと影を落としている。 その影を踏みながら私は深いもの思いに耽っている。 |
折口信夫<1887〜1953> 「人過ぎて 思ふすべなし 伝え来し 常世の木の実 古木となれり」 奈良県桜井市談山神社にて(2月) 菴羅樹 アンラジュ カリン バラ科 ボケ属 |
春日大社万葉植物園にて(5月) 島崎藤村の揮毫になる万葉集歌碑 作者不詳(巻十二より) 「むらさきは 灰さすものそ つば市の やそのちまたに 逢へる子や 誰」 「たらちねの 母が呼ぶ名を申さめと 道ゆく人を 誰としりてか」 |
春日大社万葉植物園にて(5月) 前川佐美雄<1903〜1990> 「浅き水にすすき風さとはしるさへ 驚きやすく鹿の子のゐる」 前川緑<生年不詳> 「万葉の そのふのさくら たわたわに なみよすること 花ゆれにけり」 |
(上) 春日大社 万葉植物園にて(5月) 折口信夫<1887〜1953> 「この冬も 老いかゝまりて 奈良の京 たきぎの能を 思ひつゝ居む」 (右) 春日大社 万葉植物園にて(5月) 秋艸(しゅうそう)道人(會津八一)<1881〜1956> 「かすがのに おしてるつきの ほがらかに あきのゆふへと なりにけるかも」 |
クリックで拡大 |
春日大社万葉植物園にて(5月) 宮柊二(みや しゅうじ)<1912〜 1986> 「春日野の いにしえさまに 木の草を のこす園にて 春逝かんとす」 |
奈良平城宮跡にて(5月) 小野老(おののおゆ)朝臣<生年不詳〜737> 「あをによし寧楽の都は 咲く華の 薫ふがごとく 今盛りなり」 |
奈良県葛城市當麻寺にて(3月) 折口信夫<1887〜1953> 「ねりくよう すぎてしずまる 寺のには はたとせまえを かくしつつゐし」 |
奈良県葛城市當麻寺にて(3月) 佐藤佐太郎<1909〜1987> 「白藤の 花に群がる蜂の音 歩みさかりて その音はなし」 |
春日大社先代宮司葉室頼昭による 郡国久仁香さんの顕彰歌碑. 「春日山 久仁香の思い 水の音 清き流れや 白藤の瀧」 平成16年3月吉日 春日大社 頼昭書 (詳細調査中) |
奈良平城宮跡にて(5月) 北浦定政 <1817-1871> 「敷島の 書に林に 分入ば はてなき道の まさ道そある」 |
奈良平城宮跡にて(5月) 伊勢大輔<989年〜1060> 「いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな」 |
奈良県桜井市談山神社東門にて(2月) 山岡荘八の書になる万葉歌碑 柿本人麿<660頃〜720頃> 「久方の 天ゆく月を 網にさし わが大君は 蓋(きぬがさ)にせり」 ( 私がお仕えしている皇子のご威光は 盛んなものだ。 空を渡る月を網に通して、お側の人に 引かせながら、天蓋にしていらっしゃる。) |
(写真上)奈良公園にて(10月) 森 鴎外<(1862〜1922> 「猿の来し 官舎の裏の 大杉は 折れて迹なし 常なき世なり 上写真クリックで鴎外の門 (写真左)奈良公園東大寺前にて(10月) 会津八一<1881〜1956> 「おほらかに もろてのゆびを ひらかせて おほきほとけは あまたらしたり」 左写真クリックで説明板 |
後醍醐天皇<1288〜1339> 「ここにても 雲井の桜咲きにけり ただかりそめの 宿と思ふに」 奈良県吉野 吉水神社にて(10月) |
奈良県吉野 吉水神社にて(10月) 後醍醐天皇<1288〜1339> 「花にねて よしや吉野の吉水の 枕の下に 石走る音」 |
奈良県吉野 竹林院群芳園にて(10月) 西行<1118〜1190> 「吉野山 こぞのしをりの 道かへて まだ見ぬかたの 花をたずねむ」 |
奈良県吉野 竹林院群芳園にて(10月) 竹林院縁起説明板より 本居宣長<1730〜1801> 「花とのみ 思ひいりぬる よしの山 四方の眺めも たぐひやはある」 |
和歌山県 根来寺にて 和歌山大学名誉教授 垣穂短歌会主宰 田林義信<1906〜没年不詳>の歌碑 「結界はさすかに寂か 諸鳥の聲々きこゆ 渓谷の方より」 |
和歌山県 粉河寺にて 若山牧水<1885〜1928>の歌碑 「粉河寺 遍路の衆の 打ち鳴らす 鉦々きこゆ 秋の樹の間に」 ・ |
後鳥羽上皇<1180〜1239> 「おもひやる かものうはけの いかならむ しもさへわたる やま河の水」 和歌山県田辺市中辺路町栗栖川 (熊野古道)滝尻王子 にて この歌は熊野懐紙に残されている。 熊野詣で歌会に参加した人々が 自詠の歌を書いて差出した和歌懐紙 (滝尻王子の熊野古道館に複製品あり) |
後鳥羽上皇<1180〜1239> 「はるはるとさかしき峰を わけ過きて音無川を けふみつるかな」 |
和歌山県田辺市本宮町本宮 (熊野古道)熊野本宮大社 にて |
白河上皇<1053〜1129> 「咲きにほふ 花の景色を見るからに 神のこころそ そらにしらるる」 秩父宮勢津子妃殿下 御筆 和歌山県田辺市本宮町本宮 (熊野古道)熊野本宮大社 にて |
詠み人知らず 万葉集巻7−1208より 和歌山県道の駅「紀ノ川万葉の里」にて 「妹に恋ひ 我が越えゆ行けば勢能山の 妹に恋ひずて あるがともしさ」 |
藤原定家 (藤原俊成の子)<1162〜1142> 熊野古道発心門王子にて 「いりがたき ・ みのりの門はけふ過ぎぬ・ 今より六の道に帰すな」 六道とは地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天界 難しい仏道に入門したからには、 戻ることなく六道の天界にのぼるように 写真はTM氏 |
詠み人調査中 岐阜県 分水嶺公園にて (TM氏) 行きかた 「白雲の峰も映せる ひるが野の 分水嶺を吹く風甘し」 |
富山市城址公園にて(10月)(TM氏) 藻谷 銀河<1900〜1945> 藻谷 銀河歌碑 写真クリックで読めます 「夕まけて 心さびしく なりにけり 遠く澄みたる ひぐらしのこゑ」 |
昭和天皇 「きし近く 烏城そびえて旭川 ながれゆたかに 春たけむとす」 岡山市後楽園にて(1月)(TM氏)) |
江戸さい子 <1884〜1961> 江戸さい子 と 歌碑 「天地のおのづからなる声きかむ 人の世などは思ひ忘れて」 |
石川県尾山神社にて(TM氏)写真クリックで拡大 |
御母衣ダム 荘川桜説明板より(TM氏) 詠み人不明 「御母衣なる蒼き湖水に花ちらす 桜の心 誰か知るらん」 |