[句碑・歌碑・碑文] 中項目・目次        HPのトップへ
1.句碑  2.歌碑  3.布引滝歌碑  4.小倉百人一首歌碑  5.碑文

5.碑文 5.1 文学碑・記念碑・川柳その他  大阪 京都 奈良 滋賀 兵庫 其他  5.2時習館碑文


5.1 文学碑・記念碑・川柳碑他
このページのトップ


きょうと
大阪の碑文

このページの目次へ

 
大阪市北区淀川河川公園長柄地区にて(4月) 淀川左岸水害予防組合の結成記念碑 
クリックで拡大
淀川左岸水害予防組合とは、大阪市・枚方市・寝屋川市によって、わが国で最も早く大正8年11月に、
枚方市に設立された。設立記念碑は大正14年に設立され、昭和33年に現在の淀川左岸水防事務組合
になった。石碑は毛馬の残念石がある旧毛馬第一閘門や洗堰の近くにある。


 
大阪府豊中市曽根アクアホール付近にて(8月) 西村真琴と魯迅の三義塚 
クリックで拡大


 
大阪城にて(11月) 教育勅語之碑 左は口語文  クリックで拡大 



大阪城にて(11月) 大阪城南外濠南にある 教育塔 クリックで拡大


 
大阪城にて(11月) 大阪城南外濠西の生国魂神社の松の碑  右は交通安全悲願の碑  
クリックで拡大


 
八尾市太子堂 大聖勝軍寺山門脇にて(5月)
西尾 水鶏庵 )の川柳句碑 クリックで説明碑
川柳塔社 元理事長 水鶏庵 栞  西尾 栞(1909〜1995)
一歩出ずれば吾れ旅人となる心
奥の細道から詠んだ川柳 門前の川柳句碑




八尾市太子堂 大聖勝軍寺山門脇にて(5月)
聖徳太子に因んだ「以禮為本 呂和為貴」の碑



大東市野崎観音にて(1月)
東海林太郎の
野崎小唄碑 クリックで拡大
今中楓渓 作詞
大村能章 作曲
野崎参りは 屋形船でまいろ
どこを向いても 菜の花ざかり
粋な日傘にゃ 蝶々もとまる
呼んで見ようか 土手の人

野崎参りは 屋形船でまいろ
お染久松 切ない恋に
残る紅梅 久作屋敷
今も降らすか 春の雨

野崎参りは 屋形船でまいろ
音にきこえた 観音ござる
お願かけよか うたりょか滝に
滝は白絹 法の水


 五月みどり

 
大東市野崎観音にて(1月) お染久松の塚  お染久松野崎村の段碑(
クリックで拡大


 
大阪府四条畷市四条畷神社石段下にて(1月) 夢 四条畷市民の森碑

 
大東市野崎観音にて(1月) 坂村真民
<1909〜2006> 「念ずれば 花ひらく

右は同野崎観音にて(1月) 川柳碑 「合掌の 指にあかりが しかとある クリックで拡大

 
藤井寺市道明寺にて(4月)「
以春風接人」の碑 禅語 「以春風接人 以秋霜慎自
春風を以って人に接し、秋霜を以って自を慎む 江戸時代の儒者・佐藤一斎の『言志録』の中にある言葉

右は大阪市生国魂神社 にて(8月) 米澤彦八の碑 写真クリックで上方落語発祥の碑

 
大阪市天王寺公園内大阪市立美術館にて(7月) 林芙美子文学碑「めし」より 写真クリックで拡大
碑文中の75mの高塔「通天閣」は「めし」の書かれた1951年頃には初代通天閣(1903年建設〜1943年解体)も
現在の通天閣(1954年建設〜)も無く、国技館も天王寺公園の西側から東京へ移転していた。「旧大阪国技館」のページへ。

写真右は大阪市平野区大念仏寺にて(1月) 筆塚の碑「筆一本に生命託してが我いきたり

 
 大阪市住吉大社にて(7月) 川端康成<1899〜> 「反橋は上るよりもおりる方がこはいものです。
私は母に抱かれておりました。
」「反橋」より
右は同住吉大社にて(7月) 純心流星華吟詠会宗家会長 池田哲星 作詞記念碑


 
大阪府箕面滝にて 頼山陽の漢詩   クリックで拡大

 
吹田市大阪大学にて(4月) 医学部前の顕彰碑 クリックで趣意文拡大


きょうと
京都の碑文

このページの目次へ

 
京都府北区日蓮宗光悦寺にて(9月) MONUMENT of MR. CHARLES L. FREER  
クリックで拡大 
チャールス・フリヤ記念碑 昭和五年五月光悦会会長大谷尊由 為光悦会男爵益田孝書 
光悦寺のページへ
(碑文概要)フリヤ氏は米国キングストンの生まれで、エール大学卒業後、鉄道会社を経てデトロイト市に汽車製造会社を起した、経営者。
氏は趣味に富み、東洋美術の研究にも力を注き、この寺を度々訪れ、工芸品を収集して世界に伝えた。もちに、全財産を国家に捧げ、
ワシントンにフリヤ美術館を建設し、蒐集品を寄附した。ここに、氏と当寺との縁の深きを思い、碑を立てゝ末永くに伝えるものである。

 
京都市東山区大谷本廟にて(2月) 
昭和9年 3066人の死者と行方不明者を出した室戸台風の
一周忌追悼法要碑「師弟愛の碑」 クリックで拡大




 
大谷祖廟にて(11月)
東大谷の顕彰碑(注意書き碑)
石段の間七八歳までの子供
大人手を引くべし
はしるべからず



長田幹彦<1887〜1964>作詞
祇園小唄
月はおぼろに東山
霞む夜毎のかがり火に
夢もいざよう紅桜
しのぶ思いを振袖に
祇園恋しやだらりの帯よ

佐々紅華<1886〜1961>作曲

映画絵日傘(昭和5年マキノ映画)
主題歌  祇園小唄説明板

FC2動画 祇園小唄踊り1  
YOU TUBE 祇園小唄踊り2

クリックで拡大9月写真へ


 常寂光寺にて(11月) 砂田明の納骨記念碑 
 砂田明<1928〜1993>新劇俳優 

 京都嵯峨野 常寂光寺にて(11月)
 砂田明の納骨記念碑についての趣意書
 
写真クリックで拡大
 記念碑(左の写真)に貼られた、人が口を
 開けて叫んでいるレリーフの作者は金城実 

坂村真民<1909〜2006>
念ずれば 花ひらく
京都市東山 
知恩院にて
(11月)

参考ネット

 常寂光寺にて(11月) 女の碑の趣意
クリックで拡大

 京都嵯峨野 常寂光寺にて(11月) 女の碑
 「女ひとり生きこゝに平和を希う
 京都市京セラ本社にて(10月)
 本社前の社是「敬天愛人」
 稲盛氏の故郷鹿児島の英雄
 西郷隆盛の座右の銘  を社是
 として戴いている

 
八幡市石清水八幡宮上院展望台にて(6月) 谷崎潤一郎文学碑 
駒札はクリックで拡大
小説「蘆刈」の男山を描写した部分の文学碑



雨中嵐山 周恩來 
雨中二次遊嵐山,
兩岸蒼松,
夾着幾株櫻。
到盡處突見一山高,
流出泉水鵠@許,
繞石照人。
瀟瀟雨,
霧濛濃,
一綫陽光穿雲出,
愈見嬌妍。
人間的萬象眞理,
愈求愈模糊,
模糊中偶然見着一點光明,
眞愈覺嬌妍。

嵯峨嵐山(亀山)公園にて(11月) 周恩来歌碑


きょうと
奈良の碑文

このページの目次へ

 
真言宗壺阪山南法華寺壺阪寺にて(3月) 「以春風接人」の碑  禅語
右写真は「盲老人ホーム発祥の地」碑 「思いやりの心を広く深く

  
奈良県橿原市今井町にて(5月) 今井まちなみ交流センター前の谷三山の顕彰碑文 
クリックで拡大
谷三山は視力聴力を失った幕末の儒学者で、吉田松陰、頼山陽とも親交があった。私塾「興譲館」を開き多くの師弟を指導した。



 明日香村飛鳥寺にて(2月) 
春風以接人 秋霜以接己」 
春風を以て人に接す 秋霜を以て己に持す」 
禅語


きょうと
滋賀の碑文

このページの目次へ


大津市西教寺にて(10月) 明智光秀公辞世句
参考注釈「修行の道には順縁と逆縁の二つがある。
しかしこれは二つに非ず、実は一つの門である。
即ち、順境も逆境も実は一つで、究極のところ、
人間の心の源に達する大道である。而して
わが五十五年の人生の夢も醒めてみれば、
全て一元に帰するものだ。」




大津市浜大津にて(10月) 花登筺(1928年〜 1983年)の記念碑(なぎさ公園)
泣くは人生 笑うは修業 勝つは根性


藤村


石山寺表境内の藤村歌碑

石山寺のページへ戻る










島崎藤村<1872〜1943>


湖にうかぶ詩神よ 心あらば
落ちゆく鐘のこなたに 聴けや
千年の冬の夜ごとに 石山の
寺よりひびく読経の こえ


大津市石山寺門前にて(12月)
この詩碑は石山寺東大門の門前庭園にある
もともとこの地が茶丈密蔵院があったが、
現在は石山寺の中に移築されている
藤村は一時この密蔵院に滞在した

大津市石山寺表境内にて(11月) 琵琶湖八景「瀬田石山の静流」の碑

大津市石山寺表境内
門前公園にて(12月) 

石山寺第五十世座主
光遍和尚による
石山寺中興の朗澄律師を
讃えた詩
青鬼の小唄 
降魔のすがたと なりたもう
朗澄律師の 青鬼は
悪心くじき 福徳を
あたえ給うも ありがたや


クリックで拡大{11月)写真
石山寺のページへ戻る




草野天平<1910〜1952>
詩人草野民平、草野心平の弟

弁慶の飛び六法 勧進帳を観て
一つの傷も胸の騒ぎもなく
真に為しをうして終わった
独り凝って動かず
晴れ渡る安宅の空に
知らず知らず涙が滲む
沁み徹る人生の味
成就の味

延暦寺 西塔にて

間直之助博士顕彰碑
間 直之助<生年不詳>

滋賀県 比叡山野猿慰霊之碑
ひえい山のさるを研究して
えさを運びつづけた二十五年
さるになった男に
きょうは花吹雪

宮地傳三郎

傳教大師御遺戒 
我が志を述べよ
天台座主大僧正孝淳書 
天台宗開宗1200年記念 
比叡山延暦寺西塔にて

登叡成仏の碑文 「登叡成佛
比叡山延暦寺駐車場側に向いて


 滋賀県湖東三山天台宗 
 松峰山金剛輪寺にて(11月)

 当山の御詠歌 
わけいりて 仏の恵み 松の峰
嵐も法の 声かとぞきく


きょうと
兵庫の碑文

このページの目次へ

神戸市生田神社生田の森にて(1月)
広津雲仙(ひろつうんせん)
<1910〜1989>
生誕百年記念書碑
椿寿

椿春とは人の長寿を祝っていう語
西宮神社にて(1月)
西宮市在住
川柳社会長小松原爽介
末社沖恵美酒神社の
参道脇に建立

人間は
なぜにうつむく
空無限


姫路城にて(1月)
郭沫若の詩碑(TM氏)

姫路城にて(1月)
郭沫若の詩碑説明(TM氏)
クリックで説明板

岡倉天心<1863〜1913>茶の本”より
春の東雲のふるえる薄明りに
小鳥が木の間でわけのありそうな
調子でささやいている時
諸君は
彼等がそのつれあいに
花のことを語っているのだと
感じたことはありませんか

クリックで拡大
兵庫県フラワーセンターにて
須磨寺貫主
小池弘三
<1955〜>
祈り安らぎ夢
須磨寺にて

文学碑 山本周五郎<1903〜1967>

「須磨は秋であった・・・
ここが須磨寺だと康子が云った。池の水に
は白鳥の群を作って遊んでいた。雨がその上
に静かに灌いでいた。池を廻って高い石段を
登ると寺があった。・・・」
「あなた、生きている目的が分りますか」
「目的ですか」
「生活の目的ではなく、生きている目的よ」

  (処女作「須磨寺付近」から) 須磨寺にて
写真クリックで拡大

音楽碑「青葉の笛」
大和田健樹作詞
田村虎蔵作曲

須磨寺にて(5月)

YOU TUBE 




きょうと
其他の碑文

このページの目次へ


西条八十<1892〜1970>
 
鞠と殿様の歌碑
和歌山城にて

てんてん手鞠は 殿さまに
  だかれてはるばる 旅をして
  紀州はよい国 日のひかり
  山のみかんに なったげな
  あかいみかんに なったげな

(TM氏)


歌詞
YOU TUBE (オカリナ演奏




志賀直哉<1883〜1971>
暗夜行路・・・
六時になると上の寺で刻の鐘をつく
ゴーンとなると直ぐゴーンと
反響が一つ又一つ又一つ 
これが遠くから帰ってくる


広島県山陽道福山SAにて(10月)
林芙美子<1903〜1951>
放浪記・・・
海がみえた 海が見える
五年振りに見る尾道の
海はなつかしい云々


広島県山陽道福山SAにて(10月)

北村西望(きたむら せいぼう<1884〜1987>
岐阜県 下呂温泉 水明館にて
自由の女神
自由と責任の無い処に 
永遠の平和はあり得ない
鞍上人なく 鞍に馬なし
真実を以って 明るく強くと
女神は叫ぶ
 」
西望は「長崎平和祈念像」の作者
文化勲章受賞者
有本芳水<1886〜1976>
馬の背にしてかへり見る
 春暮れ方の紀伊の国
 松原かげに旅人の
すげ笠あまたゆきかひて
 赤き夕日は橘の
  花咲くうへに匂ふかな

 紀の河、河原、河添を
  のぼればここは粉河寺
 赤き負笈白き笠
 巡礼の子に打ち交り
 西国三番ちちははの
 めぐみも深き粉河寺
 和讃を高う誦するかな

和歌山県 粉河寺
にて



本多作左衛門重次<1530〜1596>
福井県 丸岡城にて
三河城主本多重次の「お仙泣かすな」
長篠の合戦の折、陣中から妻あての
一筆啓上火の用心 
 お仙泣かすな馬肥やせ

は簡潔明瞭な手紙として有名な 一筆啓上
「お仙」とは本多重次の息子・仙千代で、
後の丸岡城六代目城主の本多成重
一筆啓上運動丸岡町の町おこし

写真はTM氏
写真クリックで拡大


四国霊場88札所の
四国札所第3番霊場
 極楽寺(金泉寺)ご詠歌
兵庫県摩耶史跡公園
(旧 天上寺跡)にて

極楽の
宝の池を思えただ
黄金の泉澄みたたえる

(TM氏) 


 西條八十補作 館まさお
三重県 二見にて


お伊勢まいりに
見そめたあなた
結ぶ縁の夫婦岩

写真クリックで拡大


時習
5.2 時習館碑文
TM氏が箕面公園時習館で撮影された碑文です。
このページのトップ
孔子 論語より

碑文は「学びて時にこれを習う
亦た説
(よろこ)ばしからずや
朋遠方より来るあり
亦楽しからずや
人知らずして慍
(うら)みず
亦君子ならずや


子曰、學而時習之、不亦説乎
有朋自遠方来、不亦楽乎
人不知而不慍、不亦君子乎

福田喜助

長崎県平戸市の教育者
碑文は

悲に挑んで初志を貫く
「悲しみを体験し、
耐え忍ぶことが
人間性の向上に繋がる

として実践した
小島直記<1919->
福岡生まれの真実追求型の
伝記作家。作品に「福沢山脈」
「人間の椅子」「人間勘定」など。
碑文は「 血気盛んな勢いだけでは
栄枯盛衰があるが、
志には永遠の前進がある


「人間勘定」は1955年第34回芥川賞候補
となったが、同候補の
石原慎太郎「太陽の季節」に敗れた

松下幸之助<1894-1989>
前進
松下電器の創業者
歴史館参照。
頼 山陽<1780-1832>

この人生は水の流れの如く短い。
だから千年の歴史に残る
偉業を成して、努力を惜しまず、
悔いなき人生を生きよう

豊田佐吉<1867-1930>
豊田織機の創始者、豊田自動車の元祖


障子を開けてみよ、
外は広いぞ

西郷隆盛<1827-1877>

碑文は天を相手にして
己を尽くして
人をとがめず

佐藤一歳<1772-1859>
岐阜県生まれ、江戸後期の朱子学・陽明学者。

写真クリックで拡大

碑文は
若い時に学べば、
歳とって大事をなす。
歳とって学べば老いて衰えず
老いて学べば死しても朽ちない


安岡正篤(まさひろ)<1898-1983>
大阪生まれの漢学者で精神強化運動家
碑文は
雲林幽寂 樵径鳥語 
精舎清 松
渓韻
深いもやに包まれた林は静かで
誰も通らぬきこり道に鳥がさえずる
学び舎は清らかで広く
松風の音が谷川のせせらぎと
調和している


堤 正志(ただし)
長崎県出身の教職者


碑文は「巧言令色鮮し仁」
「ことさら言葉をかざり、
顔色をよくする者は、
仁の心が乏しいものだ


福沢諭吉<1835-1901>
大分県 旧中津藩出身
大阪の適塾に学び、
後に慶応義塾大学を創設

碑文は学問のすすめからとられた

独立自尊是修身」
「どんな人も人に頼らない
自助の精神や
一人で責任をとる精神が
根底になければならない
その精神が自らの尊厳となり
自らを修める根本となる


吉田松陰<1830-1859>
山口県 旧長州藩に生まれ江戸で佐久間象山
に学び、長州に帰り松下村塾を開設
碑文は

志を立てるためには
人と異なることを恐れてはならない。
世俗の意見に惑わされてはいけない。
死後の業苦を思い煩うような、
目の前の安楽は一時しのぎと知れ。
百年の時は一瞬にすぎない。
君たちはどうかいたずらに時を
過ごすことのないように

の一節。
田舞徳太郎<1945->
日本創造教育研究所代表

あかあかと
燃えて咲き立て百日紅
箕面の連山は
(しず)かなりけり

その他の碑文


このページの目次へ