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1.句碑 2.歌碑 3.布引滝歌碑 4.小倉百人一首歌碑 5.碑文 |
大東市野崎観音にて(1月) 東海林太郎の 野崎小唄碑 クリックで拡大 |
今中楓渓 作詞 大村能章 作曲 どこを向いても 菜の花ざかり 粋な日傘にゃ 蝶々もとまる 呼んで見ようか 土手の人 お染久松 切ない恋に 残る紅梅 久作屋敷 今も降らすか 春の雨 音にきこえた 観音ござる お願かけよか うたりょか滝に 滝は白絹 法の水 唄 五月みどり |
長田幹彦<1887〜1964>作詞 祇園小唄 「月はおぼろに東山 霞む夜毎のかがり火に 夢もいざよう紅桜 しのぶ思いを振袖に 祇園恋しやだらりの帯よ」 佐々紅華<1886〜1961>作曲 映画絵日傘(昭和5年マキノ映画) の主題歌 祇園小唄説明板 FC2動画 祇園小唄踊り1 YOU TUBE 祇園小唄踊り2 クリックで拡大9月写真へ |
常寂光寺にて(11月) 砂田明の納骨記念碑 砂田明<1928〜1993>新劇俳優 |
京都嵯峨野 常寂光寺にて(11月) 砂田明の納骨記念碑についての趣意書 写真クリックで拡大 記念碑(左の写真)に貼られた、人が口を 開けて叫んでいるレリーフの作者は金城実 |
常寂光寺にて(11月) 女の碑の趣意 クリックで拡大 |
京都嵯峨野 常寂光寺にて(11月) 女の碑 「女ひとり生きこゝに平和を希う」 |
京都市京セラ本社にて(10月) 本社前の社是「敬天愛人」碑 稲盛氏の故郷鹿児島の英雄 西郷隆盛の座右の銘 を社是 として戴いている |
雨中嵐山 周恩來
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嵯峨嵐山(亀山)公園にて(11月) 周恩来歌碑 |
藤村 石山寺表境内の藤村歌碑 石山寺のページへ戻る 島崎藤村<1872〜1943> 「湖にうかぶ詩神よ 心あらば 落ちゆく鐘のこなたに 聴けや 千年の冬の夜ごとに 石山の 寺よりひびく読経の こえ」 大津市石山寺門前にて(12月) この詩碑は石山寺東大門の門前庭園にある もともとこの地が茶丈密蔵院があったが、 現在は石山寺の中に移築されている 藤村は一時この密蔵院に滞在した |
大津市石山寺表境内 門前公園にて(12月) 石山寺第五十世座主 光遍和尚による 石山寺中興の朗澄律師を 讃えた詩 青鬼の小唄 「降魔のすがたと なりたもう 朗澄律師の 青鬼は 悪心くじき 福徳を あたえ給うも ありがたや」 クリックで拡大{11月)写真 石山寺のページへ戻る |
草野天平<1910〜1952> 詩人草野民平、草野心平の弟 「弁慶の飛び六法 勧進帳を観て 一つの傷も胸の騒ぎもなく 真に為しをうして終わった 独り凝って動かず 晴れ渡る安宅の空に 知らず知らず涙が滲む 沁み徹る人生の味 成就の味」 延暦寺 西塔にて |
間直之助博士顕彰碑 「ひえい山のさるを研究して えさを運びつづけた二十五年 さるになった男に きょうは花吹雪」 宮地傳三郎 |
傳教大師御遺戒 「我が志を述べよ」 天台座主大僧正孝淳書 天台宗開宗1200年記念 比叡山延暦寺西塔にて |
登叡成仏の碑文 「登叡成佛」 比叡山延暦寺駐車場側に向いて |
滋賀県湖東三山天台宗 松峰山金剛輪寺にて(11月) 当山の御詠歌 「わけいりて 仏の恵み 松の峰 嵐も法の 声かとぞきく」 |
神戸市生田神社生田の森にて(1月) 広津雲仙(ひろつうんせん)<1910〜1989> 生誕百年記念書碑 「椿寿」 椿春とは人の長寿を祝っていう語 |
西宮神社にて(1月) 西宮市在住 川柳社会長小松原爽介 末社沖恵美酒神社の 参道脇に建立 「人間は なぜにうつむく 空無限」 |
姫路城にて(1月) 郭沫若の詩碑(TM氏) |
姫路城にて(1月) 郭沫若の詩碑説明(TM氏) クリックで説明板 |
岡倉天心<1863〜1913>”茶の本”より 「春の東雲のふるえる薄明りに 小鳥が木の間でわけのありそうな 調子でささやいている時 諸君は 彼等がそのつれあいに 花のことを語っているのだと 感じたことはありませんか」 クリックで拡大 兵庫県フラワーセンターにて |
須磨寺貫主 小池弘三<1955〜> 「祈り安らぎ夢」 須磨寺にて |
文学碑 山本周五郎<1903〜1967>「須磨は秋であった・・・ (処女作「須磨寺付近」から) 須磨寺にて |
音楽碑「青葉の笛」
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西条八十<1892〜1970> 鞠と殿様の歌碑 和歌山城にて 「てんてん手鞠は 殿さまに だかれてはるばる 旅をして 紀州はよい国 日のひかり 山のみかんに なったげな あかいみかんに なったげな」 (TM氏) 歌詞 YOU TUBE (オカリナ演奏) |
志賀直哉<1883〜1971> 「暗夜行路・・・ 六時になると上の寺で刻の鐘をつく ゴーンとなると直ぐゴーンと 反響が一つ又一つ又一つ これが遠くから帰ってくる」 広島県山陽道福山SAにて(10月) |
林芙美子<1903〜1951> 「放浪記・・・ 海がみえた 海が見える 五年振りに見る尾道の 海はなつかしい云々」 広島県山陽道福山SAにて(10月) |
北村西望(きたむら せいぼう<1884〜1987> 岐阜県 下呂温泉 水明館にて 「自由の女神」 「自由と責任の無い処に 永遠の平和はあり得ない 鞍上人なく 鞍に馬なし 真実を以って 明るく強くと 女神は叫ぶ 」 西望は「長崎平和祈念像」の作者、 文化勲章受賞者 |
有本芳水<1886〜1976> 「馬の背にしてかへり見る 春暮れ方の紀伊の国 松原かげに旅人の すげ笠あまたゆきかひて 赤き夕日は橘の 花咲くうへに匂ふかな 紀の河、河原、河添を のぼればここは粉河寺 赤き負笈白き笠 巡礼の子に打ち交り 西国三番ちちははの めぐみも深き粉河寺 和讃を高う誦するかな」 和歌山県 粉河寺にて |
本多作左衛門重次<1530〜1596> 福井県 丸岡城にて 三河城主本多重次の「お仙泣かすな」 長篠の合戦の折、陣中から妻あての 「一筆啓上火の用心 お仙泣かすな馬肥やせ」 は簡潔明瞭な手紙として有名な 一筆啓上 「お仙」とは本多重次の息子・仙千代で、 後の丸岡城六代目城主の本多成重 一筆啓上運動は丸岡町の町おこし 写真はTM氏 写真クリックで拡大 |
四国霊場88札所の 四国札所第3番霊場 極楽寺(金泉寺)ご詠歌 兵庫県摩耶史跡公園 (旧 天上寺跡)にて 「極楽の 宝の池を思えただ 黄金の泉澄みたたえる」 (TM氏) |
西條八十補作 館まさお 三重県 二見にて 「お伊勢まいりに 見そめたあなた 結ぶ縁の夫婦岩」 写真クリックで拡大 |
孔子 論語より 碑文は「学びて時にこれを習う 亦た説(よろこ)ばしからずや 朋遠方より来るあり 亦楽しからずや 人知らずして慍(うら)みず 亦君子ならずや」 「子曰、學而時習之、不亦説乎 有朋自遠方来、不亦楽乎 人不知而不慍、不亦君子乎」 |
福田喜助 長崎県平戸市の教育者 碑文は 「悲に挑んで初志を貫く」 「悲しみを体験し、 耐え忍ぶことが 人間性の向上に繋がる」 として実践した |
小島直記<1919-> 福岡生まれの真実追求型の 伝記作家。作品に「福沢山脈」 「人間の椅子」「人間勘定」など。 碑文は「志 血気盛んな勢いだけでは 栄枯盛衰があるが、 志には永遠の前進がある」 「人間勘定」は1955年第34回芥川賞候補 となったが、同候補の 石原慎太郎「太陽の季節」に敗れた |
松下幸之助<1894-1989> 「前進」 松下電器の創業者 歴史館参照。 |
頼 山陽<1780-1832> 「この人生は水の流れの如く短い。 だから千年の歴史に残る 偉業を成して、努力を惜しまず、 悔いなき人生を生きよう」 |
豊田佐吉<1867-1930> 豊田織機の創始者、豊田自動車の元祖 「障子を開けてみよ、 外は広いぞ」 |
西郷隆盛<1827-1877> 碑文は「天を相手にして 己を尽くして 人をとがめず」 |
佐藤一歳<1772-1859> 岐阜県生まれ、江戸後期の朱子学・陽明学者。 |
写真クリックで拡大 碑文は 「若い時に学べば、 歳とって大事をなす。 歳とって学べば老いて衰えず 老いて学べば死しても朽ちない」 |
安岡正篤(まさひろ)<1898-1983> 大阪生まれの漢学者で精神強化運動家 碑文は「雲林幽寂 樵径鳥語 精舎清曠 松藾渓韻」 「深いもやに包まれた林は静かで 誰も通らぬきこり道に鳥がさえずる 学び舎は清らかで広く 松風の音が谷川のせせらぎと 調和している」 |
堤 正志(ただし) 長崎県出身の教職者 碑文は「巧言令色鮮し仁」 「ことさら言葉をかざり、 顔色をよくする者は、 仁の心が乏しいものだ」 |
福沢諭吉<1835-1901> 大分県 旧中津藩出身 大阪の適塾に学び、 後に慶応義塾大学を創設 碑文は学問のすすめからとられた 「独立自尊是修身」 「どんな人も人に頼らない 自助の精神や 一人で責任をとる精神が 根底になければならない その精神が自らの尊厳となり 自らを修める根本となる」 |
吉田松陰<1830-1859> 山口県 旧長州藩に生まれ江戸で佐久間象山 に学び、長州に帰り松下村塾を開設 碑文は 「志を立てるためには 人と異なることを恐れてはならない。 世俗の意見に惑わされてはいけない。 死後の業苦を思い煩うような、 目の前の安楽は一時しのぎと知れ。 百年の時は一瞬にすぎない。 君たちはどうかいたずらに時を 過ごすことのないように」 の一節。 |
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田舞徳太郎<1945-> 日本創造教育研究所代表 「あかあかと 燃えて咲き立て百日紅 箕面の連山は 幽(しず)かなりけり」 |