[句碑・歌碑・碑文] 中項目・目次 HPのトップへ |
---|
1.句碑 2.歌碑 3.布引滝歌碑 4.小倉百人一首歌碑 5.碑文 |
1.句碑 1.1大阪 1.2兵庫 1.3京都 1.4滋賀 1.5奈良 1.6和歌山 1.7北陸 1.8四国・中国 1.9その他 |
大阪市生国魂神社にて(8月) 松尾芭蕉<1644〜1694> 「菊に出て 奈良と難波は 宵月夜」 |
堺市堺区妙國寺にて(1月) 句碑 正岡子規<1867〜902> 「朝寒や蘇鉄見に行く妙國寺」 |
大阪市南御堂にて(12月) 山口誓子<1901〜1994> 「金色の御堂に芭蕉忌を修す」 |
南御堂にて(12月) 阿波野青畝<1899年〜1992> 「翁忌に行かむ晴れても時雨れても」 |
藤井寺市道明寺天満宮にて(4月) 句碑 小林一茶<1763〜1828> 「青梅や 餓鬼大将が 肌ぬいで」 |
藤井寺市道明寺天満宮梅林にて(4月) 句碑 今村泗水<生年不詳> 「早梅の 片はなびらを 立つるあり」 |
大阪市平野区 大念仏寺にて(1月) 小林一茶<1763〜1828> 「はる風や 順禮ともが ねり供養」 |
天王寺区 四天王寺にて (12月) 生田南水 <1860〜1934> 「ふる花の ちりりたらりや 聖霊会」 |
天王寺区四天王寺にて(12月) 生田 花朝<1889〜1978> 「行く春の 島は人住む 煙かな」 花朝女(生田南水の娘) |
高浜虚子<1874〜1959> の句碑2首2002年(平成14年)の建立。 「於もひおもひに坐りこそすれ萩の縁」 「我のみの菊日和とはゆめ思はじ」 豊中市曽根 曹洞宗別格寺院 仏日山東光院萩の寺にて(9月)(TM氏) *萩の寺 |
相島 虚吼(あいじま きょこう)<1867〜1935年> |
青木月斗(げっと)<1879〜1949> 「門前すでに丈余の萩の盛りかな」 子規門下で水落、露石らと共に 当時の大阪俳壇の重鎮 明治31年(1898)阪満月会を創設 写真右は四条畷神社にて(1月) 「楠公のほまれを讃へ風薫る」 月甫<詳細不詳> |
元池田市長 武田義三 「水月に 香り止むる秦の梅」 池田市水月公園にて(5月) 昭和49年建之 池田市長 武田義三 |
(上) 後藤比奈夫 <生年調査中> 「秋思祭すみしやすらぎ月にあり」 大阪天満宮にて 昭和59年建碑 (右)大阪で俳誌「大樹」を主幹、 生活俳句を唱えた 北山河(きたさんが)<1893〜1958> 「船渡御へ見せて浪花の土性骨」 大阪天満宮にて 明治35年建碑 |
松尾芭蕉 <1664〜1740> 「楳咲て よろこぶ鳥の気色かな」 大阪天満宮にて 明治26年建碑 「楳」は「梅」のことである |
西山宗因の弟子 小西来山 <1654〜1716> 「夜の明けて 尾花大きく成りにけり」 大阪天満宮にて 小山来山直筆から 写真クリックで拡大 |
江戸前期の俳人、連歌師 大阪天満宮連歌所の宗匠で 芭蕉に影響を与えた 梅翁 西山宗因 <1605〜1682> 「なかむとて花にもいたし首の骨」 大阪天満宮にて 写真クリックで拡大 |
砂丘会 俳句と俳画の 竹中 碧水史(へきすいし)<1929〜 > 「禅林の 実相として 椿落つ」 池田市五月山大広寺にて 参考 |
花谷和子<1922〜> 「宙という 美しきもの 雪舞えり」 池田市久安寺にて 日野草城(ひのそうじょう)<1901〜1956>に師事 |
岡本 安谷地厚 <不明> 「法師蝉 薮の彼方に 止みにけり」 池田市久安寺にて |
作者不詳<不明> 「・・・・・」 池田市久安寺にて 作者等を調査中 |
作者不詳<不明> 「かなかなや 山に安堵る ・・・・・」 池田市久安寺にて 作者等を調査中 |
作者不詳<不明> 「花に昏れ 瀧は己れの 音にかえる」 池田市久安寺にて(11月) 作者等を調査中 |
京都府出身 山口誓子<1901-1994> 大阪城豊国神社にて 「花盛ん 築城巨石又盛ん」 (TM氏) 写真クリックで11月の 別の写真が出ます |
福井県出身 皆吉爽雨<1902-1983> ホトトギス派の重鎮 元俳人協会副会長 大阪城豊国神社にて 「刻々に 大秋晴となる如し」 (TM氏) 写真クリックで11月の 別の写真が出ます |
藤田露紅 大阪府 五月山公園にて 「五月山に たまたま登る暮の春」 蝸牛廬文庫 池田市観光協会から句の 説明を頂いた 池田市の歴史などが 池田学講座で学べる |
中村若沙<1894〜1978> 大阪府 五月山公園にて 「もろともに 憩ひ 春蝉 聞くことに」 |
後藤夜半<1895〜1976>の句碑 大阪府 箕面公園 大滝にて(TM氏) 「瀧の上に水現れて 落ちにけり」 |
野村泊月<1882〜1961> 箕面公園 昆虫館付近にて 「椎の花 ・ 八重だつ雲の如くにも」 この句碑の辺りが 五月山断層が走る 参考;*摂津の句碑 |
神戸市西区太山寺にて(11月) 句碑 作者不詳「月天心 播磨風土記の山低く」 |
神戸市西区太山寺にて(11月) 句碑 作者不詳「焚かねども寄り処としたる夏炉かな」 |
神戸市西区太山寺にて(11月) 句碑 作者不詳「窯出しの さめゆく音や 今朝の秋」 |
神戸市西区太山寺にて(11月) 句碑 作者不詳「ためらひて菩薩に粉す練供養」 |
西宮市 広田神社にて(1月) 俳誌「ホトトギス」編集長 稲畑廣太郎<1957〜> 「桐一葉落ちて信号変りけり」 |
西宮市 広田神社にて(1月) 山口誓子<1901〜1994> 「神代より この黒き闇 木下闇」 |
神戸市 生田神社にて(1月) 五十嵐播水 <1899〜2000> 「初暦 めくれば月日 流れそむ」 参考 |
神戸市生田神社 生田池にて(1月) 「噴水の しぶき天衣の 舞ふごとく 」 小路紫峡<生年不詳> 「ひひな顔 したる巫女たち 初神楽」 小路智壽子<生年不詳> |
神戸市生田神社にて(1月) 子日庵一草(ねのひあんいっそう) <1732〜1820> 「神垣や 又とをらせぬ 梅の花」 源平合戦の際に、 源氏の若武者梶原源太景季が 咲きほこる梅の一枝を手に折って箙にさし、 獅子奮迅の働きをした故事をふまえ、 この生田の森は 「神聖な境内であるから 二度と箙の梅は折らせない」 と詠んでいる。 |
五十嵐播水<1899〜2000> 「曼珠沙華 幼き記憶 みな持てり」 姫路市書寫山圓教寺にて(2月) |
神戸市須磨離宮公園にて(2月) 阿波野青畝(あわの せいほ)<1899〜1992> 「須磨涼し 今も昔の 文の如」 |
世界遺産姫路城にて(2月) 子節<生年不詳> 「千姫の 春やむかしの 夢の跡」 |
姫路市書寫山ロープウェイ山麓駅にて(2月) 森 澄雄(もり すみお)<1919〜> 「西国の 畦曼珠沙華 曼珠沙華」 |
正岡子規<1867〜1902> 「暁や |
*全国の句碑 |
||
三好兵六<> 「夫婦とは なんと佳いもの 向かい風」 須磨寺にて |
木の葉句会 二十七句 須磨寺にて *須磨寺の句碑・歌碑 |
阿波野青畝 (あわの せいほ) <1899〜1992> 「日本の 臍と定まる 枯野哉」 兵庫県西脇市 日本へそ公園にて 参考 |
五十嵐播水<1899〜2000> 「香煙にふりこむ雪や初大師」 須磨寺にて *須磨の句碑等 |
与謝蕪村<1716.〜1784> 「笛の音に波もよりくる須磨の秋」 須磨寺にて |
神田松雲<生没年調査中> 「花千母登 むかし稚木のさくら哉」 須磨寺にて *須磨寺の句碑・漢詩 |
槇屋西月<1781〜1841> 「ふる雨も清水になるや花のおく」 須磨寺にて |
松尾芭蕉<1664〜1740>「須磨寺や |
須磨寺元貫主
墨跡碑
|
瀬川露城<生年調査中〜1928>
|
須磨で療養中の 正岡子規<1867〜1902> 「読みさして 月が出るなり 須磨の春」 須磨 現光寺にて 右は 松尾芭蕉<1664〜1740> 「見渡せば 眺むれば見れば 須磨の秋」 |
小河六平<生年不詳〜1961>「海の色 |
須磨寺にて 現代俳句協会副会長 伊丹三樹彦<1920〜> 「くらやみになおも花散る平家琵琶」 |
須磨寺にて
|
三友会 九年母誌 初代主宰 五十嵐播水<1899〜2000>の句碑 兵庫県 須磨公園にて 「初空や帯のごとくに 離宮道」 (TM氏) *須磨の句碑 *句碑歌碑 |
神戸市須磨公園にて(TM氏) 伊丹市が生んだ 現代俳句協会副会長 伊丹三樹彦<1920〜>の句碑 「くらやみに ・ なおも花散る 平家琵琶」 その他 |
神戸市須磨公園にて(TM氏) 三友会 {九年母}誌主宰 五十嵐哲也<1929.〜>の句碑 「新緑の 離宮に尖る 風のなく」 |
神戸市須磨公園にて(TM氏) 正岡子規<1867.〜1902>の句碑 「暁や白帆過ぎゆく蚊帳の外」 |
兵庫県 須磨寺にて(TM氏) 与謝蕪村<1716.〜1784>の句碑 「笛の音に波もよりくる 須磨の秋」 |
六甲麻耶山天上寺参道にて 林 大馬<不詳> 「たんぽぽや 少年の日の いつかなし」 |
麻耶山 天上寺にて 阿波野青畝(あわの せいほ)<1899〜1992> 「なつかしの濁世の雨や涅槃像」 阿波野青畝の写真 |
山田弘子 「浴びるほど とは峰寺の時鳥」 麻耶山 天上寺参道にて クリックで拡大 |
小路紫峡 「碧天の摩耶に五月の来たりけり」 麻耶山 天上寺参道にて |
加藤 拝星子(かとう はいせいし) <生年調査中> 「首すじに 雪遠くより海の音」 「春鏡 若さ戻らぬ 貌うつす」 六甲山 サンライズ道路にて |
上島鬼貫<1661〜1738> 「世を泥と見る目も白き蓮かな」 兵庫県 伊丹市 昆陽池公園にて 写真クリックで部分拡大にリンク 兵庫県伊丹市の歌碑・句碑 |
兵庫県 伊丹市 昆陽池公園にて 兵庫県伊丹市の歌碑・句碑 日野草城<1901〜1956> 「かいつぶり さびしくなれば くぐりけり」 |
上島鬼貫<1661〜1738> 「月なくてひるは霞むや こやの池」 兵庫県 伊丹市 昆陽池公園にて 写真クリックで部分拡大にリンク |
三友会 九年母誌 初代主宰 五十嵐播水<1899〜2000> 神戸市灘区王子動物園内にて 「船灯り朧夜となる港かな」 昭和53年3月吉日に建立 参考資料 写真は(TM氏) |
与謝蕪村<1716〜1783> 兵庫県宝塚市中山寺梅林にて(TM氏) 「やぶ入は中山寺のおとこかな」 右下の「夜半翁」(蕪村の俳号やはんおう) 捺印により蕪村の自筆と思われる 昭和56年11月13日に 游俳の人 小谷省三氏が建立した |
大阪府花道家協会元三代会長 花道紫雲華 初代家元 筒井紫雲の句碑 兵庫県 中山にて(TM氏) 「花塚の 語り継がれん 薄紅葉」 |
布引坊栄滝 兵庫県布引の滝にて(TM氏) 「涼しさや 嶋へかたふく 夕日かけ」 |
兵庫県 明石が生んだ俳人 原田合浦の句碑 明石城にて (TM氏) 「落葉降る昔より降る ・ 城の道」 |
俳句誌 「漁火」創刊者 横山蜃楼<1885〜1946>の句碑 兵庫県 明石城にて(TM氏) 蜃楼の句碑 「鵙(もず)の声 屈する処無かりけり」 |
嵯峨二尊院にて(11月) 二尊院句碑 高浜虚子<1874〜1959>
「散紅葉こゝも掃きゐる二尊院」
嵯峨二尊院にて(11月) 二尊院句碑 丸山海道<1924〜1999>丸山佳子<不詳>夫妻
「春深し佛の指の置きどころ」 丸山海道
「萩咲かす二尊に触れて来し風に」 丸山佳子
常寂光寺にて(11月) 高桑義生<1894−1981>
「落葉ふんで道新しくひらけたり」
京都府高雄山神護寺 かわらけ投げの手前付近
能村登四郎 <1911〜2001>の句碑
「初紅葉せる羞ひを杉囲み」 写真クリックで拡大
山科区隨心院にて(9月) 小野御苑への小路の句碑
細井道子<不詳>
「燃えた日は風の色まで朱に染める」
「愛された深さで咲かす梅雨の花」
京都市山科区天台宗毘沙門堂にて(7月) 作者不詳 「宸殿の左近の梅として愛でる」
右は同毘沙門堂にて(7月) 作者不詳 「初寅の頂点となる大焚火」
京都大原 三千院にて(4月) 小塙徳女<生年不詳> 「魚山の名 ここと千年 冬木立」 |
京都府八幡市にて(4月) 淀川背割り桜の句碑(KK氏) 宝井基角<1661〜1707> 「新月や いつをむかしの 男山」 山本荷兮(かけい)<1648〜1716> 岩清水八幡宮の石清水臨時祭を 想像して詠んだという(参考) 「沓音も しずかにかざす 桜かな」 説明文クリック拡大 |
京都市東山智積院にて(3月) 高浜虚子<1874〜1959> 「ひらひらと つくもをぬひて 落花かな」 「つくも」とは太藺 カヤツリグサ科 ホタルイ属 クリックで拡大 |
|
京都市伏見区御香宮神社にて(3月) 桃山天満宮内の句碑 松尾芭蕉<1644〜1694> 「梅が香にのっと日の出る山路かな」 芭蕉の全句 向井去来<1651〜1704> 「応々といえど敲くや雪の門」 |
京都市にて(2月) 大日本武徳会 武道専門学校(現在は京都市 武道センター)教員 鈴鹿登(野風呂)の句碑説明板 写真左は鈴鹿登(野風呂)の句碑 「風薫る左文右武の学舎跡」 写真クリックで句碑、説明板拡大 |
京都東山 東大谷にて(11月) 第二十三代 彰如上人 大谷光演<1875〜1943> 「口あいて落花ながむる子は仏」 |
高台寺塔頭月真院前の句碑(11月) 八木芹舎<1804〜1890> 「見あかぬよ 見ぬ日も無くて東山」 |
長岡京市 長岡天満宮にて(10月) 桂樟蹊子<1909〜1993> 「しら梅の離々とたかきは神います」 参考 作者の人脈 参考2 |
長岡京市 長岡天満宮にて(10月) 塩田藪柑子<1928〜> 「文道の宮の余光につつじ燃ゆ」 花野里美 「風韻に心耳を澄ます梅の宮」 |
田上菊舎<1753〜1826> 「山門を 出れば日本ぞ 茶摘うた」 菊舎が萬福寺の中国風の雰囲気に酔い 三門を出て宇治の茶畑から茶摘うたが聞こえて 日本にいる我に返ったという 宇治市黄檗山萬福寺にて(12月) |
宇治市三室戸寺にて(11月) 松尾芭蕉<1644〜1694> 「山吹や宇治の焙爐の匂うとき」 |
宇治市三室戸寺にて(6月) 岡井省二(おかいしょうじ)<1925〜2001> 「あじさゐの色をあつめて虚空とす」 |
福知山市御霊神社にて(3月) 光秀を讃える川柳句碑 「免税と決めて光秀名を残し」 |
保田與重郎<1910〜1981> 「何もない 庭の日ざしや 冬来る」 京都市嵯峨落柿舎にて(11月) |
元京都大学総長 俳人塔竣工祭の折の作 平 「春の雨 天地ここに 俳人塔」 京都市嵯峨落柿舎にて(11月) |
荒廃していた落柿舎を再興した二世庵主 洛中最も古いとされる句碑 向井去来<1651〜1704> 「柿主や 梢はちかし あらし山」 京都市嵯峨落柿舎にて(11月) |
落柿舎 八世庵主 「足あとも はずかし庵の わかれ霜」 京都市嵯峨落柿舎にて(11月) |
松尾芭蕉<1664〜1740> 「五月雨や 色紙へぎたる 壁の跡」 京都市嵯峨落柿舎にて(11月) |
工藤芝蘭子 「十三畳半の落柿舎冬支度」 京都市嵯峨落柿舎にて(11月) |
高浜虚子 「凡そ天下に去来ほどの 小さき墓に詣りけり」 京都市嵯峨落柿舎にて(11月) |
京都市嵯峨 松尾大社にて(11月) 句碑の内容調査中 |
俳誌「蟻の塔」主宰 石川県俳文学協会顧問 塩田藪柑子夫妻の句碑 京都府 長岡天神にて 「文道の宮の余光に ・ つつじ燃ゆ」藪柑子 「風韻に心耳を澄ます ・ 梅の宮」花野里美 (KK氏) 藪柑子 |
松尾芭蕉 <1664〜1740> 「古池や 蛙飛びこむ 水の音」 京都市 東福寺通天橋の近くにて 写真クリックで句碑拡大 「婦る池や 蛙飛びこ無 水の音」 |
京都市 東福寺にて 阿波野青畝<1899〜1992> 「二三言恋めくもよし 紅葉酒」 阿波野青畝の写真 |
如空<774〜8355> 「通天へ来て皎月を見とれけり」 注)皎月とは白く光る月の様子をさす 京都市 東福寺 通天橋の脇にて 注)如空は空海のことらしい |
与謝蕪村<1716〜1783> と思われる句碑 京都府 天橋立にて 「はしだてや ・ 松は月日のこぼれ種」 読み方を天橋立ビューランド様に 教えて頂きました |
臼田亜浪(うすだあろう) <1879〜1951> 「曙や比枝のかすみの 街へのび」 京都市 城南宮庭園にて (比枝は比叡と思われる) |
松尾いはほ<1882〜1963> 「椿落ちて 林泉の春 動きけり」 京都市 法然寺 にて (TM氏) |
梅通<1796〜1864> 「花乃」影 澄や岩間の 和すれ水」 京都市 熊野若王子神社 (くまのにゃくおうじじんじゃ) にて (TM氏) |
坂本滋賀院門跡にて(10月) 実る花梨の傍に 松尾芭蕉<1664〜1740> 「叡慮(えいりょ)にて賑ふ民や庭かまど」はせを 芭蕉像 叡慮(えいりょ)とは 句碑写真(右も)クリックで拡大 |
滋賀院門跡にて(10月) 虚子先生選 恵進<生年不詳> 「春泥を踏みて滋賀院本坊へ」 |
岩間寺にて(2月) 松尾芭蕉<1664〜1740> 「古池や 蛙飛び込む 水の音」 |
大津市岩間山正法寺(岩間寺)にて(2月) 芭蕉池 |
松尾芭蕉<1644〜1694> 「から崎の松は花より朧にて」 大津市近江神宮にて(10月) |
松尾芭蕉<1644〜1694> 「石山の石にたばしる霰かな」 大津市石山寺にて(12月) |
桂樟蹊子<1909〜1993> 「漏刻の音とこしへに初日影」 桂樟蹊子は1931年、水原秋桜子門に入り、 1935年、京都馬酔木会を結成 大津市近江神宮にて(10月) |
伊藤香舟女<生年不詳> 「楼門に湖脈打てる望の月」 大津市近江神宮にて(10月) |
大津市三井寺にて(6月) 井上士郎<1742〜1812> 「つくづくと 見て居れバちる 桜かな」 井上士郎句碑 |
大津市三井寺にて(6月) 松尾芭蕉<1644〜1694> 「三井寺の 門たたかばや けふの月」 今日の名月を三井寺の門をたたいて、 修行僧たちに教えてあげなきゃ (湖上にて)、 榊莫山筆 写真をクリックすると10月 のものを拡大 |
松尾芭蕉 <1664〜1740>の句碑 滋賀県 永源寺にて 「こんにゃくの さしみもすこし梅の花」 写真クリックで拡大 |
与謝蕪村<1716〜1783> 彦根市 彦根城内にて 写真クリックで説明板 「鮒ずしや彦根の城に ・ 雲かかる」 |
奈良市般若寺にて(10月) 境内の句碑右から 「唐びとが月をろがみし笠塔婆」 水原秋桜子<1892〜1981>
「般若寺のつり鐘ほそし秋の風」 正岡子規<1867〜1902> 「散りたまる花や般若の紙の向き」 向井去来<1651〜1704>
「般若寺やほとけの庭に秋ざくら」 明奎<生年不明> クリックで拡大
奈良市般若寺にて(10月) 境内の句碑右から 「秋の日の十三塔や日は西に」 高野素十<1893〜1976>
「獅子の背の菩薩涼しくおがまるる」 藤岡玉骨<1888〜1966> 「般若寺の石仏かざる水仙花」 明奎<生年不明>
「般若坂いくさがたりに夏の塔」 沙波<生年不明> クリックで拡大
奈良市般若寺にて(10月) 境内の句碑右から 「般若寺に返り咲く八重山吹や」 多津良<生年不明>
「大塔宮在せし寺や百日紅」 小牛<生年不明> 「般若寺にコスモス咲くや秋たかし」 明瑛<生年不明>
「双び立つ花野の寺の笠塔婆」 日月子<生年不明> クリックで拡大
般若寺にて(10月) 右から 「外向きに立たせる諸仏鵙高音」 藤岡玉骨<1888〜1966>
「般若櫃うつろの秋の深さかな」 阿波野青畝<1899〜1992>
「ちちろ虫十三塔をつつみ鳴く」 一邑<生年不明> クリックで拡大
明日香村聖徳太子生誕地橘寺にて(2月)季語、詠み人不詳
「み佛のひざのぬくみの中にいる」 節子
奈良東大寺戒壇堂前にて(5月) 句碑 クリックで拡大
筒井盧佛<1892〜>「大仏を要と月の東大寺」
奈良市西大寺にて(1月) 橋本多佳子<1899〜1963> 「いなびかり北よりすれば北を見る」 六甲麻耶山天上寺にも多佳子の句碑あり
右は同西大寺にて(1月) 多佳子没後「七曜」継承主宰)堀内薫<生年不詳>「牡丹雪水に映りて水に入る」
奈良市西大寺にて(1月) 桂 樟蹊子<1909〜1993> 「菩提樹の 葉かげ行くべし 大茶盛」
右は同寺にて(1月) 七曜俳句会 磯野莞人<生年不詳> 「塚の虫 茶葉人と なりてうく」 西大寺の句碑
奈良市西大寺にて(1月) 河鹿主宰 磯野充伯<生年不詳> 「大茶会 一口めして 皆なごむ」
右は同西大寺にて(1月) 阿甫<生年不詳>「ふるさとの 霞に佛 こころかな」
桜井市長谷寺にて(10月) クリック拡大 松尾芭蕉<1664〜1740>「春の夜や 籠る人床し堂のすみ」
右は同長谷寺にて(10月) 高浜虚子<1874〜1959> 「花の寺末寺一念三千寺」
桜井市長谷寺にて(10月) 小林一茶<1763〜1828> 此裡に春をむかひて「我もけさ清僧の部也梅の花」
右は同長谷寺にて(10月) 阿波野青畝<1899〜1992>「今日の月長いすすきを活けにけり」
明日香村飛鳥寺にて(2月) 松瀬青々門下の弓場 保<生年不詳> 「飛鳥なる花の夜明けを見そなわす」
右は同飛鳥寺にて(2月) 松瀬青々<1869〜1937> 飛鳥大仏 「ましまして斗帳に花の主かな」
阿波野青畝(あわの せいほ)<1899〜1992> 「目つむれば蔵王権現後の月」 奈良県 吉野にて(10月) 金峯山寺 蔵王堂 |
奈良県吉野 竹林院群芳園にて(10月) 詠人不詳 「四方山や花にかすみてよしのかわ」 |
正岡子規<1867〜1902> 「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」 法隆寺にて 句碑の裏面 |
和歌山県 根来寺にて 松尾塊亭(かいてい)<1732〜1815>の句碑 「反椀にむかしをおもふ 山さくら」 ・ |
和歌山県 紀三井寺にて 松尾芭蕉<1664〜1740> 「見上久れは さくらしまふて ・ 紀三井てら」 ・ 写真クリックで拡大 |
|
和歌山県 風猛山(かざらぎざん)粉河寺にて 句碑建立は、どちらも天保14年(1843) 句碑説明板の写真クリックで拡大 松尾塊亭(かいてい)<1732〜1815>の句碑 「風猛(らぎ)の名に似ぬ里の 小春かな」 ・ |
和歌山県 粉河寺にて 松尾塊亭の門弟 吉田五橘亭<生没年不詳>の句碑 「水も嘸(さぞ)や 白き粉河の山桜」 |
和歌山県 高野山奥の院にて 池大雅の筆 松尾芭蕉<1664〜1740>の句碑 「父母のしきりにこひし雉子の聲」 |
和歌山県 粉河寺にて 松尾芭蕉<1664〜1740>の句碑 「ひとつぬきて うしろにおひぬころもかへ」 ・ |
宝井其角<1661〜1707> 「卵塔の鳥居やけにも神無月」 和歌山県 高野山奥の院にて 写真クリックで拡大 |
高浜虚子<1874〜1959> 「炎天の空美しや高野山」 和歌山県 高野山奥の院にて 参考和歌山の句碑 |
三友会 {九年母}誌主宰 五十嵐播水<1899.〜2000> 「松蝉や熊野古道草の中」 和歌山県田辺市中辺路町栗栖川 (熊野古道)滝尻王子 にて |
三友会 {九年母}誌主宰 五十嵐哲也<1929.〜> 「滝尻や夕日に鮎の また掛かり」 和歌山県田辺市中辺路町栗栖川 (熊野古道)滝尻王子 にて 五十嵐哲也は 五十嵐播水の子 |
福井県 丸岡城 にて(TM氏) 松尾芭蕉 <1664〜1740>の句碑 「初しぐれ猿も ・ 小蓑をほしけ也」 |
金沢市にて(TM氏) 金沢市出身 高島筍雄(じゅんゆう)<1910〜2005> 「桐の花朝日拝むと 人つどふ」 |
金沢市にて(TM氏) 兵庫県氷上郡芦田村 (現、丹波市青垣町 )出身 細見綾子<1907〜 1997> 「鶏頭を三尺はなれ もの思う」 |
福井県丸岡城にて(TM氏) 皆吉爽雨<1902〜1983>の句碑 「汗引いて 山河やうやくふるさとぞ」 皆吉五郎(五浪)<1845〜1921>の句碑 (写真の右の黒い嵌めこみ) 「一廻りして 元の坐の花見かな」 爽雨は五浪の長男 |
松尾芭蕉 <1664〜1740>の句碑 石川県兼六園にて(TM氏) 「あかあかと 日は難面(つれなく)も 秋の風」 |
|
前田普羅(まえだふら)<1884〜1954>
「うしろより 初雪降れり 夜の町」「大雪となりて 今日より お正月」 「雪の夜や 家をあふるゝ 童声」 「雪山に 雪のふりゐる 夕かな」 「 オリヲンの 真下直立つ 雪の宿」 富山城址公園にて(10月)(TM氏) |
北川蝶児(きたがわちょうじ)<1898〜1972> 「萩らしき もののゆれいる 無月かな」 北川秋閭(きたがわしゅうりょ)<1898〜1975> 「歩をとめて みている萩に かげうまる」 北川夫妻の比翼句碑 富山城址公園の 富山美術館前にて(10月)(TM氏) |
竹久夢二<1884〜1934> 「小春日に 眼閉じて死なむと きみのいうなり」 夢二は恋人の笠井彦乃と湯涌温泉に 滞在したきの歌 写真クリックで解説板 石川県金沢市湯涌温泉にて(10月) (TM氏) |
松尾芭蕉<1664〜1740> 「春もやや けしき調ふ 月と梅」 石川県金沢市 本長寺にて(10月) (TM氏) 本長寺説明板 |
石川県金沢市願念寺にて (10月)(TM氏) 松尾芭蕉が小杉一笑の死を 悼んで詠める句 「塚も動け我が泣く声は秋の風」 |
長久寺にて(10月)(TM氏) 松尾芭蕉 <1664〜1740> 「ある草庵にいざなはれて」 「秋涼し手毎にむけや瓜茄子」 |
佐藤哲山の句碑 高知県 五台山竹林寺にて 「腸(はらわた)の ・ 汚れ濯がん苔清水」 |
松尾芭蕉 <1664〜1740>の句碑 高知県 五台山 竹林寺 にて 「ほろほろと 山吹散るか滝の音」 *松尾芭蕉全俳句 |
松窓の句碑 高知県 五台山竹林寺にて 「折々は ・ 枯るるも時の柳かな」 松窓は白石出身か |
似芳坊の句碑 高知県 五台山竹林寺にて 「花はらむ 梢の痩や冬木立」 |
正岡子規<1867〜1902> の句碑 愛媛県 松山城リフト頂上駅 長者ガ平にて 「松山や ・ 秋より高し・ 天守閣」 写真クリックでリンク |
三木朱城(みきしゅじょう)<> 「吉備の野の 藺田のさみどり 初詣」 岡山県 吉備津神社にて(1月)(TM氏) |
牧野富太郎<1862〜1957>の句碑 昭和8年 71歳 広島県芸北町 臥龍山のふもと八幡高原の 燕子花(かきつばた)自生地にて 「衣(きぬ)にすりし ・ 昔の里か燕子花」 |
正岡子規<18671902> 「のどかさや 小山つゝきに 塔二つ」 広島県山陽道福山SAにて(10月) |
岩国鵜飼振興に尽力した 村井一露と玉田空空子が 詠んだ俳句 「鵜飼の宿と いう高張りの 城下町」 玉田空空子 「荒鵜鳴き 夕月すでに 仰がるる」 村井一露 岩国市錦川錦帯橋にて(10月) |
玉木春夫<生年調査中> 長野県 大王わさび農園で 「逢ふときのあらむ夕陽の 花わさび」 わさび田の原風景説明 写真クリックで拡大 |
亀半(山岡鉄舟)<1836〜1883> 「降雪と 力くらへや・ 松の枝」 ・ 岐阜県 高山市 高山陣屋にて 亀半・小野鉄太郎 (山岡鉄舟の幼名)13歳 の句と筆 |
俳人協会会長 |
岩国 |
宮島 |
兵庫県加東市 御嶽山清水寺にて(11月) |
兵庫県加東市 御嶽山清水寺にて(11月) |
参考インタ一ネット一覧表 *花を詠んだ俳句・短歌集 *百人一首 *松尾芭蕉全俳句 *全国句碑・歌碑めぐり
*文学人名索引 *全国人名辞典
*布引三十六歌碑 *須磨の句碑 *須磨句碑歌碑
*箕面の句碑・歌碑 *日本文学碑 *かな文字 *大津市の句碑・歌碑 *文学人名辞典 *日本辞典