[仏 閣] 中項目・目次         HPのトップ
 1.滋賀・和歌山 2.中国・四国 3.中部・北陸・東日本 4.京都 5.奈良 6.大阪 7.兵庫
6.大阪 6.1大阪(1) 松尾寺 家原寺 南宗寺 海会寺 妙國寺 本受寺 祥雲寺 朝日寺 道明寺 葛井寺 叡福寺 西方院 野中寺 顕証寺 
観心寺 延命寺 大念仏寺 全興寺 一心寺 和光寺 天暁院 四天王寺 愛染堂 清水寺
 真光院 泰聖寺 南御堂 鶴満寺 
6.2大阪(2) 野崎観音 総持寺 辯天宗 大念寺 慈恩寺 東光院 真如寺 能勢妙見 持経寺 玉泉寺 神峯山寺 安岡寺 霊山寺 勝尾寺 龍安寺 
西江寺 
久安寺 尊鉢厄神 大広寺 佛日寺 東禅寺 正智寺 浄行寺 明尾寺 

6.1 大阪の仏閣(2)

曹洞宗
曹洞宗
福聚山慈眼寺

(野崎観音)
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お染久松の悲恋、東海林太郎の歌で知られる寺院

1300年ほど前、天平勝宝年間(749-757)に大仏開眼のため来朝した婆羅門僧正が「野崎の地は
釈迦が初めて仏法を説いた鹿野苑(ハラナ)によく似ている」と話をされ、感動した行基は、
観音様のお姿(十一面観音)を彫みこの地に安置されたのが始まり。


大東市野崎にて(1月) 曹洞宗福聚山慈眼寺(野崎観音) 楼門


大東市野崎観音にて(1月) 三十三所観音堂

大東市野崎観音にて(1月) 境内

大東市野崎観音にて(1月)
手水舎





大東市野崎観音にて(1月) 薬師堂

 
大東市野崎にて(1月) 曹洞宗福聚山慈眼寺野崎観音) 本堂と本堂十一面観音奉納額(
クリック拡大


大東市にて(TM氏) 野崎観音 福聚山慈眼禅寺本堂
 
大東市野崎にて 野崎観音慈眼寺山門(TM氏)

大東市野崎観音にて(1月) 十六羅漢像

大東市野崎観音にて(1月) 羅漢堂

大東市野崎観音にて(1月) 江口堂の奉納額

大東市野崎観音にて(1月) 江口の君像

  
大東市野崎観音にて(1月) 江口の君堂(
説明板はクリック拡大)     大阪府緑の百選碑


大東市野崎にて(1月) 曹洞宗福聚山慈眼寺(野崎観音) 正門


大東市野崎観音にて(1月) 観音像

大東市野崎観音にて(1月) 十三の石塔

 
大東市野崎観音にて(1月) 役行者像 右は楼門(内側)


大東市野崎観音にて(1月) 南條神社

大東市野崎観音にて(1月) 南條神社

大東市野崎観音にて(1月) 牛頭天王宮南條神社
扁額の牛頭天王(ごずてんのう)とは、日本の神仏習合における神で
インドの釈迦生誕地、祇園精舎の守護神でもある

大東市野崎観音にて(1月) 川柳碑
合掌の 指にあかりが
しかとある

大東市野崎観音にて(1月) 庭園

大東市野崎観音にて(1月) 坂村真民の碑

大東市野崎観音にて(1月)
東海林太郎の野崎小唄碑 
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今中楓渓 作詞
大村能章 作曲
野崎参りは 屋形船でまいろ
どこを向いても 菜の花ざかり
粋な日傘にゃ 蝶々もとまる
呼んで見ようか 土手の人
野崎参りは 屋形船でまいろ
お染久松 切ない恋に
残る紅梅 久作屋敷
今も降らすか 春の雨
野崎参りは 屋形船でまいろ
音にきこえた 観音ござる
お願かけよか うたりょか滝に
滝は白絹 法の水

 
大東市野崎観音にて(1月) お染久松の塚  お染久松野崎村の段碑(クリックで拡大
久松の生家は豊中市走井の浄行寺(楠木正成に連なる)との記録が残っている。


真言宗
茨木市 真言宗 西国二十二番札所
補陀洛山
総持寺
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今昔物語や源平盛衰記にある
亀の恩返しの話の寺院
亀に乗った観音様として有名な総持寺は平安時代、中納言藤原山蔭卿
により開かれた。亀の恩返しで開かれた総持寺は今昔物語や源平盛衰記等にも
紹介されており、お寺の創建についての縁起絵巻も残されている。


大阪府茨木市総持寺にて(3月) 西国22番観音霊場札所
 補陀洛山総持寺 仁王門 摂津国88ヵ所霊場第47番の寺院

 大阪府茨木市総持寺にて(3月) 高野山真言宗
西国22番観音霊場札所 補陀洛山総持寺本堂 

大阪府茨木市総持寺にて(3月) 総持寺梵鐘

大阪府茨木市総持寺にて(3月) 総持寺金堂 薬師如来

 大阪府茨木市総持寺にて(3月) 鎮守社 
大黒天・弁財天・青面金剛 

 大阪府茨木市総持寺にて(3月) 
 ぼけ封じ 普悲観音

大阪府茨木市総持寺にて(3月)   総持寺弘法 

 大阪府茨木市総持寺にて(3月) 荒神社 如来荒神 

大阪府茨木市総持寺にて(3月)
総持寺 東門

大阪府茨木市総持寺にて(3月)  総持寺 包丁塚
4月8日 山蔭流包丁式が行われる


  
茨木市 辯天宗
飛龍山冥應寺
(茨木弁天)

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甲子園高校野球の優勝校・智辯学園の母体
智辯尊女が戦前に啓示を受け、昭和29年に奈良県五條市て開創し
総本山としたのが宇賀山妙音院如意寺である。ここは茨木弁天と呼ばれる。

関係ある有名人は浪花千栄子、原健三郎、松下幸之助、笹川良一、和田完二、西條八十、
山田耕作、川上のぼる等。特に笹川良一は教祖大森家と婚姻関係を結び、ここの土地一部を寄進し、
隣接地に笹川良一による万国戦争受難者慰霊塔を建設して、米国カーター大統領を招いた。
境内図  茨木弁天の沿革(説明板) 辯天宗 新宗教探訪 笹川了一とカーター大統領


大阪府茨木市にて(9月) 辯天宗冥應寺本殿 中央噴水の教祖・大森智辯の像 クリックで教祖像


大阪府茨木市辯天宗冥應寺にて(4月) 茨木市内を展望 クリックで拡大

 
大阪府茨木市にて(4月下旬) 
辯天宗冥應寺本殿 右は祝智辯学園甲子園優勝の幕 クリックで拡大

 
大阪府茨木市辯天宗冥應寺にて(4月) 供養塔 クリックで拡大

  
大阪府茨木市辯天宗冥應寺にて(4月) 供養塔 クリックで拡大

 
大阪府茨木市にて(9月) 辯天宗冥應寺水子供養塔とその地下部 クリックで拡大

 
大阪府茨木市辯天宗冥應寺にて(4月) 供養塔 クリックで拡大

  
大阪府茨木市にて(9月) 辯天宗冥應寺水子供養塔 右は慈母辯才天女尊像 クリックで拡大

  
大阪府茨木市にて(9月) 辯天宗冥應寺信者会館 中央は噴水 クリックで拡大

  

大阪府茨木市にて(9月) 辯天宗冥應寺御百度石 本堂 碑文  クリックで拡大
碑文より「
よもすがら祈る心でねむらねど信者思えば苦しみもなし」 神代

  
大阪府茨木市にて(4月下旬) 辯天宗冥應寺 水子供養塔 五角形の塔の断面 桔梗紋 クリックで拡大

 
大阪府茨木市にて(4月下旬) 辯天宗冥應寺(茨木弁天)本殿(左に祖霊殿、右に護摩殿) クリックで拡大

 
大阪府茨木市にて(4月下旬) 辯天宗冥應寺(茨木弁天)信者会館 右写真は参籠殿 クリックで拡大

 
大阪府茨木市辯天宗冥應寺にて(4月) 信者会館と参籠殿 クリックで拡大

 
大阪府茨木市にて(4月) 辯天宗冥應寺(茨木弁天)信者会館 クリックで拡大

  
大阪府茨木市にて(4月) 辯天宗冥應寺(茨木弁天)手水舎 右端は桔梗紋 クリックで拡大

   
大阪府茨木市にて(4月下旬) 辯天宗冥應寺(茨木弁天)境内風景 左から赤い橋 前の池 参道のツツジ クリックで拡大

 
大阪府茨木市辯天宗冥應寺にて(4月) 参道の赤い橋 クリックで拡大

  
大阪府茨木市辯天宗冥應寺にて(4月) 笹川良一の像 クリックで拡大

  
大阪府茨木市辯天宗冥應寺にて(4月) 境内の桜 クリックで拡大

  
大阪府茨木市辯天宗冥應寺にて(4月) 句碑 クリックで拡大

  
大阪府茨木市辯天宗冥應寺にて(4月) 境内の桜 クリックで拡大

 

 
大阪府茨木市辯天宗冥應寺にて(4月) 境内のシャクナゲ クリックで拡大

  
大阪府茨木市辯天宗冥應寺にて(4月) 境内の桜 クリックで拡大



茨木市 辯天宗境内
万国戦争受難者慰霊塔
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笹川了一が土地を寄進した辯天宗の隣接地に建立
米国カーター大統領を迎えて設立式が行われた慰霊塔


  
大阪府茨木市にて(9月) 笹川良一による万国戦争受難者慰霊塔  クリックで拡大
1985年5月にアメリカのカーター大統領を迎えて(動画) 万国戦争受難者慰霊塔を設立が行われた。 
慰霊塔の銘板にカーター大統領の署名(写真左端)がある


万国戦争受難者慰霊塔 HPより

 

大阪府茨木市にて(9月) 笹川良一による万国戦争受難者慰霊塔入口  クリックで拡大

  
万国戦争受難者慰霊塔を設立が行われた1985年5月 アメリカのカーター大統領を迎えて(動画より) 

 
大阪府茨木市にて(9月) 関西詩吟同好会哲友会吟道碑  クリックで拡大
万国戦争受難者慰霊塔内にある

  
大阪府茨木市にて(9月) 笹川良一による万国戦争受難者慰霊塔内の手水鉢ほか  クリックで拡大


  
茨木市 浄土宗

安威山善法院大念寺
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約1370年前、藤原鎌足公が建立させた由緒ある寺院。
後に戦火で消失した寺塔を、浄土宗大念寺の上人が中興した。

飛鳥時代、舒明天皇の頃、鎌足公の病床に当山の三宝大荒神が現れ、ここに寺院を建立するようお告げがあった。
鎌足公は仏堂建立を、遣隋使として高名な慧隠法師に命じ、師は阿威山は梵字のアとイに通じる霊地と知り、寺院を建立した。
師は開山を孝徳帝の皇子である弟子の定慧上人に譲り、阿威山善法寺とした。当時は境内に鎮守神の霊窟に霊水が湧き、傍に鎌足公
お手植えの霊竹・黄金竹があった。以来、当地は藤原家の荘園として、また鎌足公をまつる大織冠廟堂として安威城と共に栄えた。
後に、兵火で寺塔は散逸したが、安土桃山時代、京都大山崎の大念寺の専誉流念上人が、念仏道場として、天正18年(1590)に
中興した。寺号を大山崎の大念寺より頂き阿威山善法院大念寺として、阿弥陀如来をご本尊とする浄土宗の念仏道場となった。



茨木市安威にて(7月) 藤原鎌足公ゆかりの大念寺参道 クリックで拡大

  
茨木市安威大念寺にて(7月) 本堂と境内(山門内側) クリックで拡大

 
茨木市安威大念寺にて(7月) 庫裏と鐘楼 クリックで拡大

 
茨木市安威大念寺にて(7月) 山門と寺碑と藤原鎌足公古墳道案内碑 クリックで拡大
鎌足公の霊廟は阿威山にあったが、後に奈良多武峰に移ったと伝わり、当山は中世以降「大織冠堂」と称してきた。
昭和9年(1934)近隣の阿武山より夾紵棺(漆で固めた棺)に入った貴人の墓が発見され、棺内には美しい錦の残片や玉枕、金糸などの
豪華な品々があった。金糸から復元した冠帽は鎌足公が授かった大織冠と思われ、当地が鎌足公の霊廟であったと考えられる。


曹洞宗
池田市 曹洞宗
慈恩寺
毘沙門天 陽松庵

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中国の寒山寺と梵鐘を交換
神亀2年(725)聖武天皇の勅命により、長尾山山頂に往来安全・人民安泰祈願道場
として毘沙門天・大黒天・弁財天を奉安しお堂を創建した。その後、弘法大師により
中興され慈薗寺として法灯が受け継がれた。1721年近くに創建された禅道場
『陽松庵』に庇護されるところとなって「慈恩寺」と生まれ変わった。
中国蘇州の寒山寺と姉妹都市の縁で交流がある。



 池田市慈恩寺毘沙門天にて(1月) 慈恩寺 

 池田市毘沙門にて(1月) 慈恩寺毘沙門天 参道

池田市慈恩寺にて(1月) 中国寒山寺鐘堂
写真クリックで寒山寺鐘の説明板

慈恩寺にて(1月) 中国寒山寺の鐘(複製)
池田市と中国蘇州市は友好都市を締結、
25周年の2006年に蘇州市の寒山寺名鐘の
レプリカが贈られ、お返しに
慈恩寺の半鐘が蘇州市に寄贈された。

 池田市吉田ヨガ道場 陽松庵にて(1月) 山門 

 池田市慈恩寺にて(1月) 眼力不動尊 

 池田市陽松庵にて(1月) 鐘楼

 池田市陽松庵にて(1月) 天桂堂

 池田市陽松庵にて(1月) ヨガ道場 

 ヨガの陽松庵にて(1月) 本堂 


別格
豊中市 曹洞宗別格地
東光院萩の寺

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行基菩薩の創建の萩の寺
東光院萩の寺は創建以来1200年以上の長い歴史を持つ曹洞宗別格地寺院。
天平年間(735年)行基菩薩の草創にかかり、本尊は行基菩薩作の薬師如来の他、
降魔座釋尊(重文)、後醍醐天皇ゆかりの十一面観世音菩薩、
豊臣秀吉勧請道了大権現等を安置している。



大阪府 曹洞宗別格地 東光院 萩の寺(TM氏)

大阪府 曹洞宗別格地 東光院 萩の寺 (TM氏)


日蓮
能勢町 日蓮宗 関西身延
無漏山眞如寺

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能勢氏の篤い信仰により
日乾上人が真如寺と能勢妙見を創建した
関西身延と称せられる近畿の霊場

 能勢頼次は、本能寺の変で明智方に加担し、秀吉に領地を没収されたが、徳川家康に召され、関ヶ原戦役のあと
旧領を復することができた。法華経信仰に篤い頼次は、京都本満寺貫首であった寂照院日乾上人を招き、山や屋敷
などを寄進し、この慶長5年(1600)を開山は寂照院日乾上人、開基が能勢頼次として開山の年とされる。日乾上人
は、後に日蓮宗総本山甲州身延山久遠寺第21世となられ、再び能勢へ戻り、ここに隠居所覚樹庵を創立して法華道場
として布教活動の拠点とされた。頼次は徳川家康の菩提のためと、能勢氏の祈願所として覚樹庵境内に真如寺を建立し、
以後日乾上人が法務を執った。このとき、日乾上人は能勢氏が祀っていた鎮宅霊符神を法華経の守護神妙見大菩薩
とし、この尊像を日乾上人が彫刻し、為楽山の山頂に祀ったのが、能勢妙見山の始まりである。また、日乾
上人は宗祖御真骨の一部を当山に安置し、当山は宗祖棲神の霊場、関西身延と称せられるようになった。



大阪府能勢町にて(7月) 関西身延霊場 日蓮宗 無漏山真如寺 山門 寺院由来駒札  クリックでワイド写真

 
大阪府能勢町にて(7月) 関西身延 日蓮宗 無漏山真如寺 山門 写真右は山門内側 クリックで山門拡大


大阪府能勢町にて(7月) 関西身延 日蓮宗 無漏山真如寺 本堂

 
大阪府能勢町にて(7月) 関西身延 日蓮宗 無漏山真如寺 本堂 
クリックで扁額拡大


大阪府能勢町にて(7月)日蓮宗 無漏山真如寺
開祖寂照院日乾上人墓標 
写真クリックで一部拡大

  
大阪府能勢町にて(7月) 関西身延 日蓮宗 無漏山真如寺 石碑  右端写真は吉大善神の碑
 各写真クリックで拡大

  
阪府能勢町にて(7月) 関西身延 日蓮宗 無漏山真如寺 七面大明神堂 
写真クリックで夫々拡大

 
大阪府能勢町にて(7月) 関西身延 日蓮宗 無漏山真如寺 客殿・宗祖日蓮大聖人御真骨奉安殿 右写真は行学院日朝上人

 
大阪府能勢町にて(7月) 関西身延 日蓮宗 無漏山真如寺 梵鐘(府重文)この梵鐘は長岡京市勝竜寺にあったもので、
大阪夏の陣のころ大阪市桜橋の源八堤で能勢氏によって拾われた。梵鐘には乙訓郡神足郷勝竜寺の銘が刻まれているらしい。

 
阪府能勢町にて(7月) 関西身延 日蓮宗 無漏山真如寺 浄水

 
大阪府能勢町にて(7月) 関西身延 日蓮宗 無漏山真如寺 境内の様子  
クリックで拡大

 
大阪府能勢町にて(7月) 関西身延 日蓮宗 無漏山真如寺 金高龍王堂

 
大阪府能勢町にて(7月) 関西身延 日蓮宗 無漏山真如寺 鬼子母尊神堂


  
大阪府能勢町にて(7月) 関西身延 日蓮宗 無漏山真如寺 常富大菩薩

 
阪府能勢町にて(7月) 関西身延 日蓮宗 無漏山真如寺 参道

 
大阪府能勢町にて(7月) 関西身延 日蓮宗 無漏山真如寺 浄行菩薩 右写真は納骨堂

 
大阪府能勢町にて(7月) 関西身延 日蓮宗 無漏山真如寺 庫裏



能勢町 日蓮宗霊場
無漏山眞如寺境外仏堂
能勢妙見山

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清和源氏の末裔・能勢頼次公の開基
になる鳥居のある神仏習合寺院

参道入口に妙見宮の鳥居があり、神仏習合の名残りである。この寺は能勢町地黄にある無漏山眞如寺
の境外仏堂
である。鳥居の右側に、能勢頼次公の銅像があるが、公は本山の開基で、戦国から江戸時代に能勢家を
再興させた能勢中興の人。この地に多い清和天皇の末裔で1028〜1037に能勢に移住したと伝えられている。能勢妙見山は
日乾上人以来代々、眞如寺住職があわせ受持するところとなっているが、昭和16年宗教法人法の改正によって、
眞如寺の所属となって、現在に至っている。(当山HPより)

日蓮宗霊場 能勢妙見山 鳥居
仏教道場の入り口に鳥居 神仏習合
能勢妙見山は北にある眞如寺の飛び地境内であり、
「無漏山眞如寺境外
(けいがい)仏堂能勢妙見山」
と呼ばれる。
境内案内図はクリックで表示

能勢妙見山 寺務所
無漏山眞如寺境外(けいがい)仏堂能勢妙見山

注)能勢妙見山東京別院が東京本所にあり
 勝海舟の銅像がある。
真如寺のページへ

能勢妙見山 本殿(右)

能勢妙見山 鐘楼

日蓮宗霊場 能勢妙見山 山門
写真左は山門の敷居が大阪と兵庫の県境を示す

妙見山信徒会館「星嶺 
京都大学 高松伸教授の設計 写真クリックで拡大

能勢妙見山 開基 能勢頼次公の銅像

能勢妙見山 富士屋(元旅籠、現在は食堂)

能勢妙見山内郵便局
妙見山には京都大学妙見山地震観測室がある

能勢妙見山 神馬 矢筈の紋章
写真クリックで神馬の説明板


大阪府能勢町にて(7月) 関西身延 日蓮宗 無漏山真如寺 山門
真如寺は
能勢妙見山の北5Kmにあります  クリックで拡大


法華宗
能勢町 法華宗真門流
寳林山持経寺
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当地区に於ける法華の最古の道場という
当寺は永持庵又は智海坊と称し永享8年(1436)頃の創立と伝わる。 天正元年(1573)頃に、多田満仲の末裔、
能勢頼高がこの地で再興し、開山は総本山開祖日真の弟子智願院日がんである。法華宗は日蓮大聖人の正流であり、
日蓮大聖人の御精神「本果実証上行所伝(しょでん)の南無妙法蓮華経」を本尊として信仰している。


大阪府能勢町にて(7月) 法華宗真門流寳林山持経寺 山門 クリックで寺院説明駒札

 
大阪府能勢町にて(7月) 法華宗真門流寳林山持経寺 境内


大阪府能勢町にて(7月) 法華宗真門流寳林山持経寺 本堂  クリックで寺院説明駒札が出ます

 
大阪府能勢町にて(7月) 法華宗真門流寳林山持経寺 山門  右は駒札 クリックで拡大


能勢町
能勢町 真言宗
青龍山玉泉寺

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ユースホステル玉泉寺
句碑の寺として知られる

当寺はもと剣尾山上にあった月峯寺の玉泉坊であったが兵火にあい、慶長4年(1599)
良海阿闍梨が麓の村里に降りて堂舎を建立し、真言宗玉泉寺と号した。宝永5年(1708)宝雲上人が
現在地に再移した。当寺には平安時代の木造薬師如来坐像(能勢町有形文化財)や元禄9年(1696)
宝山湛海作という不動明王坐像(大阪府有形文化財)を安置している。なお、参道入口の
大日種子碑二基は鎌倉中期以前の遺品として貴重である。 月峯寺*能勢町観光協会



大阪府能勢町にて(10月) 真言宗青龍山玉泉寺 句碑の寺 クリックで拡大

  
大阪府能勢町にて(10月) 真言宗青龍山玉泉寺 参道より本堂 
   クリックで拡大

  
大阪府能勢町にて(10月) 真言宗青龍山玉泉寺 本堂 仏壇    本堂及び仏壇はクリックで拡大
写真右端は木造不動明王坐像(大阪府有形文化財・能勢町HPより転載)


 
大阪府能勢町にて(10月) ユースホステル玉泉寺 
クリックで拡大

  
大阪府能勢町真言宗青龍山玉泉寺にて(10月) 参道より鐘楼    クリックで拡大

  
大阪府能勢町にて(10月) 庫裏と胎蔵界大日一尊種子自然石板碑金剛界大日一尊種子自然石板碑 
クリックで拡大

  
大阪府能勢町玉泉寺にて(10月) わらじ会句碑はじめ20〜30基の句碑がある句碑の寺 
クリックで拡大
平成2年3月玉泉寺中興開山権大僧正行敏米寿記念句碑
御仏と米寿の春を迎へけり行敏

 
能勢町にて(10月) 真言宗青龍山玉泉寺付近 櫓田(ひつじだ)広がる クリックで拡大


箕面
高槻市 天台宗
根本山神峯山寺

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約1300年前、役行者が開き、開成皇子が
中興した古刹。我が国最初の毘沙門天安置の霊場
山道に鳥居、三文に狛犬という神仏習合の寺院

当山は日本で最初に毘沙門天が安置された霊場という。本尊は毘沙門天で、双身毘沙門天および
兜跋毘沙門天と共に秘仏。開山は役小角(役行者)、中興の祖は開成皇子で、皇室との緊密な関係がある。
また修験霊場であり、修行の道や滝、葛城山遥拝所を示す石標などが境内の各所に点在する。参道入口には
石造の鳥居が立ち、仁王門前には狛犬があるなど神仏混淆の風土が現在も見られる。(寺院駒札



高槻市原にて(11月) 紅葉の神峯山寺 仁王門  クリックで拡大 

 
高槻市原にて(6月) 深緑の神峯山寺 仁王門  クリックで拡大 

   
高槻市原にて(11月) 神峯山寺2 仁王門 左に毘沙門天の石碑 右に下馬の石碑 左右仁王像 クリックで拡大



高槻市原にて(6月) 神峯山寺 本堂 クリックで拡大 

  
高槻市原にて(11月) 神峯山寺 本堂(写真左から左側面、正面、右側より)  
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高槻市原にて(6月) 神峯山寺 本堂 本堂東面 本道前の大香炉・ローソク立て 
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高槻市原にて(6月) 神峯山寺 深緑の参道と左右の石柱(意味不明) クリックで拡大 

  
高槻市原にて(11月) 神峯山寺 紅葉の参道  クリックで拡大 

 
高槻市原にて(11月) 神峯山寺 錦と黄金の参道  
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高槻市原にて(6月) 神峯山寺 錦と黄金の参道  クリックで拡大 

  
高槻市原にて(11月) 神峯山寺 紅葉の参道  
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高槻市原にて(11月) 神峯山寺 本坊・宝塔院 開山堂石段  石段上の開山堂  
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高槻市原にて(6月) 神峯山寺 本坊・宝塔院への石段 参道案内碑  開山堂案内碑 観音堂横の観音像 クリックで拡大

  
高槻市原にて(11月) 神峯山寺2 お浄水 鐘楼堂  
クリックで6月の浄水、鐘楼堂を拡大表示 

 
高槻市原にて(11月) 神峯山寺 嶺峰院回向堂・納骨堂 右写真は観音堂 クリックで拡大

  
高槻市原にて(11月) 神峯山寺2  観音堂  化城院護摩堂  龍光院 
クリックで拡大 

  
高槻市原にて(6月) 神峯山寺2  左から観音堂  化城院護摩堂  龍光院 クリックで拡大 

 
高槻市原にて(11月) 神峯山寺 塔頭寂定院 山門 
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高槻市原にて(11月) 神峯山寺 塔頭寂定院 庭園 
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高槻市原にて(6月) 深緑の神峯山寺 塔頭寂定院 庭園 クリックで拡大

  
高槻市原にて(11月) 神峯山寺 塔頭寂定院 苔むす庭園 
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高槻市原にて(11月) 神峯山寺 神仏習合の鳥居(ネットより) 開成皇子の埋髪塔(寺院駒札より) 
右写真は光仁天皇の分骨を納めた十三重塔
 右端は境内図
  何れもクリックで拡大

  
高槻市原にて(11月) 神峯山寺2  白龍王大権現(クリックで深緑)と地蔵尊 クリックで拡大 

  
高槻市原にて(6月と11月) 神峯山寺 釈迦堂(6月と11月)と九頭竜滝  クリックで拡大 

  
高槻市原にて(11月) 神峯山寺 真珠院とその前の古井戸 クリックで拡大 

  
高槻市原神峯山寺にて(11月) 詩吟紫洲流日本明吟会 初代宗家の顕彰碑「流祖紫洲碑」と筆塚
左写真、初代宗家の顕彰碑は昭和49年5月23日に建立紫洲流七十年史された。右端は阿佐比古俳句会句碑(句は不明)

   
高槻市原神峯山寺にて(6月)  左から東海自然歩道案内 新名神高速展望 鐘楼からの展望 案内板 クリックで拡大 


高槻
高槻市 天台宗
南山般若院安岡寺

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開成皇子が創建した北摂三山寺の一つ
江戸時代の巨刹も明治の廃仏毀釈の影響を受けた

宝亀6年(775)に、光仁天皇の子・開成皇子が創建したと伝わる。南山と号し、根本山神峯山寺、北山本山寺
とともに天台宗北摂三山寺に数えられる。弟子開智が大般若経を書写して本堂の背後の岡に安置したことから、安岡寺
般若院と称する。文安年間(1444〜)に天災で堂宇を焼失するが再建。また天正年間(1573〜)に、高山右近らの
兵火により堂宇が焼失し、寛文年間(1661〜)に復興。江戸時代には将軍家の拝領を受け、大日院、藤本坊、
阿弥陀院、泉蔵坊の4塔頭をもつ巨刹となったが、明治の廃仏毀釈により縮小。本尊は如意輪観音(駒札


  
高槻市浦堂にて(12月) 安岡寺総門 
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高槻市浦堂にて(12月) 安岡寺2 表参道  参道脇には広い墓地 クリックで拡大


高槻市浦堂にて(12月) 安岡寺3 本堂 クリックで拡大

   
高槻市浦堂にて(12月) 安岡寺鐘楼と青梅観音と本堂 クリックで拡大

 
高槻市浦堂にて(12月) 安岡寺本堂左から不動明王 如意輪観音 愛染明王 クリックで拡大

  
高槻市浦堂にて(12月) 安岡寺総門 左は御詠歌石碑 右は当山駒札  
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御詠歌「如意の輪は願いのままにめぐりきて身を安岡の寺におかばや

  
高槻市浦堂にて(12月) 安岡寺青梅観音堂(鐘楼の右) 左は説明石碑 右は扁額  クリックで拡大
青梅観音堂には千手観音坐像(国重文)が安置されている

 
高槻市浦堂にて(12月) 安岡寺西山門  クリックで拡大

  
高槻市浦堂にて(12月) 安岡寺叶観音堂(信者の寄進による)  クリックで拡大

    
高槻市浦堂にて(12月) 般若塚への参道(進入禁止の札まで) 手水舎と安岡寺境内図 ネットより転載  クリックで拡大

 
高槻市浦堂にて(12月) 安岡寺叶観音あたりから南方面 雨の高槻市を展望(左京都、右大阪)  
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高槻市
高槻市 高野山真言宗
鶴林山霊仙寺

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光仁天皇の子開成皇子の開創
宝亀9年(778)桓武天皇が箕面に行幸した際、美しい景観を光仁天皇の子開成皇子に伝えた。箕面大滝近くの
自然石が不動明王になり、その命により皇子が寺を開創したと伝わる。本堂の本尊、不動明王(通称一言不動)が
開成皇子に寺の開創を告げた不動明王であるという。永禄12年(1569)の室町幕府奉行人連署寺領安堵状には、
安土桃山から江戸にかけて寺領24町を有したとされ、勝尾寺や神峯山寺などと並ぶ山岳修行の聖地であった。
天正年間(1573-1592)高山右近の戦火で全焼したが、住職達が不動明王などの仏像を守り、復興した


 
高槻市霊山寺町にて(11月) 霊山寺本堂 本尊は不動明王(一言不動)   
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一言願いを言うと叶えられると信じられてきたため、一言不動と呼ばれている

 
高槻市霊山寺町にて(11月) 霊山寺薬師堂と時計堂   クリックで拡大

 
高槻市霊山寺町にて(11月) 霊山寺山門と手水舎   
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高槻市霊山寺町にて(11月) 霊山寺境内   クリックで拡大

  
高槻市霊山寺町にて(11月) 霊山寺庫裏   
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箕面
箕面市 真言宗
應頂山勝尾寺

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毎年10月29日は宮内庁と御正辰祭が
勤められる由緒ある寺院

創建は神亀4年(727)、藤原善仲、善算の双子兄弟が草庵を構え修業されたことに始まる。
後に天平神護元年(765)、光仁天皇の皇子開成が、宝亀6年(775)7月13日大般若経六百巻を理経
して彌勒寺と号し開山した。開山堂には善仲、善算と開成皇子の木像が安置されている。
清和天皇の玉体安隠を祈って効験があったので、王に勝った寺の意で「勝王寺」の
の寺号を賜ったが、本寺では王を尾とし、勝尾寺と号し、勝運の寺として来た。


大阪府箕面市 應頂山勝王寺にて(11月)山門遠望

 
大阪府箕面市 應頂山勝尾寺にて(11月)  山門表側(扁額は應頂山)  右は山門内側(変額は勝王持

 
大阪府箕面市 應頂山勝王寺にて(4月) (TM氏) 山門内側 右は山門表側 秋の箕面、勝尾寺付近のページへ


大阪府箕面市 應頂山勝尾寺にて(11月) 閻魔堂

大阪府箕面市 應頂山勝尾寺にて(11月) 不動堂 

 
大阪府箕面市にて(11月)  應頂山勝尾寺


大阪府箕面市 應頂山勝尾寺にて(11月) 一願不動尊

大阪府箕面市 應頂山勝尾寺にて(11月) 弁天堂

大阪府箕面市 應頂山勝尾寺にて(11月)大師堂

大阪府箕面市 應頂山勝尾寺にて(11月)

大阪府箕面市 應頂山勝尾寺にて(11月)開山堂

大阪府箕面市 應頂山勝尾寺にて(11月)鐘楼

大阪府箕面市 應頂山勝尾寺にて(11月) 本堂

大阪府箕面市 應頂山勝尾寺にて(11月) 本堂

箕面市 應頂山勝尾寺にて(11月)鎮守堂

箕面市 應頂山勝尾寺にて(11月)薬師堂

箕面市 應頂山勝尾寺にて(11月) 多宝塔

箕面市 應頂山勝尾寺にて(11月) 荒神堂

 
みどりの百選碑  箕面公園 右は勝尾寺


市 本
箕面市 本山修験宗
箕面山
龍安寺

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役行者の悟道の地であり、終焉の聖地

本寺は役行者が658年飛鳥時代、大瀧のもとで苦行の末、弁財天の助法を受けて
悟道したことから、報恩のため瀧のそばに堂を建て弁財天を祀り箕面寺と称した。

68歳の時再び箕面へ戻り山奥にある天上ヶ岳から昇天された。ゆえに箕面山は
役行者の悟道の地とともに、終焉の聖地といわれている。



箕面公園にて(10月) 瀧安寺鳳凰閣(左側)


箕面公園にて(10月) 瀧安寺 狛犬のある神社形式の山門



箕面公園にて(10月) 瀧安寺観音堂 如意輪観音(重文)

箕面公園にて(10月) 瀧安寺弁財天

 
箕面公園にて(10月) 瀧安寺


大阪府 箕面山瀧安寺

瀧安寺 護摩供養例祭(7月)護摩供養 (TM氏)

大阪府 龍安寺 護摩供養例祭
(7月)(TM氏)
 
箕面山 龍安寺 (TM氏)  
箕面の猿


箕面市
面市 高野山真言宗
聖天宮
西江寺

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日本最初の大聖歓喜天が祀られ
1300年余の歴史をもつ

箕面山は瀧の修行道場として、最も古い修行地で、本山は658年飛鳥時代、役行者によって
開山
された。役行者が箕面大瀧で苦行を重ねていたある日、山獄鳴動して光明が輝き光の中
から老翁に化身した大聖歓喜天が現れ、ここを日本最初の歓喜天霊場とされた。


箕面公園 聖天宮 西江寺
(さいこうじ)
 
聖天宮 西江寺 縁起 写真クリックで拡大


箕面公園 聖天宮 西江寺 付近


真言宗
池田市 高野山真言宗
大澤山久安寺

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聖武天皇の勅願を受け、行基が開創し、空海が中興
豊臣秀吉が、月見茶会を開いた由緒深い寺院

神亀2年(725)に聖武天皇の勅願を受け、行基が開創し、天長年間(824 - 833)の頃に空海
が真言密教の道場として中興したと伝わる。久安元年(1145)に近衛天皇の勅願により祈願所として
中興され、賢実上人が境内の本堂などの伽藍を増築し、久安寺と称するようになった。
豊臣秀吉が参拝の際、月見茶会を開いたといわれ



大阪府池田市にて(11月) 大澤山久安寺 楼門(重文) クリックで6月の楼門

   
大阪府池田市にて(6月)大澤山久安寺 楼門(内側)と参道 クリックで拡大

  
大阪府池田市にて(6月)大澤山久安寺 楼門から参道を 仁王 クリックで拡大

 
大阪府池田市にて(11月) 大澤山久安寺 庭園「虚空園右写真クリックで拡大


大阪府池田市久安寺にて(11月) 本堂

 
大阪府池田市久安寺にて(11月) 本堂  右は本堂内部


大阪府大澤山久安寺 本坊
門 関西花の寺第十二

大阪府大澤山久安寺 本坊前付近
 
大阪府池田市にて(6月)大澤山久安寺 本坊前のアジサイの池 クリックで拡大

 
大阪府池田市にて(11月)大澤山久安寺 鐘楼  右は御影堂下の池

 
 大阪府池田市久安寺にて(11月)本堂より鐘楼(左)  右は鐘楼前にある豊臣秀吉の腰掛岩
秀吉が久安寺で月見茶会を開いたといわれている

 
大阪府池田市にて(11月)大澤山久安寺 本坊  右は本坊庭園

 
大阪府池田市にて(6月)大澤山久安寺 本坊


 
    大阪府池田市にて(11月) 大澤山久安寺 薬師堂  右は薬師堂庭園


大阪府池田市にて(11月) 舎利殿涅槃堂
写真クリックで説明文 紅葉写真へ


池田市久安寺にて(11月) 三十三所堂

池田市久安寺にて(11月) 御影堂

池田市久安寺にて(11月) 地蔵堂
    

池田市久安寺にて(11月) 弘法大師像
クリックで説明文


池田市久安寺にて(11月)舎利殿涅槃堂の寝釈迦

 
池田市久安寺にて(11月) 開基行基像と童地蔵

 
大阪府池田市久安寺にて(11月) 広葉樹と本堂


池田市久安寺にて(11月)本堂裏の庭園「虚空園」
写真クリックで名勝虚空園の説明文

大阪府池田市久安寺にて(11月)
三十三所堂

 
池田市久安寺にて(11月) 本堂裏の庭園「虚空園」

 
大阪府池田市久安寺にて(11月) 本堂から涅槃堂への参道(北向き) 右は涅槃堂前から墓地への参道(東向き)

 
池田市久安寺にて(11月) 涅槃堂から本堂への参道(南向き)  右は本坊前から楼門への参道(南向き)


野山真
高野山真言宗
鉢多羅山 若王寺釈迦院

(尊鉢厄神)

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聖武天皇勅願寺
尊鉢厄神で知られる古刹

神亀元年(724)聖武天皇の勅願により行基菩薩が開創した古刹。
池田市の桜、
梅、花菖蒲の名所「水月公園」に隣接する若王寺釈迦院は、通称「尊鉢厄神」と呼ばれる


池田市能勢街道尊鉢厄神にて(5月) 若王寺本堂前の庭


池田市尊鉢釈迦院にて(5月) 参道(北向き)

池田市尊鉢釈迦院にて(5月) 山門

大阪府能勢街道 尊鉢若王寺 厄神明王 

池田市若王寺 尊鉢厄神 釈迦院 参道


 池田市能勢街道尊鉢厄神にて(5月)  正面奥は護摩堂 右は若王寺本堂

 
池田市能勢街道尊鉢厄神にて(3月)  護摩堂 右は参道の賑わい  
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池田市尊鉢釈迦院にて(1月) 除厄殿 厄神明王

池田市尊鉢釈迦院にて(5月) 釈迦院 虚空蔵堂


池田市尊鉢釈迦院にて(5月) 本堂前の庭


池田市尊鉢釈迦院にて(5月) 仏足石

池田市尊鉢釈迦院にて(5月) 弘法大師像

池田市尊鉢釈迦院にて(5月) 庫裏

池田市尊鉢釈迦院にて(5月) 参道(南向き)

池田市尊鉢釈迦院にて(5月) 三宝殿

池田市尊鉢釈迦院にて(5月) 手水舎

池田市尊鉢厄神釈迦院にて(5月)
鐘楼堂

池田市尊鉢厄神釈迦院にて(8月) 駒札
写真クリックで拡大 池田市内で最も古い梵鐘の一つ

池田市尊鉢釈迦院にて(5月) 護摩柴燈

池田市尊鉢釈迦院にて(5月) 若王寺境内


曹洞宗
曹洞宗
塩増山大広寺

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池田城主の菩提寺
連歌師 牡丹花肖柏の隠棲地

応永2年(1395)に池田城主の池田充正が創建し、後に天巌禅師が開基したと
伝わる。本尊は釈迦如来。室町時代の連歌師牡丹花肖柏の隠棲地
その後は荒廃を繰り返し、
荒木村重によって伊丹に移築されるが、慶長の頃に現地に池田知正によって中興された。元禄7年(1694)に
本堂などを再建、子院も招致し江戸時代中期には繁栄し、傘下の子院を40余り設けたという。
境内には3つの子院があったが今は子院の1つであった陽春寺のみ残っている。


 大阪府 池田城主の菩提寺
*池田市の神社仏閣 塩増山 大広寺

曹洞宗 大広寺本殿
室町時代の連歌師牡丹花肖柏の隠棲地
大広寺境内に阪急創始者の小林一三の墓や、連歌師牡丹花肖柏の墓碑や、儒学者田中桐江の墓碑がある。


堺市臨済宗南宗寺にて(1月) 連歌師牡丹花肖柏の墓
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曹洞宗
池田市 曹洞宗
元大広寺子院 陽春寺

現存する元大広寺の子院の一つ。第2次世界大戦で消失したが再建された

大阪府池田市 五月山 元大広寺塔頭 陽春寺

曹洞宗 陽春寺 山門


黄檗宗
池田市 黄檗宗
佛日寺

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麻田藩主の菩提寺
黄檗宗大本山万福寺の末寺

佛日寺は黄檗宗大本山万福寺の末寺で、釈迦如来を本尊とする。像は明国范道生の作で大本山万福寺の本尊と同作。
本寺は摂津国麻田藩主の菩提寺である。端山紀年録によると、寛永7年(1630)麻田村東方天王山山麓に、本寺を建立し
松隣寺と号したが、承応3年(1654)現在地に移し、仏殿・禅堂・方丈・山門・鐘楼等を建立した。その後、万治2年(1659)
黄檗宗祖隠元禅師の来朝を機に隠元禅師を招来し、摩耶山佛日寺と命名した。寛文元年(1661)黄檗山三代目法嗣慧林禅師
を佛日寺第一代の住持とし、寺領200石を喜捨して麻田藩主の菩提所とした。当時境内2町6反3畝を有し、本堂の他に29堂宇
を存する巨刹であった。その後も、黄檗山五代目の住持高泉性敦禅師、萩の東光寺住持慧極道明禅師等の名僧が
相い尋ねて住持となり寺門隆昌を極め北摂の一大禅刹となった。


大阪府池田市 佛日禅寺 山門
黄檗宗万福寺の末寺 織田、豊臣に仕えた太田牛一の墓がある


 
大阪府池田市 黄檗宗佛日禅寺 佛塔
旧麻田藩主青木家の菩提寺 釈迦如来を本尊とする



曹洞宗
池田市 曹洞宗
瑠璃光山東禅寺

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曹洞宗寺院として17世紀に建立された。境内奥より瑠璃色の光が降り注いだと伝えられ、瑠璃光山東禅寺という。
東光禅師が慶長九年(1605)豪族や庄屋等の協力で開山。池田市五月山の東山三十六峰を北に連なる東山町に位置する。
開祖から十代目の住職無学道禅が再建した薬師堂では灸治療の場として親しまれ、その技術は弟子たちにも伝承された。
現在、御本尊の釈迦如来座像をはじめ元瑠璃光山紫雲寺にあった薬師如来座像、四天王像、十二神将像、木像観音立像、
木像天部之像があり、平成16年には池田市の指定文化財に、平成22年に天部立像2躯(平安時代)が大阪府指定
有形文化財彫第71号に登録された。人々を病苦から救う薬師如来様は手に薬壷を抱いている。

池田市 曹洞宗瑠璃光山東禅寺  

池田市東山にて(4月) 曹洞宗瑠璃光山東禅寺


浄土真
池田市 浄土真宗本願寺派
成徳山正智寺

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戦前、大阪空港の拡張整備で池田市に移転した
新田義貞の家人山岸太郎左衛門尉正智が創建した寺院

南北朝時代の康永2年(1343)、新田義貞の家人山岸太郎左衛門尉正智は、神戸の湊川の合戦に敗れての途中、
摂州轟木村付近(現在池田市住吉町)で存覚上人に会い帰依し、法名釋覚雲をいただき、存覚上人の洛陽常楽寺
末寺として、成徳山正智寺を建立した。その後、後陽成天皇第8王子の華頂冨良純親王の御生母、源具子姫が17年間
当寺に住まれて逝去され、寺にその墳墓があった。良純親王の御生母は本願寺第11代顕如上人の御裏方様の妹君で、
常楽寺との関係から正智寺への御隠棲となったもの。寺には良純親王御生母の調度品、粟田焼の燭台と、良純親王
自筆の軸が一幅が残っている。昭和12年楠木悠水氏が、この遺蹟を兵庫県史蹟として顕彰し、墓所の標識を建設
した。その後、空港整備による寺の移転とともに親王御生母墳墓も一緒に現在地に移された。(ネット
要約)

阪府池田市 正智寺山門

良純親王御生母の墓標
ネットより転載)


豊中
豊中市走井
浄行寺

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お染久松心中事件の久松の生家
楠木正成に連なる豊中市の寺院

『大阪史蹟辞典』の「お染久松心中」の頁に、「新版歌祭文」など、お染久松を題材にした歌舞伎・浄瑠璃
などが紹介され、お染の生家「油屋太兵衛店」跡地や、久松の生家である豊中走井浄行寺(現存)の記載があり、
浄行寺の過去帳には久松の名があるらしい。『大東市史』には野崎観音に関し「野崎参りとお染久松」「野崎小唄」
や「新版歌祭文」とお染久松の実話についての記載があるという。二人の墓は羽曳野市の野中寺にある。(参考)



豊中市走井浄行寺 写真はネットより


観音寺
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 服部緑地都市緑化植物園前 観音寺にて(4月) 


豊中
枚方市 真言宗御室派
多慶山萬法蔵院明尾寺
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當麻寺と同じ中将姫伝説をもつ。
元當麻寺と言われ、奈良當麻寺の元となった寺。

用明天皇の時、高麗の沙門徳胤が本尊十一面観音を聖徳太子に贈り、太子の弟麻呂子がこれを本尊として
当山を開創したと伝わる。後に弘法大師が留錫して真言宗になった。1801年(享和元年)の「河内名所図会」には
当山は中将姫の開基であり、元当麻と呼ばれたとある。奈良県葛城市にある當麻寺は、元は河内の交野郡山田郷に建てた
当山万宝宝蔵院に始まる。681年(天武10年)に麻呂子の孫にあたる當麻国見が大和国・當麻の地に、奈良の豪族當麻氏の
氏寺として整備した。當麻寺には中将姫に関わる伝説があり、この明尾寺の縁起と相通ずる。1441年(嘉吉元年)の
「興福寺官務牒疏」には奈良興福寺の支配下にあったことも記されている。南北朝時代、当地を支配していた中原氏が
津田党や獅子窟寺の衆徒、交野郷士らと共に津田城で楠木正儀を助けた。大坂夏の陣の兵火で諸堂宇は焼失、
復興された堂宇も1936年室戸台風で倒壊。1962年に小伽藍、1962年に大悲殿、霊名殿、諸仏像などが落慶。

 
枚方市山田池にて(6月) 真言宗多慶山萬法蔵院明尾寺(あけおてら) クリックで拡大

 
枚方市山田池にて(6月) 多慶山萬法蔵院明尾寺 クリックで拡大

 
枚方市山田池にて(6月) 多慶山萬法蔵院明尾寺 クリックで拡大



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