[仏 閣] 中項目・目次            HPのトップへ
 1.滋賀・和歌山 2.中国・四国 3.中部・北陸・東日本 4.京都 5.奈良 6.大阪 7.兵庫

5.奈良 5.1 奈良その1 秋篠寺 西大寺 新薬師寺 不空院 法華寺 海竜王寺 般若寺 矢田寺 慈光院 霊山寺 
長弓寺 宝山寺 信貴山 薬師寺 唐招提寺 東大寺 興福寺 九品寺 法隆寺 中宮寺  
  5.2 奈良その2  


5.1 奈良その1

秋篠寺
奈良市 単立寺院
秋篠寺

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皇室の秋篠宮の地名に相応しい
美しい苔と珍しい伎芸天立像のある古刹
当地の土師部 秋篠氏の氏寺由来説もある

秋篠寺は皇室ゆかりの勅願寺であり、開基は法相宗の僧善珠。宗派はもと法相宗と真言宗を兼学し、一時、
浄土宗に属したが、現在は単立である。国宝の本堂には日光、月光菩薩を伴った本尊薬師如来(重文)、技能、
芸術関係者の信仰を集めている伎芸天立像(重文)、帝釈天立像、十二神将像などが安置されている。南の西大寺と
寺領をめぐる争いがあったほど大きな寺院であった。この付近は陶土と良水に恵まれ、古代から、秋篠氏
土師部(はじべ)として栄えたという。現在も寺の西南に秋篠窯があり、陶芸家の今西方哉氏が
翠篁釉(すいこうゆう)を施した美しい焼き物を焼いておられる。



奈良市秋篠にて(3月) 単立寺院秋篠寺 南門(正門) 秋篠寺動画YouTube


奈良市にて(3月) 単立寺院秋篠寺本堂(国宝) 本尊は薬師如来(重文)と日光菩薩 月光菩薩
堂内に伎芸天立像(重文) 愛染明王、帝釈天、不動明王、十二神将、地蔵菩薩、五大力菩薩像を安置

  
秋篠寺にて(3月) 伎芸天立像(ネットより転載) 写真右は本尊薬師如来(元資料

 
奈良市秋篠にて(3月) 単立寺院秋篠寺 鐘楼   写真右は苔の美しい境内  秋篠寺参照


奈良市秋篠にて(3月) 単立寺院秋篠寺 境内(本堂西)   


奈良市秋篠にて(3月) 単立寺院秋篠寺 鐘楼(本堂東)


奈良市秋篠にて(3月) 単立寺院秋篠寺 東門

 
奈良市秋篠にて(3月) 単立寺院秋篠寺 苔の美しい参道 アセビが満開 右写真は東門より西向きの参道


奈良市秋篠にて(3月) 単立寺院秋篠寺 南門よりきた方面参道


 
奈良市秋篠にて(3月) 単立寺院秋篠寺 本堂(国宝)

 
奈良市秋篠にて(3月) 単立寺院秋篠寺 本堂前 写真右は寺務所より金堂跡方面の参道



奈良市秋篠にて(3月) 単立寺院秋篠寺 本堂(国宝)

 
奈良市秋篠にて(3月) 単立寺院秋篠寺 金堂跡 

 
奈良市秋篠にて(3月) 単立寺院秋篠寺 大元堂  毎年6月6日に開扉される。
写真右は秘仏として安置される蛇を纏う大元帥明王(元資料)(重文)


 
奈良市秋篠にて(3月) 単立寺院秋篠寺 大元堂(左右の提灯に塩川正十郎の名があった) 写真右は十三層石塔クリック拡大
軍隊の長の名称元帥は大元帥明王から取られたとの説もある。

 
奈良市秋篠にて(3月) 単立寺院秋篠寺 別院(東門を入ると右にあり)

 
奈良市秋篠にて(3月) 単立寺院秋篠寺 寺務所  写真右は境内(寺務所前)

 
奈良市秋篠にて(3月) 単立寺院秋篠寺 開山堂  写真右は霊堂

 
奈良市秋篠にて(3月) 単立寺院秋篠寺 香水閣(僧常暁が閼伽井の水面に映る大元帥明王像を感得) 右は南門方面への参道

 
奈良市秋篠にて(3月) 単立寺院秋篠寺 参道(寺務所、金堂跡方面) 写真右は先達碑
大峰山三十三度石碑。 先達の登山回数で登山七回で小先達、十回で中先達、十一回以上で
先達、三十三回登山すれば大先達の免許状が大峰行者協会の山上講から授与。


奈良市秋篠にて(3月) 秋篠寺内十三社 
クリック拡大

 
奈良市秋篠にて(3月) 単立寺院秋篠寺 忠魂碑(石碑の前に弾頭) 右写真は萬霊供養塔
クリック拡大

  
秋篠寺にて(3月) 会津八一の歌碑 秋篠の御寺を出ててかへり見る生駒が岳に日は落ちむとす秋篠寺参照
 川田順の歌碑 
諸々のみ仏の中の伎芸天何のえにしぞ吾を見たまふ」写真クリックで文字部拡大


奈良市秋篠にて(3月) 八所御霊神社(秋篠寺の鎮守) 写真クリックで由来駒札

 
奈良市秋篠にて(3月) 境内図と秋篠寺関連和歌及び俳句(寺院パンフレットより) クリックで拡大


西大寺
真言律宗総本山
西大寺

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東大寺に対する西の壮大な官大寺
大和十三佛第二番霊場
奈良時代の天平宝字8年(764)に女帝称徳天皇藤原仲麻呂の乱に際し鎮護国家と平和祈願
の為、7尺の金銅四天王像の造立を発願され建立された。境域は東西11町、南北7町、面積31町
(約48ha)に及び、薬師、弥勒の両金堂、東西両塔、四王堂院、十一面堂院など、百十数の 堂舎
甍を並べ、東大寺に対する西の官大寺であった。その後平安時代に再三の災害に遭い鎌倉時代、
興正叡尊上人が中興し、新たに密・律兼修の根本道場として伽藍を整備した。興正菩薩は鎌倉
時代の南都四律匠の一人で、戒律の教えを最も尊重した。西大寺は真言律宗の総本山として
叡尊上人以来の法燈を伝え、寺宝や宗教行事によくその寺格と由緒を偲ぶことができる

 
奈良市西大寺にて(1月) 真言律宗総本山西大寺南門 境内図

 
奈良市西大寺にて(1月) 真言律宗総本山西大寺参道(南北)

 
奈良市西大寺にて(1月) 真言律宗総本山西大寺参道(東西)


奈良市西大寺にて(1月) 真言律宗総本山西大寺本堂
釈迦如来立像(重文)文殊菩薩騎獅像(重文)四侍者像(重文)弥勒菩薩坐像

 
奈良市西大寺にて(1月) 真言律宗総本山西大寺 東塔跡

 
奈良市西大寺にて(1月)  真言律宗総本山西大寺手水舎、鐘楼舎


奈良市西大寺にて(1月) 真言律宗総本山西大寺 愛染堂
秘仏愛染明王坐像(重文)興正菩薩寿像(重文)

奈良市西大寺にて(1月) 真言律宗総本山西大寺光明殿

奈良市西大寺愛染堂にて(1月)
大茶碗(直径40cm)
大茶盛には直径30cm程度のものを
使用
して光明殿で行われる

奈良市西大寺にて(1月) 四王金堂四王院 
西大寺創設の端緒の四天王立像(重文)
(金銅四天王邪鬼)が安置され、中央に十一面観音立像(重文;高さ5m余りの大観音像
で、11mの長谷寺式の形相、京都岡崎の廃寺法勝寺より移設された)

 
奈良市西大寺にて(1月) 真言律宗総本山西大寺本坊


奈良市西大寺にて(1月) 東門

奈良市西大寺にて(1月) 大師堂

奈良市西大寺にて(1月) 不動明王

奈良市西大寺にて(1月) 愛染堂 クリック拡大

 
奈良市真言律宗総本山西大寺にて(1月) 塔頭 増長院、華蔵院

 
奈良市真言律宗総本山西大寺にて(1月) 聚宝館


西大寺にて(1月) 清滝権現社 クリックで説明板

奈良市西大寺にて(1月) 大黒天

 
西大寺清滝権現社、百萬古柳の説明板 クリックで拡大

 
四王院の正面の池に古柳がある。 昔、念仏会の時にこの柳の辺りで、百萬という名の女曲舞の子供が行方不明になるが、後日、
嵯峨清涼寺大念仏会で再開できたという謡曲。その子供が嵯峨清涼寺住職となった名僧「十遍上人」だという。清涼寺のページへ


 
奈良市真言律宗総本山西大寺にて(1月)

  
奈良市西大寺にて(1月) 西大寺鎮守社石落神社 説明板はクリックで拡大


奈良市西大寺にて(1月)句碑
多佳子没後「七曜」継承主宰)堀内薫<生年不詳>
牡丹雪水に映りて水に入る

奈良市西大寺にて(1月) 橋本多佳子<1899〜1963>
いなびかり北よりすれば北を見る
六甲麻耶山 天上寺にも多佳子の句碑あり

奈良市西大寺にて(1月)
阿甫<生年不詳>

ふるさとの霞に佛こころかな

奈良市西大寺にて(1月)
河鹿主宰 磯野充伯<生年不詳>
大茶会一口めして皆なごむ

奈良市西大寺にて(1月)
桂 樟蹊子<1909〜1993>
菩提樹の葉かげ行くべし大茶盛

奈良市西大寺にて(1月)
七曜俳句会 磯野莞人<生年不詳>
塚の虫茶葉人となりてうく

   
奈良市西大寺にて(1月) 閲覧券、境内図 クリックで拡大


新薬師
華厳宗
新薬師寺

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聖武天皇の病気平癒を祈願して光明皇后が建立
大和十三佛第七番霊場
新薬師寺は東大寺と同じ華厳宗の寺院である。本尊は薬師如来この寺は光明皇后聖武天皇
の病気平癒を祈願して建立し、別名を香薬寺と言い、奈良時代には南都十大寺の1つに数えられた。
国宝の本堂や薬師如来、十二神将像の他、鐘楼、南門、東門のほか多くの文化財を伝えている。
薬師如来の光背はギリシャ建築の装飾模様に使われるアカンサスの葉である。



奈良市新薬師寺にて(9月) 本堂(国宝) 薬師如来(国宝) 十二神将(国宝)


奈良市
新薬師寺にて(9月)
十二神将(国宝)
の一つ
バザラ大将(国宝)
材質は粘土

十二神将は
薬師如来(国宝)を
周りに円陣を組んで
守護している

十二神将は
7000の兵隊を
統率する

写真は
新薬師寺の栞より

写真クリックで拡大

奈良市新薬師寺にて(9月)
新薬師寺の旧境内の遺跡が
奈良教育大学の構内で発見され
発掘された。元の新薬師寺は
東大寺に次ぐ大きな建築で
あったと云う。
掲示板の写真クリックで拡大

奈良市新薬師寺にて(9月) 東門(重文)

奈良市新薬師寺にて(9月) 鐘楼(重文)


奈良市新薬師寺にて(9月) 南門(重文)


奈良市新薬師寺にて(9月) 境内

新薬師寺にて(9月) 香薬師堂 織田有楽斎の庭

奈良市新薬師寺にて(9月) 観音堂(地蔵堂)(重文)

奈良市新薬師寺にて(9月) 

奈良市新薬師寺にて(9月) 

月甫
神将立つ
内陣涼し 薬巌窟


奈良市新薬師寺にて(9月) 歌碑
秋艸道人 会津八一<1881〜1956>
 
ちかづきて あふぎみれどもみほとけの
みそらはすとも あらぬさびしさ

写真クリックで歌碑拡大


不空院
真言律宗
不空院

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鑑真の住坊跡に建立された寺院
芸妓の
かけこみ寺
鎌倉時代には叡尊、円晴、覚盛、有厳が当院で戒律を講じた由緒ある
古刹。近世は本堂に弁才天が安置されて、また院号が転じて福院とも呼ばれ、
かけこみ寺」として奈良町の芸妓達の信仰を集めた。



奈良市にて(9月) 真言律宗春日山不空院(福井の大師) 不空羂索観音


奈良市にて(9月) 真言律宗不空院 不空羂索観音



法華寺
光明宗
法華滅罪之寺(法華寺)

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総国分尼寺の寺格のある寺院
法華寺光明皇后ゆかりの門跡尼寺であり、法華滅罪之寺
という。東大寺が全国の総国分寺で、法華寺は総国分尼寺。もと藤原不比等の
邸宅が、光明皇后の皇后宮となり天平17年(745年)に法華寺となった。


奈良市にて(9月) 法華滅罪之寺(法華寺門跡) 南大門(重文) 境内図


奈良市法華寺にて(9月) 鐘楼(重文)

奈良市法華寺にて(9月) 客殿への中門


奈良市にて(9月) 法華滅罪之寺(法華寺門跡) 本堂(重要文化財)
国宝十一面観音菩薩立像は厨子にあり、普段は白檀の十一面観音像が拝める


奈良市法華寺にて(9月) 鐘楼と本堂

奈良市法華寺にて(9月) 護摩堂と本堂


奈良市にて(9月) 法華滅罪之寺(法華寺門跡) 赤門


奈良市法華寺にて(9月) 護摩堂

奈良市法華寺にて(9月) からぶろ 
クリックで説明板

奈良市法華寺にて(9月) 稲荷神社

奈良市法華寺にて(9月) 護摩堂

奈良市法華寺にて(9月) 華楽園入口

奈良市法華寺にて(9月) 薬師堂

 
奈良市法華寺にて(9月) 光月亭


奈良市法華寺にて(9月) 横笛堂
高山樗牛の「滝口入道」で知られる
悲恋物語のヒロイン・横笛が尼となった後に
住んだとされる建物。

横笛が手紙の反故(ほご)で自らの姿を
作ったという伝承のある張り子の横笛像
(高さ約30センチメートル)がこのお堂に
安置されていた。(現在は本堂にある)。

奈良市法華寺門跡にて(9月) 法華寺の歌碑
(写真上) 山部赤人<生年不詳〜736>

いにしえの 古き堤は年深み
池のなぎさに 水草生ひにけり」


(写真左) 会津八一<1881〜1956>
ふぢわらの おほき きさきを
うつしみに あひみるごとく
あかき くちびる

(藤原の大き后をうつしみに相見るごとく赤き唇)


海竜王
真言律宗
海竜王寺

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渡航・航海の安全祈願の寺
飛鳥時代に毘沙門天を本尊として建立。天平3年(731)に光明皇后により海龍王寺
として改めて創建された。嵐の中、唐より無事に帰国した玄ムが初代住持となったことから
遣唐使の航海安全祈願と平城京内道場として、玄ムが唐より持ち帰った経典の写経も盛んに
行われた。平安時代には衰退したが、鎌倉時代に真言律宗を開いた興正菩薩叡尊
により伽藍の大修理を受け、戒律の道場や勉学所として栄えた。


奈良市真言律宗海竜王寺にて(9月) 山門 境内図


 
奈良市真言律宗海竜王寺にて(9月) 中門と参道



奈良市真言律宗海竜王寺にて(9月) 本堂 
十一面観音立像(重文)


海竜王寺にて(9月) 五重小塔(国宝)
(寺院パンフレットより転載)

奈良市海竜王寺にて(9月) 五重小塔(国宝)
(X線による塔内部調査中)



奈良市真言律宗海竜王寺にて(9月) 生木地蔵


奈良市真言律宗海竜王寺にて(9月) 西金堂(重文) 五重小塔(国宝)を納めている

 
奈良市真言律宗海竜王寺にて(9月) 一切経蔵(重文)  右はお堂


般若寺
真言律宗
法性山般若寺
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コスモス寺として知られる西大寺の末寺
後醍醐天皇が隠岐に流される前、逃れてきた寺院

般若寺は東大寺大仏殿や正倉院の北方、奈良坂にある真言律宗の寺院で、本尊は文殊菩薩。コスモス寺
の名で知られる。般若寺門前の道は京街道と呼ばれ、大和と山城を結ぶ、古代以来の重要な道であった。
荒廃した般若寺は僧観良に続いて西大寺の僧・真言律宗の宗祖叡尊によって中興され、本尊や伽藍の復興がなった。
叡尊は仏教における戒律の復興に努め、貧者・病者救済など社会事業も行った。般若寺の近くに叡尊による病者
救済施設「北山十八間戸」(国の史跡)がある。日本最古のハンセン病患者の収容施設であった。

 
奈良市法性山真言律宗般若寺にて(10月) 楼門正面(国宝) クリックで拡大

 
奈良市法性山真言律宗般若寺にて(10月) 楼門(国宝)と十三重石宝塔(重文) クリックで拡大
右の十三重石宝塔は宋の時代に中国から渡来した石工伊行末(いぎょうまつ)が建長5年(1253)頃に建立した。

  
奈良市法性山真言律宗般若寺にて(10月) 楼門(国宝)と
説明板 クリックで拡大


奈良市法性山真言律宗般若寺にて(10月) 本堂(奈良県指定文化財) クリックで拡大

 
奈良市法性山真言律宗般若寺にて(10月) コスモスの本堂と十三重石宝塔(重文) クリックで拡大

 
奈良市法性山真言律宗般若寺にて(10月) コスモスの鐘楼と本堂 クリックで拡大

   
奈良市法性山真言律宗般若寺にて(10月) 左から子規の句碑 鐘楼 鐘楼説明板 クリックで拡大
句碑はこのほか14句 歌碑は3首 ご詠歌1首の合計19の碑がある。 句碑、歌碑のページへ


奈良市法性山真言律宗般若寺にて(10月) 般若寺宝蔵堂 クリックで拡大

  
奈良市若寺宝蔵堂にて(10月) 左は阿弥陀如来(重文 高さ約41cm) 写真は寺院発行案内書より転載 クリックで拡大
右は胎内仏三尊(重文 左から地蔵菩薩 高さ約10cm 大日如来 高さ約5cm 十一面観世音菩薩 高さ約12cm)

  
奈良市法性山真言律宗般若寺にて(10月) 薬師礼拝堂 クリックで拡大

  
奈良市法性山真言律宗般若寺にて(10月) 後醍醐天皇・南朝ゆかりの寺標 右端は大塔宮護良親王供養塔 クリックで拡大
護良親王は後醍醐天皇の皇子で大塔宮と称し、比叡山延暦寺に入り、天台座主を務めた。親王は笠置山の
後醍醐天皇を助け、楠木正成の赤坂城へ、般若寺へと移動したが後醍醐天皇は捕らえられ隠岐の島へ流された。

 
奈良市法性山真言律宗般若寺にて(10月) 笠塔婆(重文) 
クリックで拡大 これは、鎌倉時代中期の宋人石工
伊行吉(いぎょうきち)が般若寺の十三重石塔を製作した父伊行末(いぎょうまつ)の一周忌に当たり、その追善と
母の供養のために建立した。 能の謡曲「笠卒塔婆」はこれを題材にしたもので、当時は平重衡の墓と見られていた。


 
奈良市法性山真言律宗般若寺にて(10月) 中興の祖観良の追慕塔と説明板 クリックで拡大 

 
奈良市般若寺にて(10月) 平清盛の五男・平 重衡(たいらのしげひら)
右は藤原頼長の供養塔 
クリックで拡大

 
奈良市法性山真言律宗般若寺にて(10月) 一切経蔵(重文) 
クリックで拡大 

  
奈良市法性山真言律宗般若寺にて(10月) 石仏左から阿弥陀如来 釈迦如来 薬師如来 クリックで拡大

 
奈良市般若寺にて(10月) 左本堂、十三重石宝塔、経堂の境内風景 右は般若寺型石灯篭 
クリックで拡大

  
奈良市法性山真言律宗般若寺にて(10月) 左は平和の塔 「まかばら石」と「かんまん石」 
クリックで説明文拡大 

  
奈良市法性山真言律宗般若寺にて(10月) 西国三十三所観音石仏 
クリックで拡大

  
奈良市法性山真言律宗般若寺にて(10月) 西国三十三所観音石仏 クリックで拡大

 
  
奈良市法性山真言律宗般若寺にて(10月) 三界万霊碑と右は水かけ地蔵尊 クリックで拡大


矢田寺
高野山真言宗
矢田山金剛山寺
(矢田寺)

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紫陽花寺として知られる花の寺
大和十三佛第五番霊場
1300年前、大海人皇子(天武天皇)が、壬申の乱の戦勝祈願のため矢田山に登り、
即位後、智通僧上に勅せられ、七堂伽欄
48カ所坊を造営された。(矢田寺HPより)


大和郡山市にて(6月) 高野山真言宗 矢田山 金剛山寺(矢田寺)山門


大和郡山市にて(6月) 矢田山 金剛山寺 参道

大和郡山市にて(6月) 矢田山 金剛山寺 参道


大和郡山市にて(6月) 矢田山 金剛山寺 参道


大和郡山市にて(6月) 矢田山 味噌なめ地蔵

大和郡山市にて(6月) 矢田山

矢田寺にて(6月) 大門坊 千仏堂 千体地蔵尊

大和郡山市矢田寺にて(6月) 本堂脇の僧像
釈迦の弟子「賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)」

大和郡山市にて(6月) 矢田山 聖天尊 大聖歓喜天

矢田寺にて(6月) 大門坊 千仏堂前庭

大和郡山市矢田寺にて(6月) 大門坊

矢田寺にて(6月) 大門坊の手水(沙羅の木の下)


大和郡山市にて(6月) 高野山真言宗 矢田山 金剛山寺(矢田寺)本堂


大和郡山市矢田寺にて(6月) 春日神社

大和郡山市矢田寺にて(6月)
焔魔堂(室町時代創建)

大和郡山市にて(6月) 矢田寺 境内

大和郡山市にて(6月) 矢田寺 境内

大和郡山市にて(6月) 矢田寺 参道

大和郡山市にて(6月) 矢田寺 水子像


 大和郡山市にて(2月) 高野山真言宗 矢田山 金剛山寺(矢田寺)本堂と庭園


大和郡山市にて(6月) 高野山真言宗 矢田山 金剛山寺(矢田寺)本堂と庭園


大和郡山市矢田寺にて(6月) 舎利堂

大和郡山市矢田寺にて(6月) 味噌なめ地蔵

大和郡山市矢田寺にて(2月) 鐘楼 地蔵と紫陽花の寺

大和郡山市にて(2月) 矢田山 金剛山寺(矢田寺)本堂

 
 大和郡山市矢田寺にて(2月) 南僧坊 右は(6月)の南僧坊

 
 大和郡山市矢田寺にて(2月) 南僧坊


 
大和郡山市矢田寺にて(6月) 北僧坊



大和郡山市にて(6月) 高野山真言宗 矢田山 金剛山寺


大和郡山市にて(6月) 矢田寺 大師堂

矢田寺にて(6月) 四国八十八霊場参詣道

 大和郡山市矢田寺にて(2月) 本堂手水舎 

大和郡山市矢田寺にて(6月) 本堂


矢田寺にて(6月) 奈良盆地を展望 奈良風景のページへ


 大和郡山市矢田寺にて(2月) 春日神社前の堂宇  

 大和郡山市矢田寺にて(2月) 念仏院 

 
 大和郡山市矢田寺にて(2月) 残雪の堂宇 


慈光院
臨済宗大覚寺派
円通山慈光院

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境内全体が茶席の美しい寺院
寛文3年(1663)片桐石見守貞昌(石州)が、父貞隆(慈光院)の菩提寺として
大徳寺185世玉舟和尚(大徹明應禅師)を開山に迎え建立した。境内全体が一つの茶席
として造られ、門や建物、道、座敷や庭園が、茶の湯で人を招くのに必要な場所ひと揃え
全部が、三百年を越えて眼にすることができる。 茶室・書院・手水鉢は重要文化財


大和郡山市にて(2月) 臨済宗大徳寺派 円通山慈光院 書院(重文)
石州流茶道の祖・小泉藩主片桐石見守貞昌(石州)が創建した。写真クリックで庭園解説

 
 大和郡山市にて(2月) 臨済宗大徳寺派 円通山慈光院 
庭園解説板(クリック拡大)と案内板 

 
 大和郡山市にて(2月) 慈光院 石畳の参道 一の門へ  右は慈光院の山門(一の門)

 
 大和郡山市にて(2月) 慈光院 参道 茨木城楼門へ  右は茨木城楼門


慈光院にて(2月)本堂(方丈)(S59年再建) 紅白一対の水戸の梅

 慈光院書院から方丈への渡りにある座所 

慈光院にて(2月) 本堂天井の龍(入江正巳画伯)

慈光院本堂 片桐石州 釈迦如来 開山玉舟和尚

 
大和郡山市にて(2月) 慈光院書院からの名勝庭園


  慈光院にて(2月) 方丈庭園 

  慈光院にて(2月) 玄関横の窓より茨城楼門 


 大和郡山市にて(2月) 臨済宗大徳寺派 円通山慈光院 書院(重文)から若草山、青垣山を展望 

  
慈光院にて(2月) 左から独坐の手水鉢(重文) 女(め)の字の手水鉢(重文) 角ばらずの手水鉢(重文) 
クリックで拡大


 
大和郡山市にて(2月) 慈光院 茶室(三畳)(重文) 

 
  慈光院にて(2月) 茶室(二畳台目)高林庵(重文)


霊山寺
真言宗大本山
登美山鼻高霊山寺

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大和十三佛第十番霊場
1300年前、小野富人(鼻高仙人)が薬師三尊を祀り薬草風呂で人々の病を治した。
その後736年に聖武天皇の命で行基が伽藍を建立し、インドの僧、菩提僊那が霊山寺と命名。
明治維新の廃仏毀釈により、伽藍の規模は半減、200体以上の仏像が焼却された。

 
 奈良市 登美山鼻高霊山寺にて(2月) 本堂(国宝) 境内図 右は霊山寺碑(クリック拡大


 奈良市 霊山寺にて(2月) 本堂(国宝) 

 登美山鼻高霊山寺 縁起説明板
 
クリックで拡大

奈良市 霊山寺にて(2月) 鐘楼(重文) 

 霊山寺にて(2月) 地蔵院 

 霊山寺にて(2月) 幸せを呼ぶ鐘 

 霊山寺にて(2月) 参道と赤い鳥居 
神仏習合の名残りとして、仏教寺院でも諸神を祀るところに鳥居が立てられているが、
霊山寺でも、約1190年ほど前に弘法大師が弁財天を祀られたことから朱色の鳥居がある。
鳥居は神聖な領域に入る門で、注連縄は雲、ぼんぼりは雨、御幣は稲妻を表し、
鳥居をくぐれば、心身ともに浄められるといわれている。



 霊山寺にて(2月) 庭園 

 霊山寺にて(2月) 参道 

霊山寺にて(2月) 八体仏霊場と聚楽殿 
クリックで拡大

 霊山寺にて(2月) 八体仏霊場説明
 
クリックで拡大

  霊山寺にて(2月) 弘法大師 開山大師堂

  霊山寺にて(2月) 行者堂 

 
 霊山寺にて(2月) 東光院


 霊山寺にて(2月) 本山寺務所 

 霊山寺にて(2月) 山門 

 霊山寺にて(2月) 弁天堂 

  霊山寺にて(2月) 弁天堂への参道  

 
 霊山寺にて(2月) 七福神 弁財天は金箔で堂内に安置されている


 霊山寺にて(2月) 心願成就の石塔 

 霊山寺にて(2月) 
開山行基菩薩
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三重塔(重文)霊山寺HPより転載
修理中(H23年2月現在)

 霊山寺にて(2月) 薬師湯説明 
クリックで拡大 

 
霊山寺にて(2月) 薬師湯殿 

 霊山寺にて(2月) 如意輪観音社 

 霊山寺にて(2月) 奥の院参道 

 霊山寺にて(2月) 薔薇庭園 

 霊山寺にて(2月) 七福神
 弁財天は金箔で堂内に安置されている
霊山寺薔薇庭園について
(1)薔薇庭園が本堂の東北にあり、鬼門に柊などトゲのある木を植える風習がある。
(2)薔薇はハマナスや中国の庚申バラが原種。万葉集にも荊(いばら)の歌がある。
(3)釈迦が薔薇がしおれていく様子に、世の無常を感じ出家されたといわれる。



長弓寺
真言律宗
真弓山長弓寺

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大和十三佛第九番霊場
聖武天皇の勅命で行基が開いた古刹

 豪族小野の真弓長弓(たけゆみ)と養子長麿が聖武天皇に従い狩猟をした時、一羽の怪鳥を追い、養子長麿が誤って父真弓を
殺めてしまった。天皇は悼く哀しみ、神亀5年(728)行基に命じて堂宇を建て十一面観音を祀り菩提を弔らわれた。桓武天皇の頃、
藤原良継が伽藍を中興し丈六の阿弥陀、釈迦、四天王を安置され、弘法大師もまたここで善女龍王を感得された。 後に、堀川天皇
伽藍を修復し大般若経六百巻を施入、世の平安を祈られた。安徳天皇のころ火災にあい、応仁の乱の山名宗全の落人による破壊、
織田信長の寺領没収、明治の廃仏毀釈によって寺運は衰退したが、昭和10年の大解体修理で復興した。


 
奈良県生駒市にて(3月) 真言律宗真弓山 長弓寺大門 寺院境内図

 
奈良県生駒市長弓寺にて(3月) 真言律宗真弓山 長弓寺 参道


奈良県生駒市にて(3月) 真言律宗 長弓寺本堂(国宝) 写真クリックで長弓寺説明板
弘安2年(1279)にこの本堂(国宝)が建立されたが蒙古来襲で寄進が進まず約60年間素屋根であった。


 
奈良県生駒市長弓寺にて(3月) 本堂(国宝)への参道 石段下左は亀池


奈良県生駒市長弓寺にて(3月) 大師堂

奈良県生駒市長弓寺にて(3月) 鐘楼 まゆみの鐘


奈良県生駒市にて(3月) 真言律宗真弓山 長弓寺本堂(国宝)

 
奈良県生駒市にて(3月) 真言律宗真弓山 長弓寺本堂(国宝)

 
奈良県生駒市長弓寺にて(3月) 境内

長弓寺塔頭薬師院

奈良県生駒市にて(3月) 真言律宗真弓山長弓寺 塔頭薬師院

 
奈良県生駒市にて(3月) 真言律宗真弓山長弓寺 塔頭薬師院山門と右は院内
庭園


奈良県生駒市長弓寺にて(3月) 塔頭薬師院

長弓寺塔頭円生院


奈良県生駒市にて(3月) 真言律宗真弓山長弓寺 塔頭円生院参道

 
奈良県生駒市にて(3月) 真言律宗真弓山長弓寺 塔頭円生院


奈良県生駒市にて(3月) 真言律宗真弓山長弓寺 塔頭円生院庭園

長弓寺塔頭法華院


奈良県生駒市にて(3月) 真言律宗真弓山長弓寺 塔頭法華院

 
奈良県生駒市にて(3月) 真言律宗真弓山長弓寺 塔頭法華院庭園

 
奈良県生駒市にて(3月) 真言律宗真弓山長弓寺 塔頭法華院庭園

長弓寺塔頭宝光院地蔵堂


奈良県生駒市にて(3月) 真言律宗真弓山長弓寺 塔頭宝光院 地蔵堂

 
奈良県生駒市にて(3月) 真言律宗真弓山長弓寺 塔頭宝光院 地蔵堂と扁額

伊弉諾神社(イザナギ神社)牛頭天王宮
聖武天皇の勅命により開山行基が長弓寺の鎮守として祀った神社


 
奈良県生駒市長弓寺にて(3月) 伊弉諾神社(イザナギ神社)牛頭天王宮


奈良県生駒市長弓寺にて(3月) 伊弉諾神社・牛頭天王宮


寳山寺
真言律宗
生駒山寳山寺

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大和十三佛第一番霊場


 生駒市にて(12月) 寳山寺 大鳥居 写真クリックで鳥居内側へ


 生駒市にて(12月) 寳山寺 獅子閣(重文) 
 獅子閣は祈願受付所の屋根越しの建物 

 生駒市にて(12月) 寳山寺 金剛殿 
 駐車場前 交通安全祈願所

生駒市にて(12月) 寳山寺庫裏
紅白幕の上に新年用の注連縄(12月15日に架け替)

生駒市にて(12月) 寳山寺 惣門
 寺全体が坂で連なっている

 生駒市にて(12月) 寳山寺 多宝塔 

 生駒市にて(12月) 寳山寺 水屋 


奈良県生駒市にて(12月) 寳山寺 本堂  

 
 生駒市にて(12月) 寳山寺 聖天堂拝殿本堂 右は苔むす石垣



 生駒市にて(12月) 寳山寺 拝殿前鳥居 

 生駒市にて(12月) 寳山寺 聖天堂拝殿 

 
 寳山寺にて(12月) 多宝塔
  右は朝日宝塔


 生駒市にて(12月) 寳山寺 鐘楼 

 生駒市にて(12月) 寳山寺 中門 

 生駒市にて(12月) 寳山寺 文殊堂 

 生駒市にて(12月) 寳山寺 奥の門 

 生駒市にて(12月) 寳山寺 弘法大師像

 生駒市にて(12月) 寳山寺 大師堂 


 生駒市にて(12月) 寳山寺より奈良市方面を展望 


 生駒市にて(12月) 寳山寺 観音堂 

 生駒市にて(12月) 寳山寺 遥拝所 

生駒市にて(12月) 寳山寺般若窟阿弥陀菩薩

 生駒市にて(12月) 寳山寺 般若窟 

 生駒市にて(12月) 寳山寺 七福神 

 生駒市にて(12月) 寳山寺六地蔵 

 生駒市にて(12月) 寳山寺境内の樹林 

 生駒市にて(12月) 寳山寺不動尊 

 
 生駒市にて(12月) 寳山寺 五社明神       大鳥居(内側 写真クリックで拡大


生駒市にて(12月) 寳山寺へはケーブルカー「宝山寺」駅下車
写真は宝山寺の次のケーブル駅「梅屋敷」駅



孫子寺
信貴山真言宗総本山
信貴山朝護孫子寺
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聖徳太子が戦勝祈願し開創した古刹
塔頭玉蔵院は大和十三佛第十一番霊場

信貴山の虎と朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)の由来(説明板、信貴山HPより)
1400余年前、聖徳太子は物部氏を討つため、この山で戦勝祈願すると毘沙門天王が
現われ、必勝秘法を授かり勝利した。その日は寅年、寅日、寅の刻であった。太子は
天王の尊像を刻み伽藍を創建、信ずべし貴ぶべき「信貴山」と名付けた。以来、信貴山
毘沙門天王は寅に縁のある神として信仰される。醍醐天皇の御病気平癒のため、
命蓮上人が毘沙門天王に祈願をしたところ、たちまち癒え、天皇、朝廟安穏・
守護国土・子孫長久の祈願所として「朝護孫子寺」の勅号を賜った。


 奈良県平群町にて(9月)信貴山朝護孫子寺 
張子の虎からの本堂  

 奈良県平群町にて(9月)信貴山朝護孫子寺
 張子の虎 「大福寅」 阪神ファン必見

 奈良県平群町にて(9月)信貴山朝護孫子寺 本堂 

奈良県にて(9月)信貴山朝護孫子寺 仁王門 扁額は「信貴山」

奈良県平群町にて(9月)信貴山朝護孫子寺
本堂の「百足扁額」 むかでは昆沙門天王のお使い

奈良県平群町にて(9月)信貴山朝護孫子寺 本坊
 朝護孫子寺境内案内図

 奈良県平群町にて(9月)
信貴山朝護孫子寺 
 成福院(じょうふくいん) 

 奈良県平群町にて(9月)
信貴山朝護孫子寺
 十三塔

 奈良県平群町にて(9月)信貴山朝護孫子寺 
塔頭玉蔵院(ぎょくぞういん)「三重塔と日本一大地蔵尊」

 奈良県平群町にて(9月)信貴山朝護孫子寺 
塔頭千手院護摩堂 
信貴山の塔頭は玉蔵院、三千院、成福院、玉蔵院は大和十三佛 第十一番霊場である。


 奈良県平群町にて(9月)信貴山朝護孫子寺 張子の虎

 奈良県平群町にて(9月)信貴山朝護孫子寺 赤門 

奈良県平群町にて(9月)信貴山朝護孫子寺 開山堂

奈良県平群町にて(9月)信貴山朝護孫子寺 三宝荒神堂

 奈良県平群町にて(9月)信貴山朝護孫子寺 
 経蔵堂 

奈良県平群町にて(9月)信貴山朝護孫子寺 御神木
 樹齢1500年の榧(かや)の木 イチイ科 カヤ属 

 奈良県平群町にて(9月)信貴山朝護孫子寺 
 かやの木稲荷 

 奈良県平群町にて(9月)信貴山朝護孫子寺 
 千手院銭亀堂 

 奈良県平群町にて(9月)信貴山朝護孫子寺 
 白虎 

 奈良県平群町にて(9月)信貴山朝護孫子寺
 銅の鳥居  


薬師
世界遺産 法相宗大本山
薬師寺
奈良市西ノ京
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玄奘三蔵を始祖とする法相宗寺院
法相宗(ほっそうしゅう)大本山薬師寺天武天皇により発願(680)され、持統天皇により
本尊開眼(697)、文武天皇の御代に飛鳥で堂宇が完成。飛鳥の地では伽藍はないが、本薬師寺跡
として史跡として保存されている。後に平城遷都(710)に伴い(718)現在地に移築された。
法相宗の 始祖は西遊記で馴染みの玄奘三蔵法師である。(薬師寺HPより)


 奈良市西ノ京薬師寺にて(5月) 世界遺産碑 

 奈良市西ノ京薬師寺にて(5月) 與楽門

 奈良市西ノ京薬師寺にて(5月) 南門と西塔 

 奈良市西ノ京薬師寺にて(5月) 南門と東塔

薬師寺金堂薬師三尊像(国宝)
 (薬師寺HPより)

 奈良市西ノ京薬師寺にて(5月) 大講堂の仏様 
弥勒三尊像(重文)

 奈良市西ノ京薬師寺にて(5月) 金堂 
薬師三尊像  
上の金堂写真クリックで薬師三尊像へ 

 奈良市西ノ京薬師寺にて(5月)
大講堂 

 奈良市西ノ京薬師寺にて(5月) 
中門と西塔

 奈良市西ノ京薬師寺にて(5月) 
中門と東塔(国宝) 

 奈良市西ノ京薬師寺にて(5月) 東院堂 (国宝) 

 奈良市西ノ京薬師寺にて(5月) 玄奘三蔵院

 奈良市西ノ京薬師寺にて(5月) 玄奘塔 

 奈良市西ノ京薬師寺にて(5月) 金堂と大講堂


奈良市西ノ京薬師寺東塔(国宝)
修復前拝観パンフより 
クリック拡大

 
奈良県橿原市にて(12月) 本薬師寺跡
 
写真クリックで説明版


唐招提
世界遺産 律宗総本山
唐招提寺
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唐の鑑真和上の道場であった
唐招提寺律宗の総本山。苦難の末、来日された鑑真大和上は東大寺で5年を過ごし、
新田部親王の旧宅地(奈良市五条町)を下賜され、天平宝字3年(759)に道場を開いた。
鑑真和上の「唐律招提」は当初、講堂と親王旧宅を改造した経蔵、宝蔵のみであったが、後に
奈良時代に、鑑真和上の弟子如宝の尽力により金堂が完成した。(唐招提寺HPより)


 奈良市西ノ京唐招提寺にて(5月) 

 奈良市西ノ京唐招提寺にて(5月) 南大門 

 
 奈良市西ノ京唐招提寺にて(5月)  金堂(国宝)



 奈良市西ノ京唐招提寺にて(5月)国宝「唐招提寺鼓楼」 
礼堂(鼓楼の向こう側) 

 奈良市西ノ京唐招提寺にて(5月) 
  

 奈良市西ノ京唐招提寺にて(5月) 鐘楼 

 奈良市西ノ京唐招提寺にて(5月) 宝蔵 

 奈良市西ノ京唐招提寺にて(5月) 戒壇  

 奈良市西ノ京唐招提寺にて(5月) 講堂と金堂 境内図


東大寺
世界遺産 華厳宗大本山
東大寺
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世界最大の青銅の盧舎那大仏の寺院
聖武天皇
河内国知識寺を参拝してのち天平15年(743)に盧舎那大仏建立の勅願を
発令し、天平勝宝4年(
752行基の力で大仏殿が完成。以降次々と堂塔が建築され40年近く
かかって寺観が整った。長岡遷都後も歴代天皇の保護を受け、興福寺とともに栄華を誇った。
治承4年(
1180)平重衡により大仏殿と伽藍の大半を焼失し、重源上人によって再興。
永禄
10年(1567)再度焼失。現在の伽藍の多くは江戸時代の再興のもの。

 
奈良県奈良公園にて(10月) 世界遺産 華厳宗東大寺大仏殿(国宝)
世界最大の木造建築物
東大寺境内図 クリックで拡大

 
 奈良県奈良公園にて(10月) 華厳宗東大寺 大仏殿(国宝) 右は大仏殿脇の賓頭盧尊者 クリックで拡大 

  
奈良県奈良公園にて(10月) 奈良公園マップ
華厳宗大本山東大寺の碑(右)と南大門(中央奥)

  
奈良県奈良公園にて(11月) 東大寺 大仏殿の大仏 両脇侍神(広目天と多聞天) クリックで拡大 

 
奈良県奈良公園にて(11月) 東大寺 大仏殿の大仏 大仏殿 クリックで拡大 

 
奈良県奈良公園東大寺大仏殿前にて(10月) 金銅八角燈籠(国宝) クリックで拡大

  
奈良県奈良公園東大寺大仏殿前にて(10月) 金銅八角燈籠(国宝) 



奈良県奈良公園にて(11月) 東大寺 中門 クリックで拡大 

 
奈良県奈良公園にて(10月) 東大寺 中門


奈良県奈良公園にて(10月) 東大寺 世界遺産の碑

奈良県奈良公園にて(10月) 東大寺 鐘楼

 
 奈良県奈良公園にて(10月) 東大寺南大門(国宝) と扁額  クリックで拡大

    
奈良県奈良公園にて(10月) 東大寺 南大門(国宝)の仁王(西)と(東) 
クリックで拡大
南大門には、向かって左に阿形像(西)、向かって右に吽形像(東)が向かい合う形で金剛力士像が安置されている。
阿形像は大仏師運慶と快慶が小仏師13人を率いて造立し、吽形像は大仏師定覚および湛慶が
小仏師12人を率いて造立したものであるという。両脇に大きさの比較のため、人物の入った写真を置いた。

   
奈良県奈良公園東大寺にて(11月)  大仏殿中門前の鏡池 左は鏡池碑 右は鏡池天然記念物の魚説明板 クリックで拡大 

 
奈良県奈良公園東大寺にて(11月)  真言院山門(南向き) 右は勧学院山門(東向き) クリックで拡大 

 
 奈良県奈良公園にて(10月) 東大寺 二月堂


 奈良県奈良公園にて(10月) 
東大寺 三昧堂 普賢堂 四月堂 

 奈良県奈良公園にて(10月) 東大寺 
二月堂より東方向に大仏殿を展望 

 奈良県奈良公園にて(10月) 
東大寺 法華堂・三月堂 

 奈良県奈良公園にて(10月) 
 東大寺 法華堂・三月堂 

奈良県奈良公園にて(10月) 法華堂・三月堂の校倉

奈良県奈良公園にて(10月) 東大寺の守護神手向山八幡宮鳥居

 
奈良県奈良公園にて(10月) 東大寺本坊
   右は(5月)東大寺指図所


奈良市県庁屋上にて(9月) 東大寺〜若草山展望

 
奈良市東大寺にて(5月) 戒壇堂 

 
奈良市東大寺にて(5月) 戒壇堂参道石段 戒壇堂門

 
奈良公園東大寺戒壇堂前にて(5月) 戒壇堂から見る大仏殿 戒壇堂前の句碑 クリック拡大 
筒井盧佛<1892〜>
「大仏を要と月の東大寺」


奈良県奈良公園にて(10月) 鹿苑の西にある飛火野


奈良市東大寺にて(5月) 東大寺勧進所

奈良市東大寺にて(5月) 戒壇堂千手堂

奈良県奈良公園にて(10月) 鹿苑の西にある飛火野 

奈良県奈良公園にて(10月) 鷺池 浮御堂 


 奈良県奈良公園奈良国立博物館にて(10月)
聖武天皇ゆかりの正倉院展

写真クリックで拡大


句碑(クリック拡大)戒壇堂前にて(5月)
大仏を要と月の東大寺」<作者不詳>

 
歌碑戒東大寺前にて(11月) クリック拡大
おほらかに もろてのゆびを ひらかせて
おほきほとけは あまたらしたり
」<会津八一>


東大寺
世界遺産 法相宗大本山
興福寺

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藤原鎌足ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺
南円堂は西国三十三所第9番札所である。国宝が多く阿修羅の像などがある
南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院で、南都七大寺の一つに数えられる。藤原氏の祖
藤原鎌足とその子・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺で、
古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。


 
法相宗大本山興福寺 東金堂と五重塔(共に国宝)と世界遺産の碑 ネットより クリックで拡大

 
奈良市にて(11月) 法相宗大本山興福寺 乾漆八部衆立像(国宝)(興福寺クリアファイルより)
乾漆八部衆立像は奈良時代、天平6年(734年)のもので、著名な三面六臂の阿修羅像を含む八体で知られる。

   
奈良市にて(11月) 法相宗大本山興福寺 乾漆八部衆立像(国宝)(興福寺クリアファイルより) クリックで拡大


法相宗大本山興福寺 乾漆八部衆立像(国宝) ネットより クリックで拡大
参考)像高 1.緊那羅(きんなら)152.4cm、2.沙羯羅(さから)154.5cm、3.乾闥婆(けんだつば)148.0cm、4.阿修羅153.4cm、
5.五部浄(ごぶじょう)50.0cm(現存部)、6.迦楼羅(かるら)149.0cm、7.畢婆伽羅(ひばから)155.4cm、8.鳩槃荼(くはんだ)150.5cm、

 
木造天燈鬼・龍燈鬼立像は、鎌倉時代再興期の西金堂須弥壇に安置されていた像で、四天王像に踏みつけられる邪鬼
を独立させ、仏前を照す役目を与えたもの(ネットより) 近代現代建築土木のページ
神戸市北野異人館山手八番館玄関脇の龍燈鬼像天燈鬼像の複製品がある。 境内図共にクリックで拡大


品寺
御所市 浄土宗
戒那山九品寺

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聖武天皇の詔りにより行基が開基
九品寺は聖武天皇の詔りによって奈良時代の僧、行基が開基した寺院。
1558年、九品寺は浄土宗に改宗。御本尊は平安時代後期の木造阿弥陀如来坐像
(重要文化財)石仏の寺として知られる。


 
奈良県葛城 戒那山浄土宗九品寺 山門から本堂への参道  右は本堂

 
奈良県葛城にて 戒那山浄土宗九品寺 山門

 
奈良県葛城にて 戒那山浄土宗九品寺 十徳園

  
奈良県葛城にて 戒那山浄土宗九品寺 地蔵堂 右は鐘楼


法隆寺
世界遺産 聖徳宗総本山
法隆寺

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聖徳太子が父・用明天皇の病気平癒を祈願
して建立を始めたが間に合わなかった

法隆寺(斑鳩寺)は飛鳥時代の世界最古の木造建築。用明天皇が病気平癒を祈って
寺と仏像の造営を誓願されたが、実現をみずに崩御された。そこで推古天皇と聖徳太子
用明天皇のご遺願を継ぎ、推古
15 年( 607 )に寺と本尊・薬師如来を造られた。現在、
塔・金堂を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられ、
境内に、飛鳥時代の粋を集めた建築物が軒をつらねている。

法隆寺 金堂(飛鳥時代・国宝)

写真クリックで竜の彫刻が現れます

用明天皇の遺願を継いで推古天皇と子の聖徳太子
607年に薬師如来を本尊とする斑鳩寺(法隆寺)を建立)

法隆寺 中門(飛鳥時代・国宝)と左に五重塔
日本最古の木造建築
国宝、重文の分布は境内図参照
写真クリックで世界遺産指定日本初の碑を拡大

法隆寺 五重塔(飛鳥時代・国宝)と右に金堂
写真クリックで塔が拡大 五重塔は日本最古の塔

奈良斑鳩 法隆寺の玄関 
南大門(室町時代に再建・国宝

法隆寺 聖霊院
(鎌倉時代・国宝)

法隆寺 夢殿(奈良時代・国宝) 
聖徳太子の遺徳を偲んで739年に建立
 
正岡子規の句碑  法隆寺 東院鐘楼(鎌倉時代・国宝)
 
句碑クリックで拡大       「句碑・歌碑のページ」へ

法隆寺 廻廊(飛鳥時代・国宝)
エンタシスの柱


中宮寺
聖徳宗
法興山中宮寺門跡
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聖徳太子の御母により建立された寺院
中宮寺は聖徳太子の御母穴穂部間人皇后の御願によって、太子の宮居斑鳩宮を中央にして、
西の法隆寺と対照的な位置に創建された。現中宮寺の東方の発掘により、南に塔、北に金堂を
配した四天王寺式配置伽藍で、旧地若草伽藍に応ずる大寺院であることが分かった。


斑鳩 法興山中宮寺 門(中宮寺内側より見る)

中宮寺 本堂
 
香淳皇后(昭和天皇の后)の歌碑  中宮寺にて
写真クリックで歌碑説明板  「句碑・歌碑のページ」へ

奈良県斑鳩 中宮寺 門
(表;法隆寺側から見る)


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