[仏 閣] 中項目・目次
 1.滋賀・和歌山 2.中国・四国 3.中部・北陸・東日本 4.京都 5.奈良 6.大阪 7.兵庫

1.滋賀・和歌山 1.1 滋賀 滋賀院 天台宗務庁 岩間寺 西教寺 旧竹林院 三井寺 円満院 延暦寺 石山寺 西明寺 金剛輪寺 
百済寺 永源寺 長命寺  1.2 .和歌山  根来寺 粉河寺 紀三井寺 金剛峯寺 青岸渡寺

                       1.1 滋賀の仏閣              HPのトップへ

滋賀院
天台宗延暦寺総本坊(総里坊)
滋賀院門跡

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天海僧正が開いた延暦寺の総本坊で、歴代天台座主の御座所
元和元年(1615)江戸幕府に仕え黒衣の宰相とも称された天台宗の天海僧正が、
後陽成天皇から京都法勝寺を下賜されてこの地に建立した寺。滋賀院の名は、明暦元年(1655)
後水尾天皇から下賜され、天台宗比叡山延暦寺の里坊を代表する門跡寺院。穴太衆積みの石垣の上に
白壁をめぐらした優雅な構えの滋賀院は延暦寺の本坊で、江戸時代まで天台座主の居所、年老いた
天台僧侶の隠居所でもあった。境内に天海大僧正を祀る滋眼堂小堀遠州作と言う庭園がある


大津市坂本にて(10月) 滋賀院門跡御成門 写真クリックで説明板

 
大津市坂本にて(10月) 滋賀院門跡御成門

 
大津市坂本にて(10月) 滋賀院門跡御成門前参道 穴太衆積に五本線の入った白い塀


 
大津市坂本にて(10月) 滋賀院門跡御成門  右は御成門前参道


 
大津市坂本にて(10月) 滋賀院門跡の穴太衆積 
説明板クリックで拡大


大津市坂本にて(10月) 滋賀院門跡通用門

 
大津市坂本にて(10月) 滋賀院門跡通用門

 
大津市坂本にて(10月) 滋賀院門跡客殿  右は同門跡境内


大津市坂本にて(10月) 滋賀院門跡庫裏


大津市坂本にて(10月) 滋賀院門跡書院から見る近江富士(手前の長い屋根は叡山学園)

 
大津市坂本にて(10月) 滋賀院門跡客殿

 
大津市坂本滋賀院門跡にて(10月) 井戸  右は御内佛より近江富士

 
大津市坂本滋賀院門跡にて(10月) 庫裏


 
大津市坂本滋賀院門跡にて(10月) 客殿
 客殿玄関

 
大津市滋賀院門跡にて(10月) 蹴鞠場 書院庭園



大津市坂本にて(10月) 天台宗務庁より見る滋賀院門跡書院



大津市坂本滋賀院門跡にて(10月) 御内佛殿



大津市坂本滋賀院門跡にて(10月) 小堀遠州作 宸殿庭園(国指定名勝庭園)

 
坂本滋賀院門跡にて(10月) 小堀遠州作 宸殿庭園 庭園蹲

 
坂本滋賀院門跡にて(10月) 小堀遠州作 宸殿庭園



大津市坂本滋賀院門跡にて(10月) 小堀遠州作 宸殿庭園


滋賀院内・滋眼堂
天海大僧正を祀る御堂


大津市坂本にて(10月) 滋眼堂本堂

 
大津市坂本にて(10月) 滋眼堂本堂(西)
 右は滋眼堂本堂(東) 天海と光秀

 
大津市坂本にて(10月) 滋眼堂境内 境内の阿弥陀如来石仏


 
大津市坂本にて(10月) 滋眼堂山門
  滋眼堂参道 

 
大津市坂本にて(10月) 滋眼堂 滋眼堂から日吉東照宮へ


 
大津市坂本滋眼堂にて(10月) 供養塔群  天皇供養塔



坂本滋眼堂にて(10月) 天海大僧正慈眼大師供養塔

大津市坂本滋眼堂にて(10月) 新田義貞供養塔


大津市坂本にて(10月) 滋眼堂参道の神社


宗務庁
大津市坂本
天台宗務庁

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宗教法人「天台宗」の宗務を統括処理するための事務所


大津市坂本にて(10月) 照隅苑より天台宗務庁玄関

 
大津市坂本にて(10月) 滋賀院門跡書院から天台宗務庁
を見る


坂本にて(10月) 天台宗務庁照隅苑(前方は滋賀院門跡客殿)

 
大津市坂本にて(10月) 天台宗務庁照隅苑碑と稲荷社

 
大津市坂本にて(10月) 天台宗務庁照隅苑


正法寺
真言宗醍醐派 西国十二番札所
岩間山正法寺
(岩間寺)

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西国三十三番霊場第十二番札所
古池や蛙飛び込む水の音」芭蕉池がある
加賀白山を開いた泰澄大師が元正女帝の三十三歳の大厄の病を
治したことで勅願寺院として建立された。大師が岩間山を訪れた折、
桂の大樹に千手陀羅尼を感得し、桂で千手観音像を刻み、ご本尊とした。



 大津市にて(2月) 岩間山正法寺(岩間寺) 本堂・納経所 動画案内1

 大津市にて(2月) 岩間寺参道西国12番霊場案内碑 

 岩間寺にて(2月) 珍しい露天の仁王 動画案内2

 大津市にて(2月) 岩間山正法寺(岩間寺) 本堂正面 

 岩間寺にて(2月) 不動堂(本堂右)

 岩間寺にて(2月) 西国三十三ヶ所霊場お砂踏霊場 

 岩間寺にて(2月) 参道 迎えのモミノキ 

 岩間寺にて(2月) 大師堂 

 岩間寺にて(2月) 五社権現堂 

 岩間寺にて(2月) 弁天堂 

 岩間寺にて(2月) 八大竜王堂  

 岩間寺にて(2月) ぼけ封じ観音 

 岩間寺にて(2月) 稲妻竜神社 

 岩間寺にて(2月) 日本一の桂の大樹 

 岩間寺にて(2月) 

 
 大津市岩間寺にて(2月) 芭蕉池と松尾芭蕉句碑 「古池や 蛙飛び込む 水の音


 岩間寺にて(2月) 夫婦桂 

 岩間寺にて(2月) 方丈 

 岩間寺にて(2月) 白姫竜神 

 岩間寺にて(2月) 手水舎 

 
 大津市岩間寺にて(2月) 鐘楼 


西教寺
天台真盛宗総本山
戒光山兼法勝西教寺

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明智光秀一族の菩提寺
西教寺は、聖徳太子の恩師である高麗の僧慧慈、慧聡のために創建されたと伝えられる。
後に荒廃したが、慈恵大師良源上人が復興し、恵心僧都も入寺されたころから次第に栄えた。
鎌倉時代1325年に入寺された恵鎮(円観)上人は、伝教大師が提唱された大乗円頓戒を
復興した。百有余年後の文明18年(1486)に真盛上人が入寺され、堂塔と教法を再興、
不断念仏の道場とされ、以来全国に約四百余りの末寺を有する総本山となった


 
  明智光秀公一族菩提寺の碑        大津市坂本にて(10月) 西教寺 総門  動画案内 


 大津市坂本にて(10月) 西教寺 本堂 


 大津市坂本にて(10月) 西教寺 勅使門 

 大津市坂本にて(10月) 西教寺 参道
 


 大津市坂本にて(10月) 西教寺 鐘楼



坂本にて(10月) 西教寺 勅使門横の十三の石塔

 大津市坂本 西教寺にて(10月) 手水 

 大津市坂本にて(10月) 西教寺 大本坊 

 大津市坂本にて(10月) 西教寺 本堂と大本坊の渡り 

 大津市坂本にて(10月) 西教寺 宗祖大師殿 

 大津市坂本にて(10月) 西教寺 宗祖大師殿唐門 

宗祖真盛上人<1443〜1495>
よいよいにまちこし空も有明の
つれなくすぐる ほととぎすかな

 宗祖真盛  幼少期の像

西教寺縁起と経緯の説明文
写真クリックで拡大

 大津市坂本にて(10月) 西教寺 宗祖大師殿 

 大津市坂本にて(10月) 西教寺 宗祖真盛廟へ 

 大津市坂本にて(10月) 西教寺 宗祖真盛廟 

 大津市坂本にて(10月) 西教寺 宗祖真盛廟へ 

 大津市坂本にて(10月) 西教寺塔頭 禅林坊 

 大津市坂本にて(10月) 西教寺塔頭 実成坊 

 大津市坂本にて(10月) 西教寺塔頭 聞證坊 

 大津市坂本にて(10月) 西教寺塔頭 徳乗坊 

   大津市坂本にて(10月) 西教寺塔頭 禅智坊 

   大津市坂本にて(10月) 西教寺塔頭 禅明坊 


 大津市坂本 西教寺 宗祖大師殿より曇る琵琶湖を展望   正面やや左にかすかに近江富士


竹林院
大津市坂本
旧竹林院

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比叡山の僧侶の隠居所である里坊の一
旧竹林院は、比叡山の僧侶の隠居所である里坊の一つで、延暦寺の中でも格式の高い寺院。
庭園は国指定の名勝で、大宮川の清流を取り入れた曲水を主体に、八王子山を借景としている。
築山も起伏に富み、五重の石塔、井筒などの石造物も多く残る。天正年間に
建てられた2棟の茶室と四阿(あずまや)は大津市の指定文化財。


 坂本にて(10月) 元里坊 旧竹林院 玄関先 

 坂本にて(10月) 元里坊 旧竹林院 門


大津市坂本にて(10月) 元里坊 旧竹林院 門から玄関へ

 
坂本にて(10月) 元里坊 旧竹林院 茶室広間(蓬莱)         国指定名勝庭園 入り口
       


園城寺
天台宗門宗総本山
長等山園城寺
(三井寺)
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天台宗寺門宗の総本山
667年に天智天皇は飛鳥から遷都し、近江大津京を開いた。672年、天智天皇の永眠後、
大友皇子
(天智天皇の子:弘文天皇)と大海人皇子(天智天皇の弟:天武天皇)が皇位を争う
壬申の乱が勃発。敗れた大友皇子の子、大友与多王は父の霊を弔うため寺を創建、天武天皇から
「園城」という勅額を賜わった。勝利した大海人皇子は飛鳥にもどり、大津京は五年で廃都。
三井寺は「長等山園城寺」といい、天台寺門宗の総本山。平安時代、第五代天台座主
智証大師円珍和尚により天台別院として中興された。(三井寺HPより)。



 三井寺にて(6月)境内案内天台宗 長等山園城寺(おんじょうじ通称・三井寺)仁王門(重文) 
<天智天皇、天武天皇、持統天皇の三天皇の産湯を使ったことから三井寺と云われる>動画案内
写真クリックで寺標部拡大


大津市三井寺にて(10月) 
園城寺 金堂(国宝)  写真クリックで拡大境内図がでます

 
 大津市三井寺にて(6月) 
長等山園城寺 金堂(国宝)


大津市三井寺にて(10月) 一切経蔵(重文)
写真クリックで説明

大津市三井寺にて(6月) 一切経蔵(重文)
写真クリックで10月の一切経蔵が拡大して出ます 


大津市三井寺にて(10月) 一切経蔵(重文) の内部 
クリックで説明板

 
 大津市三井寺にて(10月) 鐘楼「三井の晩鐘」(重文)  
説明板クリックで拡大
写真クリックで新緑(6月)の鐘楼が出ます


  
大津市三井寺にて(10月) 
園城寺 閼伽井(国宝) 三井寺の謂れの閼伽井 写真右の説明板はクリックで拡大読めます

 
大津市三井寺にて(10月) 
園城寺 閼伽井石庭(日本最古の石庭という)  右説明板はクリックで拡大


大津市三井寺にて(10月) 
中国の勝竜寺の火災を
鎮火したと言う伝説の村雲橋

 大津市三井寺にて(6月) 
村雲橋
写真クリックで説明板拡大

  
大津市三井寺にて(6月) 園城寺 閼伽井(国宝)の龍(写真クリックで龍を拡大
製作者左甚五郎が夜な夜な琵琶湖に出て暴れるため
目に釘を打ち静めた(右説明板クリックで拡大


 大津市三井寺にて(6月) 唐院探題灯篭 大師堂門 


 大津市三井寺にて(6月) 唐院潅頂堂(重文) 
左奥は護摩堂(滋賀県有形文化財)

 大津市三井寺にて(6月) 唐院三重塔(重文) 
写真クリックで10月の塔 三重塔説明板へ


大津市三井寺にて(10月) 園城寺唐院四脚門(重文)
これを抜けると唐院潅頂堂(重文) 護摩堂 三重塔に至る
写真クリックで拡大説明板

 
大津市三井寺にて(10月) 唐院潅頂堂(重文)正面  写真右は天台寺門宗宗務本部

 
 三井寺にて(6月) 観音堂(西国14番札所)(重文)  右は三井寺にて(10月)


 
三井寺にて(10月) 観音堂の前の崖に立つ観月舞台  クリックで拡大


三井寺にて(10月) 観音堂(西国14番札所)(重文)


   
三井寺にて(10月) 観音堂の鐘楼 各写真はクリックで拡大

 
三井寺にて(10月) 観音堂の前の百体観音堂 
クリック拡大

 
大津市三井寺にて(6月) 釈迦堂(重文) 大門(仁王門)をくぐってすぐ右にある 食堂(じきどう)とも呼ばれている 
写真左は弁財天社     
クリックで10月の釈迦堂   釈迦堂(食堂)説明板へ


 大津市三井寺にて(6月)
勧学院 

 三井寺にて(6月) 微妙寺十一面観音(重文)
写真クリックで10月の微妙寺へ

 
三井寺にて(6月) 霊鐘堂「弁慶の引摺り鐘」 右は10月 (重文)比叡山との争いで弁慶が比叡山へ引き摺り上げて、
撞いてみると ”イノー・イノー”(帰りたい)と響いた。弁慶は「三井寺に帰りたいのか!」と怒り鐘を谷底へ投げ捨てた。
鐘にはその時の傷痕や破目などが残っている(三井寺HPより)。

 
三井寺にて(10月) 霊鐘堂「弁慶の引摺り鐘」 写真、図会、説明板はクリックで大きく拡大します

 
三井寺にて(10月) 霊鐘堂「弁慶の汁鍋」   
写真、三井寺女人詣の図会、説明板はクリックで大きく拡大します


 大津市三井寺にて(6月)   智証大師円珍象 
円珍は弘仁五年(814)讃岐国(香川県善通寺市)
の生まれ。父は和気宅成、母は佐伯氏の娘で、
弘法大師空海の姪。 (※関連名宝「円珍俗姓系図」)

  大津市三井寺にて(6月)  教待堂 
 教待和尚の御像を安置。教待和尚は智証大師入山まで
 当寺を護持していた不思議な老僧で、大使を迎えると
 ともに、石窟に入り姿を隠したという。
円珍は十歳で『毛詩』、『論語』、『漢書』、『文選』を習い、天長五年(828)に叔父の僧仁徳(伝教大師最澄の弟子)に 
従って上洛。翌天長六年に仁徳に案内され、最澄が開いた天台宗の総本山比叡山延暦寺に登り、義真(778〜833)に 
師事した。後に6年間の唐留学により大成された。園城寺に入り園城寺では宗祖として尊崇された(三井寺HPより)。


 
大津市三井寺にて(10月) 天台大師像と説明板  クリックで拡大
 

大津市三井寺にて(6月)十八明神社ねずみの宮
 
白川院から頼豪阿闍梨に皇子降誕の祈誓勅命が下り、祈祷の験あって皇子が誕生した。その結果、念願の
戒壇道場建立の勅許を得たが、比叡山の横暴により勅許が取り消され、 頼豪はこれを怒り、21日間の護摩壇上にて
果てた。その強念が8万4千の鼠となって比叡山へ押し寄せ、堂塔や仏像経巻を喰い荒らしたと 「太平記」にいう。
この社は、比叡山の方向を向いて建ち、この時の鼠の霊を祀っている。(三井寺HP要約)

 
大津市 園城寺(三井寺)にて(6月) 光浄院庭園の門 庭は非公開
左写真クリックで説明  右庭園碑の写真クリックで拡大

大津市三井寺にて(6月) 総本山園城寺事務所
光浄院の再建 山岡道阿弥法名暹慶による。

智證大師が入唐求法され、
法華、密教の奥儀を究め
大峯・熊野三山の
入峯練行された事蹟に則り
平治元年(1159)
当地に熊野権現を勧請し
三井修験道の鎮神とされた。
現社は天保8年(1837)の
再建である。 
園城寺

説明駒札より

大津市三井寺にて(6月) 熊野権現
比叡山延暦寺(山門派)と三井寺(寺門派)との確執は
平安末から鎌倉時代にかけて、天台座主の職や戒壇建立問題に
端を発し、武力衝突は歴史に残っているだけでも十数回を数える。
世にいう「山寺両門の争い」であり、三井寺は何度も焼き討ちに
あっている(三井寺HPより)。

 
左の写真は駐車場前の茶屋「風月」(そばが名物)の看板     

 
大津市園城寺(三井寺)にて(6月) 護法善神堂


大津市園城寺(三井寺)にて(6月) 水観寺

大津市園城寺(三井寺)にて(10月) 総門 向かって左に三尾神社

大津市園城寺(三井寺)にて
(10月) 
芭蕉の句碑

三井寺の
門たたけばやけふの月


榊原莫山筆


圓満院
天台宗 総本山
圓満院門跡
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 大津市園城寺町にて(6月) 円満院門跡 天台宗系の単立門跡寺院
「日本水子供養霊場会総霊廟所」 村上天皇の皇子悟円法親王が創建したという 
寺内に大津絵美術館を併設、全国門跡寺院表 三井寺から独立したが、不祥事がある。
写真クリックで円満院門跡の説明板が出ます


大津市園城寺町にて(10月) 円満院門跡宸殿(重文)
(円満院大津絵美術館入場券より転写) 
写真クリックで拡大

 
大津市園城寺町にて(10月) 円満院門跡 参道    写真右は鐘楼

 
大津市園城寺町にて(10月) 円満院門跡 宸殿脇の庭園  右はクリックで拡大


大津市園城寺町にて(10月) 円満院門跡 京都御所より移築された宸殿(重文)

 
大津市園城寺町にて(10月) 円満院門跡 玉座    写真右は投扇興 襖絵は狩野探幽筆(重文)展示は複製品



大津市園城寺町にて(10月) 円満院門跡 庭園(国の史跡・名勝
三井の名庭として、相阿弥の作と伝えられる池泉観賞式庭園


   
大津市園城寺町にて(10月) 円満院門跡 蹲  右は円満院庭園説明板 (クリックで拡大

 
大津市園城寺町にて(10月) 円満院門跡 円満院庭園



大津市園城寺町にて(10月) 円満院門跡 円満院庭園

 
大津市園城寺町にて(10月) 円満院門跡 円満院庭園  右は庭園から大津絵美術館への渡り



大津市園城寺町にて(10月) 円満院門跡 大津絵美術館


漫画のルーツと説明があった


大津絵十種 クリックで拡大
鬼の寒念仏、藤娘、雷公の太鼓つり、瓢箪なまず、座頭
槍持ち奴、鷹匠、弁慶、長頭翁、矢の根男
大津市園城寺町にて(10月) 円満院門跡 大津絵美術館

 
大津市園城寺町円満院門跡にて(10月) 大津絵の一種(大津絵美術館入場券より転写)
写真右は落雁の押し型 近江八景の「堅田の落雁」にちなんでつけられたという

 
大津市園城寺町にて(10月) 円満院門跡 携帯にある奇岩・奇石


延暦寺
天台宗総本山
世界遺産・比叡山延暦寺

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日本仏教の母山
伝教大師最澄上人は延暦7年(788年)、薬師如来を本尊とする一乗止観院
(現在の根本中堂)を創建して比叡山を開いた。日本の国を鎮め護る寺として朝廷から
桓武天皇時代の年号「延暦」を寺号に賜った。最澄は鎮護国家の為の真の指導者
「菩薩僧」の育成のため、比叡山で修行に専念する12年間の教育制度を確立し、
多くの高僧を輩出。鎌倉時代以降に法然上人、親鸞聖人、良忍上人、一遍上人
真盛上人、
臨済宗の栄西禅師、曹洞宗の道元禅師、日蓮宗の日蓮聖人など
仏教各派の祖師方を育て、比叡山は日本仏教の母山と仰がれている。


延暦寺にて(12月) 東塔地区雪の根本中堂 全景

 
 東塔にて(12月) 根本中堂の雪の中庭
と東塔根本中堂の碑  東塔地区案内
山内を地域別に、東を「東塔(とうどう)」、西を「西塔(さいとう)」、北を「横川(よかわ)」
の三つに区分している。これを三塔と言い、それぞれに本堂がある(延暦寺HPより)。



延暦寺東塔にて(12月) 根本中堂中庭

延暦寺東塔にて(11月) 根本中堂中庭


延暦寺東塔にて(11月) 大講堂 写真クリックで拡大

 
延暦寺東塔にて(11月) 法華総持院と阿弥陀堂


延暦寺東塔にて(11月) 法華総持院東塔 佐川急便の寄贈

東塔にて(12月) 法華総持院東塔と阿弥陀堂

傳教大師御遺戒 
我が志を述べよ
天台座主大僧正孝淳書 
天台宗開宗1200年記念 
比叡山延暦寺西塔にて

比叡山 延暦寺にて(11月)
登叡成仏の碑文 「
登叡成佛
比叡山延暦寺
駐車場側に向いて

 
比叡山 延暦寺東塔にて(11月) 鐘楼


東塔にて(12月) 文殊楼(正面)

東塔にて(12月) 文殊楼(側面)


延暦寺西塔にて(12月) 雪の釈迦堂 西塔地区案内


延暦寺西塔にて(12月) 雪の釈迦堂参道

延暦寺西塔にて(11月) 釈迦堂

一乗寺の最澄像(国宝)
ネットより転載
クリック拡大

延暦寺西塔にて(12月) 雪の釈迦堂

延暦寺横川にて(12月) 横川中堂

延暦寺横川にて(11月) 横川中堂 横川地区案内


延暦寺にて(12月) 横川地区根本如法塔


延暦寺にて(12月)

延暦寺東塔にて(11月) 戒壇院


真言宗
真言宗 西国三十三番札所
石光山石山寺

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紫式部と源氏物語ゆかりの寺院
石山寺は東大寺大仏造立のための黄金の不足を愁えた聖武天皇が、ここに伽藍を建てて
如意輪法を修すように夢告を受け、良弁僧正を開基として建立された。本尊の如意輪観音像
は、安産、厄除け、縁結び、福徳などに霊験あらたかとして信仰を集めている。石山寺は
 奈良時代から観音の霊地とされ、平安時代に観音信仰が盛んになると、朝廷や摂関貴族
と結びつき、庶民の崇敬をも集め、源頼朝、足利尊氏、淀殿などの後援を受け、
西国三十三所観音霊場として著名となり、今日に至っている。
境内マップ1


大津市石山寺にて(11月) 西国十三番 東寺真言宗石山寺 東大門(重文) クリックで拡大 境内マップ2 

 
大津市石山寺にて(11月) 西国十三番 東寺真言宗石山寺 東大門(重文) 境内マップ1 写真右は12月 クリックで拡大

 
大津市石山寺にて(11月) 東大門(重文)の仁王(運慶・湛慶作) クリックで拡大 


大津市石山寺にて(12月) 参道(東大門から本堂へ)
クリックで{11月)写真を拡大

大津市石山寺にて(12月) 石山寺寺務所 法性院
クリックでゆるきゃらのある(11月)の法性院へ 

大津市石山寺にて(12月) 大黒堂門 クリックで(11月)の写真

大津市石山寺にて(12月) 塔頭大黒堂

大津市石山寺にて(12月) 石山寺本堂(国宝)
(石段の上が本堂 源氏の間が見える)
写真クリックで説明板

 大津市石山寺にて(12月) 
本堂内の源氏の間 紫式部の人形
クリックで(11月)別写真を拡大

   
大津市石山寺にて(12月) 石山寺本堂(国宝)と賓頭盧尊者   クリックで拡大


大津市石山寺にて(12月) 蓮如堂(重文)
写真クリックで(11月)の写真へ  説明板はこちら

大津市石山寺にて(12月) 多宝塔(国宝)
写真クリックで説明板

 
大津市石山寺にて(11月) 多宝塔(国宝) クリックで拡大


大津市石山寺にて(12月) 御影堂
クリックで(11月)拡大写真 

大津市石山寺にて(12月) 毘沙門堂(県有形文化財)
写真クリックで説明板

 
大津市石山寺にて(12月) 毘沙門堂と観音堂(クリックで拡大) 右写真は観音堂

 
大津市石山寺にて(11月) 経蔵(重文)  クリックで拡大


大津市石山寺にて(11月) 塔頭世尊院
クリックで拡大

大津市石山寺にて(12月) 塔頭法輪院
クリックで(11月)の拡大写真

大津市石山寺にて(12月) 硅灰石越しに多宝塔と御影堂

大津市石山寺にて(12月)硅灰石のくぐりぬけ


大津市石山寺にて(12月) 石山寺の名前の由来となった硅灰石(国指定天然記念物)
クリックで(11月)の写真 
 硅灰石は大理石と同じ仲間である  説明板


   
大津市石山寺にて(11月) 石山寺の名前の由来となった硅灰石(国指定天然記念物)  クリックで拡大


大津市石山寺にて(12月) 藤村ゆかりの密蔵院
茶丈密蔵院はもとは東大門前石山寺表境内にあった
 
写真クリックで説明板  石山寺表境内の藤村歌碑

大津市石山寺にて(12月)
心経堂
  

 
大津市石山寺にて(11月) 拾翠園 {12月)の門と(11月)の淳浄館  クリックで(11月)写真を拡大

  
大津市石山寺にて(11月) 拾翠園 淳浄館前庭園 クリックで拡大


大津市石山寺にて(12月)明王院 
  

大津市石山寺にて(12月) 参道(東大門へ)
クリックで{11月)本堂への参道写真を拡大

大津市石山寺にて(12月) 紫式部像と光堂 

大津市石山寺門前にて(12月)朗澄大徳遊鬼境
写真クリックで(11月)拡大  説明板2
朗澄大徳賛美の詩碑へ

 
大津市石山寺にて(12月) 光堂と紫式部像  クリックで拡大


大津市石山寺にて(12月) 八幡龍王社

石山寺にて(12月) 若宮写真クリックで説明板

大津市石山寺にて(12月) 鐘楼(重文) クリックで(11月)

大津市石山寺にて(12月) 三十八所権現社(重文)

 
大津市石山寺にて(11月) 石山寺三十八所権現社(重文) と説明板  クリックで拡大

 
大津市石山寺にて{11月) 公風園  門はクリックで拡大 右の内部写真は(12月)

 
大津市石山寺にて(12月) 月見亭(クリックで(11月)写真を拡大)    右写真は(11月)芭蕉庵(クリックで拡大

 
大津市石山寺にて(11月) 閼伽井屋(クリックで拡大)    右は(12月)の無憂園

  
大津市石山寺にて(11月) 無憂園と甘露の滝  クリックで拡大  日本庭園石山寺へ

  
大津市石山寺にて(11月) 無憂園のピラカンサ 常磐山査子 バラ科 トキワサンザシ属  クリックで拡大

   
大津市石山寺にて(11月) 境内11月上旬の紅葉  クリックで拡大

   
大津市石山寺にて(11月) 石山寺表境内青鬼碑文と前を流れる瀬田川 琵琶湖八景の碑    クリックで拡大

 
大津市石山寺にて(11月) 石山寺月見台付近から瀬田川、琵琶湖を展望 クリックで拡大
写真右は大津市石山寺参道にて(11月) 和菓子と喫茶の茶丈藤村

  
大津市石山寺にて(11月) 無憂園の「噫 霊仙三蔵」碑と「補陀洛山」碑 門前の芭蕉句碑 クリックで拡大
松尾芭蕉「石山の石にたばしる霰かな」石山寺駐車場の前にある。滋賀の句碑のページへ
霊仙三蔵*は最澄、空海とともに唐に渡った法相宗の僧で、我が国唯一の三蔵法師で日本への帰国が許されなかった。
人づてに持ち帰られた霊仙三蔵による『大乗本生心地観経』が石山寺の経蔵で発見された。
補陀洛山碑の横を入ると、山道沿いに点々と西国三十三所観音霊場の観世音菩薩石仏が配置されている。



湖東三山
湖東三山 天台宗
龍應山西明寺

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湖東三山の北の寺
西明寺は滋賀県の湖東にある天台宗の寺院で、本尊は薬師如来で開基は三修上人。
金剛輪寺、百済寺とともに「湖東三山」の1つ。承和3年(836年)には仁明天皇
の勅願寺となり、寺領が寄進され、諸堂が建築された。「西明寺」の寺号は
三修上人が見た西の方へさしていた紫の光による


 滋賀県湖東三山天台宗 龍應山西明寺にて(11月) 鐘楼

 滋賀県湖東三山天台宗 龍應山西明寺にて(11月) 

 湖東三山天台宗 龍應山西明寺にて(11月)山門

湖東三山天台宗龍應山西明寺にて(11月)観音像

滋賀県湖東三山天台宗 龍應山西明寺にて(11月)
二天門 内側 

滋賀県湖東三山天台宗 龍應山西明寺にて(11月)
 二天門 表側

 湖東三山西明寺三重塔説明板
写真クリックで拡大

 滋賀県湖東三山天台宗 龍應山西明寺にて(11月)
三重塔 
写真クリックで拡大 

滋賀県湖東三山龍應山西明寺にて(11月) 観林坊

 湖東三山天台宗 龍應山西明寺にて(11月)本堂 

 
 滋賀県湖東三山天台宗 龍應山西明寺にて(11月)

 
湖東三山天台宗龍應山西明寺にて(11月)不断桜  右は拡大写真

 
滋賀県湖東三山天台宗 龍應山西明寺にて(11月)

 
滋賀県湖東三山天台宗 龍應山西明寺にて(11月) 写真クリックで説明板

 
滋賀県湖東三山天台宗 龍應山西明寺にて(11月)

 
 滋賀県湖東三山天台宗 龍應山西明寺にて(11月) 庭園「蓬莱庭」の駒札へ


滋賀県湖東三山天台宗 龍應山西明寺にて(11月)伝教大師

滋賀県湖東三山天台宗 龍應山西明寺にて(11月) 

 
滋賀県湖東三山天台宗 龍應山西明寺にて(11月) 方丈 写真左方部に不断桜(天然記念物)


滋賀県湖東三山天台宗 龍應山西明寺にて(11月) 蓬莱庭

天台宗龍應山西明寺にて(11月)蓬莱庭 クリックで説明板


滋賀県湖東三山西明寺にて(11月) 蓬莱庭説明板 クリックで拡大


湖東三山
湖東三山 天台宗
松峯山金剛輪寺

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湖東三山の中の寺
奈良時代の行基の開創と伝える。行基は河内国家原(現・堺市)の出身で、河内を中心に
多くの寺を建て、架橋、治水灌漑などの社会事業にも尽くし、民衆の絶大な支持を得ていた。
行基の開創を伝える寺院は大阪や奈良を中心に多いが、当寺もその1つである。行基がこの地に
寺を建立したのは、天平9年(737年)あるいは天平13年(741年)とも伝える。



滋賀県湖東三山天台宗 松峰山金剛輪寺にて(11月)黒門

 
滋賀県湖東三山天台宗 松峰山金剛輪寺にて(11月) 本堂


滋賀県湖東三山天台宗 松峰山金剛輪寺にて(11月) 鐘楼

滋賀県湖東三山天台宗松峰山金剛輪寺にて(11月) 千地蔵


滋賀県湖東三山天台宗 松峰山金剛輪寺にて(11月)参道


湖東三山天台宗松峰山金剛輪寺にて(11月)三重塔

 湖東三山天台宗松峰山金剛輪寺にて(11月) 赤門

滋賀県湖東三山天台宗 松峰山金剛輪寺にて(11月)
名勝庭園内の沙羅の木
 夏椿

滋賀県湖東三山天台宗 松峰山金剛輪寺にて(11月)
蔦 ツタ  ブドウ科 ツタ属

滋賀県湖東三山天台宗 
松峰山金剛輪寺にて(11月)参道

滋賀県湖東三山天台宗松峰山金剛輪寺にて(11月)白門
明寿院入り口

 
滋賀県湖東三山天台宗 松峰山金剛輪寺にて(11月) 明寿院


滋賀県湖東三山天台宗 松峰山金剛輪寺にて(11月)
西谷堂

滋賀県湖東三山天台宗 松峰山金剛輪寺にて(11月)
明寿院庭園案内碑

 
滋賀県湖東三山天台宗 松峰山金剛輪寺にて(11月) 明寿院庭園


滋賀県湖東三山天台宗 松峰山金剛輪寺にて(11月)
水雲閣

滋賀県湖東三山天台宗 松峰山金剛輪寺にて(11月)
明寿院庭園

 
滋賀県湖東三山天台宗 松峰山金剛輪寺にて(11月) 明寿院庭園


滋賀県湖東三山天台宗 
松峰山金剛輪寺にて(11月) 豊田都峰の句碑

 滋賀県湖東三山天台宗 
 松峰山金剛輪寺にて(11月)
 当山の御詠歌 

 
滋賀県湖東三山天台宗 松峰山金剛輪寺にて(11月) 明寿院庭園


滋賀県湖東三山天台宗 松峰山金剛輪寺にて(11月)
明寿院庭園の十月桜

滋賀県湖東三山天台宗 松峰山金剛輪寺にて(11月)

明寿院庭園の錦木の紅葉 錦木

金剛輪寺内の愛荘町立歴史文化博物館
 案内板

滋賀県湖東三山天台宗 松峰山金剛輪寺にて(11月)
歴史文化博物館


天台宗
湖東三山 天台宗
釈迦山百済寺

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湖東三山の南の寺
百済国王は、亡国の有事に備えて、国民を安全な場所に避難させるため、
その国として日本(飛鳥斑鳩)が妥当かを調査するために、百済博士慧慈を派遣した。
慧慈は斑鳩で聖徳太子に会い、太子は慧慈とともにこの地に来て、東の山中に瑞光が
見られた百済寺あたりに来て、光明を放つ杉の巨木の縁で1400年前に創建された。
後に、信長は百済寺を焼き討ちしたので、本堂など現在の建物は近世以降の
再興である。本尊は十一面観音、開基は聖徳太子とされる。



滋賀県湖東三山天台宗 百済寺にて(11月) 喜見院庭園

滋賀県湖東三山天台宗 百済寺にて(11月) 本坊

滋賀県湖東三山天台宗 百済寺にて(11月) 山門

滋賀県湖東三山天台宗 百済寺にて(11月) 喜見院の庭園

滋賀県湖東三山天台宗 百済寺にて(11月) 庭園から喜見院を望む

滋賀県湖東三山天台宗 百済寺にて(11月) 本坊への表門

滋賀県湖東三山天台宗 百済寺にて(11月) 本坊

滋賀県湖東三山天台宗 百済寺にて(11月)庭園より

滋賀県湖東三山天台宗 百済寺にて(11月) 参道

滋賀県湖東三山天台宗百済寺にて(11月)喜見院庭園

滋賀県湖東三山天台宗 百済寺にて(11月) 喜見院の庭園

滋賀県湖東三山天台宗百済寺にて(11月)喜見院庭園

滋賀県湖東三山天台宗 百済寺にて(11月)
参道 正面は
仁王門

滋賀県湖東三山天台宗 百済寺にて(11月)
喜見院庭園の十月桜

湖東三山天台宗百済寺にて(11月)
弥勒半跏石像

滋賀県湖東三山天台宗 百済寺にて(11月)
喜見院庭園のハナノキ
 カエデ科 カエデ属


臨済宗
臨済宗永源寺派大本山
瑞石山永源寺

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赤い蒟蒻と眼鏡地蔵のある寺院
南北朝時代(1361)に、近江守護職佐々木六角氏頼公が、入唐求法の高僧、寂室元光禅師
(正燈国師)に帰依し、土地を寄進して伽藍を創建したことが始まり。禅師を慕って二千人あまりの
修行僧が集い、山中には五十六坊の末庵を有した。その後も、四人の高弟が永源寺を受け継いだ。
応仁の乱と明応(1492)永禄(1563)と続く戦乱によって、兵火にあい、伽藍や山内の寺院は全て
焼け落ちた。 江戸時代中期、妙心寺の僧、別峰紹印禅師は永源寺の荒廃を嘆き、弟子の
空子和尚らの働きにより、名声高き一絲文守禅師(仏頂国師)を迎え、後水尾天皇
東福門院(徳川和子)や彦根藩(井伊家)の帰依をうけて伽藍が再興された。



滋賀県湖東三山 臨済宗永源寺派大本山 瑞石山永源寺にて(11月)


滋賀県 旦度橋を渡るとの永源寺 
秋の琵琶湖方面、永源寺、延暦寺のページへ 

滋賀県湖東 瑞石山永源寺にて(11月)
愛知川向こうを展望

滋賀県湖東三山瑞石山永源寺にて(11月) 開山堂

滋賀県湖東三山瑞石山永源寺にて(11月)
松尾芭蕉の句碑 
こんにゃくのさしみもすこし梅の花

滋賀県湖東三山 瑞石山永源寺にて(11月) 総門

滋賀県湖東三山 瑞石山永源寺にて(11月) 山門

滋賀県湖東三山瑞石山永源寺にて(11月) 本堂

滋賀県湖東三山瑞石山永源寺にて(11月) 法堂

滋賀県湖東三山瑞石山永源寺にて(11月) 含空院

滋賀県湖東三山瑞石山永源寺にて(11月) 志納所

滋賀県湖東三山瑞石山永源寺にて(11月) 

滋賀県湖東三山瑞石山永源寺にて(11月) 

滋賀県湖東三山瑞石山永源寺にて(11月) 
十六羅漢像 この前に眼鏡地蔵がある 

滋賀県湖東三山瑞石山永源寺にて(11月) 鐘楼

滋賀県湖東三山瑞石山
永源寺にて(11月) 
珍しい眼鏡地蔵
紅葉一葉眼鏡地蔵に 
そっと寄り

滋賀県湖東三山瑞石山永源寺にて(11月) 茶筅塚



天台宗
天台宗 西国三十一番札所
姨綺耶山長命寺

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聖徳太子が名付けたという古刹
景行天皇(約2000年前)の頃、武内宿禰が柳の木に「寿命長遠諸願成就」と彫り
長寿を祈願して、宿禰は300歳の長命を保ったという。後に、聖徳太子が宿禰の祈願文を発見
した時、白髪の老人が現れ、それで仏像を彫り安置せよ告げた。太子は十一面観音、
を彫り安置し、長命寺と名付けた。中世には、延暦寺西塔の別院として、近江
守護佐々木氏の庇護を受けて栄えた。1516年、佐々木氏と伊庭氏の対立により
伽藍は全焼。現存の堂宇は室町時代から近世初期にかけて再建されたもの

滋賀県近江八幡にて(10月) 西国31番札所
 
姨綺耶山 長命寺 千手観音、十一面聖観世音菩薩

長命寺 三重の塔
 (重文)

長命寺にて(10月) 三重の塔

滋賀県近江八幡にて(10月) 西国31番札所 
  琵琶湖湖東 姨綺耶山 長命寺 参道 


琵琶湖湖東 姨綺耶山 長命寺から琵琶湖を展望 
長命寺にて(10月)  
写真クリックで拡大


長命寺にて(10月) 
「護法権現社」の裏の 
「修多羅岩」 開山、武内宿彌のご神体とされる 

長命寺にて(10月) 
長い石段の中間付近の寺名碑

 
長命寺にて(10月) 長くて厳しい石段の参道 


近江八
近江八幡
蓮照寺、寶積寺
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 近江八幡市にて(11月) 蓮照寺 山門

 

 近江八幡市にて(11月) 蓮照寺 本堂と鐘楼 

 近江八幡市にて(11月) 浄土宗寶積寺 本堂 

 近江八幡市にて(11月) 浄土宗寶積寺 山門 
寺院は魚屋町元にある。魚屋町中との間の
街道は朝鮮通信使が行列したという
朝鮮人街道地図 部分拡大図



1.2 和歌山の仏閣

新義真言
新義真言宗
一乗山大伝法院根来寺

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高野山から分かれ真言宗の大寺院
僧兵一万の鉄砲隊根来軍団は恐れられた

空海以来の学僧・覚鑁(かくばん)が大治5年(1130)、高野山に伝法院を建立し、2年後鳥羽上皇の院宣を得て、
大伝法院と密厳院を建立した。さらに2年後、覚鑁は金剛峯寺座主に就任し、堕落していた高野山を再建し、空海の教義を
復興しようとしたが、寺院が反対勢力により焼き討ちされた。覚鑁一門は高野山を下り、豊福寺(ぶふくじ)に拠点を移し
新たに円明寺を建て伝法会道場とし、豊福寺と円明寺を総称して根来寺とした。覚鑁没後学頭・頼瑜は大伝法院の寺籍を
根来に移し、大伝法院の本拠地は高野山から根来寺となった。この頃から室町時代末期には坊舎450(一説には2700とも)
を数え一大宗教都市を形成。寺領72万石の根来衆とよばれる僧兵1万余の大軍事集団を擁し、種子島の火縄銃で鉄砲隊が
作られた。織田信長とは石山合戦に協力したが、岸和田城を襲ったことで秀吉から攻められ、天正13年(1585)
寺は焼失。後に徳川家康から秀吉建立の祥雲禅寺が寄進され、紀州徳川家の庇護のもと一部が復興された。


和歌山県にて(10月) 根来寺 境内 大塔と大傳法堂


和歌山県 根来寺 大門 大門から大塔と大傳法堂まで百米以上の大きな敷地

和歌山県 根来寺 大塔(国宝)

大傳法堂の大日如来 高さ6mの大きな如来

和歌山県 根来寺 大傳法堂

 
和歌山県 根来寺にて(10月) 参道と太子堂


(天台宗系)
粉河観音宗総本山(天台宗
風猛山粉河寺

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枕草子、梁塵秘抄に載る著名な観音霊場、
西国三十三観音霊場巡り第3番

粉河寺は平安時代、朝廷の保護を得て栄えた。清少納言の枕草子194段に「寺は壺坂、笠置、法輪・・・石山、
粉川、志賀」とあり、梁塵秘抄には、「観音験(しるし)を見する寺、清水、石山、長谷の御山、粉河・・・」とある。
西行の山家集や、うつほ物語、狭衣物語にも粉河寺への言及があるなど、平安時代中期・10世紀には観音霊場として著名
であった。平安時代後期には、西国三十三所観音霊場巡りの札所として栄えた。天正13年(1585)、豊臣秀吉が紀州
に攻め入り、根来寺とともに全山焼失した。現在の伽藍はほとんどが江戸時代の再建である。



和歌山県にて(10月) 粉河寺本堂 平成20年は中興の祖、花山法皇の1000年御遠忌にあたる。
西国三十三所観音巡礼の各寺院が本尊などを公開する結縁御開帳を行った。

粉河観音宗総本山(天台宗系)


和歌山県 西国第3番札所 粉河寺 大門

和歌山県 風猛山 粉河寺 中門

ご開帳の千手観音

千手堂 千手観音217年振りのご開帳

和歌山県 粉河寺 
樹齢1000年のご神木

和歌山県 粉河寺参道より 
大門から中門へ
構内配置図

 若山牧水<1885〜1928>
粉河寺 遍路の衆の
  打ち鳴らす鉦々きこゆ
 秋の樹の間に
和歌山県 粉河寺にて

松尾芭蕉 <1664〜1740>
ひとつぬきて
うしろにおひぬころもかへ
」 
粉河寺にて 参考
粉河寺には、このほかにも句碑があります。句碑のページへ


 西国第3番札所 粉河寺 庭園 

 西国第3番札所 粉河寺 門前町


護国院
救世観音宗総本山

紀三井山金剛宝寺護国院
(紀三井寺)

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境内にある三っつの井戸(清浄水、楊柳水、吉祥水)より
紀三井寺と名付けられた霊刹。西国三十三所観音霊場第2番札所

紀三井寺は約1230年前、奈良朝光仁天皇の宝亀元年(770)、唐の為光上人によって開基された。
上人は波荒い東シナ海を渡って唐より到来し、人々の苦悩を救わんがため、仏法を弘められた。この地で、
夜半名草山山頂に霊光と千手観音尊像を感得し、観音慈悲の霊場として、十一面観世音菩薩像を安置された。
その後、後白河法皇が当山を勅願所と定められて以後隆盛を極め、鎌倉時代には僧侶も五百人を越えた。江戸時代、
徳川家歴代藩主が紀州祈祷大道場とされた。正式には紀三井山金剛宝寺護国院といい、通称紀三井寺と呼ばれるが、
今も境内に、清浄水(しょうじょうすい)、楊柳水(ようりゅうすい)、吉祥水(きっしょうすい)の三井より
清水が湧き出し、絶えることがない。(紀三井寺三井水は昭和60年、環境庁の日本名水百選に選定)


西国第2番札所 紀三井寺 楼門 写真クリックで拡大写真 (TM氏)

 
      
 和歌山市にて(10月) 紀三井寺 俯瞰図                 231段の石段が続く  
    

西国第2番札所 紀三井寺 楼門

和歌山市にて(10月) 救世観音宗総本山 紀三井山紀三井寺 金剛宝寺本堂

  
和歌山県 紀三井寺 多宝塔            六角堂              鐘楼

松尾芭蕉 <1664〜1740>
見上久れは
さくらしまふて ・
紀三井てら
」   ・ 
和歌山県 紀三井寺にて

写真クリックで拡大

紀三井寺には、
このほかにも句碑があります。
句碑のページへ


和歌山県 救世観音宗総本山
紀三井寺 幸福観音 

 紀三井山 金剛宝寺の三名水の一つ
 紀三井寺の名の由来


和歌山市にて(10月) 救世観音宗総本山 紀三井山 金剛宝寺からの和歌山市内展望


総本山
高野山真言宗総本山
高野山金剛峯寺

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平成27年に開創1200年を迎える
空海が嵯峨天皇から賜った高野山に開いた真言密教の総本山
空海は最澄と並び、平安仏教を開いた高僧で、後世にはお大師様として信仰の対象ともなった。
空海は宝亀5年(774)讃岐国(香川県善通寺市)の佐伯家に生まれ、十代末から奈良で仏典の研究に励み、
時に山野にて修行した。延暦23年(804)唐に渡り、長安・青龍寺で密教を学び、大同元年(806)帰国した。
弘仁7年(816)嵯峨天皇から高野山を賜わり、山上に曼荼羅世界を現出しようとした。(ネットより要約)

金剛峰寺本堂は覺鑁(かくばん)上人が鳥羽上皇の勅許を得て小伝法院を建立したこに由来する。その後、
豊臣秀吉が母の菩提を弔うため、剃髪寺のちに青厳寺と呼ぶ本殿を建立したが、再三の火災により焼失した。
現在の本殿は文久3年(1863)の再建になる。明治に金剛峰寺と改称され、高野山真言宗の総本山として
高野山の全土地を所有し、高野山真言宗の一切の宗務を司る宗務所がおかれている(高野山HPより)


和歌山県にて(10月) 高野山 奥の院


根本大塔近くの左の寄進碑は松下関係
写真クリックで拡大、説明板

 和歌山県高野山にて(10月) 真言宗総本山 金剛峯寺 


和歌山県にて(10月) 高野山 壇場伽藍 大会堂(だいえどう)と根本大塔


和歌山県 高野山 清浄心院 (宿坊 117ヶ寺の一つ)

和歌山県 高野山 奥の院 参詣道 弘法大師御廟にいたる

和歌山県にて(10月) 高野山 奥の院の紅葉

和歌山県にて(10月) 高野山 鐘楼

和歌山県 高野山奥の院豊臣家墓所(史跡)
戦国武将から現代企業の墓所まで多彩

高野山 動物供養塔
国、宗教を問わずロケットや動物の供養塔まである

和歌山県にて(10月) 高野山 境内

和歌山県にて(10月) 高野山から竜神への連山


高野山案内マップ


青岸渡
天台宗
那智山青岸渡寺

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西国三十三観音霊場第1番札所
「補陀洛や岸打つ波は三熊野の那智のお山にひびく滝つ瀬」と御詠歌で親しまれている。
開基は仁徳帝の頃(4世紀)、印度天竺の僧、裸形上人が那智大滝において修行を積みその暁に瀧壷で
八寸の観音菩薩を感得し、ここに草庵を営んで安置したのが最初という。
平田篤胤等によって提唱された廃仏希釈は「日本は神国であり、元来外国から移入された
仏教は邪教である」との廃仏復古神道思想で、瞬く間に全国を風靡し、”王政復古”の精神的原動力
となって、政治・思想および教化面で維新時代に重きをなした。この明治時代に、熊野三山の
他の2つ、熊野本宮大社熊野速玉大社では仏堂は全て廃されたが、熊野那智大社では
如意輪堂が破却を免れ、のちに信者の手で青岸渡寺として復興した。(参考



和歌山県にて(1月)  西国1番札所那智山青岸渡寺 


和歌山県にて(1月)  西国1番札所那智山青岸渡寺の那智の滝 

 
西国三十三観音霊場1番札所 天台宗那智山青岸渡寺本堂正面と本堂外陣(ネットより転載)




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