[仏 閣] 中項目・目次           HPのトップへ
 1.滋賀・和歌山 2.中国・四国 3.中部・北陸・東日本 4.京都 5.奈良 6.大阪 7.兵庫

4.京都 4-1 市内(東-1) 方広寺 永観堂 南禅寺 南禅院 金地院 天授庵 大寧軒 妙法院 三十三間堂 法住寺 養源院 智積院 専称寺 
相国寺 長徳院 養源院 豊光寺 大光明寺 銀閣寺 宝鏡寺 本法寺 妙顕寺 慈受院 頂妙寺 金戒光明寺 真如堂 浄土院 六波羅蜜寺 瑞泉寺 
青蓮院 法然院 安楽寺 霊鑑寺 知恩院 仲源寺 西大谷 東大谷 東山浄苑 建仁寺 六道珍皇寺 高台寺 圓徳院 大雲院  雙林寺 長楽寺
安養寺
 
清水寺 本能寺跡
 
4-1 市内(東-2) 4-2 市内(中)  4-2 市内(西)  4-3 京都府下


4-1 京都市内(東-1)

方広
天台宗山門派
方広寺(大仏殿)
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家康の大坂城攻めの口実にされた
「国家安康」の刻まれた大梵鐘のある寺院

当寺は秀吉が木食応其を開山として天正14年(1586)建立。大日如来、大黒天を祀る。大仏殿は9年後に完成し、
大仏開眼千僧供養会を行った。各宗派から千人の僧が出仕し、僧の食事を準備した台所が妙法院である。東大寺の
大仏より大きかった。慶長元年(1596)慶長伏見地震で倒壊し、豊臣秀頼により再建されたが、寛政10年(1798)
落雷で焼失した。当時の梵鐘には「国家安康」「君臣豊楽」の銘文が徳川家康の家と康を分断し、徳川家を
冒涜するとして、大坂の役を招いたとされる(方広寺鐘銘事件)。
当時の方広寺は、豊国神社、
京都国立博物館、妙法院、三十三間堂を全て含む広大なものであった。
説明図 説明板



京都市東山区にて(8月) 天台宗山門派方広寺鐘楼(東側)
82トン(知恩院は70トンと言う)の大梵鐘 
クリックで拡大

 
京都市東山区にて(8月) 天台宗方広寺鐘楼(西側)

 
京都市東山区にて(8月) 天台宗山門派方広寺鐘楼 82トンの大梵鐘(重文) 右写真は銘文の拡大
梵鐘に徳川の大坂城攻めの口実にされた「君臣豊楽」「国家安康」の銘文(南禅寺の禅僧文英清韓の作)がある
東大寺、知恩院のものと合わせ日本三大名鐘のひとつ


 
京都市東山区天台宗方広寺にて(8月) 巨石を使った大仏殿石垣(史跡)
写真左の碑には天正14年豊臣秀吉築造とある 
クリックで拡大

 
京都市東山区天台宗方広寺本堂(H24年8月修理中) ネットより転載
写真左は同所(10月)にて  国立博物館新館あたりの豊臣秀吉築造の石垣
クリックで拡大


京都市東山区三十三間堂にて(8月) 蓮華王院南大門 クリックで拡大
元は豊臣秀吉が建立した方広寺南門を豊臣秀頼により移築された。
当時の方広寺は国立博物館、妙法院、三十三間堂を一体とする大寺院であった


 
京都市東山区京都国立博物館にて(10月) 方広寺遺構解説板    クリックで拡大


永観堂
浄土宗西山禅林寺派総本山
聖衆来迎山無量壽院禅林寺
永観堂
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本尊は顔が左向きの阿弥陀如来
永保2年(1082)、永観が念仏を唱えつつ、阿弥陀如来の周囲を行道していると、阿弥陀如来が永観と一緒に行道を始めた。
永観が立ち止まると、如来は振り返って「永観遅し」と言ったという。阿弥陀如来像はそれ以来首の向きが元に戻らないという。
禅林寺12世の静遍(1166~ 1224)は真言宗の僧であったが、後に法然に帰依し、法然の高弟の証空(西山)も、静遍の後を
嗣いで当寺に住持した。禅林寺は真言宗から浄土宗西山派の寺院となり、浄土宗念仏道場とされた。


 
京都市左京区にて(8月) 浄土宗西山禅林寺派総本山 聖衆来迎山無量寿院禅林寺 総門
右は永観堂寺碑(
クリックで拡大総門の写真をクリックすると境内図がでます

 
京都市左京区にて(8月) 浄土宗禅林寺永観堂みかえり阿弥陀如来像
寺院頒布の写真より 右は総門脇の「みかえり阿弥陀如来碑」
写真クリックで拡大します

 
京都市左京区にて(8月) 浄土宗西山禅林寺派総本山 聖衆来迎山無量寿院禅林寺 永観堂 参道


京都市左京区 浄土宗西山禅林寺派禅林寺永観堂 句言「天下和順」

 
京都市左京区にて(8月) 浄土宗西山禅林寺派総本山 聖衆来迎山無量寿院禅林寺永観堂 中門(左写真は正面より、右写真は内側より)


京都市左京区にて(8月) 浄土宗西山禅林寺派総本山
聖衆来迎山無量寿院禅林寺永観堂
大玄関(拝観入口)
写真クリックで寺院の鳥瞰図が出ます

 
京都市左京区にて(8月) 浄土宗西山禅林寺派総本山 聖衆来迎山無量寿院禅林寺永観堂 鶴寿台前の中庭

 
京都市左京区にて(8月) 浄土宗西山禅林寺派総本山 聖衆来迎山無量寿院禅林寺 永観堂 鶴壽台から古方丈への渡り廊下

 
京都市左京区にて(8月) 浄土宗西山禅林寺派総本山 聖衆来迎山無量寿院禅林寺 永観堂 瑞紫殿、釈迦堂前の中庭 右は古方丈の外縁


 
京都市左京区にて(8月) 浄土宗西山禅林寺派総本山 聖衆来迎山無量寿院禅林寺 永観堂 釈迦堂


京都市左京区にて(8月) 浄土宗禅林寺 永観堂 
唐門(勅使門) 四脚形式の向唐門で江戸末期再建
勅使は門の内側の白い盛砂を踏んで身を浄めて入場した



京都市左京区にて(8月) 浄土宗禅林寺 永観堂 釈迦堂前庭


京都市左京区にて(8月) 浄土宗 永観堂 釈迦堂から御影堂への渡り



京都市左京区にて(8月) 浄土宗禅林寺 永観堂 御影堂(大殿)と阿弥陀堂(本堂)


京都市左京区にて(8月) 浄土宗禅林寺 永観堂 開山堂より御影堂

 
京都市左京区にて(8月) 浄土宗西山禅林寺派総本山 聖衆来迎山無量寿院禅林寺 永観堂 御影堂

 
京都市左京区にて(8月) 浄土宗禅林寺 永観堂 御影堂 
びんずる尊者はクリックで拡大


京都市左京区にて(8月) 浄土宗禅林寺 永観堂 御影堂正面


京都市左京区にて(8月) 浄土宗禅林寺 永観堂 阿弥陀堂


京都市左京区にて(8月) 浄土宗禅林寺 永観堂 阿弥陀堂(本尊みかえり阿弥陀如来)

 
京都市左京区にて(8月) 浄土宗西山禅林寺派総本山 聖衆来迎山無量寿院禅林寺 永観堂 みかえり阿弥陀如来

 
京都市左京区にて(8月) 浄土宗西山禅林寺派総本山 聖衆来迎山無量寿院禅林寺 永観堂 開山堂への臥龍廊


京都市左京区にて(8月) 浄土宗禅林寺 永観堂 水琴窟

 
京都市左京区にて(8月) 浄土宗西山禅林寺派総本山 聖衆来迎山無量寿院禅林寺 永観堂 開山堂

 
京都市左京区にて(8月) 浄土宗西山禅林寺派総本山 聖衆来迎山無量寿院禅林寺 永観堂 今様碑と遠理の楓駒札
今様「
佛は常にいませども 現ならぬぞあはれなる 人の音せぬ暁に ほのかに夢に見え給ふ


京都市左京区にて(8月) 浄土宗西山禅林寺派総本山 禅林寺 永観堂 聖峯閣

 
京都市左京区にて(8月) 浄土宗西山禅林寺派総本山 聖衆来迎山無量寿院禅林寺 永観堂 境内


京都市左京区にて(8月) 浄土宗西山禅林寺派総本山 禅林寺 永観堂 放生池

 
京都市左京区にて(8月) 浄土宗西山禅林寺派総本山 禅林寺 永観堂 

 
京都市左京区にて(8月) 浄土宗西山禅林寺派 禅林寺 永観堂 境内 右写真は放生池にかかる弁天社への橋付近

 
京都市左京区にて(8月) 浄土宗西山禅林寺派総本山 禅林寺 永観堂 やすらぎ観音と大灯篭

 
京都市左京区にて(8月) 浄土宗西山禅林寺派 禅林寺 永観堂 龍吐水 右写真は画仙堂(鈴木松僊画伯の発願で大正3年建立)


京都市左京区にて(8月) 浄土宗西山禅林寺派 禅林寺 永観堂 釈迦堂越しの多宝塔


京都市左京区にて(8月) 浄土宗西山禅林寺派 禅林寺 永観堂 多宝塔

 
京都市左京区にて(8月) 浄土宗西山禅林寺派 禅林寺 永観堂 勧学門 図書館

 
京都市左京区にて(8月) 浄土宗西山禅林寺派 禅林寺 永観堂 夢庵


京都市左京区にて(8月) 浄土宗西山禅林寺派 永観堂塔頭 智福院

 
京都市左京区にて(冬) 浄土宗総本山永観堂 総門  右写真は遊心門(南門)(ともにTM氏)



京都市永観堂にて(8月)
獅子門歴代句碑

京都市永観堂にて(8月)
獅子門歴代句碑(
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作者不詳
 水のあや 柳は春に もどりけり


南禅寺
臨済宗南禅寺派大本山
瑞龍山太平興国南禅寺
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南禅寺は約710年昔の正応4年(1291年)、亀山法皇が無関普門禅師(大明国師)を
開山に迎えて開創された。建長元年(1249年)、後嵯峨上皇の皇子として誕生され、
10歳で第90代亀山天皇に即位された。上皇になられた後、蒙古来襲に遭われた。
上皇は禅林寺で落飾(出家)されて法皇になられ、離宮を南禅寺とされた。
本尊は釈迦如来である 
南禅寺境内図

 
京都市左京区にて(10月) 瑞龍山太平興国南禅寺 三門 写真右は山門前の大佐久間灯篭   クリックで三門と灯篭を拡大
歌舞伎の「楼門五三桐」ではこの三門に、盗賊石川五右衛門が棲んでいて、夕暮れ時、五右衛門は煙管をくわえて、
「絶景かな絶景かな。春の眺めは価千金とは小さなたとえ。己の目からは一目万両。はてうららかな眺めじゃな~」
南禅寺三門は五右衛門の死後30年程後に建てられたので、あくまで芝居の話。五右衛門の墓は大雲院にあり。

 
左京区南禅寺にて(10月) 南禅寺中門 右は南禅寺勅使門  
クリックで7月の門が出る


京都市左京区にて(10月) 南禅寺三門から西北を展望 石川五右衛門の「絶景かな」の舞台


 
京都市左京区南禅寺にて(10月) 南禅僧堂
 右は法堂への参道

 
京都市左京区南禅寺にて(10月) 三門と法堂



京都市左京区にて(10月) 南禅寺法堂


京都市左京区にて(10月) 南禅寺法堂(南禅院側)

 
京都市左京区にて(10月) 南禅寺本坊入口


京都市左京区にて(10月) 南禅寺方丈


 
京都市左京区にて(10月) 南禅寺方丈玄関(一般には別玄関あり)
 右は南禅寺方丈茶室


左京区南禅寺にて(10月) 方丈庭園 虎の子渡しの庭 正面は法堂

 
左京区南禅寺方丈にて(10月) 茶室窮心亭
 右は方丈中庭


左京区南禅寺にて(10月) 方丈庭園 虎の子渡しの庭

 
左京区南禅寺方丈にて(10月) 方丈庭園(西側) 如心庭 右は茶室窮心亭と南禅寺垣


左京区南禅寺にて(10月) 方丈庭園 華厳の庭


左京区南禅寺にて(10月) 方丈庭園六道庭

左京区南禅寺にて(10月) 方丈庭園


京都市左京区にて(10月) 南禅寺三門から西南を展望



左京区南禅寺にて(10月)
方丈前の龍の碑文

南禅寺森永湛堂老師 杉洞<1900~1975>
「この門を入れば涼風おのづから」

京都市左京区にて(11月) 無鄰菴の西 南禅寺総門

京都市左京区南禅寺にて(10月) 瑞寶殿

臨済宗南禅寺派総本山 南禅寺 三門 (TM氏)

南禅寺 大寂門(北門) (TM氏)

 
左京区南禅寺にて(10月) 南禅寺鐘楼       写真右は波気都歌(刷毛塚)


 
左京区南禅寺にて(10月) 水路閣(下から)  右は水路閣(上から)


京都市左京区南禅寺にて(10月) 水路閣


南禅院
臨済宗南禅寺派
南禅寺塔頭南禅院
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亀山天皇は、正応2年(1289)離宮で出家して法皇となり、離宮を寄進して禅寺
とし大明国師を開山とされた。ここは離宮の遺跡であり、南禅寺発祥の地である



左京区南禅寺にて(10月) 塔頭南禅院 方丈
元禄16年(1703)徳川綱吉の母、桂昌院の寄進によって再建され、総桧の入母屋造こけら葺

 
左京区南禅寺にて(10月) 塔頭南禅院 方丈 内陣には、亀山法皇の御木像が安置されている


南禅寺にて(10月) 塔頭南禅院 池泉回遊式庭園(京都の三名勝史跡庭園の一つ)
記録には吉野の桜、難波の葦、竜田の楓等が移植され、井手の蛙も放たれたとある
(参考)京都三名勝史蹟庭は、南禅院庭園、天龍寺庭園、苔寺庭園


左京区南禅寺にて(10月) 亀山天皇分骨所

左京区南禅寺にて(10月) 表門

左京区南禅寺にて(10月) 方丈前

左京区南禅寺にて(10月) 庫裏

左京区南禅寺にて(10月) 方丈前
左京区南禅寺にて(10月) 南禅院 茶室


左京区南禅寺にて(10月) 塔頭南禅院 池泉回遊式庭園
無窓国師の作庭と伝わるの池泉回遊式庭園(京都の三名勝史蹟庭園)

 
京都市左京区南禅寺にて 塔頭南禅院庭園(TM氏)


金地
臨済宗南禅寺派
南禅寺塔頭
金地院

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家康の遺髪と念持仏とを祀る東照宮(重文)や明智光秀が母の菩提
のため大徳寺内に建立した明智門(移築)、小堀遠州作の桃山時代の
風格を備えた江戸初期の代表的枯山水庭園(特別名勝)がある。
金地院説明駒札


京都市左京区南禅寺にて(10月) 塔頭金地院 高麗門  
写真クリックで7月の門 別の高麗門写真へ

 
京都市左京区南禅寺にて(7月)と(10月) 塔頭金地院 庫裏 
写真クリックで拡大


京都市左京区南禅寺にて(10月) 塔頭金地院 大門 四脚門


南禅寺にて(10月) 塔頭金地院 開山堂(正面奥)

左京区南禅寺にて(10月) 塔頭金地院 明智門


左京区南禅寺にて(10月) 塔頭金地院 明智門(内側)



左京区南禅寺にて(10月) 塔頭金地院 大門内側

南禅寺にて(10月) 塔頭金地院 開山堂

 
京都市左京区南禅寺にて(10月) 塔頭金地院 庫裏


左京区南禅寺にて(10月) 塔頭金地院 本堂・大方丈

左京区南禅寺にて(10月)
塔頭金地院 本堂・大方丈扁額
山岡鉄舟筆「布金道場」
鉄舟<1836~1888>
(参考)幕末三舟;
山岡鉄舟、勝海舟、高橋泥舟

 
左京区南禅寺塔頭金地院にて(10月)  弁天池
  右は鎮守堂

 
左京区南禅寺塔頭金地院にて(10月) 東照宮参道  右は東照宮楼門と手水舎

 
左京区南禅寺塔頭金地院にて(10月) 東照宮
  右は東照宮中門(内側)


左京区南禅寺塔頭金地院にて(7月) 楼門(扁額は東照宮) クリックで拡大  
金地院大門の南にあり、東照宮へは金地院総門より入る


左京区南禅寺にて(10月) 塔頭金地院 弁天池

 
左京区南禅寺塔頭金地院にて(10月) 小堀遠州作の鶴亀庭園(亀島) 右は(鶴島)


左京区南禅寺にて(10月) 塔頭金地院 
小堀遠州作の鶴亀庭園

  
左京区南禅寺にて(7月) 金地院碧層軒 右端写真は金地院前参道(左が金地院、突き当たりが高麗門) 
クリックで拡大 


天授
臨済宗南禅寺派
南禅寺塔頭
天授庵

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暦応2年 (1339) に虎関師錬が南禅寺を開山した無関普門の塔所(墓所)として建立
一時衰退したが,慶長7年 (1602) に武将で歌人の細川幽斎により再興され、細川家の菩提寺となった。
本堂には長谷川等伯作の襖絵「禅宗祖師図」「松鶴図」ほかの有名な襖絵がある。



京都市左京区南禅寺にて(10月) 塔頭天授庵 書院 


京都市左京区南禅寺にて(10月) 塔頭天授庵 全景
南禅寺三門楼上より展望 左より方丈、書院、庫裏


京都市左京区南禅寺にて(10月) 塔頭天授庵 山門


左京区南禅寺にて(10月) 塔頭天授庵

左京区南禅寺にて(10月) 天授庵方丈庭園へ

南禅寺天授庵にて(10月) 南禅寺三門、天授庵勅使門

左京区南禅寺にて(10月) 塔頭天授庵 勅使門

南禅寺にて(10月) 塔頭天授庵 方丈庭園入口

左京区南禅寺にて(10月)
塔頭天授庵
方丈扁額

 
左京区南禅寺にて(10月) 塔頭天授庵方丈東庭 枯山水庭園「淵黙庭」(左勅使門、右は書院庭園「澄心庭」へ続く)

 
左京区南禅寺塔頭天授庵にて(10月) 方丈枯山水庭園「淵黙庭」



京都市左京区南禅寺にて(10月) 塔頭天授庵 書院

 
左京区南禅寺塔頭天授庵にて(10月) 書院庭園  右は書院前井戸


京都市左京区南禅寺塔頭天授庵にて(10月) 書院前池泉回遊式庭園「淵黙庭」 

 
左京区南禅寺塔頭天授庵にて(10月) 書院前池泉回遊式庭園「淵黙庭」 

 
京都市左京区南禅寺にて(10月) 塔頭天授庵 写真左は庭園より書院と方丈 写真右は書院から庭園

 
左京区南禅寺塔頭天授庵にて(10月) 庫裏庭園と石碑文

 
左京区南禅寺にて(10月) 塔頭天授庵 蹲と竹林


左京区南禅寺にて(10月) 塔頭天授庵 庭園

左京区南禅寺にて(10月) 塔頭天授庵 普門殿
 


天授
南禅寺 大寧軒

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廃仏毀釈によって一時期、茶人薮内流家元の所有となったが
美しい庭園には茶室と三柱鳥居がある。最近、南禅寺に戻された。

大寧軒は2004年、南禅寺の塔頭大寧院の跡地に戻った。明治の廃仏毀釈によって大寧院が廃され、召し上げとなり
茶人薮内流家元の所有となった。薮内紹智は470坪の池泉回遊式を作り、茶室環翠庵を設けた。庭園には琵琶湖疏水による
滝から水が流れ、その中に、太秦の古社蚕ノ社をモデルとした三柱鳥居が立てられている。(参考


京都市左京区にて(7月) 南禅寺大寧軒 門(正面) 
クリックで別方向から拡大

 
京都市左京区南禅寺大寧軒にて(7月)  三柱鳥居 クリックで拡大  大寧軒案内

 
京都市左京区南禅寺大寧軒にて(7月) 門(内側) 右は中門 クリックで拡大


京都市左京区南禅寺大寧軒にて(7月) 中門(内側) 
クリックで拡大

京都市左京区南禅寺大寧軒にて(7月) 池泉回遊式庭園 クリックで拡大

 
京都市左京区南禅寺大寧軒にて(7月) 池泉回遊式庭園 
クリックで拡大

 
京都市左京区南禅寺大寧軒にて(7月) 池泉回遊式庭園 クリックで拡大

    
京都市左京区南禅寺大寧軒にて(7月) 写真左から借景の 東山三十六峰大日山
左は南禅寺大寧軒配置図 右は南禅寺境内配置図 
写真・配置図をクリックで拡大

 
京都市左京区南禅寺大寧軒にて(7月) 玄武岩の塔と阿弥陀如来石像 
クリックで拡大

  
京都市左京区南禅寺大寧軒にて(7月) 茶室環翠庵 クリックで拡大

 
京都市左京区南禅寺大寧軒にて(7月) 庭園の蹲 
クリックで拡大

 
京都市左京区南禅寺大寧軒にて(7月) 庭園の各種灯篭 クリックで拡大

  
京都市左京区南禅寺大寧軒にて(7月) 写真左から庭園の梅花藻 桔梗 半夏生 クリックで拡大


臨済宗南禅寺派
南禅寺塔頭

南陽院、真乗院、駒ヶ滝最勝院、正因庵
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南禅寺にて(10月) 塔頭南陽院  クリックで7月の南陽院  

左京区南禅寺にて(10月) 塔頭真乗院 山名宗全公之墓

 
左京区南禅寺にて(10月) 駒ヶ滝最勝院案内碑   右写真は南禅寺三門より見る塔頭正因庵


左京区南禅寺にて(10月) 塔頭正因庵


妙法
天台宗
南叡山妙法院
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天台五門跡、天台三門跡(妙法院、青蓮院、三千院)の一つ
三十三間堂は妙法院の一部である。かっては方広寺も管理した。
妙法院台所(庫裏)が方広寺の豊臣家千僧供養に出仕する千人もの僧の食事を準備した。
慶応4年(1868)明治天皇は天智天皇山科陵、孝明天皇後月輪東山陵を拝し,妙法院で休憩された。
明治13年(1880)にも、泉寺の孝明天皇陵に参拝し,妙法院で昼食のため休憩された。



京都市東山区妙法院にて(3月) 庫裏(国宝)
妙法院庫裏は、豊臣秀吉が先祖のための「千僧供養」を行った際の台所として使用されたと伝える豪壮な建物である。


東山区妙法院にて(3月) 大門 

東山区妙法院にて(3月) 玄関 

東山区妙法院にて(3月) 
明治天皇妙法院行在所

慶応4(1868)年8月29日明治天皇は,
天智天皇山科陵、孝明天皇後月輪
東山陵を拝し,妙法院で休憩された。
また、明治13(1880)年7月16日孝明天皇陵
に参拝し,泉寺還幸の途次に妙法院
で昼食のため休憩された。
参考

 
京都市東山区妙法院にて(3月) 正面は庫裏(国宝)


京都市東山区妙法院にて(3月) 普賢堂参道横の庭園

京都市東山区妙法院にて(3月) 唐門前庭園

 東山区妙法院にて(3月) 唐門(南から)

 東山区妙法院にて(3月) 唐門(南西から)

 東山区妙法院にて(3月) 唐門(東から)

 東山区妙法院にて(3月) 唐門(東北から)
 
京都市東山区妙法院にて(3月) 本堂(普賢堂) 本尊「普賢菩薩像」(重文)
写真クリックで説明文拡大


京都市東山区妙法院にて(3月) 普賢堂への参道脇庭園

京都市東山区妙法院にて(3月) 普賢堂前庭園

 東山区妙法院にて(3月) 唐門前の地蔵尊

 東山区妙法院にて(3月) 弁財天
 
京都市東山区妙法院にて(3月) 本堂(普賢堂)前の宸殿



天台宗妙法院境外仏堂
蓮華王院三十三間堂

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1001体の十一面千手観音と28部衆が整然と並ぶ
壮大な国宝、重文級の仏像群。後白河上皇、清盛に関わる寺院

三十三間堂はの正式名称は蓮華王院本堂。近くの天台宗妙法院の境外仏堂であり、同院が所有・管理している。
元は後白河上皇が平清盛に資金協力を命じて離宮 上皇の法住寺殿内に創建した仏堂で、本尊は千手千眼観音。上皇が
頭痛に悩み、因幡堂の薬師如来に参詣すると、前世の蓮花坊を弔えとのお告げの通り、熊野の川底から
遺骸を拾い、三十三間堂にて供養し、上皇の頭痛が治ったことから「蓮華王院」と呼んだという。


京都市東山区にて(8月) 天台宗妙法院蓮華王院三十三間堂 西門


京都市東山区にて(8月) 天台宗妙法院蓮華王院三十三間堂 西門(内側)


京都市東山区にて(8月) 天台宗妙法院蓮華王院三十三間堂 普門閣(参観入口)


京都市東山区にて(8月) 天台宗妙法院蓮華王院三十三間堂 本堂(国宝) 東南部より撮影

 
 
京都市東山区にて(8月) 天台宗妙法院蓮華王院三十三間堂 本堂中央の本尊十一面千手観音坐像(国宝)
写真左は風神、右は雷神(二十八部衆像ともに国宝) 
上の仏像の写真は解説書「国宝三十三間堂」より(クリックで拡大します)


京都市にて(8月) 天台宗妙法院蓮華王院三十三間堂 本堂「十一面千手千眼観世音菩薩」立像1001体(重文)
仏像の写真は堂内写真禁止のため解説書「国宝三十三間堂」によるもの
この内の5体が東京国立博物館に1体が兵庫県朝光寺に移されたらしい

 
京都市東山区にて(8月) 天台宗妙法院蓮華王院三十三間堂 参拝口  右写真は南大門(豊臣秀頼が移築(クリックで拡大
南大門は豊臣秀吉が建立した方広寺の南門をその子豊臣秀頼が現在地に移築した


 
京都市東山区にて(8月) 天台宗妙法院蓮華王院三十三間堂 南大門(参道の奥クリックで拡大)と東大門  右は東大門(内側)

 
京都市東山区にて(8月) 天台宗妙法院蓮華王院三十三間堂本堂(国宝)と駒札(クリック拡大

 
京都市東山区にて(8月) 天台宗妙法院蓮華王院三十三間堂 本堂(国宝)(北面) 右は(南面)

 
京都市東山区にて(8月) 天台宗妙法蓮華王院三十三間堂 本堂東縁(北方向)   右は(南方向)

 
京都市東山区にて(8月) 三十三間堂 久勢稲荷大明神


京都市東山区にて(8月) 天台宗妙法院蓮華王院三十三間堂 庭園
昭和36年に京都の造園家中根金作によって築庭(鎌倉時代の作庭法による)


 
京都市東山区にて(8月) 天台宗妙法院蓮華王院三十三間堂 庭園


京都市東山区にて(8月) 天台宗妙法院蓮華王院三十三間堂 庭園


京都市東山区にて(8月) 天台宗妙法院蓮華王院三十三間堂 西側

 
京都市東山区にて(8月) 天台宗妙法院蓮華王院三十三間堂 手水舎「夜泣泉」  右は鐘楼(平成元年比叡山開創1200年を記念して建設)


京都市東山区にて(8月) 天台宗妙法院蓮華王院三十三間堂 西縁 通し矢射場

 
京都市東山区にて(8月) 天台宗妙法院蓮華王院三十三間堂本堂西側 通し矢射場(写真の方向に向かって矢を射た)

   
京都市東山区にて(8月) 天台宗妙法院蓮華王院三十三間堂 太閤塀(重文)

 
都市東山区にて(10月) 天台宗妙法院蓮華王院三十三間堂の西側外塀  クリックで拡大


法住寺
天台宗
法住寺

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後白河上皇の御陵を守る菩提寺であった
三十三間堂は広大なこの寺の境内に建てられた
平安時代藤原為光による創設。その後後白河上皇による宮廷「法住寺殿」が営なまれた。寺内の身代不動明王は、
慈覚大師が造立したといわれ、後白河上皇の信仰も篤かった。木曽義仲の焼き討ちの際、上皇の身代わりとなったと伝えられ、
後に
後白河上皇の御陵をまもる菩提寺となった。明治に御陵と寺が分離されたが、現在も毎年11月には不動会が行われる。


京都市東山区にて(8月) 天台宗法住寺

 
京都市東山区にて(8月) 天台宗法住寺

 
京都市東山区にて(8月) 天台宗法住寺 右は身代不動明王を本尊とする不動堂

 
京都市東山区にて(8月) 天台宗法住寺  蹲


養源
浄土真宗
養源院

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自刃した徳川軍の血の跡の残る伏見城を本堂として移築し
崇源院(お江の方)が再建した。俵屋宗達の襖、俵屋宗達の
杉戸画(国宝)の寺
。小堀遠州作の庭(非公開)がある
 

豊臣秀吉の側室淀殿が父浅井長政の供養のために秀吉に願って成伯法印(長政従弟で比叡山僧)を開山として
創建。その後、火災により焼失するが、淀殿の妹である徳川秀忠の正室 崇源院(江)の願により再興され、
以後、徳川氏の菩提所となった。伏見城の血の跡残る廊下を移築して天井に貼り付け、豊臣を恨み続けた

血天井の源光庵のページへ



京都市東山区にて(8月) 浄土真宗遣迎院派養源院 山門

 
京都市東山区にて(8月) 浄土真宗遣迎院派養源院 右は参道脇の毘沙門堂


京都市東山区にて(8月) 浄土真宗遣迎院派養源院 参道

 
京都市東山区にて(8月) 浄土真宗遣迎院派養源院 鐘楼と血天井の駒札


俵屋宗達の襖絵(重文) 三井住友信託銀行情報誌 Vol.14 2015 より クリックで拡大

  
京都市東山区にて(8月) 浄土真宗遣迎院派養源院 俵屋宗達の杉戸絵(重文) (ネットより転載) クリックで拡大
写真左から波と麒麟図 白象図 唐獅子(金獅子)図

  
三井住友信託銀行情報誌 Vol.14 2015 より俵屋宗達の杉戸絵唐獅子(重文) クリックで拡大
写真左から青獅子図 白獅子図 金獅子図



智積院
真言宗智山派総本山
五百佛山根来寺

(智積院)
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和歌山の根来寺から来た寺院
傘下に関東の成田山新勝寺川崎大師平間寺高尾山薬王院の大本山を始め、
東京高幡山金剛寺、名古屋大須観音寶生院を別格本山とし、全国3000余の寺院教会を擁し、
全国約30万人檀信徒信仰の総本山としての総菩提所、総祈願所である(智積院HPより)


京都市東山区にて(3月) 真言宗智山派総本山五百佛山根来寺智積院総門 境内マップ


智山派総本山根来寺智積院 西入口 正面金堂

智山派総本山根来寺智積院 北門 
 
クリックで説明板拡大 京都市東山区にて(3月) 真言宗智山派総本山根来寺智積院 明王殿

京都市東山区にて(3月) 真言宗智山派総本山 五百佛山根来寺智積院 金堂 クリックで拡大


京都市東山区にて(3月) 真言宗智山派総本山五百佛山根来寺智積院 金堂

  
真言宗智山派総本山根来寺智積院にて(3月) 金堂の大日如来と扁額 
   クリックで金堂説明板拡大

 
真言宗智山派総本山根来寺智積院にて(3月) 鐘楼殿 智専之鐘碑


真言宗智山派総本山智積院にて(3月) 檀信徒受付 

真言宗智山派総本山智積院にて(3月) 正面本坊

真言宗智山派総本山智積院にて(3月) 
本坊門 

真言宗智山派総本山智積院にて(3月) 本坊
 
クリックで拡大 


智山派総本山智積院にて(3月) 大師堂


智山派総本山智積院大師堂にて(3月) 弘法大師像

クリックで拡大

総本山智積院大師堂にて(3月) 稚児大師像

クリックで拡大

 
智山派総本山智積院にて(3月) 中興の僧 玄宥(げんゆう)僧正坐像 クリックで拡大

鎌倉時代、頼瑜僧正が高野山から大伝法院を根来山へ移した。その後、最盛時に、2900もの坊舎と約6000人
の学僧を擁した。智積院はその塔頭寺院の一つ学頭寺院であった。しかし、巨大な勢力に至ったため豊臣秀吉と
対立し、天正13年(1585)、秀吉の軍勢が、根来山内の堂塔の殆どを焼き尽くした。その時、智積院の住職玄宥僧正
は京都に逃れ、秀吉が亡くなった慶長3年(1598)に、智積院再興の第一歩を洛北にしるした。慶長6年(1601)、
徳川家康の恩命により、玄宥僧正に東山の豊国神社境内の坊舎と土地が与えられ、智積院が再興された。
その後、秀吉が棄丸を弔うために建立した祥雲禅寺を拝領し、伽藍が拡充された。智積院HPより)

真言宗智山派総本山智積院にて(3月) 境内風景   地蔵尊

真言宗智山派総本山智積院にて(3月) 境内風景

 
真言宗智山派総本山智積院にて(3月) 講堂と門        
講堂説明板クリックで拡大

 
庭園説明板クリックで拡大      京都市東山区真言宗智山派総本山智積院にて(3月) 名勝庭園

京都市東山区真言宗智山派総本山智積院にて(3月) 名勝庭園

京都市東山区真言宗智山派総本山智積院にて(3月) 名勝庭園


京都市東山区真言宗智山派総本山智積院にて(3月) 大書院前、講堂横名勝庭園

京都市東山区真言宗智山派総本山智積院にて(3月) 大書院、講堂付近の庭と茶室

京都市東山区真言宗智山派総本山智積院にて(3月) 大書院、講堂付近の庭


京都市東山区真言宗智山派総本山智積院にて(3月) 大書院の障壁画(模写) 原画(国宝)は宝物殿で保管展示
長谷川等伯<(1539~1610>は安土桃山時代から江戸時代初期に活躍し、
狩野永徳
海北友松雲谷等顔らと並び桃山時代を代表する絵師。

 
京都市東山区真言宗智山派総本山智積院にて(3月) 宝物殿 長谷川等伯の障壁画を保存


ああ
浄土宗西山禅林寺派
馬頭山専称寺

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専称寺は、元々天台宗の末寺であったが、現在は浄土宗西山禅林寺派に所属している。創設は
慶長16年(1611)で、本堂は元禄12年(1699)の再建である。境内には醍醐寺三宝院の開山理源大師が
大峯山の大蛇を退治された時の自作念持仏「馬頭観音」が祀られている
寺院駒札より)


京都市東山区にて(10月) 浄土宗西山禅林寺派専称寺山門 クリックで拡大

 
京都市東山区にて(10月) 浄土宗西山禅林寺派専称寺本堂 クリックで拡大



相国
臨済宗相国寺派大本山
萬年山相国承天禅寺

(相国寺)

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金閣寺、銀閣寺、真如寺を境外塔頭にもつ
京都五山の一つ臨済宗相国寺派の総本山

明徳3年(1392)室町幕府三代将軍足利義満は、 開山を夢窓疎石として室町幕府(室町殿・花の御所)の
東側、京都御所の北側に大禅宗伽藍を建立した。相国寺は京都最大の禅宗寺院の一つとして、また五山文学
の中心地として栄えた。伏見宮家および桂宮家ゆかりの禅寺で、画僧の周文や雪舟を排出した。義満が建造
金閣寺(鹿苑寺)と、八代将軍足利義政が建立した銀閣寺(慈照寺)は相国寺の境外塔頭である。



京都市上京区臨済宗相国寺派大本山萬年山相國承天禅寺にて(3月)  総門 

 
京都市相国寺にて(3月) 臨済宗相国寺派大本山萬年山相國承天禅寺 参道(西方面、東方面)


京都市相国寺にて(3月) 臨済宗相国寺 参道(南総門方面)


京都市上京区相国寺にて(3月) 臨済宗相国寺派萬年山大本山相國承天禅寺 宗務本所

 
京都市相国寺にて(3月) 臨済宗相国寺派相國承天禅寺 承天閣美術館へ


京都市相国寺にて(3月) 臨済宗相国寺派相國承天禅寺 承天閣美術館へ
館内には狩野派や若冲の鶏などの襖絵が豊富であり、金閣、銀閣の寺宝も保管する

  
京都市相国寺承天閣美術館にて(3月) 梅三色
(写真クリックで拡大)

  
京都市相国寺承天閣美術館にて(3月) 馬酔木 蘇鉄 梔子(写真クリックで拡大)

 
京都市相国寺にて(3月) 承天閣美術館玄関 
写真クリックで展示パンフレット拡大

 
承天閣美術館蔵 伊藤若冲月夜芭蕉図(重文)(チケットより) 右は若冲居士像(相国寺蔵) 伊藤若冲の絵のページへ


京都市相国寺にて(3月) 藤原定家 足利義政 伊藤若冲の墓 
クリックで拡大

 
左は仙人掌群鶏図襖絵(部分)(重文) クリックで拡大 その他伊藤若冲の絵のページへ 右は花卉雄鶏図(部分) 

  
左は果蔬涅槃図 中央は紫陽花双鶏図 右は紅葉小禽図 その他伊藤若冲の絵のページへ クリックで拡大

 
京都市相国寺にて(3月) 臨済宗相国寺派相國承天禅寺 承天閣美術館前の庭  右写真は普陀落山の庭

 
京都市上京区相国寺にて(3月) 臨済宗相国寺派萬年山相國承天禅寺 法堂(重文)

 
京都市相国寺にて(3月) 臨済宗相国寺派萬年山相國承天禅寺 法堂(重文) 
クリックで拡大  

相国寺法堂にて(3月)
狩野光信筆鳴き龍

法堂の龍の絵の部分は
凹面になっているので
下で手を叩くと
よく響く

(写真は拝観
チケットより転写)


京都市臨済宗相国寺派相国寺にて(3月) 法堂(重文) 



京都市臨済宗相国寺派相国寺にて(3月) 開山堂庭園 苔庭と枯山水の折衷庭園
開山夢窓疎石を祀る開山堂は、桃園天皇皇后・恭礼門院の女院御所内の御殿を下賜
されたもので建物や欄干に菊の御紋章がはめ込まれている。


京都市臨済宗相国寺派相国寺にて(3月) 開山堂庭園

 
京都市上京区相国寺にて(3月) 浴室  経蔵  
クリックで拡大

 
京都市相国寺にて(3月)宗旦稲荷社 茶人の千宗旦に化けて近所の茶人宅で点前した白狐を祀る宗旦稲荷社
社右は相国寺にて(2月) 浴室南にある独特の竹垣根(
クリックで拡大


 
京都市相国寺にて(3月) 後水尾天皇御歯髪塚と説明板(
クリックで拡大

 
京都市相国寺にて(3月) 弁財天 写真右は八幡宮(
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京都市相国寺にて(3月) 
二階式の鐘楼

京都市相国寺にて(3月) 天響楼
中国河南省開封市の大相国寺
日中友好の鐘  
写真クリックで拡大

日中両相国寺友好記念碑 クリックで拡大






光明寺
相国寺塔頭
臨済宗相国寺派
長徳院

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足利五代将軍義量(よしかず)の菩提寺
江戸後期の岸派の岸連山(岸徳)の虎の襖絵(水墨障壁画)で知られる。


 
京都市相国寺にて(2月) 塔頭長徳院 山門(正面と内側) 
クリックで拡大

 
京都市相国寺にて(2月) 塔頭長徳院 長徳院への参道(右壁は豊光寺) クリックで拡大

  
京都市相国寺にて(2月) 塔頭長徳院 庫裏と庫裏前参道 クリックで拡大

  
京都市相国寺にて(2月) 塔頭長徳院 本坊南庭と方丈 クリックで拡大

 
京都市相国寺にて(2月) 塔頭長徳院 庫裏 クリックで拡大

  
京都市相国寺にて(2月) 塔頭長徳院 方丈南庭 クリックで拡大

  
京都市相国寺にて(2月) 塔頭長徳院 方丈西庭 北庭 西庭 クリックで拡大


光明寺
相国寺塔頭
臨済宗相国寺派
養源院

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足利義満のに寵遇を受けた曇中道芳の禅室養源軒を相国寺内に移築して塔頭とした。
戊辰戦争の折には薩摩藩の野戦病院となり、英国人により日本初の外科手術が行われた。
建物ほ柱には藩士がつけた刀傷がある。

  
京都市相国寺にて(2月) 塔頭養源院 山門(正面と内側) 
クリックで拡大

 
京都市相国寺塔頭養源院にて(2月) 本堂(本尊は薬師如来と毘沙門天・多聞天像)) 右写真の奥に経蔵を見る 
クリックで拡大
毘沙門天・多聞天像(ガイドブックより)

  
京都市相国寺にて(2月) 塔頭養源院 本堂 
クリックで拡大

  
京都市相国寺にて(2月) 塔頭養源院 本堂前庭と庫裏内庭 
クリックで拡大

 
京都市相国寺にて(2月) 塔頭養源院 庫裏庭園 庭園内の茶室「道芳」 
クリックで拡大


   
相国寺塔頭
臨済宗相国寺派
豊光寺

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豊臣秀吉追善の塔頭


 
京都市相国寺にて(2月) 塔頭豊光寺 参道(左側豊光寺土屏と山門 クリックで拡大

 
京都市相国寺にて(2月) 塔頭豊光寺山門 クリックで拡大


光明寺
相国寺塔頭
臨済宗相国寺派
梵王山大光明寺

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本尊は珍しい合掌普賢菩薩
ルソンの壺のある寺院
伏見宮家の菩提寺であって紆余曲折をへてこの地にある。ご本尊
は珍しい合掌する普賢菩薩で京都十三仏の一つ。伊藤若冲の龍の図、
芭蕉小禽図で知られる。ビジネス発想の象徴ルソンの壺がある。


 
京都市相国寺にて(3月) 相国寺塔頭臨済宗相国寺派梵王山大光明寺 合掌する普賢菩薩 
 クリック拡大


京都市臨済宗相国寺派相国寺にて(3月) 塔頭大光明寺 枯山水の庭

 
京都市臨済宗相国寺派相国寺にて(3月) 塔頭大光明寺 
峨眉山の庭 ネットの庭園写真


京都市相国寺にて(3月) 塔頭大光明寺 前の参道 
クリックで拡大

 
京都市臨済宗相国寺派相国寺にて(3月) 塔頭大光明寺 庫裏と内庭



銀閣寺
臨済宗相国寺派
東山慈照寺(銀閣寺)
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金閣寺、銀閣寺は相国寺境外塔頭
慈照寺は室町時代後期の東山文化を代表する臨済宗相国寺派の相国寺
境外塔頭。山号は東山(
とうざん)。開基(創立者)は室町幕府
八代将軍の足利義政、開山は夢窓疎石である。



 京都市東山にて(6月) H22年に修復なった 慈照寺 銀閣(国宝) 前方右は吉田山
室町幕府八代将軍足利義政公によって造営された銀閣寺、無雙真古流生花の本山


京都市東山にて(6月) 慈照寺 銀閣総門から中門への銀閣寺垣
銀閣寺垣は建仁寺垣と同じ遮蔽垣の一種である

 京都市東山にて(6月) 
 慈照寺 観音殿銀閣 

 京都市東山にて(6月) 
慈照寺 観音殿銀閣(国宝)と銀沙灘 
 

 京都市東山にて(6月) 
 慈照寺(通称銀閣寺) 総門 

京都市東山にて(6月) 銀沙灘 
 慈照寺 本堂(方丈) 右に東求堂の屋根が見える 

京都市東山にて(6月) 
 慈照寺 東求堂(国宝) 

 京都市東山にて(6月) 慈照寺 
白鶴島東寄りに浮ぶ大内石 

 京都市東山にて 慈照寺 
 銀閣庭園 錦鏡池(きんきょうち)の座禅石(TM氏)

京都市東山にて(6月) 
 慈照寺 庫裏 銀閣寺境内案内 

 京都市東山にて(6月)  慈照寺 銀閣 洗月泉
 参考銀閣写真へ   

  
銀閣寺 漱鮮亭跡の石組み (TM氏)
 漱鮮亭跡 説明版クリックで拡大

 
京都市慈照寺にて 銀閣庭園の樹齢500年の千代の槙  慈照寺銀閣の門前町、哲学の道はこちら


宝鏡寺
臨済宗単立尼門跡
西山宝鏡寺
(百々御所・人形寺)

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応仁の乱の激戦地百々にある
皇女和宮が幼少の頃に居られた寺院
代々皇室の女性が住職を務めてきた尼門跡

別称人形寺と呼ばれる人形の寺。武家に嫁いだ仁孝天皇 の第八皇女で孝明天皇 の異母妹に
あたる皇女和宮も幼少の一時期をここで過ごされた。雛人形はじめ幼女のための多くの人形がある



京都市上京区にて(11月) 宝鏡寺(通称人形寺) 山門

 
京都市上京区にて(11月) 宝鏡寺2 山門と玄関  
写真クリックで拡大

 
京都市上京区にて(11月) 宝鏡寺(通称人形寺) 人形塚と実篤の讚美文(いずれも写真クリックで拡大



平成29年10月10日 産経新聞夕刊の記事より 人形供養祭 クリックで拡大


京都市上京区にて(11月) 宝鏡寺(通称人形寺) 玄関と本堂

 
京都市上京区にて(11月) 宝鏡寺(通称人形寺) 十二単人形  クリックで拡大

 
京都市上京区にて(11月) 宝鏡寺(通称人形寺) 境内と庭園


京都市上京区にて(11月) 宝鏡寺(通称人形寺) 庭園 ネットより転載


京都市上京区にて(11月) 宝鏡寺(通称人形寺) 庭園

 
京都市上京区にて(11月) 宝鏡寺(通称人形寺) 庭園(寺院ビデオ放映画面より転載)


本法寺
日蓮宗本山
叡昌山本法寺
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長谷川等伯が逗留し、大涅槃図(重文)を残した
本阿弥光悦による国指定名勝庭園「巴の庭」のある寺院

 日蓮宗本山叡昌山本法寺は、日親上人の開創で、永享8年(1436)、京都東洞院綾小路に建立された。
上人は、将軍足利義教に立正治国論を献じ、平和招来を直言したが、将軍の忌諱に触れ投獄され、寺も焼かれた。
将軍による刑罰は苛酷となり、焼鍋を頭にかぶせる残虐な迫害もあった。冠鐺(なべかぶり)日親上人と言われる。
しかし、上人の大慈悲心は、後花園天皇を動かし、康正元年(1455)四条高倉辺に官地を賜り本堂の再建がなった。
長谷川等伯の描いた佛涅槃図は、京都三大涅槃図の一つで、縦約10m、横6mの紙本濃彩画である。



京都市上京区にて(11月) 日蓮宗本山叡昌山本法寺 仁王門    写真クリックで寺院説明板

 
京都市上京区にて(11月) 日蓮宗本山叡昌山本法寺 多宝塔       写真右はクリックで拡大

 
京都市上京区にて(11月) 日蓮宗本山叡昌山本法寺 本堂  
クリックで拡大寺院説明板

 
京都市上京区にて(11月) 日蓮宗本山叡昌山本法寺 鐘楼 右は開山堂 写真はクリックで拡大

  
京都市上京区にて(11月) 日蓮宗本山叡昌山本法寺 境内 中央と右写真はは摩利支天堂と碑 
写真はクリックで拡大

 
京都市上京区にて(11月) 日蓮宗本山叡昌山本法寺 仁王門内側と境内参道 

  
京都市上京区にて(11月) 日蓮宗本山叡昌山本法寺 唐門と内側の「十の庭(つなしのにわ)」 
クリックで拡大

 
京都市上京区にて(11月) 日蓮宗本山叡昌山本法寺 庫裏   右写真は本法寺境内図(クリックで拡大

  
京都市上京区にて(11月) 日蓮宗本山叡昌山本法寺 長谷川等伯が身を寄せていた塔頭教行院  右は尊陽院


  
京都市上京区にて(11月) 日蓮宗本山叡昌山本法寺 長谷川等伯像
写真右は等伯筆の釈迦涅槃図(寺院パンフレットから転載) 
 ともにクリックで少し拡大

 
京都市上京区にて(11月) 日蓮宗本法寺 光悦翁手植之松碑     右は叡昌松


 
京都市上京区日蓮宗本法寺にて(11月) 本阿弥光悦作巴の庭(国指定名勝) 11月の蓮は破れ蓮状態(クリックで拡大)。 
写真右は寺院パンフレットより転写。左の石には半円形の石を二つで「日」を、右の蓮池の蓮が「蓮」で日蓮を表す。

 
京都市上京区にて(11月) 日蓮宗本山叡昌山本法寺 書院前の庭園 本阿弥光悦作の巴の庭

 
京都市上京区にて(11月) 日蓮宗本山叡昌山本法寺 変わり灯篭 
クリックで拡大
左は胴体が木製の灯篭 右は胴体の下に仏らしき彫り物のある灯篭



日蓮宗
日蓮宗大本山
具足山妙顯寺
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後醍醐天皇勅願寺
関西最初の日蓮宗法華霊場
尾形光琳の庭がある。琳派光琳の墓は塔頭泉妙院内

当具足山妙顯寺は鎌倉時代後期、元亨元年(1321)に創建された。洛中における日蓮宗最初の寺院である。
日蓮宗の開祖、日蓮大聖菩薩の遺命を受け、肥後阿闍梨 日像菩薩により建立された。開祖日像は洛外追放などの迫害、
法難を乗り越え、後醍醐天皇より法華経布教の勅旨を賜り、宗門の教線拡大の礎を築かれた。その後、大覚大僧正を輩出し、
日蓮大上人・日朗上人・日像上人に三菩薩号を賜り、勅願寺として栄え、四海唱導とも称された。伽藍は度々移転を繰り返し
四条櫛笥から、応仁の乱などを経て、室町時代後期には二条西洞院の地にあり、本能寺の変後、秀吉の命により、
現在の地伽藍が定まった。江戸時代には天明8年(1788)の天明の大火により、伽藍の大半を消失した。
現在の建物の大半はそのときに再建されたもの。塔頭九院をもつ。(寺院HP寺院駒札より)



  京都市上京区にて(2月) 日蓮宗大本山具足山妙顯寺 大門 クリックで拡大

 
京都市上京区にて(2月) 日蓮宗具足山妙顯寺本堂への参道  右は小門 
クリックで拡大

  
京都市上京区にて(2月) 日蓮宗具足山妙顯寺本堂 クリックで拡大

 
京都市上京区にて(2月) 日蓮宗具足山妙顯寺 尊神堂 三菩薩堂 クリックで拡大
三菩薩とは日蓮大上人、日朗上人、日像上人をいう

  
京都市上京区にて(2月) 日蓮宗具足山妙顯寺 勅使門 右写真は内側龍華飛翔の庭より 
クリックで拡大

  
京都市上京区具足山妙顯寺にて(2月) 左写真は大玄関 中央は大玄関と本堂の渡り 右写真は鐘楼 クリックで拡大

  
京都市上京区具足山妙顯寺にて(2月) 左写真は庫裏と大玄関 庫裏入口 右写真は庫裏内部 
クリックで拡大

  
京都市上京区具足山妙顯寺にて(2月) 庫裏と大玄関前の庭 右は庫裏の大覚大僧正像 クリックで拡大

  
 京都市上京区具足山妙顯寺にて(2月) 大客殿と龍華飛翔の庭と勅使門 右は大客殿扁額 クリックで拡大 

  
 京都市上京区具足山妙顯寺にて(2月) 龍華飛翔の庭(四海唱導の庭) クリックで拡大 

  
 京都市上京区具足山妙顯寺にて(2月) 孟宗竹の壺庭 クリックで拡大  

   
京都市上京区具足山妙顯寺にて(2月) 光琳曲水の庭 クリックで拡大 

  
京都市上京区具足山妙顯寺にて(2月) 光琳曲水の庭 クリックで拡大 

  
 京都市上京区具足山妙顯寺にて(2月) 「四海唱導之霊蹟」の石碑と観音像と墓地 クリックで拡大 

   
京都市上京区具足山妙顯寺にて(2月) 九塔頭の一部 写真左から十乗院 恩命院 本妙院 實成院 
クリックで拡大 
九塔頭とは久本院、十乗院、泉妙院、法音院、恩命院、善行院、本妙院、實成院、教法院  尾形光琳の墓は塔頭泉妙院にある



臨済宗
臨済宗単立
広徳山慈受院門跡
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薄雲御所と呼ばれる由緒ある比丘尼御所
京都上京区の堀川通りにある門跡寺院で、薄雲御所又は烏丸御所、竹の内御所と呼ばれて来た。
建立は1428年、足利義満の子息足利義持(足利4代将軍)の正室日野栄子(慈受院浄賢竹庭尼大禅師)が、
亡夫の遺言により、天皇家の菩提を弔うため建立したと伝わる。宮家、摂関家から住持し尼門跡として、
伏見宮息女も入寺した由緒ある比丘尼御所であり、今日まで法灯を灯し続けている
寺院HPより)


京都市上京区にて(11月) 広徳山慈受院門跡 薄雲御所


京都市上京区にて(11月) 広徳山慈受院門跡 薄雲御所


京都市上京区薄雲御所にて(11月) 説明板 クリック拡大
薄雲御所の名は源氏物語の歌に由来する

入日さす峰にたなびく薄雲はもの思ふ袖に色やまがへる


日蓮宗
日蓮宗本山
聞法山頂妙寺
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琳派の祖・俵屋宗達の墓がある宗達ゆかりの寺
 室町時代、文明5年(1473)日祝(にっしゅう)上人によって開創された日蓮宗本山の一つ。宗達ゆかりの寺であり、
境内には俵屋宗達の墓がある。宗達は下地が乾かないうちに次の色を落とす「たらしこみ」技法で牛の逞しい筋肉を表現
した「牛図」(重文)は有名である。当寺の門前を東西に走る仁王門通の名の由来となった、仁王門には他の寺院
一般的な金剛力士ではなく、運慶作と伝わる持国天と多聞天である。当寺は上方三寺(あと本法寺と堺の
妙國寺
の一つでもある。旧末寺に神戸市の法蓮寺が上がっている(関連資料)。


京都市左京区にて(2月) 日蓮宗本山 聞法山頂妙寺 山門 
写真クリックで内側 境内図


京都市左京区にて(2月) 聞法山頂妙寺 大本堂 クリックで堂内(パンフレットより)

  
京都市左京区にて(2月) 聞法山頂妙寺 大本堂 クリックで拡大  境内参考資料

  
京都市左京区にて(2月) 聞法山頂妙寺 大本堂 左は破風の彫刻 右は大本堂裏拝観入口 クリックで拡大



京都市左京区にて(2月) 聞法山頂妙寺 仁王門 クリックで拡大
パンフレットの仁王を拡大 多聞天 持国天 

  
京都市左京区聞法山頂妙寺にて(2月) 左写真は鐘楼堂 仁王門扁額 クリックで拡大

 
京都市左京区にて(2月) 聞法山頂妙寺特別公開看板と寺院パンフレット クリックで拡大

 
京都市左京区にて(2月) 聞法山頂妙寺祖師堂と日蓮聖人像 クリックでパンフレット堂内写真と銅像を拡大

  
京都市左京区にて(2月) 聞法山頂妙寺 左写真は客殿 右写真は総受付・書院玄関 
クリックで拡大

   

京都市左京区聞法山頂妙寺にて(2月) 山内伽藍堂宇 左から大黒堂 鬼子母神堂 妙見堂 威徳善神 クリックで拡大

   
京都市左京区聞法山頂妙寺にて(2月) 頂妙寺墓地 俵屋宗達の墓 天文19年蓮池平右衛門尉秀明旧地買戻寄進碑
右端は江戸時代のガイドブック都名所図絵  宗達の建仁寺の風神雷神図(屏風)など琳派の絵へ 
夫々クリックで拡大

  
京都市左京区聞法山頂妙寺にて(2月) 塔頭真如院山門と前庭 右は善性院  
クリックで拡大
塔頭が八院ある(真如院、法輪院、大乗院、善性院、妙雲院、本立院、善立院、真浄院)

  
京都市左京区聞法山頂妙寺にて(2月) 塔頭真浄院山門と句碑と山内の様子 
クリックで拡大
中央の句碑は太田久佐太郎<1891~ 1955> 「
冠翁忌わがあしあとに耳澄ます
注)冠翁忌とは江戸時代中期の俳人で、京都の雑俳点者堀内雲鼓(ほりうち うんこ)<1665~1728>の命日忌(5月2日)を云う。
昭和9年冠翁(堀内雲鼓)の墓碑を「文芸塔」太田久佐太郎、長田晃州らにより発見され、同年「冠翁忌」が制定された。

  
京都市左京区聞法山頂妙寺にて(2月) 左から塔頭本立院 善立院 大乗院  
クリックで拡大


金戒光明
浄土宗大本山
紫雲山金戒光明寺
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新撰組発祥の地 会津藩殉難者墓地
新選組発祥の地 幕末の文久2年(1862)に幕府は新しい「京都守護職」を作り京都の治安維持に
当たらせた。会津藩主松平容保は十四代将軍徳川家茂から京都守護職に任ぜられ、新撰組を率いた。
当山に、後の鳥羽伏見の戦で殉死したものも合祀し、「会津藩殉難者墓地」に葬られている。



京都市東山にて(10月) 浄土宗大本山 金戒光明寺 秋の山門 
写真クリックで後小松天皇宸翰「浄土真宗最初門」の勅額が見えるが親鸞の浄土真宗(東西本願寺)とは別である。(参照
山門内には釈迦三尊と十六羅漢が安置されている。


 京都市東山にて(6月)  金戒光明寺 新緑の山門 
写真クリックで山門の説明板

 京都市東山にて(6月)  金戒光明寺 御影堂(大殿)  
 開祖は法然上人(源空) 
   
京都市東山にて(10月) 浄土宗大本山 金戒光明寺 秋の山門と山門への登上口  クリックで拡大
写真中央は山門への登り口(山門内側の西側)  写真右は山門からの出口(山門正面の東側)


 
京都市東山にて(10月) 浄土宗大本山 金戒光明寺 開祖法然幼少期の像「せいしさま」(クリックで拡大)と境内参道

 
京都市東山にて(10月) 旧蹟京都守護職本陣 浄土宗大本山 金戒光明寺 総門(高麗門)   クリックで京都守護職本陣と寺名を拡大


京都市東山にて(10月)  金戒光明寺 御影堂(大殿)への参道   
写真クリックで説明板

 
京都市東山にて(10月)  浄土宗大本山 金戒光明寺 阿弥陀堂と経蔵   右は清和殿

 
 京都市東山にて(6月) 浄土宗大本山  金戒光明寺 阿弥陀堂と経蔵 


 京都市東山にて(6月)  金戒光明寺 
兵庫須磨で平敦盛を討った熊谷直実が 
鎧をかけたと言う「鎧がけの松」

 京都市東山にて(6月)  浄土宗大本山 金戒光明寺 清和殿
 


京都市東山にて(10月)  浄土宗大本山 金戒光明寺 大方丈勅使門(正面表側)  写真クリックで内側へ

 
都市東山にて(10月)  浄土宗大本山 金戒光明寺 大方丈前(勅使門内側)の枯山水  クリックで拡大

 
京都市東山にて(10月)  浄土宗大本山 金戒光明寺 大方丈池泉回遊式庭園


京都市東山にて(10月)  浄土宗大本山 金戒光明寺 大方丈池泉回遊式庭園

 
京都市東山にて(10月)  浄土宗大本山 金戒光明寺 大方丈池泉回遊式庭園


京都市東山にて(10月)  浄土宗大本山 金戒光明寺 大方丈庭園茶室

 
京都市東山にて(10月)  浄土宗大本山 金戒光明寺 大方丈池泉回遊式庭園


京都市東山にて(10月)  浄土宗大本山 金戒光明寺 大方丈池泉回遊式庭園

 
京都市東山にて(10月)  浄土宗大本山 金戒光明寺 大方丈庭園 四阿


京都市東山にて(10月)  浄土宗大本山 金戒光明寺 大方丈池泉回遊式庭園


 京都市東山にて(6月)  金戒光明寺 新緑の大方丈 

 京都市東山にて(6月)  金戒光明寺 熊谷堂と極楽橋

   
京都市東山にて(10月)  金戒光明寺 鐘楼 極楽橋  クリックで拡大

 
 京都市東山にて(6月)  金戒光明寺 新選組発祥の地 会津藩殉難者墓地 右は会津藩殉難者墓地 入り口



 京都市東山にて(6月)  金戒光明寺  西雲院 

京都市東山にて(6月) 金戒光明寺 三重塔「文殊塔」


金戒光明寺境内配置図 クリック拡大


大文字
天台宗
鈴聲山真正極楽寺
(真如堂)

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開山1000年になる古刹
三井家の菩提寺、紅葉の名所として人気が高い
国宝は法華経六巻、重文は本堂、本尊、真如堂縁起など

永観2年(984)、比叡山の僧戒算が夢告により、比叡山常行堂の本尊阿弥陀如来を東三条院詮子(一条天皇生母)
の離宮に安置したのが始まりで、一条天皇の勅許を得て本堂が創建された。不断念仏の道場として行者や庶民、女性
の信仰を得てきた。しかし応仁の乱などにより堂塔は焼失した。その後足利将軍家や豊臣秀吉により京都市内を転々とし
元禄6年(1693)、現在の場所に再建された。本尊の阿弥陀如来は「頷きの弥陀」と呼ばれ、円仁(慈覚大師)が
「衆生・女性をお救い下され」と祈ると頷いたという。また三井家の菩提寺として位牌が祀られ、一族の
墓がある。近年、紅葉の名所として人気が高く、紅葉期は多くの人が訪れる。(寺院駒札より)


京都市左京区にて(4月) 鈴聲山真正極楽寺 真如堂 参道 クリックで拡大

   
京都市左京区にて(4月) 鈴聲山真正極楽寺真如堂 総門(赤門) クリックで拡大

 
左京区にて(4月) 真正極楽寺 本堂(真如堂)(重文) クリックで拡大  右写真は本堂内部(寺院HPより転載

  
京都市左京区にて(4月) 鈴聲山真正極楽寺 新緑の本堂(真如堂)(重文)を裏から、斜めから見る クリックで拡大

  
京都市左京区にて(4月) 鈴聲山真正極楽寺真如堂 三重塔  クリックで拡大

 
京都市左京区にて(4月) 鈴聲山真正極楽寺 「伝教大師巡錫之像」 クリックで拡大
天台宗の開祖最澄が815年頃の姿を、平成2年、仏師 西村公朝師が製作。

  
京都市左京区にて(4月) 鈴聲山真正極楽寺真如堂 新緑紅葉の境内  クリックで拡大

 
京都市左京区鈴聲山真正極楽寺にて(4月) 三井グループ慰霊碑 
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三井グループ各社物故社員の慰霊碑で、毎年慰霊法要がいとなまれる

  
京都市左京区鈴聲山真正極楽寺にて(4月) 仏堂(位牌殿)と随縁の庭 
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随縁の庭は2010年に造園家重森三玲の孫重森千青氏が、仏堂にある三井家の四つ目の家紋(右端写真)をモチーフに製作した

 
京都市左京区鈴聲山真正極楽寺にて(4月) 元三大師堂 クリックで拡大
本尊には元三大師良源(がんざんだいしりょうげん)の画像をまつり、脇士には地蔵菩薩と不動明王像を奉安している。
建物は元禄9年(1696)の建立で、京都府の文化財。(内部写真は寺院HPより)

  
京都市左京区鈴聲山真正極楽寺にて(4月) 萬霊堂、赤崎弁天と説明板 
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萬霊堂は三井家によって建立され、地蔵菩薩を中心に有縁無縁の精霊を祀っている。

  
京都市左京区にて(4月) 鈴聲山真正極楽寺 新長谷寺 クリックで拡大
この寺は明治の神仏分離で、吉田山から移築されたもの。かつて法相宗に属し、興福寺に準じた寺であった。


  
京都市左京区真正極楽寺真如堂にて(4月) 本堂と本坊を継なぐ渡り廊下 左、右写真は本坊から本堂方向
中央写真は本堂から本坊に向かって、本坊玄関を見る  
すべてクリックで拡大

 
左京区鈴聲山真正極楽寺にて(4月) 本坊庭園 燈明寺灯篭(相楽郡加茂町の燈明寺にあった)
涅槃の庭 説明板 曽根三郎氏の製作 
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京都市左京区鈴聲山真正極楽寺にて(4月) 涅槃の庭 クリックで拡大
中央正面の4個の石は寝釈迦を、右端の石が釈迦の母の摩耶夫人を表す。
遠くに大文字山を借景としている。

  
京都市左京区真正極楽寺真如堂にて(4月) 本坊茶室「認許庵」 クリックで拡大

   
京都市左京区真正極楽寺真如堂にて(4月) 左から本坊 蹲 手水舎  
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京都市左京区真正極楽寺真如堂にて(4月) 塔頭覚円院 芭蕉の弟子去来の寺
向井去来<(1651~1704>の句 「
涼しさの野山に滿つる念仏かな クリックで拡大

  
京都市左京区真正極楽寺真如堂にて(4月) 左から塔頭喜運院 喜運院遠景 法輪院  
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京都市左京区真正極楽寺真如堂にて(4月) 塔頭吉祥院 東陽院 理正院  クリックで拡大

 
京都市左京区真正極楽寺真如堂にて(4月) 左は小美術碑
右は京都映画発祥の碑 
クリックで説明板



大文字
浄土宗
浄土院大文字寺
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京都五山の大文字焼きを管理する寺院
大文字寺」とも云われる。


京都市東山 銀閣道にて(6月) 浄土院 


  
真言宗智山派
補陀洛山六波羅蜜寺

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平清盛ゆかりの寺院
寺の付近に清盛の館があった
西国三十三所第17番札所

踊り念仏で知られる勝空商人・空也(醍醐天皇の第2皇子)が平安時代中期に建立し、当初西光寺と称した。
十一面観音を本尊とする。空也の死後、比叡山の中信が中興して天台別院とし、六波羅蜜寺と改称した。平安末期には
この付近に、六波羅殿と呼ばれた清盛ら平家一門の屋敷が東西500mに営まれた。その後、桃山時代に真言宗智積院の
末寺となった。江戸時代までは広大な寺院であったが明治の廃仏毀釈により縮小された。


京都市東山区にて(6月) 六波羅蜜寺通用門 右は本堂(重文) 主面は弁財天堂
写真クリックで寺院説明板を拡大表示

  
京都市東山区にて(6月) 六波羅蜜寺 空也上人立像(重文)、本堂(重文)と扁額   
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空也上人像(重文)の写真は寺院パンフレットより転載


 
京都市東山区にて(6月) 六波羅蜜寺 本堂(重文)   クリックで拡大

 
京都市東山区にて(6月) 六波羅蜜寺本堂(重文)と参道  右は本堂正面(寺院パンフレットより)
クリックで十一面観音像を拡大

  
京都市東山区にて(6月) 六波羅蜜寺左は清盛像(重文)、中央は清盛塚と阿古屋塚、右は阿古屋説明碑 クリックで拡大
歌舞伎「壇浦兜軍記」の阿古屋琴責の段で知られる白拍子阿古屋の塚(
説明碑文クリックで拡大
教典を読む平清盛像(重文)の写真は寺院パンフレットより転載

  
京都市東山区六波羅蜜寺にて(6月) 左は福寿弁財天 右は本堂と不動堂(右奥) 運慶・湛慶像(重文) 
クリックで拡大
運慶・湛慶像(重文)の写真は寺院パンフレットより転載

  
京都市東山区六波羅蜜寺にて(6月) 大聖歓喜天入口と「六波羅蜜堂」をあらわす阿弥陀如来石像 クリックで拡大

  
京都市東山区六波羅蜜寺境内にて(6月) 「この付近平氏六波羅第、六波羅探題府」の碑、一願石、道元禅師顕彰碑 
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参考注)建仁寺の勅使門は鎌倉幕府がここに置いた「六波羅探題府」の北門、東福寺の六波羅門は六波羅探題の南門を移築したも



浄土宗
浄土宗西山禅林寺派
慈舟山瑞泉寺
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豊臣秀次公一族を弔う寺院
桃山時代、角倉了以が三条河原の中洲に、高瀬川を引く工事中に秀次悪逆塚と刻まれた石が発見された。
それは文禄4年(1595)自害させられた、豊臣秀次の石塔だった。高瀬川の開削責任者、角倉了以の実弟吉田宗恂が
秀次に仕えていたことから、慶長16年(1611)、了以は秀次の戒名「瑞泉寺殿」から、瑞泉寺を建立した。


 
京都市木屋町にて(10月) 浄土宗西山禅林寺派瑞泉寺 山門  クリックで拡大


京都市木屋町にて(10月) 浄土宗西山禅林寺派瑞泉寺 境内



三千院 法界寺 日野誕生院 泉涌寺 雲龍院 鞍馬寺 醍醐寺 東寺 東福寺


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