[仏 閣] 中項目・目次             HPのトップ
 1.滋賀・和歌山 2.中国・四国 3.中部・北陸・東日本 4.京都 5.奈良 6.大阪 7.兵庫
6.大阪 6.1大阪(1) 松尾寺 家原寺 南宗寺 海会寺 妙國寺 本受寺 祥雲寺 朝日寺 道明寺 葛井寺 叡福寺 西方院 野中寺 顕証寺 
観心寺 延命寺 大念仏寺 全興寺 一心寺 和光寺 天暁院 四天王寺 愛染堂 清水寺 真光院 泰聖寺 南御堂 鶴満寺 
6.2大阪(2) 野崎観音 総持寺 辯天宗 大念寺 慈恩寺 東光院 真如寺 能勢妙見 持経寺 玉泉寺 神峯山寺 安岡寺 霊山寺 勝尾寺 龍安寺 
西江寺 
久安寺 尊鉢厄神 大広寺 佛日寺 東禅寺 正智寺 浄行寺 明尾寺 
                     6.1 大阪の仏閣(1)             HPのトップ


泉市 天台宗
阿弥陀山松尾寺
松尾観音)

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役行者の開基になる吉野朝他歴代皇室
足利幕府の勅願所として勤皇護国の泉州の古刹

源義経が一の谷での戦死者をこの寺に葬った
役行者は672年如意輪観音を安置した。奈良・平安時代の日本往生極楽記や今昔物語に記述がある古刹。最盛期は
南北朝〜室町時代で、寺領7000石、寺坊308名、僧兵数千人を数えた。延元元年(1336)後醍醐天皇の、その後は足利義満の
祈願所となった。後に織田信長は、天正9年(1581)松尾寺諸堂を全焼した。現在の松尾寺は、豊臣秀頼の寄進などにより
再建されたものである。境内に源義経が大阪湾対岸の一ノ谷での源平合戦の戦死者(一部を)弔った首堂がある。


和泉市松尾寺にて(4月) 松尾寺山門 
写真クリックで寺院駒札

 
和泉市松尾寺にて(4月) 鐘堂 右は三天堂 松尾寺境内図


和泉市松尾寺にて(4月) 松尾寺金堂  松尾寺文化財

 
和泉市松尾寺にて(4月) 金堂山門(内側)

 
和泉市松尾寺にて(4月) 不動尊堂と手水舎

 
和泉市松尾寺にて(4月) 寿老神堂と本坊


松尾寺文化財表 クリックで拡大


松尾寺境内図 
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和泉市松尾寺にて(4月) 念仏堂

和泉市松尾寺にて(4月) 水子堂

和泉市松尾寺にて(4月) 松尾寺阿弥陀山全景

 
和泉市松尾寺にて(4月) 山門に王(左持国天、右は増長天)

 
和泉市松尾寺にて(4月) 句碑 西川喜久男(漂花)<生年不詳> 「
山門のあたりいよいよ秋高し

 
和泉市松尾寺にて(4月) 境内風景  西国三十三ヶ寺碑と伝教大師幼形像(写真クリックで拡大


和泉市松尾寺にて(4月) 春日神社

和泉市松尾寺にて(4月) 春日神社本殿

 
和泉市松尾寺にて(4月) 春日神社鳥居 右は首堂(こうべどう 源平一ノ谷合戦戦没者の慰霊堂)

源義経が源平一ノ谷合戦(約8百年前)の戦死者の一艘分を当寺に葬り、他の二艘分は堺の港寺と大阪の四天王寺に葬った。説明板


和泉市松尾寺にて(4月) 参道石段の上に山門

和泉市松尾寺にて(4月) 参道の惣門橋

和泉市松尾寺にて(4月) 参道

和泉市松尾寺にて(4月) 参道 右は宝物殿


和泉市 天台宗
松尾寺山内寶瓶院
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和泉市松尾寺にて(4月) 宝瓶院長屋門(内側)


和泉市松尾寺にて(4月) 宝瓶院長屋門内庭園


和泉市松尾寺にて(4月) 宝瓶院庭園
    

和泉市松尾寺にて(4月) 宝瓶院庭園入口
写真クリックで行基の閼伽井駒札


和泉市松尾寺にて(4月) 宝瓶院

 
和泉市松尾寺にて(4月) 宝瓶院庭園 行基水掛地蔵

 
和泉市松尾寺にて(4月) 宝瓶院  右は宝瓶院山門

 
和泉市松尾寺にて(4月) 宝瓶院大雄殿(正面奥)と宝瓶院歓喜天

 
和泉市松尾寺にて(4月) 宝瓶院長屋門前参道


和泉市 天台宗
松尾寺山内明王院
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和泉市松尾寺にて(4月) 明王院毘沙門天山門

 
和泉市松尾寺にて(4月) 明王院毘沙門天本堂と庭園

 
和泉市松尾寺にて(4月) 明王院毘沙門天庭園


和泉市松尾寺にて(4月) 樹齢300年
大阪府指定天然記念物 松尾寺の山桃






← 写真左は
大阪府指定天然記念物 松尾寺の大楠      
   クリックで大楠駒札
                  


和泉市松尾寺にて(4月) 松尾寺公園付近の桜

 
和泉市松尾寺にて(4月) 松尾寺公園付近の桜

 
和泉市松尾寺にて(4月) 松尾寺公園と新池



家原
堺市 真言宗
家原寺

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行基菩薩誕生の寺院
家原寺は東大寺大仏殿を始め49の寺院を建てた行基の生家である。民衆に慕われ多くの道路や橋、
昆陽池など溜池の建設や社会事業を行った。境内には行基菩薩誕生塚、御影堂、行基菩薩像、開山堂がある。


堺市家原寺にて(7月) 本堂文殊堂 寺院由緒 境内図


堺市家原寺にて(7月) 南大門(仁王門)


堺市家原寺にて(7月) 三重塔

堺市家原寺にて(7月)
南大門 (向って左の仁王)



堺市家原寺にて(7月)
南大門 (向って右の仁王)

堺市家原寺にて(7月) 開山堂 興正菩薩 行基菩薩 弘法大師

堺市家原寺にて(7月) 本堂文殊堂の願掛けハンカチ

堺市家原寺にて(7月)
行基菩薩誕生塚碑

堺市家原寺にて(7月) 行基菩薩御影堂

堺市家原寺にて(7月) 行基菩薩像


堺市家原寺にて(7月) 境内展望


堺市家原寺にて(7月) 地蔵堂

堺市家原寺にて(7月) 不動堂


堺市家原寺にて(7月) 釣鐘堂前の池


家原寺にて(7月) 弁財天

堺市家原寺にて(7月) 弁天堂

堺市家原寺にて(7月) 東門

堺市家原寺にて(7月) 釣鐘堂

 
堺市家原寺にて(7月) ぼけ除け観音像


堺市家原寺にて(7月) 中院

堺市家原寺にて(7月) 中院の仏像

堺市家原寺にて(7月) 中院

堺市家原寺にて(7月) 中院の門


堺市家原寺にて(7月) 塩穴寺


家原寺にて(7月) 護摩堂

家原寺にて(7月) 大師かがみ井戸

 
堺市家原寺にて(7月) 屋外の仏像(如来?)とびんずる尊者像


平成30年1月8日産経記事より クリックで拡大
絵馬に代わる合格祈願のハンカチで取り囲まれた本堂


堺市
堺市 臨済宗大徳寺派
龍興山南宗寺

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千利休が禅と茶の湯を体得した禅寺で、利休一門の墓がある
寂れた寺を沢庵宗彭和尚が中興した。徳川家康が大阪夏の陣で憤死した
伝説があり、この寺に墓がある。池田市大広寺に庵を結んだ連歌師牡丹花肖柏の墓もある

南宗寺は戦国武将三好長慶が父元長の菩提を弔うため、弘治3年(1557)大徳寺大林宗套を開山として
建立。創建当時は壮大な寺で、著名な禅僧が往来して堺の町衆文化の発展に寄与した。とくに千利休の師
武野紹鴎は、大林宗套に参禅して「茶禅一味」のわび茶を深め、千利休も第二世笑嶺和尚に参禅し、俗世を
離れた茶の湯を確立した。千利休好みの茶室・実相庵が復元され、利休忌には茶会が開かれる。本尊は
釈迦三尊。古田織部作という枯山水庭園は国の名勝庭園。大坂夏の陣で徳川家康は後藤又兵衛の槍で
絶命したとされ、家康の墓もある。
後の家康は影武者で、家康の遺体はひそかに日光東照宮へ
運ばれ葬られたという伝説がある。南宗寺-1 南宗寺-2
 武野紹鴎銅像(大仙公園内)


堺市にて(1月) 臨済宗大徳寺派龍興山南宗寺 仏殿(重文) 釈迦三尊を本尊とする。 写真クリックで境内配置図


堺市臨済宗大徳寺派龍興山南宗寺にて(1月) 甘露門(重文) クリックで拡大

  
堺市にて(1月) 臨済宗大徳寺派龍興山南宗寺 仏殿(重文) 釈迦三尊を本尊とする。 南宗寺-2  写真クリックで拡大


堺市 臨済宗大徳寺派龍興山南宗寺 にて(1月) 
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仏殿の天井の狩野信政筆「八方睨みの龍」(寺院案内板より)

堺市南宗寺 にて(1月) 山内図


堺市南宗寺 にて(1月) 山内説明図
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堺市にて(1月) 臨済宗大徳寺派龍興山南宗寺 仏殿の釈迦三尊像  クリックで拡大

  
堺市にて(1月) 臨済宗大徳寺派龍興山南宗寺 仏殿  クリックで拡大

 
堺市にて(1月) 臨済宗大徳寺派龍興山南宗寺 実相庵(復元) 
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堺市臨済宗大徳寺派龍興山南宗寺 にて(1月) 千利休と実相庵説明板  クリックで拡大

 
堺市にて(1月) 臨済宗大徳寺派龍興山南宗寺 実相庵(復元)と利休遺愛の袈裟形手水鉢 
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堺市にて(1月) 臨済宗龍興山南宗寺 徳川家康に関わる坐雲亭(左は東北面、右は南東面) 写真と説明板をクリックで拡大
坐雲亭の板額に徳川秀忠、家光が南宗寺に来たことが書かれており、墓参と考えると家康戦死伝説に合致する

 
堺市南宗寺にて(1月) 開山堂跡に立つ伝説の家康の墓(写真左) 東照宮跡の家康の墓(写真右) クリックで拡大
「南宗寺史」には家康が大坂夏の陣で茶臼山の激戦に敗れ駕籠(かご)で逃げる途中、後藤又兵衛の槍(やり)に突かれた。
辛くも堺まで落ち延びたが、駕籠を開けてみると既に事切れており、遺骸を南宗寺の開山堂下に隠し、後に改葬したと伝わる。
写真右は家康の墓はこの説に沿って1967年(昭和42年)に建てられたもの。墓の裏側には、賛同者として
松下電器産業(現パナソニック)創業者の松下幸之助氏の名前も記されている

 
堺市龍興山南宗寺にて(1月) 東照宮跡の唐門(重文・左写真は表側、右は内側) 唐門の説明板 クリックで拡大

  
堺市南宗寺にて(1月) 写真左は東照宮跡の家康の墓の裏側の記名 東照宮跡を囲む回廊と唐門の説明板 
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堺市龍興山南宗寺にて(1月) 禅堂 
 右は寺院説明板   クリックで拡大 

  
堺市龍興山南宗寺にて(1月) 禅堂  クリックで拡大

 
堺市臨済宗大徳寺派龍興山南宗寺にて(1月) 南宗寺入口(
クリックで拡大)と入ってすぐ左(禅堂の東側)の手水と灯篭 

  
堺市臨済宗大徳寺派龍興山南宗寺にて(1月) 甘露門(重文)  右は浴室   クリックで拡大


堺市南宗寺にて(1月) 古田織部作と伝わる枯山水の国指定の名勝庭園
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堺市臨済宗大徳寺派龍興山南宗寺にて(1月) 枯山水の庭園(国指定の名勝)
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堺市臨済宗大徳寺派龍興山南宗寺にて(1月) 枯山水の庭園(国指定の名勝)
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堺市臨済宗大徳寺派龍興山南宗寺にて(1月) 千利休の供養塔 
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堺市臨済宗大徳寺派龍興山南宗寺にて(1月) 千家一門の供養塔(左は裏千家・今日庵 右は表千家・不審庵)
右の表千家の向かい側に武者小路千家・官休庵の供養塔がある   
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堺市臨済宗大徳寺派龍興山南宗寺にて(1月) 開基三好一族の墓  右は三好長慶公坐像建立約束地  クリックで拡大

  
堺市臨済宗南宗寺にて(1月) 左から千利休の師武野紹鴎の墓、中央は室町時代に池田の大広寺に隠棲した連歌師牡丹花肖柏の墓
右は境の茶にゆかりの津田家の墓  
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堺市臨済宗南宗寺にて(1月) 歴代関係者の墓標  夫々クリックで拡大


堺市にて(1月) 南宗寺  南宗禅寺 総門(表側)
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堺市にて(1月) 臨済宗大徳寺派龍興山南宗寺 総門(内側)方面参道  右は総門より見た参道  クリックで拡大


堺市にて(1月) 臨済宗大徳寺派龍興山南宗寺  南宗禅寺 総門(表側)(寺院案内紙より転載)


 
堺市臨済宗南宗寺にて(1月) 開山堂跡の観音像  右は境内図その2  クリックで拡大

 
堺市にて(1月) 臨済宗大徳寺派龍興山南宗寺  鐘楼 
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堺市臨済宗南宗寺にて(1月)  夢界堂(東照宮跡南側) クリックで拡大
南宗寺の再興に尽力した堺奉行喜多見若狭守の位牌堂

 
堺市にて(1月) 臨済宗大徳寺派龍興山南宗寺  南宗禅寺 参道  
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産経新聞29.5.14記事より 龍興山南宗寺 クリックで拡大

   
堺市にて(1月) 臨済宗大徳寺派龍興山南宗寺 境内点描   クリックで拡大

   
堺市にて(1月) 臨済宗大徳寺派龍興山南宗寺 境内点描   
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堺市にて(1月) 臨済宗大徳寺派龍興山南宗寺  境内点描   夫々クリックで拡大
句碑は
かがり火にむかしの匂いもつ夜市」作者不明
この他大阪生まれの劇作家 食満南北(けまなんぼく)<1880〜1957>の
昔堺に男ありけり夏まつり句碑が南宗寺にあるらしいが所在不明。


龍興山南宗寺塔頭
南宗寺と塔頭は大阪夏の陣で消失し、後に当地に再建された。
臨済宗大徳寺派龍興山天慶院(海眼庵)
千利休がこの寺の檀家であったという

 
堺市にて(1月) 臨済宗龍興山大徳寺派天慶院(海眼庵) 南宗寺塔頭  クリックで拡大


臨済宗大徳寺派大仙院所属
龍興山本源院


 
堺市にて(1月) 臨済宗大徳寺派大仙院に属する龍興山本源院 南宗寺塔頭  クリックで拡大


臨済宗大徳寺派大仙院所属
龍興山徳泉菴


 
堺市にて(1月) 臨済宗大徳寺塔頭大仙院に属する龍興山徳泉菴 南宗寺塔頭  クリックで拡大

 
堺市にて(1月) 臨済宗大徳寺塔頭大仙院に属する龍興山徳泉菴 南宗寺塔頭  
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東福寺派
堺市 臨済宗東福寺派
海会寺
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元は現在の堺市祥雲寺の場所にあったらしい

大阪夏の陣で消失したあと現在地に再建されたが南宗寺の塔頭でない。

 
堺市にて(1月) 臨済宗東福寺派海会寺南宗寺の塔頭ではない)  クリックで拡大


日蓮宗
堺市 日蓮宗本山
廣普山妙國寺

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本能寺の変の折、徳川家康はこの寺にいて逃げ難を逃れた。
信長と蘇鉄の伝説、小堀遠州の蘇鉄枯山水の庭で知られる、
利休ゆかりの寺院
明治の堺事件で十一人の土佐烈士がここで切腹した。切腹順は大阪の土佐稲荷神社決定
畿内を平定した四国の三好家
の一人・三好之康(義賢実休)が、東西三丁南北五丁の土地に、
日b上人を開山として、日b上人の父(堺の豪商・油屋伊達常言)と兄の協力により、広普山妙國寺を
建立した。皇室より勅願所と定められた名刹。しかし、大坂夏の陣、堺大空襲で灰燼と化し後に復興した。
歴史的にも信長、家康、利休に、さらに明治の堺事件に関わる寺院。天然記念物大蘇鉄の伝説もある。

 
堺市堺区にて(1月)
 日蓮宗本山廣普山妙國寺 山門 クリックで拡大 


堺市廣普山妙國寺にて(1月) 日b上人像

     
堺市堺区にて(1月) 日蓮宗本山廣普山妙國寺 山門の仁王 右は山内図  夫々クリックで拡大

  
堺市堺区にて(1月) 日蓮宗本山廣普山妙國寺 説明板 クリックで拡大 


堺市堺区にて(1月) 日蓮宗本山廣普山妙國寺 本堂


堺市堺区にて(1月) 日蓮宗本山廣普山妙國寺 山門と本堂 クリックで拡大 

 
堺市堺区にて(1月) 日蓮宗本山廣普山妙國寺 山門と宇賀徳正龍神 クリックで拡大


堺市堺区にて(1月) 日蓮宗本山廣普山妙國寺 蘇鉄の枯山水(伝・小堀遠州作)
家康のために大井川、富士山、富士川を景観に取り入れている(寺院から購入した写真より)

 
堺市堺区にて(1月) 日蓮宗本山廣普山妙國寺 霊木大蘇鉄 (寺院から購入した写真より転載) クリックで拡大

 
堺市堺区にて(1月) 日蓮宗本山廣普山妙國寺 霊木大蘇鉄と利休の蹲 (寺院から購入した写真より転載) クリックで拡大

 
堺市堺区にて(1月) 日蓮宗本山廣普山妙國寺 宇賀徳正龍神 クリックで拡大

   
堺市堺区にて(1月) 日蓮宗本山廣普山妙國寺 堺事件(泉州堺事件) 英士割腹跡 右は本坊 クリックで拡大

堺事件とは1868年3月、堺港に上陸したフランス軍艦デュプレクス号の水兵11名を、堺警備担当の土佐藩士が住民
の苦情もあり殺傷した事件。フランス公使は明治政府に土佐藩士の処刑と賠償金を要求し、藩士隊長箕浦猪之吉ら20人の
切腹が妙国寺本堂庭前で行なわれた。11人が切腹した時点で、立ち合いのフランス人士官達は切腹の悲惨さに青ざめ切腹の
中止を命じ、残りの9人は罪人として土佐に返されることになった。切腹した場所、妙国寺が勅願寺であったため埋葬が
許されず向かいの真言宗三光山宝珠院に埋葬され、現在、切腹した土佐藩士11名の墓が境内にある。
処刑の20人は大阪の土佐稲荷神社くじ引きで決定したという。 
土佐稲荷神社のページへ

 
堺市堺区妙國寺にて(1月) 堺事件 土佐藩十一烈士之英霊と仏国遭難将兵慰霊碑  クリックで拡大
事件の小説等・・・@森鴎外 「堺事件」(『新小説』1914年2月) A日向康 『非命の譜 神戸・堺浦両事件顛末』 1985、毎日新聞社、
 B大岡昇平 『堺港攘夷始末』 中央公論社、1989   C司馬遼太郎 「俄 -浪華遊侠伝-」 講談社、1966(講談社文庫(下)

右は明治戊辰殉難土州藩士墓所(とさのさむらいはらきりのはか)碑

 
堺市堺区妙國寺にて(1月) 手水舎と工事中の鐘楼   クリックで拡大

  
堺市堺区妙國寺門前宝珠院にて(1月) 堺事件 土佐十一烈士の墓(一部)と案内石碑  クリックで拡大
宝珠院の佐十一烈士の墓は近寄れず、幼稚園越しに望遠で撮ったもの。下のネットから転載した写真参照のこと。


 
   堺市妙國寺門前宝珠院にある        右の句碑は正岡子規による
      堺事件 土佐十一烈士の墓   
     「朝寒や蘇鉄見に行く妙國寺
   (墓の写真はネットより転載)      墓も句碑もクリックで拡大

  
堺市にて(1月) 三光山宝珠院入口  宝珠院は真言宗高野派叡福寺に所属
叡福寺のページへ 写真右は明治35年に宝珠院に合併された金光寺藤の明神碑
写真クリックで拡大


堺市
堺市 日蓮宗
陽光山本受寺

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家康の朱印状のもとに、外国と貿易を行った西宗真
(キリシタン名西ルイス)の菩提寺。ルイスの大きな墓がある。

本受寺は15世紀の創建であり、17世紀には西家の菩提寺となった。徳川幕府の海外渡航朱印を受け、外国と貿易を
行った。西宗真(西ルイス)の巨大な五輪塔の墓碑がある。西ルイスはキリシタンから後に日蓮宗に改宗している。
家康から賜った渡海御朱印状その他、西ルイスの遺品などが寺宝として残されている。


堺市堺区にて(1月) 本受寺山門  クリックで拡大

 
堺市堺区にて(1月) 本受寺境内と西ルイスの墓碑  
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写真右 ルイスの巨大な五輪塔の墓碑写真はネットより転載


 
堺市堺区にて(1月) 本受寺案内板 右は門前の石碑「にしるいす之墓」
写真クリックで読みやすく拡大


大徳寺派
堺市 臨済宗大徳寺派
龍谷山祥雲寺

(松の寺)
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沢庵和尚を開山とする名勝庭園の寺
現在は大相撲3月場所の出羽海部屋の稽古場である

大坂夏の陣の後、海会寺の跡に堺の豪商が寺を建立し、開山として沢庵和尚を迎えた。
沢庵は南宗寺を再興するとともに、南宗寺の傍に消失した海会寺を再建した。名勝の
枯山水庭園は大阪空襲で消失したが、現在のように再興されている。


 
堺市堺区祥雲寺にて(1月) 祥雲寺枯山水庭園 大阪空襲で消失したが残る石組みから再現された
クリックで拡大

 
堺市堺区祥雲寺にて(1月) 出羽海部屋修養道場 大相撲3月場所で、出羽海部屋が左写真の奥の建物を宿舎としている
写真右は道場玄関の看板 
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堺市堺区にある祥雲寺の本堂(ネットより転載)  右は1月に祥雲寺説明板より(クリックで拡大

  
堺市堺区祥雲寺にて(1月) 鎮守堂弁財天 沢庵和尚の井戸  
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堺市堺区祥雲寺にて(1月) 祥雲寺枯山水庭園 大阪空襲で消失し再現された クリックで拡大

  
堺市堺区祥雲寺にて(1月) 祥雲寺庭園 大阪空襲で消失し再現 
クリックで拡大

 
堺市堺区祥雲寺にて(1月) 祥雲寺庭園 大阪空襲で消失し再現 クリックで拡大

 
堺市堺区祥雲寺にて(1月) 祥雲寺庭園 の句碑  
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左は
大野翠峰<1891〜1969> 「重陽の松かげ青し石の肌」
右は翠峰に師事した岸本如草<生没年不詳>の句碑


堺市
堺市 日蓮宗
霊鵲山朝日寺

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堺市大仙公園にて(5月) 仁徳天皇陵の西側にある日蓮宗 霊鵲山朝日寺

 
堺市大仙公園にて(5月) 仁徳天皇陵の西側にある日蓮宗 霊鵲山朝日寺



藤井寺市
藤井寺市 真言宗御室派
蓮土山道明寺

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文楽・歌舞伎・菅原道真ゆかりの寺
「さくら餅」「道明寺粉」発祥の地
道明寺は古墳造営の土師氏の「土師寺」として約1300年前に建立された。
後に土師氏の子孫、菅原道真の別名道明から道明寺と呼ばれた尼寺である。
元は道明寺天満宮の南側にあったが明治に分離された。本堂のカヤ材一木造の
十一面観音立像は国宝。 文楽・歌舞伎「菅原伝授手習鑑」の道明寺である。
明治の廃仏毀釈令以前は道明寺、同天満宮は同じ場所にあった。
道明寺は和菓子「さくら餅」「道明寺」発祥の地でもある


藤井寺市にて(4月) 真言宗御室派 蓮土山道明寺 楼門 
クリックで説明板

 
道明寺縁起板と説明板 クリックで拡大
 「啼けばこそ 別れもうけれ 鶏の音の
         鳴からむ里の 暁もかな
」菅原道真

藤井寺市にて(4月) 道明寺大師堂 

藤井寺市にて(4月) 道明寺参道


藤井寺市にて(4月) 道明寺 本堂 クリックで説明板を拡大


藤井寺市にて(4月) 道明寺 護摩堂 

藤井寺市にて(4月) 道明寺 庫裏 

藤井寺市道明寺にて(4月) 句碑と地蔵菩薩像

道明寺参道にて(4月) 菅公御作十一面観音菩薩の碑

藤井寺市道明寺にて(4月) 仏像と本堂

藤井寺市道明寺にて(4月) 里桜と本堂

藤井寺市道明寺にて(4月) 境内 正面に大師堂

藤井寺市道明寺にて(4月) 境内の仏像

藤井寺市道明寺にて(4月) 花梨

藤井寺市道明寺にて(4月) 菩提樹


西国第五番札所
藤井寺市 西国第五番札所 真言宗御室派
紫雲山葛井寺

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聖武天皇の勅願で行基が創建
渡来人葛井連の氏寺

寺伝では725年、聖武天皇の勅願で行基が創建し、古子山葛井寺の勅号を得た。平安時代に
平城天皇の皇子・阿保親王が再興した。百済王族の子孫である葛井連ふじいのむらじ)の氏寺として、
8世紀中頃に創建されたと推定される。阿保親王の母も藤井氏である。本尊千手観音坐像(国宝)は
奈良時代の作で、境内から奈良時代の古瓦が出土し、創建が寺伝通り奈良時代8世紀頃と思われる。



藤井寺市にて(4月) 真言宗御室派 紫雲山葛井寺 南大門(重文)


藤井寺市紫雲山葛井寺にて(4月) 由緒書クリック拡大

藤井寺市紫雲山葛井寺にて(4月) 

藤井寺市紫雲山葛井寺にて(4月) 南大門仁王(右) 

藤井寺市紫雲山葛井寺にて(4月) 南大門仁王(左) 

藤井寺市紫雲山葛井寺にて(4月) 鐘楼 

藤井寺市紫雲山葛井寺にて(4月) 四足門(重文)


藤井寺市にて(4月) 真言宗御室派 紫雲山葛井寺 本堂


藤井寺市紫雲山葛井寺にて(4月) 大師堂

藤井寺市紫雲山葛井寺にて(4月) 手水舎

藤井寺市紫雲山葛井寺にて(4月) 弘法大師像

藤井寺市紫雲山葛井寺にて(4月) 観音堂

藤井寺市紫雲山葛井寺にて(4月) 護摩堂

葛井寺にて(4月) 
出世地蔵大菩薩
クリックで拡大

 
藤井寺市紫雲山葛井寺にて(4月) 東司(トイレ)           寺由緒書(
クリック拡大


太子町
太子町 真言宗

磯長山叡福寺

(上之太子)
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聖徳太子の御廟のある寺院聖徳太子建立48寺院の一つであり
河内三太子の一つに列せられ「上之太子」と呼ばれる。創建1400年になる古刹である

叡福寺は聖徳太子ゆかりの寺として歴代の天皇や権力者に重んぜられ、嵯峨天皇をはじめ多くの天皇が
参拝し、平清盛も堂塔の修理をしている。空海、親鸞、日蓮などもこの寺に参篭した。寺は天正2年(1574)の
兵火で消失したが17世紀初め、後陽成天皇の勅願により豊臣秀頼が伽藍を再興した。
父君用明天皇陵に近い。


 大阪府南河内郡太子町にて(1月)  真言宗磯長山叡福寺 正面は二天門と聖徳太子御廟 

 
大阪府南河内郡太子町にて(1月) 真言宗磯長山叡福寺金堂 竹内街道の近く


太子町にて(1月)  叡福寺南大門 扁額は「聖徳廟」

南河内郡太子町にて(1月)  叡福寺 南大門正面

大阪府太子町叡福寺にて(1月)  聖徳太子御廟 

 大阪府太子町叡福寺にて(1月)  手水舎 

 太子町にて(1月)  叡福寺 二天門 

 太子町にて(1月)  叡福寺 経堂 

南河内郡太子町にて(1月)  叡福寺 境内 

南河内郡太子町にて(1月)  叡福寺の美しい境内

太子町にて(1月) 叡福寺弘法大師像

太子町にて(1月)叡福寺多宝塔(重文)


 大阪府南河内郡太子町にて(1月)  叡福寺金堂


 太子町にて(1月)  叡福寺 弘法大師堂 

 太子町にて(1月)  叡福寺 見真大師堂 

 太子町にて(1月)  叡福寺 聖霊堂

 太子町にて(1月)  叡福寺 浄土院 

 
太子町にて(1月)  叡福寺 聖光明院


太子町にて(1月)  叡福寺 客殿(書院)

太子町にて(1月)  叡福寺 念仏堂


太子町にて(1月)  叡福寺 上の御堂
上の御堂は江戸時代に三十五歳堂、あるいは太子摂政像を42歳として四十二歳堂ともよばれた



 太子町にて(1月)  叡福寺
久邇元帥宮は昭和天皇の皇后、
香淳皇后の
お父君である。

 太子町にて(1月)  叡福寺 久邇元帥宮御遺髪塔」。
 久邇元帥宮は久邇宮邦彦王のことで、死後元帥を贈られた。
 
   


西方院
太子町 浄土宗
南向山西方院法楽寺

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聖徳太子の乳母による日本最古の尼寺
太子の冥福を祈るため叡福寺の門前に在る

日本最初の尼寺 聖徳太子の死後、その乳母であった月益姫、日益姫、玉照姫
(それぞれ蘇我馬子、小野妹子、物部守屋の娘)の3人が剃髪して仏門に入り、3人の尼
善信尼禅蔵尼恵善尼が墓前にお堂を建立して、太子の冥福を祈った。叡福寺の塔頭寺院



大阪府南河内郡太子町にて(1月) 元叡福寺塔頭 南向山西方院法楽寺 本堂 クリックで縁起説明
本尊の阿弥陀如来像 三尼公の木像、聖徳太子二歳の時の木像が叡福寺門前に祀られている


 南河内郡太子町にて(1月)  西方院法楽寺 山門

 南河内郡太子町にて(1月)  西方院 観音堂 

太子町にて(1月) 
西方院法楽寺 縁起
クリックで拡大

西方院法楽寺参道 
写真クリックで参道から叡福寺を見る

 南河内郡太子町にて(1月)
 西方院 納骨堂

 南河内郡太子町にて(1月)  西方院法楽寺 

 南河内郡太子町にて(1月) 西方院法楽寺鐘楼堂 


羽曳野市
羽曳野市 高野山真言宗
青龍山野中寺

中之太子
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聖徳太子建立48寺院の内、河内三太子の一つ
「中之太子」と呼ばれる。創建1400年になる古刹である
お染・久松の墓所がある。
秘仏 弥勒菩薩半跏思惟像で知られる
野中寺(やちゅうじ)は聖徳太子建立48寺院の一つ。太子の命で蘇我馬子が創建。また三太子として
叡福寺を上之太子、野中寺を中之太子、大聖勝軍寺を下之太子と呼び、竹内街道に沿って建つ。飛鳥時代〜
奈良時代前半に大規模な伽藍が存在した。元は渡来系・船氏の氏寺であったという説がある。創建時の堂塔は
南北朝時代に兵火で焼失したが、中門跡・金堂跡・塔跡・講堂跡・回廊跡などは法隆寺式伽藍配置を留め、
野中寺旧伽藍跡として国の史跡である。現在の本堂は江戸時代初期の寛永年間(1624〜)に、他は享保年間
(1716〜)に再建された。江戸時代は律宗勧学院として、和泉神鳳寺(大鳥大社境内に存在した)、槇尾
西明寺と共に律院三大僧坊として栄えた。
明治中期に高野山真言宗に転じた。本尊は薬師如来。


大阪府羽曳野市にて(4月) 高野山真言宗青龍山野中寺 山門 写真クリックで境内図
門の左右には優しい顔の仁王一対が収まっている

  
大阪府羽曳野市にて(4月) 高野山真言宗青龍山野中寺 山門の仁王(左右一対)
中央の白黒山門写真はパンフレットから転写した写真-仁王像がまだ入っていない  
 写真クリックで拡大


 
大阪府羽曳野市にて(4月) 高野山真言宗青龍山野中寺 山門と史跡碑


大阪府羽曳野市にて(4月) 高野山真言宗青龍山野中寺 参道 正面は本堂

 
大阪府羽曳野市にて(4月) 高野山真言宗青龍山野中寺 毎月18日は秘仏(重文)公開日 
左の写真クリックで拡大



大阪府羽曳野市にて(4月) 高野山真言宗青龍山野中寺 本堂

 
大阪府羽曳野市にて(4月) 高野山真言宗青龍山野中寺 大師堂

 
大阪府羽曳野市にて(4月) 高野山真言宗青龍山野中寺 石像と地蔵堂(地蔵尊は重文)

 
大阪府羽曳野市にて(4月) 高野山真言宗青龍山野中寺 鐘楼と手水舎


大阪府羽曳野市にて(4月) 高野山真言宗青龍山野中寺 寺務所

 
大阪府羽曳野市にて(4月) 高野山真言宗青龍山野中寺 方丈玄関  写真右は東門

 
大阪府羽曳野市にて(4月) 高野山真言宗青龍山野中寺    境内図はクリックで拡大

 
羽曳野市にて(4月) 青龍山野中寺 比丘寮 上蔵 輪番所に囲まれた菊桃の咲く庭園 右の説明板はクリックで拡大

  
羽曳野市にて(4月) 青龍山野中寺 方丈 左右の写真は毎月18日に開帳される重文の秘仏 弥勒菩薩半跏思惟像
左写真はネットより転載。右写真は(ウィキペディアより転載)(
像写真クリックで拡大



羽曳野市にて(4月) 高野山真言宗青龍山野中寺 方丈前庭園

 
羽曳野市にて(4月) 高野山真言宗青龍山野中寺 方丈前庭園

 
羽曳野市にて(4月) 高野山真言宗青龍山野中寺 中門  右写真は方丈前庭園


羽曳野市にて(4月) 高野山真言宗青龍山野中寺 方丈前庭園


羽曳野市にて(4月) 高野山真言宗青龍山野中寺 方丈前庭園


羽曳野市にて(4月) 高野山真言宗青龍山野中寺 境内(手水舎)



羽曳野市にて(4月) 高野山真言宗青龍山野中寺 中門 前方に東門


羽曳野市にて(4月) 高野山真言宗青龍山野中寺 寺務所に向かう参道

 
羽曳野市にて(4月) 高野山真言宗青龍山野中寺 史跡金堂跡 右は説明板(クリックで拡大


羽曳野市にて(4月) 高野山真言宗青龍山野中寺 史跡塔跡

 
羽曳野市にて(4月) 高野山真言宗青龍山野中寺 史跡金堂跡、塔跡の説明板(クリックで拡大

 
羽曳野市にて(4月) 高野山真言宗青龍山野中寺 史跡塔跡

 
羽曳野市にて(4月) 高野山真言宗青龍山野中寺 池西古墳石棺と説明板(クリックで拡大

 
大阪府羽曳野市 高野山真言宗青龍山野中寺にて(4月) お染・久松の墓 右は案内札(クリックで拡大
野崎観音お染・久松の塚がある。 【お染久松】 近松門左衛門の私淑・近松半二作が、宝永5年(1708)に実際に起こった
大坂瓦屋橋油屋の娘お染と丁稚久松の心中事件を題材にした浄瑠璃「新版歌祭文」、歌舞伎狂言「お染久松色読販
(うきなのよみうり)」などの主人公。 久松の生家は豊中市走井の浄行寺(楠木正成に連なる)との記録が残っている。



羽曳野市 高野山真言宗青龍山野中寺にて(4月) お染・久松の墓のある野中寺墓地

 
羽曳野市 高野山真言宗青龍山野中寺にて(4月) 句碑 クリックで拡大
左歌碑 「山門をくぐれば緑の野中寺」 作者不詳
右歌碑 「たたみくる雲厚けれど十三夜」 鴈来


八尾市
八尾市 高野山真言宗
神妙椋樹大聖勝軍寺
(下之太子)(太子堂)
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廃仏派の物部守屋を討った太子の古戦場
聖徳太子が建立48寺院の内、河内三太子の一つ
「下之太子」と呼ばれる。創建1400年になる古刹である

聖徳太子が物部守屋を成敗するため、信貴山の毘沙門天に祈願し、四天王を祀ってその加護により
勝利したので、難波に日本仏教最初の四天王寺を建立した。そして、この地には勝軍寺を創建し、自身十六歳
の植髪(うえがみ)の太子像と四天王像を安置したという。開基、本尊とも聖徳太子である。
参考資料)    


八尾市太子堂にて(5月) 高野山真言宗 神妙椋樹山 大聖勝軍寺 山門  クリックで由来石碑


八尾市太子堂にて(5月) 高野山真言宗 神妙椋樹山大聖勝軍寺 本堂(太子堂)


八尾市太子堂にて(5月) 高野山真言宗 神妙椋樹山 大聖勝軍寺 本堂


八尾市にて(5月) 高野山真言宗 神妙椋樹山 大聖勝軍寺 太子と四天王像
廃仏派の物部守屋の成敗に成功すれば、太子が大阪に四天王寺を建てて四天王をお祀りするとの
請願がなされた場所である。  
クリックでこの由来を説明した石碑が拡大表示される。実在人物を右から
持国天(蘇我馬子)、多聞天(秦川勝)、広目天(迹見赤檮)、増長天(小野妹子)の四体に当てている。


八尾市にて(5月) 高野山真言宗 神妙椋樹山 大聖勝軍寺 山門(内側)

 
八尾市太子堂にて(5月) 高野山真言宗 神妙椋樹山 大聖勝軍寺 神妙椋樹
仏教に反対する物部守屋を討伐する戦において、聖徳太子が物部軍に追われたとき、椋(むく)の木が二つに割れて
太子の身を守ったという。その椋の木に因み、推古天皇は太子のの勝ち軍を讃え、神妙椋樹山大聖勝軍寺との
山号と寺名を命名した。  
クリックでこれを説明する石碑を拡大

 
八尾市太子堂にて(5月) 高野山真言宗 神妙椋樹山大聖勝軍寺 毘沙門天堂


八尾市太子堂にて(5月) 高野山真言宗 神妙椋樹山 大聖勝軍寺 境内(正面は山門と鐘楼)


 
八尾市太子堂にて(5月) 高野山真言宗 神妙椋樹山大聖勝軍寺 鐘楼

 
八尾市太子堂にて(5月) 高野山真言宗 神妙椋樹山 大聖勝軍寺 東門

 
八尾市太子堂にて(5月) 高野山真言宗 神妙椋樹山 大聖勝軍寺 東門(内側)

  
八尾市太子堂にて(5月) 高野山真言宗 神妙椋樹山大聖勝軍寺 平和の塔 右は「呂和為貴 以禮為本」の碑
聖徳太子とその敵物部守屋の両方をお祀りしてある   
全てクリックで拡大 十七条の憲法

 
八尾市太子堂にて(5月) 高野山真言宗 神妙椋樹山 大聖勝軍寺  一願不動  大聖不動明王

 
八尾市太子堂にて(5月) 高野山真言宗 神妙椋樹山大聖勝軍寺 弘法大師修行尊像

 
八尾市にて(5月) 高野山真言宗 神妙椋樹山 大聖勝軍寺 寺務所 百度石


 
八尾市太子堂にて(5月) 高野山真言宗 神妙椋樹山大聖勝軍寺地蔵堂

 
八尾市太子堂にて(5月) 高野山真言宗 神妙椋樹山大聖勝軍寺 救世観音菩薩(救世引導納骨所)



八尾市 大聖勝軍寺にて(5月)
聖太子 和を説きますし お眸の・・・」
の歌碑  クリックで歌の部分が拡大

 
八尾市太子堂 大聖勝軍寺山門脇にて(5月)
西尾(水鶏庵)栞の川柳句碑 クリックで説明碑
川柳塔社 元理事長 水鶏庵 栞  西尾栞(1909〜1995)

一歩出ずれば吾れ旅人となる心
奥の細道から詠んだ川柳 門前の川柳句碑


八尾市久宝寺にて(5月) 顕証寺 西・許麻神社東側の許麻橋地蔵


八尾市 
八尾市 浄土真宗本願寺派
近松山顕証寺
久宝寺御坊

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真宗本願寺派の東大阪河内の拠点
大坂冬・夏の陣で消失したが江戸時代に復興した

八尾市久宝寺地区は、飛鳥時代に聖徳太子が「久宝寺」を創建した地である。文明元年(1469)、本願寺8世法主蓮如は、
近江近松(滋賀県大津市)に顕証寺を創建し、本願寺派近松別院としたが、後に、この久宝寺御坊顕証寺に引き継がれた。
そのため、戦前まで大津の近松別院は八尾の顕証寺が法要を勤めていた。寺周辺は寺内町と呼ばれ寺院の権勢を誇っていた。
顕証寺西側の許麻神社境内には太子が創建したという久宝寺観音院があったが、明治の神仏分離で廃絶した。


八尾市久宝寺にて(5月) 浄土真宗本願寺派 近松山久宝寺御坊顕証寺 山門  クリックで寺院略記碑へ

 
八尾市久宝寺にて(5月) 浄土真宗本願寺派 近松山 顕証寺 本堂


八尾市久宝寺にて(5月) 浄土真宗本願寺派 近松山顕証寺 山門


八尾市久宝寺にて(5月) 浄土真宗本願寺派 近松山久宝寺御坊顕証寺 山門

 
八尾市久宝寺にて(5月) 浄土真宗本願寺派 近松山顕証寺 本坊庫裏 
説明碑はクリックで拡大


八尾市久宝寺にて(5月) 浄土真宗本願寺派 顕証寺 境内参道(山門内側)

 
八尾市久宝寺にて(5月) 浄土真宗本願寺派近松山 久宝寺御坊顕証寺 蓮如上人像  右は親鸞上人像


 
八尾市久宝寺にて(5月) 浄土真宗本願寺派 近松山久宝寺御坊顕証寺 鐘楼と手水舎


真言
河内長野市 真言宗
檜尾山観心寺
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楠木正成公ゆかりの寺院
大楠公さんの銅像がある
当寺は701年に修験道の役行者が開創され、 後に弘法大師が真言宗の
道場とした寺院。境内には弘法大師の筆頭弟子道興大師実恵の墓、南北朝の
英雄楠木正成の墓、第九十七代後村上天皇の御陵などがある。

  
大阪府河内長野市にて(8月) 観心寺 大楠公像 左右の写真は産経新聞HPより 
クリックで拡大


大阪府河内長野市 檜尾山観心寺 

大阪府河内長野市 観心寺 金堂

大阪府河内長野市 観心寺 建掛塔 

大阪府河内長野市 観心寺 
後村上天皇
檜尾陵 

大阪府河内長野市 観心寺 大楠公首塚 

大阪府河内長野市 観心寺 鐘堂 

    
大阪府河内長野市 観心寺中院 楠木正成学問所 後村上天皇陵碑と大阪みどりの百選碑
クリックで拡大


産経新聞 H29.11.03記事より 天野山金剛寺 クリックで拡大


真言宗
河内長野市 真言宗御室派
薬樹山
延命寺

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空海が地蔵の石仏を本尊として開創
弘仁年間(810〜824)、空海が地蔵の石仏を刻んで本尊としたのが当寺の始まりとされる。
寛永16年(1639)に、この地に生まれた浄厳が伽羅山延命寺に寺号を改め中興する。
延宝5年(1677)、薬樹山延命寺に寺号を改め、本尊も如意輪観音に改められた。



 大阪府河内長野市 真言宗御室派薬樹山延命寺 

大阪府河内長野市 薬樹山延命寺鐘楼 

大阪府河内長野市 延命寺本堂 

大阪府河内長野市 延命寺山門 


念仏宗
大阪市平野 融通念仏宗総本山
大念仏寺

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融通念佛宗の総本山
1127年、聖徳太子信仰の厚かった良忍上人が四天王寺に立ち寄った際、太子から
夢のお告げを受け、鳥羽上皇の勅願により根本道場を創建した。平安末期以降広まった
念仏信仰の先駆けで、日本最初の念仏道場といわれる。その後、火災な
どで
荒廃したが、元禄期に本山として体裁が整い、現在に至る。


 大阪市平野区にて(1月) 大念仏寺 正面

 
 平野区にて(1月) 大念仏寺 山門 右は山門スケッチ(歴史街道雑誌2012年冬号表紙 クリックで拡大


 平野区にて(1月) 大念仏寺 円通殿(観音堂)

 大阪市平野区にて(1月) 大念仏寺 瑞祥閣(中央) 

 大阪市にて(1月)大念仏寺鐘楼

 大阪市平野区にて(1月) 大念仏寺 手水舎

 大阪市平野区にて(1月) 大念仏寺 宗務所と斉堂

 大阪市平野区にて(1月) 大念仏寺 瑞祥閣正面


 大阪市平野区にて(1月) 大念仏寺 本堂


 大阪市平野区にて(1月) 大念仏寺 南門

 大阪市平野区にて(1月) 大念仏寺 白雲閣 


 大阪市平野区にて(1月) 大念仏寺 塔頭 梁松院 


 大阪市平野区にて(1月) 大念仏寺 楽邦殿(納骨堂)

 大阪市平野区にて(1月) 大念仏寺 宝物館 


平野
大阪市平野
高野山真言宗
全興寺

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本堂は大坂夏の陣で一部焼失したが、大阪空襲を免れた府内有数の古い木造建築物
平野郷は大坂堺、奈良今井町などと同じく、戦禍をさけたいと言う中世環濠都市であった。
境内に地獄堂や地下のほとけのくにを設け、子弟に仏教を伝えている。神仏習合か
杭全神社の奥の院と仰がれ、神輿のお渡りがある。駄菓子博物館などがある。

聖徳太子が仏堂を建て、薬師如来像を安置したのが起源とされる。この一帯は杭全荘と呼ばれ、杭全を興す寺から
全興寺になったという。薬師堂の建立後、人が住み平野郷となる。平野とは平安初期、領主坂上田村麻呂の子坂上広野から
ついたらしい。応仁の乱以降は戦乱を避けるよう、豪商らが環濠を築き、堺と並ぶ環濠都市として栄えた。大坂夏の陣により
町は戦火に飲まれたがすぐに再建された。大阪大空襲の被害もなく、今も江戸時代の古い町並みが残っている。
全興寺本堂は天正4年(1576年)の建造で、大坂夏の陣で一部を焼失したが、1661年に再建されたもの。。

  
大阪市平野区にて(12月) 高野山真言宗野中山全興寺 本堂と本堂左直前の寺碑 
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寺碑前面に「聖徳太子御製秘仏 薬師瑠璃光如来」側面に「薬師堂 野中山全興寺」とある。

    
大阪市平野区全興寺にて(12月) 本堂の扁額(本尊薬師如来、左右に聖徳皇太子と十一面観世音菩薩)
右の二枚は寺院説明板 
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大阪市平野区にて(12月) 高野山真言宗野中山全興寺 北門(商店街側)外側と内側 クリックで拡大

 
大阪市平野区にて(12月) 高野山真言宗野中山全興寺 西門外側(門前駐車場側)と内側 
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大阪市平野区にて(12月) 高野山真言宗野中山全興寺 地獄堂 クリックで拡大

  

大阪市平野区にて(12月) 高野山真言宗野中山全興寺 地獄堂 クリックで拡大

   
大阪市平野区野中山全興寺にて(12月) 地下のほとけのくに 左からほとけのくに案内板 地下への通路
四国八十八ヶ所霊場
ほとけのくに」の電光案内 地下の座禅用電光曼荼羅 クリックで拡大

  
大阪市平野区野中山全興寺にて(12月) 不動堂 右は篤志家の再建顕彰碑 クリックで拡大

 
大阪市平野区野中山全興寺にて(12月) 一願不動尊 クリックで拡大

 
平野区全興寺にて(12月) 不動堂前の西国三十三ヶ所石仏と延命地蔵尊 クリックで拡大

  
大阪市平野区野中山全興寺にて(12月) 不動堂前の西国三十三ヶ所石仏とマニ車 クリックで拡大

 
大阪市平野区野中山全興寺にて(12月) 本堂前の植え込み  クリックで拡大

  
大阪市平野区野中山全興寺にて(12月) 境内の様子  クリックで拡大

 
大阪市平野区野中山全興寺にて(12月) 境内の様子  クリックで拡大

  
平野区野中山全興寺にて(12月) 境内の仏足石  右は地獄の釜 
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平野区野中山全興寺にて(12月) 境内の駄菓子の博物館

   
大阪市平野区野中山全興寺にて(12月) 境内の道標  クリックで拡大
写真左1番目は道標の北面「左 ふじ井寺、道明寺、大峯山上 是れより一丁先の辻を右へ」
写真左から2番目は道標の東面「右 天王寺、大さか すぐ住よし、さかひ」
写真左から3番目は道標の南面「右 さ山、高野山 すぐ信貴山道」
写真左4番目は道標の西面「道標が慶応2年に設立云々」を銘記

 
大阪市平野区野中山全興寺にて(12月) 庫裏 クリックで拡大

  
大阪市平野区高野山真言宗野中山全興寺にて(12月) 納骨堂 弘法大師像 涅槃堂の寝釈迦 クリックで拡大

     
平野区野中山全興寺にて(12月) 本寺は杭全神社の奥の院とも言われる神仏習合で摂社がある クリックで拡大
左より先頭天王、稲荷大明神、金毘羅大権現


産経新聞 平成28年12月8日 朝刊 全興寺紹介記事 境内案内 クリックで拡大
「地獄堂」の閻魔大王が仏教の教えを語る、暗い地下の「ほとけのくに」は仏像に囲まれたマンダラがある。
全興寺は杭全神社の奥の院であった。 杭全神社と全興寺の位置関係地図
全興寺境内に駄菓子博物館がある。


浄土宗
大阪市天王寺区 浄土宗
坂松山高岳院一心寺

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納骨された遺骨で10年毎に造立される「お骨佛の寺」
年中無休で施餓鬼法要を行う「おせがきの寺」
文治元年(1185)法然上人が四天王寺に来られた折、この地で夕陽を見ながら極楽浄土を観想する「日想観」を修せられ
庵を結ばれた。庵には後白河法皇も招かれ、後に「一心寺」へと改称された。
1600年関ヶ原の戦いの年、徳川家康の第8男
仙千代君が夭折し、一心寺で葬儀が営まれて以来、家康公との結びつきが強く、慶長19年(1614)の大坂冬の陣では
家康の本陣が当地におかれた。江戸時代末期からは「おせがきの寺」として賑わい、明治20年にお骨佛が造立
されてから「お骨佛の寺」として親しまれ、庶民の寺としての歴史を歩んできた。



大阪市天王寺区にて(8月) あべのハルカスより一心寺を展望  クリックで拡大


大阪市天王寺区にて(8月) 浄土宗 坂松山高岳院一心寺 本堂 境内図


大阪市天王寺区浄土宗一心寺にて(6月) 本堂にて
平成27年6月第14期お骨佛様が造立・開眼 
クリックで拡大

 
大阪市天王寺区にて(8月) 浄土宗 坂松山高岳院一心寺 仁王門と鐘楼

 
大阪市天王寺区にて(8月) 浄土宗 坂松山高岳院一心寺 阿吽の仁王
右は平成29年2月11日 産経新聞記事より 
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大阪市天王寺区にて(8月) 浄土宗 坂松山高岳院一心寺 仁王門 右は仁王門脇の結縁地蔵尊


大阪市天王寺区にて(8月) 浄土宗 一心寺 お骨佛(納骨されたお骨で形成)(寺院パンフより)



大阪市天王寺区にて(8月) 浄土宗 坂松山高岳院一心寺 参道より

 
大阪市天王寺区にて(8月) 浄土宗 坂松山高岳院一心寺 洗心(手水舎)


   
大阪市天王寺区にて(8月) 浄土宗 坂松山高岳院一心寺 左から念仏堂、本多出雲守の墓、通天閣展望(クリックで拡大

 
大阪市天王寺区浄土宗一心寺にて(6月) 山門にて ジャカランダ
 一心寺のジャカランダ動画   クリックで拡大

 
天王寺区浄土宗一心寺にて(6月) ジャカランダの花(左は念仏堂の横手、右は三千佛堂から) クリックで拡大

  
天王寺区浄土宗一心寺にて(6月) 左端満州開拓物故者の碑  右端八代目市川団十郎の墓  クリックで拡大

  
天王寺区浄土宗一心寺にて(6月) 三千佛堂(外壁のノウゼンカズラと内部の千躰佛) クリックで拡大

 
天王寺区浄土宗一心寺にて(6月) 三千佛堂 
クリックで拡大

 
天王寺区浄土宗一心寺にて(6月) 鐘楼とジャカランダの花 
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天王寺区浄土宗一心寺にて(6月) 元祖大師御廟所 真阿上人墓 
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大阪市天王寺区にて(8月) 浄土宗 坂松山高岳院一心寺 納骨堂 お骨佛堂

 
大阪市天王寺区にて(8月) 浄土宗 坂松山高岳院一心寺 納骨堂 お骨佛堂

 
大阪市天王寺区浄土宗一心寺にて(8月) 南門(奥にアベノハルカス) 写真右は開山堂 
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天王寺区浄土宗一心寺にて(6月) 境内よりジャカランダの花越しにアベノハルカスを展望 クリックで拡大

 
大阪市天王寺区にて(8月) 浄土宗 坂松山高岳院一心寺 鐘楼 境内の墓地風景

 
大阪市天王寺区にて(8月) 浄土宗 坂松山高岳院一心寺 日想殿・信徒会館 写真左奥が本坊入口


浄土宗
大阪市西区 浄土宗
蓮池山智善院和光寺

阿弥陀池

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智善上人は信州善光寺の本尊が出現した阿弥陀池を
霊地として寺院を建立、蓮池山智善院和光寺と称した尼寺

インドから百済を経て伝来した最古の仏像を、廃仏派の物部氏は難波の堀江(現・阿弥陀池)に捨てた。
信濃国司の従者・本田善光がこの仏像を難波から信濃へお連れし、現在の飯田市を経て、642年に現在の長野
に遷座し、皇極天皇の勅願により伽藍が造営され、本田善光の名から「善光寺」と名付けられた。
後に元禄の頃 1698年、智善上人が阿弥陀如来の出現した霊地阿弥陀池のそばに和光寺を創建した。


  
大阪市西区阿弥陀池にて(3月) 蓮池山智善院和光寺 本堂と扁額 
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左写真は和光寺の本尊で、信濃善光寺の秘仏本尊の姿を写した善光寺式阿弥陀如来と称される阿弥陀三尊像である。
ひとつの舟形光背の中に阿弥陀如来と観音菩薩と勢至菩薩の両脇侍像をおさめる一光三尊形式の像である(参考ネットより)。

 
大阪市西区蓮池山智善院和光寺にて(3月)  阿弥陀池と池の中央にある放光閣 クリックで拡大

本田善光がこの池から阿弥陀如来を救い、信濃で善光寺を興したことから、この池を「阿弥陀池」
と呼ばれるようになった。 阿弥陀池は平成18年度大阪市指定文化財である。

  
大阪市西区蓮池山智善院和光寺にて(3月) 浮世絵の阿弥陀池放光閣(ネットより) 
中央の放光閣は明治の写真(戦災で消失) 右は説明板 
右2枚はクリックで拡大

  
大阪市西区蓮池山智善院和光寺にて(3月)  山門(内側と正面) 右は西門 
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大阪市西区蓮池山智善院和光寺にて(3月) 堂宇 地蔵尊像 クリックで拡大

  
大阪市西区蓮池山智善院和光寺にて(3月)  稲荷大明神と不動明王 右は手水舎 クリックで拡大

    
大阪市和光寺にて(3月) 日限北向地蔵尊 不動尊奥の地蔵尊 白龍大明神 日本式石のマニ車 日清・日露戦死者忠魂碑 
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大阪市和光寺阿弥陀池にて(3月) 宝井其角<1661〜1705>「仇なりと花に五戒のさくらかな」
右写真は南無阿弥陀仏碑と句碑(作者は不詳)
「花にこころさりてうしろあゆみかな」 クリックで拡大

   
大阪市和光寺阿弥陀池にて(3月) 左から狂歌6首 右の句碑2句は不詳 
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 「あそびもし、○もしくらひもし 極楽で もうけつかひの きのこりはなし」 (桐丸)
「花ならで 御笑ひ○ 言(こと)のはを のこしてきゆる つゆの玉麻呂」 (玉丸)
「みのかさも つえもつきせぬ 天の下 ふり行 死での旅立」 (花才丸)     
「念佛をとなふることのつきてのち あみだが池に のこすいしぶみ」 (むら丸)  
「すみなれし ここも極楽浄土なり 後世を願ふ なむあみだ池」 (七宝丸)    
「不詳」(此丸)
 以上解読は和光寺副住職 別府浄照による             
 


浄土宗
大阪市天王寺区 浄土宗
天暁院

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四天王寺新別所として鎌倉期開創
昔、四天王寺辺りに斎場があり、海側から斎場に向う葬列は逢阪の中間(現所在地)にある天暁院を休憩所
にしていた。本院は(参考1
文禄2(1593)年創建であったが、昭和20(1945)年3月14日大阪大空襲により焼失し、
戦後再建。寺宝の引導地蔵は昔、村民葬送の際、四天王寺西門の引導石を棺にすえて六時堂の鐘をつき、天暁院前の鐘を
三度鳴らすのを旧例としたところから、鐘前にある地蔵を引導地蔵、三鐘地蔵と言ったという。(参考2)。


 
大阪市天王寺区にて(8月) 浄土宗天暁院 山門


大阪市天王寺区にて(8月) 浄土宗天暁院 本堂と庫裏


和宗総
大阪市天王寺区 和宗総本山
荒陵山四天王寺

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聖徳太子が建立した最古の寺院
四天王寺は約1400年前の推古元年に聖徳太子が建立。 四箇院制として仏法修行の“敬田院”、
薬を施す“施薬院”、病気を癒す “療病院”、貧者救済の“悲田院”を根本精神実践の場として建てられた。
四箇院事業は現在、学校法人四天王寺学園、社会福祉法人四天王寺福祉事業団が悲田、施薬、療病の
各事業を継承。寺の再建と修復は1400年前から金剛組が継承し担当している


 
大阪市天王寺区にて(4月) あべのハルカスより四天王寺を展望  クリックで拡大


 大阪市天王寺区にて(12月) 四天王寺 中心伽藍(南西から撮影) 
左から金堂(屋根)、五重塔、仁王門 (先の大戦で消失したが復興した)



天王寺区 荒陵山(あらはかさん) 四天王寺 極楽門

大阪市天王寺区 四天王寺 左から金堂、五重塔

四天王寺にて(12月) 中心伽藍 五重塔 

 天王寺区四天王寺にて(12月) 中心伽藍
 金堂(本尊は救世観音)
 
天王寺区四天王寺にて(12月) 中心伽藍 講堂 

四天王寺にて(12月) 中心伽藍 西重門(内側) 

天王寺区四天王寺にて(12月) 中心伽藍 中門(仁王門)

 
四天王寺にて(12月)  中心伽藍(西重門正面) 右は中心伽藍回廊釣灯篭

 
天王寺区四天王寺にて(12月) 中心伽藍 内部


天王寺区四天王寺にて(12月) 本坊庭園 極楽浄土の庭 瑠璃光の池 薬師の滝

 
大阪市天王寺区四天王寺にて(12月) 五智光院


天王寺区四天王寺にて(12月) 
 本坊庭園 極楽浄土の庭 

 天王寺区四天王寺にて(12月)
 本坊庭園 極楽浄土の庭 極楽の池越しの八角堂  

天王寺区四天王寺にて(12月) 
 本坊庭園 極楽浄土の庭 客殿 

 天王寺区四天王寺にて(12月) 
 本坊庭園 極楽浄土の庭 

天王寺区四天王寺にて(12月) 本坊 

天王寺区四天王寺にて(12月) 本坊寺務所   

天王寺区四天王寺にて(12月) 本坊庭園 一心大神 

天王寺区四天王寺にて(12月) 本坊 

天王寺区四天王寺にて(12月) 本坊通用門 

天王寺区四天王寺にて(12月) 東大門

天王寺区四天王寺にて(12月) 太子殿 

天王寺区四天王寺にて(12月) 聖霊院太子殿虎の門 

 四天王寺にて(12月)
 太子殿前庭園



 四天王寺にて(12月)
 転法輪 



天王寺区四天王寺にて(12月) 牛王尊 


大阪市天王寺区にて(12月) 四天王寺南大門


天王寺区四天王寺にて(12月) と太子井戸屋形 

天王寺区四天王寺にて(12月) 南鐘堂 

 
天王寺区四天王寺にて(12月) 六時堂 手前は石舞台            義経鎧掛けの松 


大阪市天王寺区 四天王寺 神仏習合の大鳥居

大阪市天王寺区 四天王寺 六時堂  

天王寺区四天王寺にて(12月) 大黒堂 

天王寺区四天王寺にて(12月) 英霊堂 

天王寺区四天王寺にて(12月) 

天王寺区四天王寺にて(12月)亀井堂と後ろに太鼓堂 

天王寺区四天王寺にて(12月) 北鐘楼

天王寺区四天王寺にて(12月) 亀井不動尊 水掛不動

天王寺区四天王寺にて(12月) 阿弥陀堂 

天王寺区四天王寺にて(12月) 番匠堂 

 
大阪市法円坂大阪歴史博物館にて(8月) 四天王寺定書 クリックで拡大 右は説明部分の拡大


 
産経新聞夕刊2016.11.08 1面の記事 金剛組 右は2016.11.10 
クリックで拡大

 
産経新聞夕刊2016.11.11 1面の記事 金剛組 右は2016.11.12 クリックで拡大


和宗
大阪市天王寺区 和宗
四天王寺別院
荒陵山勝鬘院

(愛染堂)
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1400年前に聖徳太子が建立した
四天王寺の日本最初の社会福祉施設、施薬院

西暦593年、聖徳太子は敬田院、施薬院、療病院、悲田院からなる四天王寺を建立され、
本院は
その
施薬院である。あらゆる薬草を植え、病に応じてあまねく人々に与えられるようにと
現在の愛染堂の場所に建立された。当時は現在より広大であり、我が国の社会福祉事業発祥
の地でもある。 後に施薬院から勝鬘院、愛染堂と呼ばれるようになった。

 
大阪市天王寺区勝鬘院・愛染堂にて(5月) 薬医門 右は愛染明王勝鬘院碑(
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大阪市天王寺区勝鬘院・愛染堂にて(2月) 薬医門         右駒札は(5月)撮影


大阪市天王寺区にて(2月) 勝鬘院・愛染堂 金堂(府文化財)

 
大阪市天王寺区にて(5月) 勝鬘院・愛染堂 金堂(府文化財 
クリックで拡大)  写真右は山門(2月)


天王寺区勝鬘院・愛染堂にて(5月) 多宝塔(重文)

多宝塔説明板


天王寺区愛染堂にて(5月) 多宝塔(重文)

 
大阪市天王寺区勝鬘院・愛染堂にて(2月) 多宝塔(重文) 写真右は金堂前の慈母観音(
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大阪市天王寺区勝鬘院・愛染堂にて(5月) 七福神社

大阪市天王寺区にて(5月) 勝鬘院・愛染堂金堂

 
大阪市天王寺区勝鬘院・愛染堂にて(2月) 愛染めの霊水 説明板はクリックで拡大

  
大阪市天王寺区勝鬘院・愛染堂にて(5月) 大力金剛尊 説明板はクリックで拡大

 
大阪市天王寺区勝鬘院・愛染堂にて(2月) 愛染桂  写真右は哲学の椅子

 
大阪市天王寺区にて 勝鬘院・愛染堂への愛染坂 写真クリックで拡大説明板 写真左は上り(2月)、右は下り(5月)


大阪市天王寺区にて(2月) 西国愛染霊場一覧表 
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大阪市天王寺区にて(4月) あべのハルカス 最上階展望室より
大江神社と愛染堂(勝鬘院)を展望  クリックで拡大


和宗
大阪市天王寺区 和宗
四天王寺支院
有栖山清水寺

(清光院)
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京都清水寺を模した玉出の滝と舞台がある
「宗教法人清光院」有栖山清光院清水寺は和宗総本山四天王寺の支院である。「玉出の滝」は天然の滝で、
京都の清水寺 の音羽の滝を模して建立された。通称新清水寺とも呼ばれ、境内の西側の崖には舞台がある。
御詠歌「尊しや 大江の岸の 観世音滝も玉出の 名に輝きて」
とあるようにこの寺の麓は海岸であったらしい。

この寺も昭和20年3月の大阪大空襲で堂宇が消失した

 
大阪市天王寺区にて(2月) 有栖山清光院清水寺 クリックで拡大

 
大阪市天王寺区にて(2月) 有栖山清光院 清水寺 縁起の駒札(
クリックで拡大


   
大阪市天王寺区にて(2月) 有栖山清光院清水寺 不動明王   写真クリックで夫々拡大


大阪市天王寺区にて(2月) 有栖山清光院 清水寺 


 
大阪市天王寺区にて(2月) 有栖山清光院清水寺 山門      写真右は納経所(仮本堂)この奥が玉出の滝

  
大阪市天王寺区にて(2月) 有栖山清水寺の寺標(右側が清水坂)  写真右は下から見た清水坂(右崖の上が清水寺) 
駒札はクリックで拡大

 
大阪市天王寺区にて(2月) 有栖山清光院清水寺 鐘と清水寺墓所

 
大阪市天王寺区にて(2月) 有栖山清光院 清水寺 地蔵堂  写真右は本堂建設用地(現在駐車場



和宗
大阪市天王寺区 和宗
四天王寺支院
光徳山瑞雲寺

(真光院)
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聖徳太子が父の用命天のご冥福を祈った
四天王寺の支院・菩提寺

聖徳太子が父の用命天皇のご冥福を祈り、17日念仏三昧を修したところ、
西方教生無量寿仏が紫雲に乗って現れたので光徳山瑞雲寺とした。太子自作の阿弥陀如来像
を安置し、眞光院とされた。四天王寺無常院の菩提寺院である。(真光院寺誌抄より)

この寺も昭和20年3月の大阪大空襲で堂宇が消失した


大阪市天王寺区にて(5月) 光徳山瑞雲寺真光院山門・鐘楼 写真クリックで真光院寺誌抄


大阪市天王寺区にて(5月) 光徳山瑞雲寺真光院本堂

大阪市天王寺区にて(5月) 光徳山瑞雲寺真光院

 
大阪市天王寺区にて(5月) 光徳山瑞雲寺真光院


浄土宗
大阪市天王寺区 西山浄土宗
柳谷観音大阪別院 
銀龍山泰聖寺

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泰聖寺は眼病回復で知られる柳谷観音の分霊所
金龍の水で目を洗うと柳谷観音同様の眼病への効能があるとの信仰がある。
この寺も昭和20年3月の大阪大空襲で堂宇が消失した

 
大阪市天王寺区にて(2月) 柳谷観音大阪別院 西山浄土宗銀龍山泰聖寺 右は説明碑(クリックで拡大

 
大阪市天王寺区にて(2月) 柳谷観音大阪別院 西山浄土宗銀龍山泰聖寺 写真右は復活金龍大明水

 
 
大阪市天王寺区にて(2月) 西山浄土宗銀龍山泰聖寺 金龍清水 クリックで説明碑文拡大
金龍清水は天王寺七名水(金龍、有栖、増井、安井、玉手、亀井、逢坂、の七つの井戸)の一つ



大谷派
真宗大谷派(東本願寺派)
難波別院南御堂

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元大阪城付近にあった石山本願寺
江戸初期に京都に東本願寺が建設されるまで

ここが真宗大谷派本願寺の本山であった
浄土真宗は小阪(現大阪城付近)に石山本願寺を建て、この地を蓮如上人が大坂と呼んだ。
明治になって大阪となった。その昔、織田信長との抗戦の後、鶯森、貝塚、天満渡辺津を経て
慶長3年(1598)ここ南御堂の場所に大谷本願寺の本山があった。その後秀吉により京都に
本願寺がの寄進された。そして家康の寄進により慶長7年(1602)京都に東本願寺が
建設され、本願寺の東西分離は確定した。(参考;南御堂由緒碑


大阪市南御堂にて(12月)
永禄5年(1596)製作の梵鐘

大阪市南御堂にて(12月) 寺標

   

 
大阪市南御堂にて(12月) 御堂筋と南御堂講堂入口の石像


大阪市南御堂にて(12月) 芭蕉の辞世の句がある 獅子吼園の庭
山口誓子、阿波野青畝の句碑もある

 
南御堂にて(12月) 松尾芭蕉(1644〜1694)辞世 「旅に病で夢は枯野をかけまはる
芭蕉は元禄7年(1694)秋、伊賀から大阪に着いたが病気になり、10月12日南御堂前の花屋
仁左衛門の屋敷で51歳の生涯を閉じた。句碑は、後に天保の俳人達によって建立。
この句のあとの1句「
清滝や波に散り込む青松葉」が最後の句らしい。


大阪市南御堂にて(12月) 
山口誓子<1901〜1994>
金色の御堂に芭蕉忌を修す

南御堂にて(12月)
阿波野青畝<1899年〜1992>
翁忌に行かむ晴れても時雨れても

大阪市南御堂にて(12月) 獅子吼園の庭

大阪市南御堂にて(12月) 獅子吼園の庭

大阪市南御堂にて(12月) 獅子吼園の庭

大阪市南御堂にて(12月) 獅子吼園の庭


大阪市南御堂にて(12月) 真宗大谷派難波別院御影堂
クリックで由緒碑

 
大阪市南御堂にて(12月) 真宗大谷派難波別院 寺務所 寺院由緒碑(
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天台真
天台真盛
雪松山鶴満寺

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滋賀県大津市西教寺の真誠派に連なる寺院


大阪市長柄にて(6月) 天台真盛宗 雲松山鶴満寺 
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