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7 兵庫 広済 満願寺 東光寺 天乳寺 毘沙門堂 天沢寺 昆陽寺 門戸厄神東光寺 鷲林寺 神呪寺 太山寺 石峯寺 泰蔵寺 伽耶院 浄土寺 
一乗寺 白毫寺 平林寺 円満寺
 永沢寺 花山院 光明寺 鏑射寺  観世寺  欣勝寺 圓教寺 朝光寺 清水寺 天上寺 
能福寺 真光寺 法蓮寺 須磨寺 現光寺 中山寺 清荒神 雲龍寺・本要寺・本長寺 

7 兵庫の仏閣
日蓮宗
尼崎市
日蓮宗
広済寺

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近松門左衛門が作家活動を行った
寺院で、近松の墓(国指定史跡)がある

広済寺は禅宗の寺院であったが、南北朝時代元弘3年(1333)に戦火を被り、廃寺となった。江戸時代、
正徳4年(1714)に日蓮宗日昌上人(1667-1738)が再興した。近松門左衛門はその再興に協力した一人である。
近松は晩年の十数年間ここで作家活動を行い、1724年に72歳で生涯を終えた。


 
尼崎市日蓮宗広済寺にて(8月) 山門と史跡近松門左衛門墓所標


尼崎市日蓮宗広済寺にて(8月) 山門の扁額「如意珠院」(日昌上人)

 
尼崎市日蓮宗広済寺にて(8月) 手水者


尼崎市日蓮宗広済寺にて(8月) 本堂 本堂の右に近松の墓がある。

 
尼崎市日蓮宗広済寺にて(8月) 本堂 右写真は山門左の「近松門左衛門墓所文部省」の碑


尼崎市日蓮宗広済寺にて(8月) 妙福稲荷の鳥居


尼崎市日蓮宗広済寺にて(8月) 妙見堂


尼崎市日蓮宗広済寺にて(8月) 妙見堂の扁額「妙見大菩薩」

 
尼崎市日蓮宗広済寺にて(8月) 西門と山門(内側)



尼崎市日蓮宗広済寺にて(8月) 近松門左衛門の墓(国の史跡)
写真クリックデ駒札拡大

 
尼崎市近松公園にて(8月) 広済寺横の公園にある近松門左衛門銅像
 右写真は近松記念館



満願
川西市
高野山真言宗
満願寺
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廃仏毀釈で多田院の仁王を貰い受けた仁王門
清和源氏の祈願所、美女丸伝説、坂田金時の墓のある1200年の古刹

神亀年間(724〜728)聖武天皇の命により諸国に満願寺を建立した勝道上人が、摂津国の満願寺として千手観音を
本尊に開基した。さらに安和元年(968)摂津の国多田(現在の多田神社である多田院)に本拠に構えた清和源氏
の祖・満仲が、この寺に深く帰依し、歴代源氏一族の祈願所として崇敬を集め発展した。


川西市満願寺町にて(7月)  高野山真言宗神秀山満願寺 仁王門
明治21年に建設された珍しい仁王門 仁王は多田神社にあったもの
廃仏毀釈令により多田院は多田神社として生き残ったが仁王は満願寺に移された

 
川西市満願寺町にて(7月)  高野山真言宗神秀山満願寺 寺碑  右は仁王門前参道

 
川西市満願寺町にて(7月)  高野山真言宗神秀山満願寺 山門の仁王(元多田院 現多田神社にあったが廃仏毀釈で移ってきた)

 
川西市満願寺町にて(7月)  高野山真言宗神秀山満願寺 参道 左写真は仁王門から金堂方面(下り) 右写真はその逆(上り)



川西市満願寺町にて(7月)  高野山真言宗神秀山満願寺 金堂前参道

 
川西市満願寺町にて(7月)  高野山真言宗神秀山満願寺 仁王門方面参道 右に桜の園



川西市満願寺町にて(7月)  高野山真言宗神秀山満願寺 金堂前石段


川西市満願寺町にて(7月)  高野山真言宗神秀山満願寺 金堂
ご本尊は千手千眼観世音菩薩

 
川西市満願寺町にて(7月)  高野山真言宗神秀山満願寺 鐘楼と手水


川西市満願寺町にて(7月)  高野山真言宗神秀山満願寺 金堂

 
川西市満願寺町にて(7月)  高野山真言宗神秀山満願寺 毘沙門堂  弘法大師像

 
川西市満願寺町にて(7月)  高野山真言宗神秀山満願寺 観音堂  右は扁額

 
川西市満願寺町にて(7月)  高野山真言宗神秀山満願寺 八幡宮  稲荷大明神


 
川西市満願寺町にて(7月)  高野山真言宗神秀山満願寺 不動尊像  子安地蔵堂


美女丸は主君源満仲の末子、幸寿丸は
美女丸の身代わりとなった家来藤原仲光の子

川西市満願寺町にて(7月)  高野山真言宗神秀山満願寺 九重の石塔(重文) 右は美女丸ほかの三廟<美女丸伝説

約1000年前、多田源氏が摂津の北部(川西、池田、箕面、伊丹)を支配していた頃、源氏武士の棟梁源満仲の末子、
美女丸は素行が悪く、父は美女丸を寺へ預け、修業をさせた。時が流れ、父は十五才になった美女丸を呼び尋ねが、
美女丸は、和歌や管弦はもとより経文も読めなかった。怒った満仲は、家来の藤原仲光に美女丸の首をはねる
ように申しつけた。しかし仲光は、主君の子の首をはねることができず、「私を身代わりに」と命を差し出す我が子
幸寿丸の首を断腸の思いで満仲に差し出し、美女丸をひそかに逃がした。後にそれを知った美女丸は
悔い改めて比叡山で修行に励み、やがて源賢阿闍梨(げんけんあじゃり)という高僧になった。


川西市満願寺町にて(7月) 神秀山満願寺 金堂前石塔


川西市満願寺町にて(7月) 高野山真言宗神秀山満願寺 源家の七塔 写真クリックで七塔の俗名


川西市満願寺町にて(7月)  満願寺 坂田金時の墓
源頼光の家来坂田金時(金太郎)の墓

 
川西市満願寺町にて(7月)  高野山真言宗神秀山満願寺 四国八十八カ所霊場めぐり  右は第一番霊場霊山寺


川西市満願寺町にて(7月)  高野山真言宗神秀山満願寺 本坊(旧円覚院)

 
川西市満願寺町にて(7月)  高野山真言宗神秀山満願寺 本坊

 
川西市満願寺町にて(7月)  高野山真言宗神秀山満願寺 本坊


川西市満願寺町にて(7月)  高野山真言宗神秀山満願寺 本坊庭園

 
川西市満願寺町にて(7月)  高野山真言宗神秀山満願寺 本坊庭園

 
川西市満願寺町にて(7月)  高野山真言宗神秀山満願寺 道標
左写真は「左池田大坂右中山寺」 右写真は「多田神社⇒」を指す
満願寺町は川西市の飛地であり、周囲は宝塚市である。


  
猪名川町
浄土宗
水井山東光寺

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行基上人が開基という古刹
木喰明満上人が制作した14躯の木喰仏を安置
三笠宮も参拝された皇室ゆかりの寺院
源頼光が大江山の鬼退治の戦勝を祈願したという伝説もあり、「大井の薬師さん」と親しまれている。
文化4年(1807)に遊行僧・木喰明満上人が90歳の晩年に立ち寄り、制作した14体(焼失した1体を含めると15体)の
「木喰仏」を安置している。木喰明満上人は五穀や肉食を断ち、火食をせず木の実や山菜、蕎麦粉を常食とする
真言宗の戒律である木食の実践者。
 (猪名川町HP) 猪名川町には、木喰仏が東光寺14体、 天乳寺3体、
毘沙門堂7体の合計24体がある。何れも木喰上人が90歳でこの地に来た折に制作された。

 
兵庫県猪名川町にて(9月) 浄土宗水井山東光寺 山門と扁額   クリックで拡大

   
兵庫県猪名川町にて(9月) 浄土宗水井山東光寺 山門 右は内側より   クリックで拡大

 
兵庫県猪名川町にて(9月) 浄土宗水井山東光寺 本堂 本尊は阿弥陀如来   クリックで拡大

     
兵庫県猪名川町にて(9月) 浄土宗水井山東光寺 薬師堂 本尊は薬師如来   クリックで拡大
薬師堂には薬師三尊の横に木喰仏14躯(内2躯は外部展示会へ貸出中)が安置されている。外には賓頭盧尊者像(左端写真)
右端の写真は木喰明満上人による自刻像(原田住職堂内撮影禁止のため猪名川町HPより)
  
各地の木喰仏像の写真


     
兵庫県猪名川町にて(9月) 浄土宗水井山東光寺 子安観音   クリックで拡大
右端の写真は木喰明満上人が90歳で制作したという木喰仏像(堂内撮影禁止のため猪名川町HPより)


東光寺蔵 木喰明満上人の十王坐像 
産経新聞 H29.9.20 朝刊より
クリックで拡大

 
兵庫県猪名川町にて(9月) 浄土宗水井山東光寺 鐘楼 右は庫裏   クリックで拡大

   
兵庫県猪名川町にて(9月) 浄土宗水井山東光寺 石碑(三笠宮手植の松の碑) 
右は兵庫県道12号線(川西篠山線)の道路標識      
クリックで拡大



  
猪名川町
浄土宗

真如山天乳寺

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木喰明満上人が制作した3躯の木喰仏を安置
蓮社相誉上人による開山とされるが、火災にあって詳細は不明。天乳寺の木喰仏は自刻像など3体
である。木喰明満上人は自刻像を中央にして、阿弥陀如来の脇侍である得大勢至大菩薩と聖観世音大菩薩を
造り、阿弥陀三尊像を再現したと言われている。勢至菩薩像と観音菩薩像の2体は1本の松ノ木を縦割り
にして彫ってあるので、背中合わせにするとピッタリとくっつくらしい。(猪名川町HP

   
兵庫県猪名川町にて(9月) 浄土宗真如山天乳寺 本堂 本尊は阿弥陀如来   クリックで拡大
兵庫県道12号線(川西篠山線)の道路標識

 
兵庫県猪
名川町真如山天乳寺にて(9月) 本堂の阿弥陀如来 阿弥陀三尊像  クリックで拡大

   
兵庫県
猪名川町浄土宗真如山天乳寺にて(9月)  本堂脇に安置の木喰仏3躯   クリックで拡大
左端写真は庫裏、右端は本道に掲げられた寺院由来書額

   
兵庫県猪名川町
浄土宗真如山天乳寺にて(9月)  本堂脇に安置の木喰仏3躯    クリックで拡大

  
兵庫県猪名川町にて(9月) 浄土宗真如山天乳寺付近の風景  左写真は道の駅いながわ クリックで拡大


  
猪名川町
毘沙門堂

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当山の創建は1300年前推古天皇時代に遡る
聖徳太子の厄除け祈願に関わる由緒深い堂宇
説明札
猪名川町には、木喰上人が90歳でこの地で制作されたという、
木喰仏が東光寺14体、 天乳寺3体、毘沙門堂7体の合計24体がある。


 
 
兵庫県猪名川町にて(10月)  毘沙門堂(毘沙門天立像と両脇に木喰仏が見える)
左写真は毘沙門堂内自刻像と右写真は毘沙門天像の左右両脇に木喰仏3體づつ6體(ネットよりクリックで拡大

 
兵庫県猪名川町にて(9月) 奉納碑と毘沙門堂の内部 クリックで拡大



兵庫県猪名川町にて(9月) 毘沙門堂付近の田園風景

  
兵庫県猪名川町にて(9月) 毘沙門堂  クリックで拡大


 
兵庫県猪名川町にて(9月) 毘沙門堂と参道の一部 クリックで拡大


兵庫県猪名川町にて(9月) 説明札 クリックで拡大


猪名川
猪名川町
浄土宗

龍祇山天沢寺

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奈良時代に高僧行基が開いた、楊津院(やないづのいん)の後身と伝わる。
 東大寺の大仏建立等につくした行基は、伊丹の昆陽寺をはじめとした四十九院を建てているが、
楊津院もその一つ。境内の石灯籠には応永10年(1403)銘が入っており、この時期の石灯籠としては
県下でも稀な例であるため兵庫県指定文化財になっている。


  
兵庫県猪名川町にて(10月)  龍祇山 天沢寺 本堂と扁額  寺標   クリックで拡大

   
兵庫県猪名川町にて(10月)  龍祇山天沢寺 本堂と扁額 石灯籠(ネットより)  
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応永10年(1403)銘が入ってる石灯籠は、兵庫県で稀な例であるため兵庫県指定文化財
写真左は当寺三十世澄誉正胤像 


 
兵庫県猪名川町にて(10月)  天沢寺* 境内 
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兵庫県猪名川町にて(10月) 天沢寺** 参道  鐘楼   
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兵庫県猪名川町にて(10月) 天沢寺** 参道 門前の放生池   
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兵庫県猪名川町にて(10月) 天沢寺**境内の八坂神社   
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兵庫県猪名川町にて(10月) 天沢寺**境内の地蔵尊ほか   
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昆陽寺
伊丹市
高野山真言宗

崑崙山昆陽寺
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行基が建立した昆陽36坊を持つ巨刹であったが
織田信長に焼かれて江戸時代に現状に復帰した

聖武天皇の勅願所として奈良時代、行基が建立した畿内49院の一つで、天平3年
(731年)創建の昆陽施院の後身寺院。昆陽
36坊甍を並べ、摂津第一の巨刹であった。
その後、
天正7年(1579)織田信長が有岡城主荒木村重を攻略した時に、本寺及び
36坊は悉く灰燼に帰し、江戸時代に再建されたが、36坊もの多くの塔頭は、
現存の正覚院一乗院遍照院成就院の4院(塔頭地図)だけである。



伊丹市にて(12月) 高野山真言宗崑崙山昆陽寺山門

 
伊丹市昆陽寺にて(12月) 本堂と鐘楼


伊丹市にて(12月) 高野山真言宗崑崙山昆陽寺本堂(薬師如来)

 
伊丹市昆陽寺にて(12月) 観音堂と鎮守堂

 
伊丹市昆陽寺にて(12月) 山門内側 右写真は西門

 
伊丹市昆陽寺にて(12月) 行基堂 右は稲荷大明神

 
伊丹市昆陽寺にて(12月) 弁天堂 右は行基塚

 
伊丹市昆陽寺にて(12月) 高野山真言宗崑崙山昆陽寺四国八十八ヶ所石仏

 
伊丹市昆陽寺にて(12月) 高野山真言宗崑崙山昆陽寺山門前 右は手水舎


昆陽寺にて(12月) 後醍醐天皇<1288〜1339>
命あれば こやの軒端の 月も見つ
又いかならん ゆく末の空

伊丹市昆陽寺にて(12月) 行基<668〜749>
山鳥の ほろほろとなく 声きけば
父かとぞ思う 母かとぞ思う

伊丹市
高野山真言宗

遍照院

昆陽寺塔頭
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伊丹市にて(12月) 高野山真言宗崑崙山昆陽寺塔頭遍照院


伊丹市にて(12月) 高野山真言宗遍照院本堂

伊丹市にて(12月) 高野山真言宗遍照院内庭

伊丹市昆陽寺塔頭配置図 クリックで拡大
四塔頭(正覚院一乗院遍照院成就院

伊丹市にて(12月) 高野山真言宗遍照院
庫裏


東光寺
西宮市
高野山真言宗別格本山
松泰山東光寺

(門戸厄神)
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門戸厄神には厄除開運の厄神明王が祀られている。嵯峨天皇41才の
厄年の時、愛染明王と不動明王が一体となり、あらゆる災厄を打ち払い、
魔を退治する力を夢の中で感じ悟られたことに由来する



西宮市にて(12月) 高野山真言宗別格本山 松泰山東光寺門戸厄神表門

 
西宮市門戸厄神にて(12月) 東光寺南門 右は不動堂・護摩堂

 
西宮市門戸厄神にて(12月) 東光寺通用門と手水舎



西宮市にて(12月) 真言宗松泰山東光寺門戸厄神 写真左から厄神堂、薬師堂、中楼門

 
西宮市にて(12月) 高野山真言宗別格本山 松泰山東光寺門戸厄神庭園


 
西宮市にて(12月) 高野山真言宗別格本山 松泰山東光寺厄神堂 写真右は厄神堂扁額


西宮市にて(12月) 高野山真言宗 松泰山東光寺門戸厄神中楼門


西宮市門戸厄神にて(12月) 東光寺事務所・庫裏

西宮市門戸厄神にて(12月) 東光寺大師堂


西宮市にて(12月) 高野山真言宗別格本山 松泰山東光寺表門


西宮市門戸厄神にて(12月) 東光寺 子守地蔵尊

西宮市門戸厄神にて(12月) 東光寺愛染堂


西宮市にて(12月) 高野山真言宗別格本山 松泰山東光寺門戸厄神薬師堂


西宮市門戸厄神東光寺にて(12月) 庭園

西宮市門戸厄神東光寺にて(12月) 四国八十八ヶ所

西宮市門戸厄神にて(12月) 東光寺延命魂

西宮市門戸厄神にて(12月) 東光寺中楼門


西宮市門戸厄神にて(12月) 東光寺表門よりの東北方面眺望


西宮市
西宮市
高野山真言宗
六甲山鷲林寺

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淳和天皇の勅願寺院

竺の法道仙人による開基伝説が伝わる
信長に焼かれたり、天災で廃寺となったが、近年に復興した。

天竺の法道仙人による開基伝説が伝わるが、寺院HPによれば、淳和天皇(786〜840)の勅願により、
天長10年(833)弘法大師が開創したという。大師が広田神社に泊まっていると、夢枕の仙人がこの地を指したが
大鷲が行く手を遮ぎった。大鷲を成敗した鷲不動明王を伽藍守護神とし、桜の霊木で「十一面観音」像を彫り本尊
として寺院を
鷲林寺と名付けた。寺は一時、塔頭76寺に及ぶ大寺院に発展した。後に信長による焼き討ち、
天災などで廃寺となったが近年に再興した。
寺院HP説明板の要約)


 
西宮市にて(7月) 高野山真言宗六甲山鷲林寺参道  クリックで拡大

 
西宮市にて(7月) 高野山真言宗六甲山鷲林寺 本堂(本尊は十一面観音)および多宝塔  クリックで拡大

  
西宮市にて(7月) 高野山真言宗六甲山鷲林寺 境内 右は詠歌碑 クリックで拡大
御詠歌入船のまつを便りに鷲林寺我が身の船の出るを知らぬか
左は本堂の仏壇 本尊の十一面観音は秘仏で4月21日にのみ開帳、写真の観音は前立ちの観音像


西宮市にて(7月) 六甲山鷲林寺 弘法大師像 クリックで拡大

  
西宮市にて(7月) 高野山真言宗六甲山鷲林寺 
護摩堂・祈祷殿 クリックで拡大

  
西宮市鷲林寺にて(7月) 左から
八大竜王堂荒神堂、弁天堂 クリックで拡大

 
西宮市鷲林寺にて(7月) 鐘楼   クリックで拡大
昭和に復活した鐘楼は阪神淡路大地震で倒壊し
たが、希望の鐘として再復活した。

  

西宮市鷲林寺にて(7月) 水を吐く鷲の手水 中央は寺務所 右は六峰稲荷大明神と子授け地蔵 クリックで拡大

  
西宮市鷲林寺にて(7月) 左から矢受け地蔵 愛愛地蔵 水子地蔵 クリックで拡大

 
 
西宮市鷲林寺にて(7月) 境内の石仏 右は石造七重塔(伝説の武田信玄の供養塔など)  クリックで拡大


西宮市
西宮市
真言宗御室派別格本山
甲山神呪寺
(甲山大師)

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甲山の淳和天皇勅願所
開創以来、約1200年になる古刹
高松宮も参拝された皇室ゆかりの寺院

淳和天皇第四妃真名井御前(如意尼)は、如意輪観音への信仰が厚く、天長5年(828)に頂法寺六角堂)で修業をし、
浜南宮・西宮神社廣田神社から甲山へと入っていった。この時、妃は空海の協力のもと、神呪寺にて修行を行ったという。

天長7年(830)空海は桜の木を妃の大きさに如意輪観音像を作り、本尊(秘仏)として、天長8年(831)本堂は落慶した。
神呪(じんしゅ)とはマントラ、真言とほぼ同義で、仏の真の言葉という意味がある。
国の重文など指定文化財も多い。


兵庫県西宮市甲山にて(4月) 真言宗御室派 甲山神呪寺甲山大師
後方に甲山を頂く本山を参道より見る  
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兵庫県西宮市甲山にて(12月) 真言宗御室派 甲山神呪寺甲山大師) 後方に紅葉の甲山を見る  クリックで拡大

 
西宮市甲山にて(4月) 真言宗御室派 甲山神呪寺 甲山大師 仁王門 左は内側より、右は正面より クリックで拡大
 この仁王門は中央に高屋根四脚門を構え、左右に低屋根を段違いに三間一戸八脚門の異型である(説明板より)


  
兵庫県西宮市甲山にて(4月) 真言宗御室派 甲山神呪寺甲山大師  本堂 左は扁額 右は内部
本尊の木造如意輪観音座像は大阪の観心寺、奈良の室生寺とともに日本三如意輪と称される。 クリックで拡大

 
兵庫県西宮市甲山にて(12月) 真言宗 甲山神呪寺甲山大師 晩秋の本堂と山門 
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兵庫県西宮市甲山にて(4月) 真言宗御室派 甲山神呪寺 甲山大師 仁王門西宮市指定重文説明文
左仁王は広目天 右仁王は増長天 当山の指定文化財一覧  
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兵庫県西宮市甲山にて(4月) 真言宗御室派 甲山神呪寺甲山大師)多宝塔
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兵庫県西宮市甲山にて(4月) 真言宗御室派 甲山神呪寺甲山大師 参道と石仏 クリックで拡大

 
兵庫県西宮市甲山にて(4月) 真言宗御室派 甲山神呪寺甲山大師 慈母観音像 クリックで(12月)拡大

    
兵庫県西宮市甲山にて(4月)
真言宗御室派 甲山神呪寺甲山大師 本堂
左は珍しい巾着型の賽銭箱 右は賓頭盧尊者 右端は当山の概略説明板 
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兵庫県西宮市甲山にて(4月)真言宗御室派 甲山神呪寺甲山大師 鐘楼 クリックで拡大

   
兵庫県西宮市甲山にて(4月)真言宗御室派 甲山神呪寺甲山大師 寺務所と大師堂 クリックで拡大
左端写真は神呪寺にて(12月) 紅葉の頃の鐘楼 
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兵庫県西宮市甲山にて(4月)真言宗御室派 甲山神呪寺甲山大師 観音堂と不動堂 クリックで拡大

  
兵庫県西宮市真言宗御室派甲山神呪寺にて(4月)  弁天堂と甲山(クリックで甲山の謂れ碑文) クリックで拡大

  
兵庫県西宮市真言宗御室派甲山神呪寺にて(4月)  境内の桜 クリックで拡大

  
兵庫県西宮市甲山神呪寺にて(4月) 武庫川学院慰霊塔と高松宮記念植樹碑 クリックで拡大


  
兵庫県西宮市甲山神呪寺甲山大師にて(4月) 左から手水舎、俳人塚 クリックで拡大

 
兵庫県西宮市甲山神呪寺甲山大師)にて(12月)  左から山門内側 盲杖塚、花塚 クリックで拡大


  
兵庫県西宮市甲山神呪寺甲山大師にて(4月)  左から魚鳥塚、盲杖塚、花塚 クリックで拡大

  
兵庫県西宮市甲山神呪寺甲山大師2)にて(4月) 左から今津竹山講記念碑、傷痍軍人の碑、扇塚 
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兵庫県西宮市甲山神呪寺甲山大師2)にて(12月) 寄進者と金額を刻んだ玉垣 
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兵庫県西宮市甲山神呪寺甲山大師)にて(12月) 大阪市内方面展望 クリックで拡大

 
兵庫県西宮市甲山神呪寺甲山大師)にて(12月) 大阪市内方面展望 クリックで拡大

 
兵庫県西宮市甲山神呪寺甲山大師)にて(4月) 大阪市内方面と西宮市北部(関西学院)方面展望 クリックで拡大


兵庫県西宮市甲山神呪寺甲山大師)にて(4月) 大阪湾方面展望 クリックで拡大


太山寺
神戸市西区
天台宗

三身山太山寺

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藤原鎌足の長男定恵(じょうえ)が開山、孫の藤原宇合が堂塔伽藍を建立
元正天皇の勅願寺として霊亀2年(716)に発願者・藤原鎌足の孫の藤原宇合が堂塔伽藍を建立した。
開山(初代住職)は藤原鎌足の長男・定恵(じょうえ)という。創建時の建物は弘安8年(1285)に焼失し、
現存建物はそれ以降の再建による。開山・定恵(弟は藤原不比等)は若くして出家し、遣唐使とともに唐に渡った。



神戸市西区にて(11月) 天台宗三身山太山寺本堂(国宝)


神戸市西区にて(11月) 天台宗三身山太山寺仁王門(重文)



神戸市西区太山寺にて(11月) 参道

神戸市西区太山寺にて(11月) 新西国25番碑

 
神戸市西区太山寺にて(11月) 参道

 
神戸市西区太山寺にて(11月) 中門


神戸市西区にて(11月) 天台宗三身山太山寺本堂(国宝)


神戸市西区太山寺にて(11月) 阿弥陀堂

神戸市西区太山寺にて(11月) 本堂のびんずる尊者

 
神戸市西区太山寺にて(11月) 阿弥陀堂

 
神戸市西区太山寺にて(11月) 阿弥陀堂と阿弥陀如来座像(重文)(
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神戸市西区太山寺にて(11月) 三重塔

神戸市西区太山寺にて(11月) 三重塔


神戸市西区太山寺にて(11月) 手水舎と三重塔

 
神戸市西区太山寺にて(11月) 護摩堂  右は護摩壇
  

神戸市西区太山寺にて(11月) 地蔵尊

神戸市西区太山寺にて(11月) 放生池

 
神戸市西区太山寺にて(11月) 仁王門(重文)の内側(
クリックで拡大  右は鐘楼

 
神戸市西区太山寺にて(11月) 羅漢堂  右写真羅漢堂の後方に釈迦堂の屋根の先端が見える


神戸市西区太山寺にて(11月) 太山寺川閼伽井橋

神戸市西区太山寺にて(11月)
奥の院の稲荷社


神戸市西区太山寺にて(11月) 閼伽井橋

 
神戸市西区太山寺にて(11月) 太子堂


神戸市西区太山寺にて(11月) 蹲

神戸市西区太山寺にて(11月) 兵庫稲荷大明神


太山寺塔頭安養院
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神戸市西区太山寺にて(11月) 塔頭安養院 国指定名勝 枯池式枯山水庭園


神戸市西区太山寺にて(11月) 塔頭安養院 枯池式枯山水庭園
国指定名勝庭園

 
神戸市西区太山寺にて(11月) 安養院山門  山門を入ると玄関


神戸市西区太山寺にて(11月) 塔頭安養院 書院

神戸市西区太山寺にて(11月) 安養院庭園入口付近

神戸市西区太山寺にて(11月) 塔頭安養院全景

神戸市西区太山寺にて(11月) 安養院参道

 
神戸市西区太山寺にて(11月) 安養院庭園  

 
神戸市西区太山寺にて(11月) 安養院 蹲その1 縁先手水鉢(仏手石手水鉢)
 右写真は蹲その2


太山寺塔頭龍象院
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神戸市西区太山寺にて(11月) 塔頭龍象院


神戸市西区太山寺にて(11月) 塔頭龍象院前庭

神戸市西区太山寺にて(11月) 塔頭龍象院








神戸市西区太山寺にて(11月)
塔頭龍象院 「照子一隅」の碑

神戸市西区太山寺にて(11月) 塔頭龍象院山門


太山寺塔頭成就院・歓喜院
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神戸市西区太山寺にて(11月) 成就院前庭
写真クリックで成就院庭園の説明板

神戸市西区太山寺にて(11月)
塔頭成就院山門

神戸市西区太山寺にて(11月) 歓喜院前庭
写真クリックで歓喜院庭園の説明板

神戸市西区太山寺にて(11月)
塔頭歓喜院山門


高野山
神戸市北区
高野山真言宗

岩嶺山石峯寺

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約1400年前天竺の法道仙人が開いた古刹

7世紀に孝徳天皇が開いた古刹で七十余の子院(現在は竹林寺と十輪院のみ)
を持つ大寺院であった。本山と関係ある徳川将軍、東播磨の淡河城主有馬氏等の墓所がある

白雉2年(651)孝徳天皇の勅願によりインドの僧法道が開山し、延命地蔵菩薩を本尊とする。天平19年(747)、
行基が薬師堂を建立し、弘仁14年(823)嵯峨天皇の勅願により三重塔を建立したと伝わる。
播磨守護職であった赤松氏、山名氏に関わるこ古文書も多い。



神戸市北区にて(2月) 高野山真言宗岩嶺山石峯寺 参道より本堂


神戸市北区にて(2月) 高野山真言宗岩嶺山石峯寺 本堂  石峯寺縁起

 
神戸市北区にて(2月) 高野山真言宗岩嶺山石峯寺 薬師堂(重文) 右はびんずる尊者(クリックで拡大)


 
神戸市北区にて(2月) 高野山真言宗岩嶺山石峯寺 本堂右の薬師堂  写真右は本堂左横手の大師御茶場

 
神戸市北区にて(2月) 高野山真言宗岩嶺山石峯寺 本堂の扁額 右写真は本堂から賛同を見る


 
神戸市北区にて(2月) 高野山真言宗岩嶺山石峯寺 地蔵尊像  右は孝徳天皇勅願所碑

 
神戸市北区にて(2月) 高野山真言宗岩嶺山石峯寺 境内の散在する地蔵尊像


 
神戸市北区にて(2月) 高野山真言宗岩嶺山石峯寺 鐘楼 右は長久萬聖観音像(クリックで拡大

 
神戸市北区にて(2月) 高野山真言宗岩嶺山石峯寺 仁王門


 
神戸市北区にて(2月) 高野山真言宗岩嶺山石峯寺 仁王門の仁王(左右一対)


神戸市北区にて(2月) 高野山真言宗岩嶺山石峯寺 参道


 
神戸市北区にて(2月) 高野山真言宗岩嶺山石峯寺 参道

 
神戸市北区にて(2月) 高野山真言宗岩嶺山石峯寺 境内裏山



神戸市北区にて(2月) 高野山真言宗岩嶺山石峯寺 徳川将軍霊碑

 
神戸市北区にて(2月) 高野山真言宗岩嶺山石峯寺 徳川将軍霊碑 関係歴代徳川将軍、明石城主、淡河城主の墓


 
神戸市北区にて(2月) 高野山真言宗岩嶺山石峯寺 徳川将軍霊碑

 
神戸市北区にて(2月) 高野山真言宗岩嶺山石峯寺 三重塔(重文) 大日如来が祀られている  クリックで拡大

 
神戸市北区にて(2月) 高野山真言宗岩嶺山石峯寺 三重塔(重文) 右駒札はクリック拡大


 
神戸市北区にて(2月) 高野山真言宗岩嶺山石峯寺 手水 左の駒札はクリックで拡大

 
神戸市北区にて(2月) 高野山真言宗岩嶺山石峯寺 八十八箇所霊場めぐり


神戸市北区にて(2月) 高野山真言宗岩嶺山石峯寺 付近の播磨の風景(六甲山遠望)


石峯寺子院 竹林寺
神戸市指定庭園


神戸市北区にて(2月) 高野山真言宗岩嶺山石峯寺 子院 竹林寺山門

 
神戸市北区にて(2月) 高野山真言宗岩嶺山石峯寺 子院 竹林寺庭園(神戸市指定) 往時は七十余の子院があった


神戸市北区にて(2月) 高野山真言宗岩嶺山石峯寺 子院 竹林寺庭園(神戸市指定)

 
神戸市北区にて(2月) 高野山真言宗岩嶺山石峯寺 子院 竹林寺境内より門外方向  右は山門前



神戸市北区にて(2月) 高野山真言宗岩嶺山石峯寺 子院 竹林寺の茅葺き本堂屋根


石峯寺子院 十輪院
神戸市指定庭園

 
神戸市北区にて(2月) 高野山真言宗岩嶺山石峯寺 子院 十輪院 右は十輪院庭園駒札(クリック拡大

 
神戸市北区にて(2月) 高野山真言宗岩嶺山石峯寺 子院 十輪院

 
神戸市北区にて(2月) 高野山真言宗岩嶺山石峯寺 子院 十輪院(神戸市指定庭園



淡河町
神戸市北区 淡河町
曹洞宗

普門山泰蔵寺

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神戸市北区にて(2月) 高野山真言宗岩嶺山石峯寺の帰路に在った寺


兵庫県淡河町にて(2月) 曹洞宗 普門山 泰蔵寺((たいぞうじ))


兵庫県淡河町にて(2月) 曹洞宗 普門山 泰蔵寺


修験宗
三木市
本山修験宗

大谷山大山谿寺伽耶院

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約1400年前天竺の法道仙人が開いた古刹。
孝徳天皇や花山法皇
ゆかりの寺。秀吉の三木城攻めで頭部と脚部焼失の仁王が出迎える

孝徳天皇の勅願寺で天竺の法道仙人が開基したと云う。大谿寺(だいけいじ)と称し、1681年に後西上皇によりに
インドの聖地仏陀伽耶に因み、伽耶院とした。播磨地方に多い法道開基伝承をもつ寺院の一つ。平安時代には数十の
堂宇と百三十余の坊舎をもち、花山法皇も行幸した。羽柴秀吉の三木城攻めで、別所長治の陣となった当山は
石垣を残して全山を焼失した。現存する堂塔は1610年以降の諸国大名の寄進によるものである



三木市にて(2月) 大谷山 大谿寺 伽耶院 仁王門 
秀吉により一部焼失した仁王の胸と胴を安置 
写真クリックで伽耶院の説明文が出ます


   
三木市にて(2月) 大谷山 大谿寺 伽耶院 仁王門の焼けた仁王像の一部 中央の写真クリックで仁王門の説明文がでます


三木市にて(2月) 大谷山 大谿寺 伽耶院 納経所・寺務所門 クリックで駒札



三木市にて(2月) 大谷山 大谿寺 伽耶院 本坊側の門構え クリックで駒札


三木市にて(2月) 大谷山 大谿寺 伽耶院 本坊側の門構え

   
三木市にて(2月) 大谷山 大谿寺 伽耶院 二天堂 江戸初期の八脚門クリック説明板 寺碑と二天堂扁額クリック拡大

 
三木市にて(2月) 大谷山 大谿寺 伽耶院 二天堂の二天(クリックで説明駒札

  
三木市にて(2月) 大谷山 大谿寺 伽耶院 本堂(重文) 写真クリックで駒札を拡大表示


三木市にて(2月) 大谷山 大谿寺 伽耶院 本堂(重文) 写真クリックで駒札を拡大表示

 
三木市にて(2月) 大谷山 大谿寺 伽耶院 護摩道場 クリックで説明駒札 右写真は境内の案内板


三木市にて(2月) 大谷山 大谿寺 伽耶院 行者堂(市指定文化財)役行者のこもり堂
土佐城主の寄進による 
写真クリックで説明文がでます


 
三木市にて(2月) 大谷山 大谿寺 伽耶院 行者堂(市指定文化財)役行者のこもり堂 土佐城主の寄進による 写真クリックで説明文

 
三木市にて(2月) 大谷山 大谿寺 伽耶院 毘沙門天の黄金水 写真クリックで説明文が出ます

 
三木市にて(2月) 大谷山 大谿寺 伽耶院 開山堂 京極右近の寄進で天竺から飛来の法道仙人を祀る クリックで駒札


三木市にて(2月) 大谷山 大谿寺 伽耶院 開山堂 クリックで駒札

   
三木市にて(2月) 大谷山 大谿寺 伽耶院 経塚 写真右は入山料草引き十本の立札

 
三木市にて(2月) 大谷山 大谿寺 伽耶院 三坂大明神(重文) クリックで説明駒札 扁額はクリックで拡大

 
三木市にて(2月) 大谷山 大谿寺 伽耶院 三坂社(右側面)クリックで説明駒札 欄間はクリックデ拡大

 
三木市にて(2月) 大谷山 大谿寺 伽耶院 三坂社の象と蟇股の彫刻 写真クリックデ拡大


三木市にて(2月) 大谷山 大谿寺 伽耶院 多宝塔(重文)
写真クリックで駒札拡大表示

 
三木市にて(2月) 大谷山 大谿寺 伽耶院 納経所・庫裏付近

 
三木市にて(2月) 大谷山 大谿寺 伽耶院 納経所・庫裏付近



三木市にて(2月) 大谷山 大谿寺 伽耶院 納経所・庫裏付近

 
三木市にて(2月) 大谷山 大谿寺 伽耶院 左写真は納経所  右は本坊庫裏と思われる立派な建物


三木市にて(2月) 大谷山 大谿寺 伽耶院 手水


三木市にて(2月) 大谷山 大谿寺 伽耶院 臼稲荷
写真クリックで駒札拡大表示


 
三木市にて(2月) 大谷山 大谿寺 伽耶院 境内の千地蔵


三木市にて(2月) 大谷山 大谿寺 伽耶院
仲良しポックリさん(
クリックで説明



三木市にて(2月) 大谷山 大谿寺 伽耶院 水子地蔵

 
三木市にて(2月) 大谷山 大谿寺 伽耶院 広い境内   右は参道(前方は仁王門、後方は二天門へと続く)


真言宗
小野市
高野山真言宗

極楽山浄土寺

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浄土寺は東大寺再興のために設けられた東大寺播磨別所
東大寺再興者の重源が本寺の開山で、国宝の大阿弥陀三尊を建造した

治承4年(1180)、平重衡の焼き討ちで、東大寺の大仏殿、興福寺が焼け落ちた。この大仏の再興の総責任者
となった重源は大仏再興事業の拠点として、伊賀、周防など日本の7か所に東大寺「別所」を造った。その一つが
播磨別所・浄土寺である。浄土寺の所在地は当時、東大寺領であった。浄土寺の開山、
国宝浄土堂の阿弥陀三尊建設者は東大寺を再興した重源上人である。



兵庫県小野市にて(6月) 高野山真言宗極楽山浄土寺 参道 正面は浄土堂(国宝)
写真クリックで境内図   パンフレットの境内図



兵庫県小野市にて(6月) 高野山真言宗極楽山浄土寺 浄土堂(国宝) クリックで堂内阿弥陀三尊像

 
兵庫県小野市にて(6月) 高野山真言宗極楽山浄土寺 浄土堂(国宝) 写真右は堂内の阿弥陀三尊(国宝)
写真右は中央に阿弥陀如来、左に観音菩薩、右に勢至菩薩(寺院パンフレットより) 
クリックで拡大
中央の阿弥陀像は5m30cm、両脇の菩薩は3m70cmと大きい。重源上人の建造、仏師快慶の作。


 
兵庫県小野市にて(6月) 高野山真言宗極楽山浄土寺 浄土堂(国宝)写真左は指定文化財一覧表(パンフレットより)
パンフレットをクリックすると拡大します


 
兵庫県小野市にて(6月) 高野山真言宗極楽山浄土寺 鐘楼堂(県重文)

 
兵庫県小野市にて(6月) 高野山真言宗極楽山浄土寺 開山堂(県重文)写真クリックで駒札
写真右はパンフレットの開山重源上人の像
クリックで拡大します


 
兵庫県小野市にて(6月) 高野山真言宗極楽山浄土寺 境内


兵庫県小野市にて(6月) 高野山真言宗極楽山浄土寺 経堂と文殊堂


兵庫県小野市にて(6月) 高野山真言宗極楽山浄土寺
水向石 
クリックで説明板拡大


 
兵庫県小野市にて(6月) 高野山真言宗極楽山浄土寺 本堂(薬師堂)(重文) 写真右は正面 写真クリックで駒札


兵庫県小野市にて(6月) 高野山真言宗極楽山浄土寺 不動堂

 
兵庫県小野市にて(6月) 高野山真言宗極楽山浄土寺 塔頭宝持院
写真クリックで塔頭(浄土寺では塔中とも言う)説明文



兵庫県小野市にて(6月) 高野山真言宗極楽山浄土寺 塔頭歓喜院
写真クリックで塔中(浄土寺では塔頭と言わない)説明文


 
兵庫県小野市にて(6月) 高野山真言宗極楽山浄土寺 塔頭歓喜院


兵庫県小野市にて(6月) 高野山真言宗極楽山浄土寺 八幡神社

 
兵庫県小野市にて(6月) 高野山真言宗極楽山浄土寺 八幡神社本殿(重文) 
写真クリックで説明駒札


 
兵庫県小野市にて(6月) 高野山真言宗極楽山浄土寺 八幡神社拝殿(重文) 写真クリックで駒札

 
兵庫県小野市にて(6月) 高野山真言宗極楽山浄土寺 参道

 
兵庫県小野市高野山真言宗極楽山浄土寺にて(6月) アジサイ アジサイ科 アジサイ属


天台宗
加西市
天台宗

法華山一乗寺

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西国第二十六番霊場

約1400年前天竺の法道仙人が開いた古刹
丹波春日の白寺も法道仙人が開いた
一乗寺開基、法道仙人は約1400年前、天竺から中国、百済を経て
日本の播州賀茂郡(加西市)に降り立ち、ここを法華経の霊山・法華山と号し
たと言う。法道は神通力がり、空鉢仙人と呼ばれ、評判は都へも広まり、
白雉元年(650年)孝徳天皇の勅命で法道が一乗寺を建てたという。

江戸時代には姫路城の城主本田家が支えた。


兵庫県加西市にて(9月) 西国第二十六番霊場 天台宗法華山一乗寺
金堂(大悲閣)(重文) 
写真クリックで法華山案内板へ 御詠歌は

春は花 夏は橘 秋は菊 いつも妙なる法の華山
と詠われ境内には橘が多く植林されている

 
兵庫県加西市にて(9月) 天台宗法華山一乗寺 正面入口 寺名碑
紅葉の頃の写真へ 一乗寺動画サイトYOUTUBEへ



加西市にて(9月) 一乗寺 参道
常行堂前から二番目の石段

加西市にて(9月) 一乗寺 参道
正面入口から一番目の石段


加西市にて(9月) 天台宗法華山一乗寺 常行堂


加西市法華山一乗寺にて(9月) 金堂(大悲閣)

加西市法華山一乗寺にて(9月) 金堂(大悲閣)

天台宗法華山一乗寺にて(9月)
金堂扁額「大悲閣」

 
境内配置図ネット1

加西市法華山一乗寺にて(9月) 金堂(大悲閣)背面

 
加西市法華山一乗寺にて(9月) 鐘楼


加西市にて(9月) 西国第二十六番 天台宗法華山一乗寺 三重塔と金堂(大悲閣)


加西市一乗寺にて(9月) 三重塔(国宝)

     

加西市法華山一乗寺にて(9月)
三重塔(国宝)
写真クリックで説明板

加西市法華山一乗寺にて(9月)
三重塔(国宝)

一乗院の最澄像(国宝)
ネットより転載
 クリック拡大

加西市法華山一乗寺にて(9月) 弁天堂と妙見堂
(重文)
加西市一乗寺にて(9月) 護法堂(重文)

加西市法華山一乗寺にて(9月) 奥の院への参道

加西市法華山一乗寺にて(9月) 見子大明神 
白妙稲荷大明神

加西市一乗寺にて(9月) 太子堂 境内図ネット2

加西市一乗寺にて(9月) 行者堂

法華山一乗寺にて(9月) 
放生池

法華山一乗寺にて(9月) 三重塔と常行堂

加西市法華山一乗寺にて(9月) 本坊 地蔵院

加西市一乗寺にて(9月) 本坊、地蔵院


加西市法華山一乗寺にて(9月) 新館全景



加西市法華山一乗寺にて(9月) 新館の堂宇

加西市法華山一乗寺にて(9月) 新館の門


加西市法華山一乗寺にて(9月) 門


法華山隣聖院
(りんしょういん)

法華山一乗寺の元塔頭寺院

  
加西市にて(9月) 隣聖院地蔵尊と一乗寺の看板


加西市にて(9月) 一乗寺前の隣聖院 山門(元志方城の取手門)


加西市にて(9月) 一乗寺前の隣聖院 水子地蔵尊

加西市にて(9月) 一乗寺前の隣聖院 粟嶋堂

加西市にて(9月) 一乗寺前の隣聖院 山門

加西市にて(9月) 一乗寺前の隣聖院 水子地蔵尊


白毫寺
丹波市春日
天台宗

白毫寺
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天竺の法道仙人が開いた古刹
九尺藤で有名、春日局の出身地でもある

寺はた慶雲2年(705年)法道仙人によって開祖された古刹で、本尊は
天竺から伝えられたと言う
薬師瑠璃光如来(秘仏)。眉間の白毫から神々しく瑞光を
放っていたため「白毫寺」と呼ばれた。 寺宝に五種鈴と南北朝時代の領主赤松氏の
宝篋印塔が伝わるほか、春日局の父、斉藤利三直筆の下知状が残されている。
周辺の藤は「九尺藤」と呼ばれ、毎年、九尺ふじまつりが盛大に催される。



兵庫県丹波市天台宗五大山白毫寺にて(5月) 写真クリックで説明文


兵庫県丹波市天台宗五大山白毫寺にて(5月) 参道

兵庫県丹波市天台宗五大山白毫寺にて(5月) 鐘楼

兵庫県丹波市天台宗五大山白毫寺にて(5月)
 山門

兵庫県丹波市天台宗五大山白毫寺にて(5月)
 本堂

兵庫県丹波市天台宗五大山白毫寺にて(5月)

総本堂・薬師堂  クリックで薬師堂表示板

兵庫県丹波市天台宗五大山白毫寺にて(5月)
総本堂・薬師堂
 野村もみじ

丹波市天台宗五大山白毫寺にて(5月)
 太鼓橋

丹波市天台宗五大山白毫寺にて(5月)
 心字池
太鼓橋の手前が我々の俗世界、向う側は仏たちの覚りの世界を表している。
太鼓橋の急勾配は、悟りへの道のりの厳しさを表現している。



兵庫県丹波市天台宗五大山白毫寺にて(5月)
地蔵菩薩像

兵庫県丹波市天台宗五大山白毫寺にて(5月)
一隅を照らす碑文


兵庫県丹波市市島 白毫寺にて(5月) 九尺藤 マメ科 フジ属
 

兵庫県丹波市天台宗五大山白毫寺にて(5月) 庚申社

兵庫県丹波市天台宗五大山白毫寺にて(5月) 御詠歌石碑

兵庫県丹波市天台宗五大山白毫寺にて(5月)
赤松貞範の宝篋印塔(県重文) 
クリックで説明板

兵庫県丹波市天台宗五大山白毫寺にて(5月)
熊野権現社 
クリックで説明文


平林寺
宝塚市
真言宗

武庫山平林寺
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用明天皇の命で聖徳太子が創建の古刹
門前は西宮街道 境内を阪急今津線が走る

平林寺は宝塚市にある真言宗単立の寺院。武庫七寺の1つ。本尊は釈迦如来。
塔頭は東寺真言宗成就院、高野山真言宗西光院、真言宗大覚寺派成福院、同派宝寿院。
寺伝によれば、飛鳥時代、用明天皇の命で聖徳太子が創建し、
平安時代に如一尼が再興したという。(参考



宝塚市小林にて(1月) 真言宗武庫山平林寺(へいりんじ) 


宝塚市小林にて(1月) 平林寺 薬師堂 

 宝塚市小林にて(1月) 平林寺 本堂 

宝塚市小林にて(1月) 平林寺塔頭東寺真言宗成就院 

宝塚市小林にて(1月) 平林寺 観音堂 

宝塚市小林にて(1月) 
平林寺石造露盤説明板 
クリックで拡大 

宝塚市小林にて(1月) 平林寺 石造露盤


円満寺
西宮市

西宮成田山・医王山円満寺

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 西宮市にて(1月) 西宮成田山(山門左)  医王山円満寺(山門右)


 西宮市にて(1月) 西宮成田山 
千葉県成田山新勝寺より不動尊を勧請

 西宮市にて(1月) 医王山円満寺
本堂 


永澤寺
三田市
曹洞宗

青原山永澤寺

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関西花の寺25寺の一つ
しょうぶ園、牡丹園、花のじゅうたんで知られる名刹

 永澤寺は応安年間(1370)頃、足利幕府管領職細川頼之後円融天皇の命により七堂伽藍を建立し、通幻寂霊禅師を開祖
とする禅寺。曹洞宗大本山總持寺(横浜市鶴見)の直末で、末寺は17カ寺。通幻禅師ゆかりの通幻派寺院は8,900ヶ寺を数え、
我国では最大級の宗団である。本尊は釈迦如来、大日如来、阿弥陀如来。秋葉殿には火防に霊験あらたかな秋葉三尺坊大権現、
開祖堂前に大地蔵菩薩、妙高閣に大観世音菩薩、生駒の信貴山本尊毘沙門天の御分身が祀られている。建物は、安永7年(1778)
に再建された本堂、開祖堂、庫裡、接賓、書院と、昭和40年の台風で崩壊し、再建された勅使門(茅葺き)のほか、玉兎門、
金鶏門、山門(仁王門)、妙高閣がある。境内地16000坪、40町歩の寺有林と6町歩の三田霊園、動物霊園を所有する

(以上は永沢寺HPより) 関西花の寺25寺


三田市にて(5月) 永沢寺山門(仁王門) 関西花の寺25寺の一つ

 
三田市にて(5月) 永沢寺山門(仁王門)の仁王


兵庫県 三田市にて(6月) 永沢寺(ようたくじ) 本堂への参道


三田市にて(5月) 永沢寺 本堂 本尊は釈迦三尊

 
三田市にて(5月) 永沢寺玉兎門  写真右は茅葺きの勅使門

 
三田市にて(5月) 永沢寺勅使門(昭和40年の台風で崩壊し再建された)

 
三田市にて(5月) 永沢寺 屋根付き廊下  写真右は金鶏門



三田市にて(5月) 永沢寺山門(仁王門)前の池

 
三田市にて(6月) 永沢寺山門(仁王門)前の池


 
三田市にて(5月) 永沢寺の門(手前から玉兎門、勅使門、金鶏門)  写真右は山門を入った右の手水舎


三田市にて(5月) 永沢寺山門(仁王門)内側の観音像 前方に勅使門

 
三田市にて(5月) 永沢寺山門(仁王門)目の参道  右写真は本堂

 
三田市永沢寺にて(5月)
関西花の寺25寺永沢寺の花 満開のミヤマオダマキとスズランその他多種あり

 
三田市にて(5月) 永沢寺の弁財尊天(しょうぶ園の中にある) 写真クリックで駒札拡大表示


三田市永沢寺にて(5月) 永沢寺門前の花のじゅうたん

 
三田市永沢寺にて(6月) 牡丹園・花菖蒲園 三田市の観光スポット 花菖蒲園 アヤメ科 アヤメ属



 兵庫県 三田市にて(6月) 永沢寺を菖蒲園より展望 

 
兵庫県 三田市にて(6月) 永沢寺 廊下        菖蒲園より永沢寺山門
              


三田市永沢寺にて(5月) 牡丹園・花菖蒲園の牡丹

 
三田市永沢寺にて(5月) 牡丹園・花菖蒲園の牡丹



花山院
三田市
真言宗

東光山花山院菩提寺

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花山院の菩提寺 西国三十三観音霊場番外地
開山は一乗寺と同じ天竺の法道仙人

白雉2年(615年)天竺より渡来した法道仙人が拓く。ご本尊は薬師瑠璃光如来
後に西国三十三観音霊場中興の祖、第六十五代花山法皇(花山天皇)が寛弘5年(1008)
御年41才で御崩御される迄、ここで仏道修行に励まれた。法皇のご遺体はこの寺に
葬られ、それが花山院御廟所である。以来当山は花山法皇(花山院)の菩提を
弔う寺として花山院菩提寺を寺号とするに至った。



 
三田市 東光山花山院菩提寺にて(7月) 仁王門


三田市東光山花山院にて(7月) 手水の地蔵
  三田市 東光山花山院菩提寺にて(7月) 仁王門の仁王(左右) 

  東光山花山院菩提寺にて(7月) 
仁王門から本堂への参道
 

東光山花山院菩提寺にて(7月) 本堂 花山法皇殿
十一面観音像 花山法皇像 弘法大師像が安置されてい


 東光山花山院菩提寺にて(7月) 本堂花山法皇殿(左)と薬師堂(右)


  東光山花山院菩提寺にて(7月) 薬師堂 
 本堂の向かって右に在り、薬師如来が安置されている 

 東光山花山院菩提寺にて(7月) 
花山法皇御陵所 


 
三田市 東光山花山院菩提寺にて(7月) 幸福の七地蔵  写真クリックで説明板 


  東光山花山院菩提寺にて(7月) 鐘楼 

 東光山花山院菩提寺にて(7月) 寺務所門(右に荒神社)

  東光山花山院菩提寺にて(7月) 寺務所内のお堂その1 

  東光山花山院菩提寺にて(7月) 寺務所内のお堂その2 


 
三田市 東光山花山院菩提寺にて(7月) 寺務所からの展望(左に有馬富士,、右に千丈寺湖)
花山法王御製になる本寺の御詠歌。

有馬富士 麓の霧は海に似て 波かと聞けば小野の松風


 三田市 東光山花山院菩提寺にて(7月) 三宝大荒神 

 三田市 東光山花山院菩提寺にて(7月) 弘法大師像

 
 三田市 東光山花山院菩提寺にて(7月)  花山院展望台から有馬富士と千丈寺湖

児玉尊臣<生年不詳>
花山法皇を慕いまつる
やまの鳥 木々のしげみに 啼きゝほい
みささぎの邊の すがしあさかも


 三田市 東光山花山院菩提寺にて(8月) 
 
写真クリックで説明板
河内石川寺、書写山円教寺、紫雲山中山寺の
上人が戒師として東光山花山院菩提寺を再興した。
(説明板より)


 三田市 東光山花山院菩提寺にて(8月) 庫裏 

三田市 東光山花山院菩提寺にて(8月) 薬師堂 瑠璃光殿


曹洞宗
神戸市北区
曹洞宗

五鈷山光明寺

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行基による開山と伝わる古刹
当山は聖徳太子の草創、行基菩薩開山と伝えられる古刹。近世,高僧佛通禅師により中興開山された。
ご本尊は薬師如来で、真言宗であったが、文化元年(1804)曹洞宗大本山永平寺五十世玄透即中老師が勧請され、
以来、永平寺直末寺となった。昭和40年頃から寺が無住となり荒廃が進んだが、再び光明寺の復興を願っている。

本寺の山号は「五鈷山」で近隣の鏑射寺は「独鈷山」、太福寺は「三鈷山」であり、古くから深い関係が
あると思われる。道場の地名から、この付近一帯が山岳信仰の道場であったらしい。
説明板

 
神戸市北区にて(8月) 五鈷山光明寺 古色あふれる山門  クリックで門の内側を見る

  
神戸市北区にて(8月) 五鈷山光明寺 内側から見る山門と曹洞宗の紋のある瓦  クリックで拡大

  
神戸市北区にて(8月) 五鈷山光明寺開基堂 如意輪観音を祀る 右は開基堂にかかる扁額 
クリックで拡大

 
神戸市北区にて(8月) 五鈷山光明寺開基堂  クリックで拡大

 
神戸市北区にて(8月) 五鈷山光明寺 参道  クリックで拡大


神戸市北区にて(8月) 五鈷山光明寺 参道  
クリックで拡大

 
神戸市北区にて(8月) 五鈷山光明寺 光明寺墓地公園 クリックで拡大

  
 
神戸市北区にて(8月) 五鈷山光明寺 境内の石仏・大日如来、地蔵尊  クリックで拡大

 
神戸市北区にて(8月) 五鈷山光明寺 境内の石仏・十一面観音  クリックで拡大

  
神戸市北区にて(8月) 五鈷山光明寺 光明滝と光明不動尊 
クリックで拡大

  
神戸市北区五鈷山光明寺にて(8月)  左は碧岩院徹了也居士法筐印塔 右は中興開基日笠家の法筐印塔
左の「碧岩院底了也居士」は柴田氏の法号。 柴田氏は武庫郡灘村の新在家で、高僧仏通禅師が有馬に
来られた時、禅師に帰依して、この聖徳太子草創、行基開山の霊跡に、一宇を建立し寄進した。

 
神戸市北区五鈷山光明寺にて(8月) 請願成就の樫の神木(
クリックで由来説明
右は兵庫県観光100選紅葉の名所を思わせる楓が多い

  
神戸市北区五鈷山光明寺にて(8月) 千刈水源地(源流)付近 右は千刈ダム  
クリックで拡大
光明寺に隣接する武庫ノ台ゴルフコースの向こうが千刈ダム


真言宗
神戸市北区
真言宗単立

独鈷山鏑射持

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聖徳太子生母の地に、太子が約1400年前に開山した
古刹。栄枯盛衰の後に、昭和になって本格的に復興した
聖徳太子は、生母の里に約1400年前の敏達天皇10年(581)伽藍を建て仏教道場として鏑矢を奉納、
鏑射寺と命名された。その後、弘法大師が境内に独鈷水の井戸を掘られるなど栄えたが、戦火、山火事などで
衰退と中興を繰り返した。明治6年、三田九鬼藩の天誅組が神社仏閣を襲い、当寺も火を放たれ、廃寺となった。
約100年後の昭和30年に久邇宮朝融王殿下が、廃寺を訪れになり、鏑射寺の再建と国家国民の安寧を祈られた。
続いて、昭和34年、現山主中村公隆師が入山し、同41年に護摩堂(不動明王)が、48年には三重塔(虚空蔵菩薩)、
平成4年に大日如来・愛染明王を奉迎して本堂の落慶法要が厳修され、同6年に弁天堂の落慶を見た
。(縁起より)

  
神戸市北区道場にて(8月)  真言宗単立独鈷山鏑射寺 本堂  
クリックで拡大
本尊は大日如来 写真左は参道入口  右写真は本道に掛かる扁額
御詠歌「
百千代(ももちよ)に かけて高鳴る かぶら矢を 民安かれと はなつおん寺

 
神戸市北区道場にて(8月)  真言宗単立独鈷山鏑射寺 本堂  クリックで拡大

  
神戸市北区道場にて(8月)  真言宗単立独鈷山鏑射寺 右横、左横から見た本堂  クリックで拡大

   
神戸市北区道場にて(8月)  真言宗単立独鈷山鏑射寺 護摩堂と本尊の不動明王  
クリックで拡大 


神戸市北区道場にて(8月) 鏑射寺 客殿常楽庵越しに三田市を展望
クリックで拡大

   
神戸市北区道場にて(8月)  真言宗単立独鈷山鏑射寺 鐘楼と弁天堂と参道  クリックで拡大 

 
神戸市北区道場にて(8月)  真言宗単立独鈷山鏑射寺 客殿(慶湧殿)  
クリックで拡大 

 
神戸市北区道場にて(8月)  真言宗単立独鈷山鏑射寺 客殿(慶湧殿)と三重塔  クリックで拡大 

  
神戸市北区道場にて(8月)  真言宗単立独鈷山鏑射寺 常楽殿と放生池  クリックで拡大

   
神戸市北区道場にて(8月)  真言宗単立独鈷山鏑射寺 参道  
クリックで拡大

 
神戸市北区道場にて(8月)  真言宗単立独鈷山鏑射寺 石仏群  クリックで拡大

  
神戸市北区道場にて(8月)  真言宗単立独鈷山鏑射寺 石仏  クリックで拡大

 
神戸市北区道場にて(8月)  真言宗単立独鈷山鏑射寺 境内の供養塔 クリックで拡大

  
神戸市北区道場鏑射寺にて(8月) 大賀ハス ハス科 ハス属  
クリックで拡大


神戸市
神戸市北区
曹洞宗

八王山観世寺

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神戸市北区塩田にて(8月) 観世寺山門 クリックで拡大

   
神戸市北区塩田にて(8月) 観世寺 クリックで拡大

 
神戸市北区観世寺にて(8月) 聖観音菩薩像と白寿観音菩薩像 クリックで拡大

 
神戸市北区塩田にて(8月) 観世寺本堂 鐘楼 クリックで拡大


神戸市北区塩田にて(8月) 観世寺前の田園風景 有馬六甲山を望む クリックで拡大


三田市
三田市桑原
曹洞宗

太宋山欣勝寺

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くわばらくわばら雷難除けの寺
約1000年前、清和源氏源満仲の開基による真言宗道場で桑原山欣浄寺と云う古刹であった。
その後、安貞2年(1228)道元禅師が留学から戻り、有馬温泉での保養の際、桑原に立ち寄ったが、
この寺の山が宋の不老山に似ていたので太宋山欣勝寺と命名し、曹洞宗に改宗された。境内には雷の子供が
落ちた伝説の井戸があり、現在、雷難除けのお寺として信者が多い。( くわばら雷除けの伝説
 )


三田市桑原にて(8月) 欣勝寺 山門 クリックで拡大

 
三田市桑原にて(8月) 欣勝寺 山門脇  クリックで拡大

   
三田市桑原にて(8月) 欣勝寺 山門と左奥の石仏および墓石群  クリックで拡大

   
三田市桑原にて(8月) 欣勝寺 山門の奥の本堂(改修中)  クリックで拡大


圓教寺
姫路市
天台宗別格本山

写山 圓教寺

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西の比叡山 西国三十三番札所
天台の三大道場と称された巨刹

西の比叡山とよばれるほど寺格は高く、西国三十三番札所中最大規模の寺院。
比叡山大山とともに天台の三大道場と並び称された巨刹である。京都から遠い
土地柄であるが、皇族や貴族の信仰も篤く、訪れる天皇・法皇も多かった。


 姫路市書寫山圓教寺にて(2月) 仁王門

 姫路市書寫山圓教寺にて(2月) 慈悲の鐘 

兵庫県姫路市姫路城の西北約6qの
海抜
371mの山上にある。
史跡地に指定された境内は、
18ヘクタールの東西1qの細長い地形に
山間を利用して建物が点在している。

 康保3年(966)性空上人によって開かれた、
比叡山と同じ天台宗の修行道場の寺

<寫書写山圓教寺のHPより>


 姫路市書寫山圓教寺にて(2月) 圓教寺会館 

姫路市書寫山圓教寺にて(2月)大講堂 左が食堂

姫路市書寫山圓教寺にて(2月) 仁王門 内側

 
 姫路市書寫山圓教寺にて(2月) 十妙院 

 
姫路市書寫山圓教寺にて(2月)摩尼殿

 
 姫路市書寫山圓教寺にて(2月) 摩尼殿舞台  


 姫路市書寫山圓教寺にて(2月)ロープウェイ山頂駅
遠くに瀬戸内海を展望する、山麓駅は夢前川の前にある

 姫路市書寫山圓教寺にて(2月)正面食堂 右大講堂 
左に常行堂 中央に食堂 右に大講堂とコの字に配置

 姫路市書寫山圓教寺にて(2月)金剛堂

 姫路市書寫山圓教寺にて(2月) 参道

 姫路市書寫山圓教寺にて(2月) 法華堂 

 姫路市書寫山圓教寺にて(2月) 摩尼殿舞台から本坊 

 
姫路市書寫山圓教寺にて(2月)姫路城主本多家廟所


 姫路市書寫山圓教寺にて(2月)壽量院 

姫路市書寫山圓教寺にて(2月)常行堂 右が食堂

 姫路市書寫山圓教寺にて(2月) 常行堂 

 姫路市書寫山圓教寺にて(2月) 大講堂 


真言宗
加東市
高野山真言宗
鹿野山朝光寺
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国宝の本堂 重文の鐘楼を有する鄙の古刹
法道仙人が開基したと言う
天竺より紫の雲に乗って渡来した法道仙人が権現山に開基したと
伝えられる
。本尊は2体の十一面千手千眼観世音菩薩立像である。このうちの1体は
京都三十三間堂からのもともいわれている。


 兵庫県加東市にて(11月) 朝光寺山門

兵庫県加東市にて(11月) 朝光寺 本堂(国宝)

 
 兵庫県加東市にて(11月) 朝光寺多宝塔
   右は朝光寺鐘楼(重文)


 兵庫県加東市にて(11月) 朝光寺内

 兵庫県加東市にて(11月) 朝光寺山門仁王

 兵庫県加東市にて(11月) 
朝光寺内不動尊

 兵庫県加東市にて(11月)
 朝光寺塔頭吉祥院

 兵庫県加東市にて(11月) 朝光寺塔頭吉祥院

 兵庫県加東市にて(11月) 朝光寺塔頭吉祥院

 兵庫県加東市にて(11月) 朝光寺塔頭総持院 

 兵庫県加東市にて(11月) 朝光寺塔頭総持院


天台宗
加東市
天台宗
御嶽山清水寺
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天竺より飛来した法道が創建と言う
 寺伝では1,800年前、天竺より飛来した法道が創建したとされる。
推古天皇35年(627) に推古天皇が根本中堂を建立。さらに神亀2年(725)
聖武天皇が行基に命じて講堂を建立したと伝える。
 西国第25番札所


兵庫県加東市 西国第25番札所御嶽山清水寺にて(11月) 仁王門

 
兵庫県加東市 御嶽山清水寺にて(11月) 大講堂



兵庫県加東市 御嶽山清水寺にて(11月) 大講堂

 
兵庫県加東市 御嶽山清水寺にて(11月) 本坊門
  右は本坊客殿


兵庫県加東市 御嶽山清水寺にて(11月)方丈


兵庫県加東市 御嶽山清水寺にて(11月) 根本中堂

兵庫県加東市 御嶽山清水寺にて(11月) 地蔵堂

兵庫県加東市 御嶽山清水寺にて(11月) 
地蔵堂

兵庫県加東市御嶽山清水寺にて(11月)
月見亭への落葉道

兵庫県加東市御嶽山清水寺にて(11月) 印塔

兵庫県加東市御嶽山清水寺にて(11月) 

兵庫県加東市 御嶽山清水寺にて(11月) 方丈門内

兵庫県加東市 御嶽山清水寺にて(11月) 方丈門前
のもみじ

兵庫県加東市 御嶽山清水寺にて(11月) 薬師堂

兵庫県加東市 御嶽山清水寺にて(11月) 鐘楼

兵庫県加東市 御嶽山清水寺にて(11月) 大塔跡へ

兵庫県加東市 御嶽山清水寺にて(11月) 月見亭

 
兵庫県加東市 西国第25番札所 御嶽山清水寺にて(11月) 多宝塔跡

右は清水寺茶店にて(11月) イレシネ ヒユ科  マルバビユ属


高野山
神戸市
高野山真言宗

佛母摩耶山天上寺

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空海が唐より持ち帰った香木の摩耶像を安置
六甲摩耶山の謂れとなった寺院



後に空海が唐より持ち帰った香木の摩耶像を
ここに安置し摩耶山天上寺となった

摩耶山天上寺本堂
 仏母摩耶山天上寺
孝徳天皇勅願によりインドの高僧法道仙人が開創

摩耶山天上寺本堂 摩耶山天上寺 蕪村の句碑(右) 「句碑・歌碑のページ」へ
与謝野蕪村<1716〜1784>
 「菜の花や 月は東に 日は西に

与謝野蕪村句碑
摩耶山 天上寺にて

摩耶山天上寺 
写真クリックで霊場案内拡大
 
孝徳天皇勅願の摩耶山天上寺
目の大きな「おめでたかえる」と「若かえる」があり
安産、長寿にご利益があるという

この寺からの眺望は「自然の風景のページ」へ
この寺の句碑・歌碑は「句碑歌碑のページ」へ


麻耶天上寺にて(7月) 沙羅の木の花 夏椿

沙羅双樹とも呼ばれるがインドの釈迦ゆかりの沙羅双樹と異なる


兵庫区
神戸市兵庫区
天台宗

宝積山能福寺

(能福護国密寺)

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平清盛(別名平相国)一門の祈願寺。京都青蓮院門跡の旧院家。
本殿は京都泉涌寺の月輪御陵より移築。兵庫大仏で知られる。
創建1200年の古刹
延暦24年(805)に最澄により創建された、日本初の密教教化霊場である。後に平清盛所縁の寺として、治承4年(1180)に
平家一門の祈願寺に定められた。寺格は高く、幼少の門跡を養育する京都青蓮院門跡の院家であった。本殿は京都泉涌寺の
墓陵(月輪御陵)から、昭和28年(1953)に移築された。明治24年(1891)に、南条荘兵衛の寄進により大仏が建立された。
戦時中に国に供出されるまで日本三大大仏の一つに数えられた。現在の大仏は平成3年(1991)に再建されたもの。



神戸市兵庫区にて(12月) 天台宗宝積山能福寺 大仏 毘廬舎那仏(光明遍照)
大仏の監修は東京芸術大学名誉教授 西村公朝氏 写真クリックで拡大

  
神戸市兵庫区にて(12月) 天台宗宝積山能福寺 本堂 月輪影殿(つきのわえいでん)」 写真クリックで拡大

  
神戸市兵庫区にて(12月) 天台宗宝積山能福寺 左から院家説明板  本堂 最澄伝教大師幼形像
全てクリックで拡大し説明板は読めます

 
神戸市兵庫区天台宗宝積山能福寺にて(12月) 寺院、兵庫大仏説明板 クリックで拡大

   
神戸市兵庫区天台宗宝積山能福寺にて(12月) 平相国廟 将軍平清盛公墓処   クリックで拡大
右端の新聞記事はNHKの連続ドラマで主役の松山ケンイチが能福寺平相国廟を訪れたというもの


 
神戸市兵庫区天台宗宝積山能福寺にて(12月) 平相国廟 説明板  クリックで拡大

  
神戸市兵庫区天台宗宝積山能福寺にて(12月) 左から本坊 庭園 講堂  
クリックで拡大

  
天台宗宝積山能福寺にて(12月) 昨年創建1200念を迎えた古刹能福寺の寺銘板三種  クリックで拡大

 
天台宗宝積山能福寺にて(12月) 鐘楼建設を待ちわびる梵鐘(正面と側面)
鐘には「南無毘廬遮那如来」 「昭和40年9月再鋳」と刻まれている 
クリックで拡大

  
天台宗宝積山能福寺にて(12月) 境内の仏像群  クリックで拡大

 
天台宗宝積山能福寺にて(12月) 明治維新に起きた瀧善三郎に関わる神戸事件の碑  クリックで説明文拡大

 
天台宗宝積山能福寺にて(12月) 
クリックで説明文拡大

 
天台宗宝積山能福寺にて(12月) クリックで説明文拡大

  
天台宗宝積山能福寺にて(12月) クリックで説明文拡大

 
神戸市天台宗宝積山能福寺にて(12月)  写真左 冬の曼珠沙華 ユリ科 ヒガンバナ属 
写真右 マユミの実 ニシキギ科 ニシキギ属 
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平成29年7月22日 朝刊より クリックで拡大


時宗
神戸市兵庫区
時宗

西月山
真光寺
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一遍上人御廟のある寺院
仁明天皇(833年〜850年)のころ、恵萼が唐より観世音を持ち帰り、和田岬で船が動かなくなり、堂を建てて
祀ったのが始まり。建治2年(1276)一遍上人がこの観音堂に住して中興開祖となる。一遍上人を宗祖とする
藤沢市の時宗総本山清浄光寺(遊行寺)の末寺。先の大戦の空襲で寺宝の大半が消失した。   



神戸市兵庫区にて(12月) 時宗西月山真光寺 本堂   クリックで本堂内部を拡大

 
神戸市兵庫区にて(12月) 時宗西月山真光寺 中興の祖一遍上人廟  クリックで拡大

    
神戸市兵庫区にて(12月) 時宗西月山真光寺 中興の祖一遍上人廟  クリックで拡大

 
神戸市兵庫区にて(12月) 時宗西月山真光寺 境内南向き 奥に山門 クリックで拡大

 
神戸市兵庫区にて(12月) 時宗西月山真光寺 境内北向き 奥に本堂  
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神戸市兵庫区にて(12月) 時宗西月山真光寺  光明殿と鐘楼  クリックで拡大

  
神戸市兵庫区にて(12月) 時宗西月山真光寺  観音堂  
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神戸市兵庫区にて(12月) 時宗西月山真光寺  観音堂 観音堂の内部仏殿  クリックで拡大

 
神戸市兵庫区にて(12月) 時宗西月山真光寺  本堂横庭園  
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兵庫区にて(12月) 時宗西月山真光寺 山門と「大檀林」碑  クリックで拡大  檀林とは僧侶養成機関

 
神戸市兵庫区時宗西月山真光寺にて(12月) 平清盛 御膳水の井戸 
クリックで説明板拡大

 
神戸市兵庫区時宗西月山真光寺にて(12月) 熊野権現社と無縁如来塔   クリックで拡大


神戸市兵庫区時宗西月山真光寺にて(12月) 「遊行柳(ゆぎょうやなぎ)」
謡曲「遊行柳」では、遊行上人(一遍上人)が奥州行脚の際に、老人の姿をした柳の精に出会って西行が詠んだ「朽木の柳」へ
案内され、老人は、上人に念仏を授けられて成仏するが、夜になって再び現われ、上人に柳にまつわる故事をつらつら語り
報謝の舞を見せて姿を消す、といった筋立てになっている。 参考ネットより


 
神戸市兵庫区時宗西月山真光寺にて(12月) 事務所  右は真光寺境内案内図(クリックで拡大

   
神戸市兵庫区時宗西月山真光寺にて(12月) 六地蔵などの地蔵尊群 右端は紅葉ザクロの実 ザクロ科 ザクロ属  クリックで拡大

 
神戸市兵庫区時宗西月山真光寺にて(12月) 句碑  クリックで拡大
河野静雲(こうの じょううん)<1887〜1947> ホトトギス同人、
虚子門下の時宗俳僧 「白露や永久に聖の御跡ど

望月華山(もちづき けざん)<1897〜1973> 俳号四十艸
 藤沢時宗宗学林に入り寮監河野静雲に俳句を習う。
真光寺元住職 「菊剪つてわれ一介の祖廟守


日蓮宗
神戸市兵庫区
日蓮宗

妙光山
法蓮寺
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水戸光圀のゆかりのお寺
応永元年(1394)、開基日融上人の命日をもって創立日とし、兵庫の妙見寺の通称で知られる。
江戸時代には徳川御三家の寺として隆盛をきわめた。京都山科の大本山本圀寺筆頭末寺とされている。



神戸市兵庫区にて(12月) 日蓮宗妙光山法蓮寺  付近の写真  能福寺と向かい合っている


神戸市兵庫区にて(12月) 日蓮宗妙光山法蓮寺 


福祥寺
神戸市
真言宗須磨寺派大本山

上野山
福祥寺
(須磨寺)

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源平合戦の史跡
漁師が和田岬沖で引き上げた聖観音像を仁和2年(886)に聞鏡上人が
この地に移したのが始まり。平敦盛遺愛の青葉の笛や弁慶の鐘、敦盛首塚、
義経腰掛の松など、多数の重宝や史跡が存在する 。

 
神戸市上野山須磨寺 参道より仁王門
 須磨寺境内案内図


神戸市上野山須磨寺 須磨寺本堂
須磨寺略歴縁起(寺蔵)によれば和田岬海中より出現した聖観世音菩薩を安置するため、淳和天皇の勅命で、兵庫県
背山恵偈山北峰寺を建立。後に光考天皇の勅命により開祖聞鏡上人須磨上野山福祥寺を建て本尊として祀る。


須磨寺本堂への石段

本堂に向かって左側 敦盛首塚方面を望む

須磨寺 敦盛公首洗いの池

敦盛公墓所(首塚) 

義経 腰掛の松
一の谷の合戦後、源義経はこの松に座って
敦盛公の首と笛を実検した


須磨寺 鐘楼  弁慶の鐘(複製) 
一の谷の合戦の際、弁慶が安養寺から長刀の先に
掛けて担いで来陣鐘とした。旧鐘は宝物館に納め、
今の鐘は一の谷合戦八百年記念に複製されたもの。 

  
須磨寺 三重塔


須磨寺手水舎・五鈷水と弘法岩

想像上の童子「きんぽたん」の像 写真クリックで説明板拡大

「ぶじかえる」
借金に困ったとき首を回す

   

小石人形舎 故木島武雄氏が須磨の小石を集め、
自然の造型を利用して作り上げた独特の小石人形
写真クリックで解説板

八百年前の平敦盛・熊谷直実の一騎討ちの場面
十六歳の平敦盛が一の谷の浜辺において、
源氏の武将熊谷直実に討たれた(平家物語)
「笛の音に波もよりくる須磨の秋」の蕪村句碑がある

兵庫県 真言宗上野山須磨寺 太子堂(手前左) 

青葉の笛の歌



現光寺
神戸市
浄土真宗

藩架山現光寺
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源氏物語に出てくる寺院
光源氏が身を寄せたとされる


兵庫県須磨 藩架山現光寺本堂
 
松尾芭蕉が泊まったとされる現光寺風月庵
右は現光時境内にある須磨の席跡を示す古い石標


兵庫県須磨 現光寺鐘楼 震災復興した

現光寺の説明  
クリックで拡大

光源氏が身を寄せたという
現光寺は源氏寺とも呼ばれる
1000年以上の歴史をもつ寺だが、
阪神大震災で倒壊し改築された

兵庫県須磨 藩架山現光寺本堂


大本山
宝塚市
真言宗中山寺派大本山
紫雲山中山寺

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聖徳太子の建立になる古刹。安産祈願の霊場
として知られる。西国三十三霊場第二十四番札所

寺伝では聖徳太子が建立した日本最初の観音霊場で「極楽中心仲山寺」と称されていた。
安産祈願の霊場として皇室、源頼朝など武家、庶民より深く信仰を集めた。豊臣秀吉が祈願して
豊臣秀頼を授かったとされる。幕末には中山一位局が明治天皇を出産する時、安産祈願し
無事出産したことから、日本唯一の明治天皇勅願所となり、安産の寺として知られる。



兵庫県 中山寺 山門
安産祈願で信者が多い

兵庫県宝塚市 紫雲山 中山寺 本堂灯篭



清荒神
宝塚市
真言三宝宗

蓬莱山清澄寺・清荒神
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宝塚市  清荒神清澄寺
一顕地蔵尊(TM氏)

宝塚市  清澄寺(セイチョウジ) 
清荒神 (TM氏)
宝塚市 小浜(こはま) 
出雲路山 
 毫摂寺(ごうしょうじ)(TM氏)



雲龍寺
三木市
雲龍寺本要寺本長寺
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 兵庫県三木市にて(6月) 雲龍寺 三木城主別所長治公・照子夫人の首塚 


 兵庫県三木市にて(6月) 本要寺 
天正8年、三木城攻めを終わった羽柴秀吉は、
寺院の中でただひとつ焼けなかった本要寺に
本陣を移して、自刃した別所長治の首実検をした。

 兵庫県三木市にて(6月) 本長寺 
 天正9年、三木城落城の翌年に別所氏の家臣、
 加古弥七郎秀久が出家して創建した
 本門法華宗の本長寺




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