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1. 西日本(中国、四国、九州)  吉備津神社 厳島神社
吉香神社 大山祇神社 屋島神社 清滝寺琴平神社 秦神社 土佐神社 若宮八幡宮 平家の宮 霧島神宮


                1.西日本(中国、四国、九州)       HPのトップへ

岡山県
吉備津神社

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備中国一の宮 旧官幣中社
吉備津彦は吉備中山の麓に住み、281歳で亡くなって中山山頂に葬られた。吉備津彦の5代の子孫の
加夜臣奈留美命が社殿を造営して吉備津彦を祀ったという説と、第十六代仁徳天皇が吉備国に行幸した折に、
大吉備津彦命の業績を称えて5つの社殿と72の末社を建てたのに始まるという説がある。
この神社は、日本に5ヶ所ある桃太郎伝説発祥地の有力な起源である。(参考

 
 岡山県吉備津神社にて(1月)(TM氏) 足利義満が造営した比翼入母屋造の本殿拝殿(国宝) 右は割拝殿 

 
岡山県吉備津神社にて(1月)(TM氏) 北随神門(ずいじんもん)
右は同吉備津神社にて(1月)(TM氏) 三味線餅つき これは四国ほか各地で行われている 徳島県美馬市の無形文化財


 
岡山県吉備津神社にて(1月)(TM氏) 本殿 七十五膳据神事がある



平成30年1月3日 産経新聞記事より クリックで拡大



宮島
広島県・宮島
世界遺産 厳島神社

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1400年の歴史の安芸国一宮 旧官幣中社
国宝平家納経で知られる安芸守平家の鎮守
厳島神社は海を敷地とした大胆で独創的な配置構成、平安時代の寝殿造りの粋を極めた建築美
で知られる日本屈指の名社である。廻廊で結ばれた朱塗りの社殿は、潮が満ちてくるとあたかも
海に浮かんでいるよう。背後の弥山の緑や瀬戸の海の青とのコントラストはまるで竜宮城
を思わせる美しさである。神仏習合のころ隣接する大願寺とは一体であった。


広島県 安芸宮島(12月) 厳島神社  神社・寺院配置図 参考絵図

              世界文化遺産 1400年の歴史 厳島神社
神社HPより転写

 
広島県JR宮島口にて 宮島ゆき連絡船乗り場 右写真は連絡船上にて(10月) 厳島神社を展望


連絡船上にて(10月) 厳島神社を展望


宮島にて  宮島口ゆき連絡船乗り場

 
広島県宮島にて(10月) 厳島神社 右は反り橋(重文)


 
広島県宮島にて(10月) 豊国神社千畳閣より厳島神社を展望 右は厳島神社から大願寺五重塔を展望


  
広島県安芸宮島にて(12月) 厳島神社 大鳥居(重文)日本三大鳥居
日本三大鳥居は厳島神社、奈良の春日大社、福井の気比神宮の鳥居(他の組み合わせあり)

右写真は厳島神社越しに大願寺五重塔を眺む(12月)

 
広島県宮島にて(10月) 多宝塔
   右は豊国神社千畳閣

 
広島県宮島にて(10月) 厳島神社 能舞台(重文)  右は樹齢200年の龍髯(りゅうぜん)の松

 
広島県宮島にて(10月) 豊国神社千畳閣
(重文)  右は三翁神社

 
広島県宮島にて(10月) ホテルみや離宮 宮島案内図

 
広島県宮島にて(10月) ホテルみや離宮 離宮太鼓

 
広島県宮島にて(10月) 大鳥居(重文) 上部の6トンの石で鳥居が安定 右は大願寺五重塔


岩国

岩国市
吉香神社

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旧岩国藩主吉川家の先祖を祀る神社
「吉香神社」 (きっこうじんじゃ) は旧岩国藩主吉川家の先祖・吉川興経を祀る治功大明神として
享保13年(1728)に造営された。建物は当初の形式をよく保持し、岩国藩大工の高い技術力が窺える。本殿、
拝殿、神門が同一時期の建築で揃っており、平成16年(2004)に国の重要文化財に指定された。



山口県岩国市にて(10月) 吉香神社(重文)

 
山口県岩国市にて(10月) 吉香神社付近の神社



大山
愛媛県大三島
国幣大社 大山祇神社

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平安時代に朝廷から
日本総鎮守の名を賜った国幣大社

約1400年前、大阪摂津国三島に創建され、瀬戸内海の愛媛県今治市大三島町へ移されたらしい。
大山積神を祭神とし、全国の山祇神社、三島神社の総本社である。戦いの神として歴代の朝廷や武将
から尊崇を集めた。源氏、平家などの武将が武具を奉納し、武運長久を祈ったため、国宝、重文の
指定をうけた日本の甲冑の約4割がこの神社に集まり、国宝8件、重文75件を有する。



愛媛県大三島 旧国幣大社 大山祇神社 拝殿  参考)官幣社との相違点


愛媛県大三島にて(10月) 日本総鎮守といわれる
  大山祇神社おおやまづみじんじゃ
伊勢神宮内宮にも同名の神社がある
写真は重要文化財宝篋印塔 3基 参考

愛媛県大三島にて(10月)
大山祇神社境内 樹齢2600年と言われる乎知命の御手植の楠
   
 
愛媛県大三島 旧国幣大社 大山祇神社 総門(688年ぶりに再建)  右は本殿


屋島
香川県 高松市

屋島神社 清滝寺琴平神社
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当神社は慶安4年(1651年)初代高松藩主松平頼重公が、
香川郡宮脇村の本門寿院境内に東照大神(徳川家康公)の神廟を建立し、崇敬したのにはじまる。


香川県 屋島神社 讃岐東照宮 

高知県 四国霊場第35番医王山清滝寺 琴平神社


土佐
高知市
国幣中社 土佐神社
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善楽寺を含む土佐国総鎮守一宮
醍醐天皇の頃、都佐坐神社と称し、皇室の勅使の参向もあり、朱雀天皇の御代(940)には、
神階を正一位に叙せられた。鎌倉時代の神仏習合の頃には、当社・神宮寺・善楽寺にて一宮を形成、
土佐高賀茂大明神と称
し土佐国総鎮守一宮とされた。室町時代には、長宗我部元親が本殿、幣殿、拝殿を再興、
安土桃山時代に、山内一豊も以前の社領を免許し、摂社、末社を始め、鳥居、楼門、鼓楼を増築し、
土佐最上の祈願所とした。明治の神仏分離令により、土佐神社と改称、社格を国弊中社に列した。



高知市にて 土佐一宮 旧国幣中社 土佐神社

 
高知市にて 土佐一宮 土佐神社


若宮
高知県
若宮八幡宮

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田植えのどろんこ祭りで知られる
吾妻鏡によれば、源頼朝は平氏を討ち果たした文治元年(1185)に京都六条の祖父源為義邸跡に石清水八幡宮を勧請し
六條若宮八幡宮を創建した。この時、土佐国吾川郡を六條若宮八幡宮の神領とし、当地に若宮八幡宮を分祀した。戦国時代には
長宗我部元親は初陣に臨み、当社に祈願し勝利し、合戦のたびに戦勝祈願を行うようになった。江戸時代に山内一豊が入城して
以後も藩主祈願八社の一つとされた。明治時代、近代社格制度により、明治6年郷社に、昭和5年に県社となった。



高知県 明治に郷社 昭和に県社となった 若宮八幡宮


高知県 若宮八幡宮 長宗我部氏出陣祈願の


高知県 若宮八幡宮内 
西宮神社(摂社)
高知にまで影響を及ぼしている

説明板クリックで拡大
高知県 
若宮八幡宮 
どろんこ祭り
神田にて、
顔に泥を塗りあう
4月の奇祭

400年以上の
伝統
をもつ
豊作祈願の春祭


秦神
高知県
秦神社
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秦河勝の後裔・長宗我部氏を祀る神社
長宗我部元親の菩提寺雪蹊寺が廃仏毀釈により一時廃寺となったので、雪蹊寺に隣接して明治4年(1871)に建立。
長宗我部氏が平安京を建設した秦河勝の後裔とされるため秦神社と称した。長宗我部氏の子孫が雪蹊寺にあった
衣冠束帯姿の長宗我部元親木像を神体として安置した。和18年(1943)に県社に列した。


高知県 秦神社 長宗我部氏は平安京太秦の秦氏の子孫
(雪蹊寺横の秦神社の立看板による)



平家
高知県横倉山
平家の宮

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安徳天皇が生き延びたとされる横倉山の平家の宮

横倉山には安徳天皇護衛の従臣八十余名の墓があり横倉宮の摂社未社として祭祀が行なわれてきたが腐朽
したので平家会や有志が御霊を一つの宮に招霊することとし昭和57年(1982)この社を新設した。(駒札より)


安徳天皇は祖谷を経て土佐越智横倉山へ
下関で入水したのは身代わりとか

高知県 横倉山
屋島で平家の命運を察した阿波の豪族
田口成良によって
安徳天皇は助けられという



写真クリックで読める
高知県 横倉山に在る重臣の名簿(墓がある)
安徳天皇をかくまったと云う田口成良の名もある

横倉山 安徳天皇 御潜幸物語により、また多くの
重臣の墓の存在により
安徳天皇が横倉山で生き延びたという


霧島
宮崎県
霧島神宮

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天照大神から三種の神器と稲穂をいただき、
高千穂に降臨された瓊々杵尊を主祭神として祀る

霧島神宮は瓊々杵尊(ニニギノミコト)を祀った、創建が6世紀と古い歴史を誇る神社である。
最初は高千穂峰と火常峰の間の背門丘に建てられたが、霧島山の噴火による焼失と再建を繰り返し、
約500年前に現在の場所に移された。現在の社殿は第4代薩摩藩主・島津吉貴が、1715年に建立・寄進
したもの。老杉の濃い緑に包まれた参道を抜けると、格調高い朱塗りの荘厳な社殿が現れる。

 
宮崎県にて 霧島神宮
写真は(TM氏) 



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