[神 社] 中項目・目次          HPのトップ
  1.西日本  2.京都  3.奈良 4.大阪 5.兵庫 6.滋賀・和歌山 7.東日本 

2.京都 2.1京都-1 豊国神社 地主神社  八大神社 新日吉神宮 白峯神宮 御香宮神社 桃山陵乃木神社 平安神宮 
粟田神社 木嶋神社・蚕の社 松尾大社 御髪神社 車折神社 野宮神社 上賀茂神社 下鴨神社
與杼神社 城南宮 伏見稲荷大社 八坂神社 吉水弁財天堂 北野天満宮 平野神社 六請神社 
 2.2京都-2

                     2.1 京都-1                 HPのトップ

豊国
京都市東山区
豊国神社

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豊臣秀吉の廟所の山麓に方広寺鎮守として創建
徳川時代に廃祀されたが、明治に現在地に再建された。

豊臣秀吉は死去翌年の慶長4年(1599)方広寺近くの阿弥陀ヶ峰山頂に埋葬され、廟所が建立された。
その麓に方広寺の鎮守社として豊国神社が創建された。後に徳川時代に廃祀されたが、明治元年(1868)、
明治天皇は秀吉が尊皇の功臣であるとして、豊国神社の再興を明治6年(1873)に布告、明治13年(1880)
別格官幣社として、方広寺大仏殿跡地の現在地に社殿が完成し、遷座された。



京都市東山区にて(8月) 別格官幣社豊国神社(ほうこくじんじゃ) 正面鳥居扁額は豊国大明神
扁額は唐門と同一「豊国大明神」  写真クリックで神社由緒駒札が拡大表示


京都市東山区にて(8月) 豊国神社唐門(国宝) 伏見城から二条城、南禅寺金地院を経て現在地へ

 
京都市東山区にて(8月) 豊国神社 拝殿と本殿(奥)  右の駒札クリックで神社由緒が拡大表示します

 
京都市東山区豊国神社にて(8月) 唐門の扁額「豊国大明神」  右は五三の桐の紋章のある手水舎

 
京都市東山区別格官幣社豊国神社にて(8月) 蜂須賀桜の植樹と稲荷大明神


地主
京都市東山区
地主神社

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清水寺の鎮守社
大国主を主祭神縁とする結びの神として人気

清水寺の清水の舞台を出て直ぐ左手にある神社で、江戸末期までは清水寺の鎮守社
であった。大国主を主祭神とし、良縁祈願の神として若い女性やカップルに人気がある。
謡曲田村、熊野(大阪の田蓑神社も)に地主権現の桜、清水の桜が謡われてきた。



京都市東山区清水寺にて(2月) 地主神社

 
京都市東山区清水寺にて(2月) 地主神社 境内

 
 京都市東山区清水寺にて(2月) 地主神社 

 
京都市東山区清水寺にて(2月) 地主神社


京都市東山 地主神社 (TM氏)

 
京都市東山区清水寺地主神社にて(2月) 謡曲の地主の桜


八大
京都市左京区
八大神社

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皇居守護神十二社中の一つ
宮本武蔵ゆかりの神社

八大神社は1294年に創建され、京都一乗寺の氏神で、北天王(北の祇園)
として皇居守護神十二社中の一つである。御祭神は「スサノオノミコト、
イナダヒメノミコト、ハチオウジノミコト」。宮本武蔵が吉岡一門と
決闘した当時の「下り松
(さがりまつ)」の古木が保存されている


京都市左京区八大神社にて(6月) 鳥居

 
京都市左京区八大神社にて(6月) 境内


京都市左京区八大神社にて(6月) 御本殿 行き方

 
京都市左京区八大神社にて(6月) 社務所 右は一乗寺下り松 古木保存社


左京区八大神社にて(6月) 左から末社日吉大神社、八幡大神社、賢防大神社、
諏訪大神・竈大神社、春日大神・新宮大神社、赤山大神・貴布祢大神社、加茂大神・柊大神社
この他末社に鷺森大神・大将軍社、山ノ神社・牛宮社がある。 摂社は皇大神宮社。


新日吉
京都市東山区
新日吉神宮

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後白河上皇の御所の鎮守社
大津坂本の日吉大社より勧請
後白河上皇が院の御所(法住寺殿)の鎮守社として、延暦寺の鎮守神
である坂本の日吉大社の日吉山王(ひえさんのう)七社を勧請したことによる。



京都市東山区新日吉神宮にて(3月) 本殿
新日吉(いまひえ)神宮は、智積院と妙法院との間を東へ向かう、豊臣秀吉の墓所豊国廟(ほうこくびょう)
への参道の途中にある。平安時代末期(1160)、後白河上皇が院の御所(法住寺殿)の鎮守社として、延暦寺の
地主神・鎮守神である坂本(大津市)の日吉山王(ひえさんのう)七社(日吉大社)を勧請したのが始まり。


 
京都市東山区新日吉神宮にて(3月) 社務所  右は天満宮


京都市東山区新日吉神宮にて(3月) 楼門


京都市東山区新日吉神宮にて(3月) 拝殿

京都市東山区新日吉神宮にて(3月) 参道


京都市東山区新日吉神宮にて(3月) 太閤と家康
豊国神社  愛宕神社 秋葉神社 
クリックで豊国神社を拡大


京都市東山区新日吉神宮にて(3月) 本殿

 
京都市東山区新日吉神宮にて(3月) 稲荷社 右はご神木 スダジイ ブナ科 シイノキ属


京都市東山区新日吉神宮にて(3月) 豊国廟参道
この辺が鳥辺野(昔の葬送の地) 
写真クリックで説明

京都市東山区にて(3月) 豊国廟鳥居

 


京都市
京都市上京区
白峯神宮

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保元の乱で讃岐で無念の死をとげた崇徳上皇を、
明治天皇の命により京都に迎え、白峯神宮として祀られている

崇徳上皇保元の乱に敗れ讃岐に流されて歿し、坂出市の白峯陵に葬られている。
その御前に、上皇を白峯大権現として祀る御影堂が建立された。孝明天皇は讃岐の崇徳上皇
の霊を慰めんと、神霊を京都に移そうとして、崩御したので、明治天皇が意を継ぎ、慶応
4年(1868)、京都に御影堂の神像を移して白峯宮を創建。続いて明治6年(1873)、
藤原仲麻呂の乱で淡路に配流された淳仁天皇の神霊を淡路から迎えて合祀し、
官幣中社とし、昭和15年(1940)に官幣大社に昇格、白峯神宮となった。


 
京都市崇徳天皇御陵 白峯神宮 (写真はTM氏) 御趣意駒札はクリックで拡大


御香宮
京都市伏見区
御香宮神社
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今も良水が涌出する千姫ゆかりの神社
徳川家康と豊臣秀吉が境内で並んで祀られている

安産守護之大神神功皇后を主祭神として仲哀天皇応神天皇他六柱の神を祀る。
平安時代に境内から香りの良い水が涌出したので、清和天皇より「御香宮」の名を賜った。


 
京都市伏見区 御香宮神社 にて(3月) 表門(重文:旧伏見城大手門を移築) 境内マップへ

 
  京都市伏見区御香宮神社にて(3月) 正面鳥居(表門を入ってすぐ) 右は本殿(重文:徳川家康造営)

 
  京都市伏見区御香宮神社にて(3月) 正面に拝殿 左能舞台 右奥に絵馬堂 

  
  京都市伏見区御香宮神社にて(3月) 御香水(名水100選) 
クリックで拡大


京都市伏見区 御香宮神社 にて(3月) 境内風景(正面は拝殿 左土蔵 右手水舎)


京都市伏見区 御香宮神社 にて(3月) 絵馬堂 

御香宮神社にて(3月) 安産の社碑


  京都市伏見区御香宮神社にて(3月) 東鳥居

 
京都市伏見区御香宮神社にて(3月) 徳川家康を祀る東照宮  右写真は豊臣秀吉を祀る豊国社

 
  京都市伏見区御香宮神社にて(3月) 稲荷社  右は松尾社

 
京都市伏見区御香宮神社にて(3月) 桃山天満宮

 
  京都市伏見区御香宮神社にて(3月) 竹田街道の車石
   右は石段付の灯(クリックで拡大
 

伏見区御香宮神社にて(3月) 大手筋通りの赤鳥居

  京都市伏見区御香宮神社にて(3月) 参集館 

  京都市伏見区御香宮神社にて(3月) 参集館 

  京都市伏見区御香宮神社にて(3月) 弁天社

 
  伏見区御香宮神社にて(3月) 末社 熊野社など6社  右は桃山天満宮内末社


  京都市伏見区御香宮神社にて(3月) 太神宮

伏見区御香宮神社にて(3月) 八坂社 住吉社など4社

 
京都市伏見区御香宮神社にて(3月) 末社


伏見桃
京都市伏見区
伏見桃山陵
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明治天皇と昭憲皇太后の桃山御陵


京都市伏見区にて(3月) 明治天皇 昭憲皇太后 伏見桃山陵入口付近


京都市伏見区にて(3月)
 桃山御陵入口付近

明治天皇 伏見桃山御陵
ネットより)


乃木
京都市伏見区
乃木神社
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明治天皇に殉死した乃木希典を祀る
明治天皇に殉死した陸軍大将乃木希典(のぎまれすけ)1849〜1912)を祀る
伏見桃山御陵のそばに村野山人翁ら全国崇敬者
により大正5年9月13日創建(参考


 京都市伏見区にて(3月) 乃木神社 神門 
写真クリックで説明板(駒板)
乃木大将辞世うつし世を神去りましし大君の みあとしたひて我はゆくなり

 
 京都市伏見区にて(3月) 乃木神社 拝殿 右写真内は拝殿と本殿


 京都市伏見区にて(3月) 乃木神社 桃山御陵の方向を向いている北向きの拝殿、本殿 
乃木将軍が生前の愛馬(壽号、璞号)が対峙して御霊を護る

 
 京都市伏見区乃木神社にて(3月) 学習院長時代の乃木希典像 右は長府乃木旧邸(クリックで説明板

 
伏見区乃木神社にて(3月) 山城えびす神社 当初、乃木静子夫人が祀られたが、今は本殿に合祀されている
右写真は乃木希典 「国のため 力の限りつくさなむ 身のゆく末は 神のまにまに

 
伏見区乃木神社にて(3月) 乃木将軍景迎之碑  右は旧海軍将兵慰霊碑(日露戦争で活躍した巡洋艦”吾妻”の主錨と忠魂碑



 
伏見区乃木神社にて(3月) 伏見区戦没者勇士の碑 京都出身代議士自民党野中、谷垣氏の名前あり

 
京都市伏見区にて(3月) 乃木神社より桃山御陵を望む参道 右は国歌に歌われている「さざれ石」


  
京都市伏見区乃木神社にて(3月) 乃木神社創建の有志者京阪電鉄取締役村野山人翁の像 
クリックで拡大


平安
京都市
平安神宮

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京の都・平安京における平安時代初代の桓武天皇と
京都の最後の孝明天皇が祀られている。次の明治天皇から東京へ遷都。

皇紀2600年・昭和15年(1940年)造営された。



 京都市平安神宮にて(2月)  応天門 


京都市平安神宮にて(2月) 左より白虎楼 大極殿(外拝殿) 蒼龍楼


京都市左京区平安神宮にて(5月) 写真内左から白虎楼 大極殿(外拝殿) 
白虎楼の駒札説明文拡大


  京都市左京区平安神宮にて(5月) 写真内左から大極殿(外拝殿) 蒼龍楼 神楽殿 

 
平安神宮にて(2月) 額殿 右は神楽殿


 平安神宮にて(2月) 節分の大極殿(外拝殿) 
写真クリックで説明板

 
京都市 平安神宮にて(2月) 白虎楼 右は蒼龍楼






京都市 平安神宮にて(4月) 案内図 

 平安神宮にて(2月) 節分の大極殿(外拝殿) 

 
京都市 平安神宮前にて(11月) 平安神宮大鳥居(右に京都市美術館)


京都市 平安神宮前にて(4月) 平安神宮大鳥居(神宮側より、左に京都市美術館)

 
京都市左京区平安神宮にて(7月) 美術館前大鳥居 右写真は応天門(5月)


京都市 平安神宮前にて(11月) 平安神宮応天門


昭和天皇御即位六十年記念碑 天皇御製歌「旅」
遠つおやの しろしめしたる 大和路の
歴史をしのび けふも旅ゆく


 平安神宮にて(2月) 
 平安神宮神苑碑


 
京都市左京区平安神宮神苑にて(5月) 新緑の南神苑(平安の苑) クリックで駒札

 
京都市左京区平安神宮神苑にて(5月)西神苑手前の茶室 澄心亭



京都市左京区平安神宮神苑にて(5月) 新緑の西神苑の白虎池 杜若 クリックで西神苑駒札


京都市左京区平安神宮神苑にて(5月) 新緑の西神苑の白虎池 睡蓮

 
 京都市左京区平安神宮神苑にて(2月) 冬の白虎池   写真右は(7月) 夏の蒼龍池 臥龍橋


 
 平安神宮にて(2月) 栖鳳池庭園泰平閣 



京都市左京区平安神宮にて(5月) 東神苑 栖鳳池庭園の泰平閣

 
京都市左京区平安神宮にて(5月) 栖鳳池庭園泰平閣東口 右は栖鳳池の蒼鷺 クリックで飛びます


京都市左京区平安神宮にて(5月) 尚美館(貴賓館)屋根の蒼鷺

 
平安神宮にて(左7月、右2月) 尚美館(貴賓館)(左写真は南側、右写真は玄関)


京都市左京区平安神宮にて(5月) 東神苑栖鳳池庭園 写真クリックで東神苑駒札拡大

 
京都市左京区平安神宮にて(5月) 尚美館貴賓館)(左写真は玄関 右写真は北


京都市左京区平安神宮にて(5月) 斎館・社務所

 
 
平安神宮にて(2月) 栖鳳池の南にある平安神宮会館 右は栖鳳池の西にある尚美館


京都市左京区平安神宮にて(5月) 栖鳳池と結婚式場のある平安神宮会館

 
京都市左京区平安神宮にて(5月) 平安神宮の鬼門(東北)鎮守 地主社 クリックで駒札


 平安神宮にて(2月) 蒼龍池の地主社 

 
京都市左京区平安神宮にて(5月) 社務所横にある歴史記念物
秀吉建造の三条、五条大橋の橋脚 蒼龍池の臥龍橋に使用

 
京都市左京区平安神宮神苑にて(5月) コウホネ (左)西神苑白虎池 (右)東神苑蒼龍池

  
京都市左京区平安神宮神苑南神苑にて(5月) 写真左から蘿蔔(すずしろ)大根(だいこん)
菘(すずな)蕪(かぶ) (御形(ごぎょう) 母子草(ははこぐさ)春の七草


粟田
京都市
粟田神社

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旅立ち守護の神様
東海道に通じる粟田口に鎮座し、古くから旅立ち守護の神様
として崇敬されている。青蓮院門跡の東北、歩いて僅かの処にある



  京都市東山にて(2月) 粟田神社本殿 神社縁起 


 京都市東山にて(2月) 粟田神社由緒 
クリックで拡大


京都市東山にて(2月) 粟田神社参道 二の鳥居

東山区粟田神社にて(2月) 左から太郎兵衛神社 北向稲荷神社

 
 京都市東山にて(2月) 粟田神社 舞殿 右は大燈呂(津軽の「ねぶた」の発祥とも云われている



東山にて(2月) 粟田神社内  朝日天満宮(左)


木嶋
京都市太秦
木嶋坐天照御魂神社
蚕の社

(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)

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三柱鳥居のある太秦の神社
「元糺の池」の中に柱が三本で三正面、上からの形は三角形となっている三柱鳥居(三ッ鳥居)がある。
鳥居は、京都三鳥居の一つとされている。京都にはこれを模したもので、南禅寺大寧軒にもある。
東京墨田区の三井家の守護社三囲神社にも、三井家より移された三柱鳥居がある。

 
京都市 太秦 木嶋神社(このしまじんじゃ)蚕神社(かいこのやしろ)拝殿 拝殿の左の元糺の池と三本柱の鳥居がある

写真右は元糺の森「元糾の池」にある三柱鳥居 これを模したものが南禅寺大寧軒ほか全国数カ所にある。
三柱鳥居の呼び方は広辞苑では「みつばしらとりい」、ウィキペディアでは「みはしらとりい」となっている。


 
京都市太秦にて(11月) 蚕の社木嶋神社(このしまじんじゃ) 正面は拝殿 右写真は本殿(その奥に東本殿(蚕の社)がある)

   
京都市太秦にて(11月) 嵐電蚕の社駅 蚕の社境内図(クリックで拡大) 蚕神社の碑

 
京都市太秦木嶋神社(11月) 説明板 クリックで拡大


松尾
京都市嵐山
松尾大社
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太秦の秦氏ゆかりの神社
大宝元年(701年)勅命により秦忌寸都理(はたのいみきとり)が現在地に社殿を造営し、
山頂附近の磐座から神霊を移し、娘を斎女として奉仕させた。太秦の秦氏族秦都理(はたのとり)が
松尾大社を祀った。伏見稲荷も秦氏による。以降、明治初期まで、秦氏が神職を務めた。



京都市嵯峨嵐山松尾大社にて(11月) 大鳥居と神社会館

   
京都市嵯峨嵐山松尾大社にて(11月) 中の鳥居 右は境内図(写真クリックで配置図

 
 京都市嵯峨嵐山松尾大社にて(11月) 授与所 右は社務所 


 京都市嵯峨嵐山にて(11月) 松尾大社楼門 

 
 京都市嵯峨嵐山松尾大社にて(11月) 楼門 右は拝殿

 
京都市嵯峨嵐山松尾大社にて(11月) 亀と鯉 右は霊亀瀧の瀧御前社

 
京都市嵯峨嵐山松尾大社にて(11月) 曲水の庭 右は参道 


御髪
京都市嵯峨
御髪神社

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日本で唯一、髪の毛にご利益のある神社
御髪
(みはつ)神社は髪の毛にご利益のある神社。京都市理美容業界により
髪の健康を祈願し、昭和36年に創建された。ご祭神に髪結いの祖である藤原
采女亮政之
(ふじわらのうねめのすけまさゆき)という鎌倉時代の人が祀られている

 
嵯峨嵐山小倉池にて(11月) 御髪神社 


嵯峨嵐山小倉池にて(11月) 御髪神社付近の紅葉


車折
京都市嵯峨
車折神社嵐山頓宮

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学業成就・試験合格、商売繁盛、
良縁成就、交通安全、芸能向上のパワースポット

ご祭神は平安後期の儒学者清原頼業である。頼業一族には三十六歌仙の清原元輔とその娘、
清少納言らがいる。公は九条兼実から、その才を尊ぶべしと称えられた人物で
、公の死後、法名に因んで
宝寿院という寺が創建された。この寺は足利尊氏の天龍寺創建により、その末寺となった。後嵯峨天皇が嵐山への
御遊幸の砌、社前て牛車の轅(ながえ)が折れたことから、車折(くるまざき)神社と称するという。


  
京都嵐山渡月橋にて(11月) 車折神社(くるまざきじんじゃ)嵐山頓宮(別社)
神社の前に史跡琴きき橋がある 公式HP  
クリックで拡大


野宮
京都市嵯峨
野宮(ののみや)神社
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黒木の鳥居で知られる縁結びの神社
伊勢神宮に奉仕する斎王が伊勢に向う前に潔斎をした「野宮」に由来する神社である。
また、源氏物語「賢木」の巻、謡曲「野宮」の題材ともなっている。境内社の野宮大黒天は
縁結びの神として有名。鳥居は樹皮がついた古代形式の黒木の鳥居である。



京都市嵯峨にて(11月) 伊勢斎宮・源氏物語ゆかりの野宮神社
野宮大黒天はえんむすびの神様、白福稲荷大明神は子宝安産の神様


 
京都市嵯峨にて(11月) 源氏物語ゆかりの野宮神社


京都市嵯峨にて(11月紅葉の前) 源氏物語ゆかりの野宮神社 黒木の鳥居

 
京都市嵯峨にて(11月)野宮神社 クリックで拡大 右は境内の旧宮跡


京都市嵯峨
寺院内鎮守社・関係社
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京都市嵯峨天竜寺にて(11月) 「八幡宮」

 京都嵯峨大覚寺にて(11月) 「五社明神」 

 京都市嵯峨清涼寺にて(11月)
「愛宕権現社」

京都市嵯峨嵐山月読神社にて(11月)
松尾大社の東子授け・安産祈願所 

 
京都市嵐山法輪寺にて(11月) 電電宮 


上賀茂
京都市
上賀茂神社
賀茂別雷神社

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葵祭で知られる賀茂氏の氏神を祀る神社
上賀茂神社は賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに古代の賀茂氏の氏神を祀る
神社であり、賀茂神社(賀茂社)と総称される。賀茂神社両社の祭事である葵祭で有名である。
参考


 
京都市上賀茂神社 賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ)にて(8月) 楼門(重文)

 
 京都市上賀茂神社にて(8月) 細殿(重文)と立砂 右は一の鳥居


京都市上賀茂神社にて(8月) 二の鳥居へ 右は外幣殿(重文)

上賀茂神社にて(5月)(TM氏) 15日の加茂祭の準備(12日)

 
京都市 上賀茂神社にて(3月)(TM氏) 二の鳥居   5日の加茂祭に備え御禊の儀などが12日に行われた(3月)

 
 京都市上賀茂神社にて(8月) 「片岡社」(重文) 屋根付きの「片岡橋」(重文)

 
京都市上賀茂神社にて(8月) 外幣殿(重文) 右は楼門から中門 この奥に本殿(国宝)

 
京都市上賀茂神社にて(8月) 奈良神社と奈良鳥居  右は細殿(重文)前 奥に楼門

 
 京都市上賀茂神社にて(8月) 門前の社家 右写真は神馬舎(日祝日のみ神馬が居る)前から二の鳥居へ 


 京都市上賀茂神社にて(8月) 須波神社(重文) 

京都市 上賀茂神社 御所桜(5月) (TM氏)

 
 京都市上賀茂神社にて(8月)



下鴨
京都市
下鴨神社

賀茂御祖神社
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上賀茂神社とともに葵祭で知られる賀茂氏の神社
下鴨神社は賀茂御祖神社と呼ばれ、賀茂神社総社である。上賀茂神社と併せて、
賀茂社」とも呼ばれている。「御祖」とは、上賀茂神社の祭神「賀茂別雷大神」の母が
玉依媛命であり、外祖父が賀茂建角身命であることからといわれている。
参考


 京都市下鴨神社 賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)にて(8月) 楼門 


 京都市下鴨神社にて(8月) 正面鳥居  

京都市下鴨神社にて(8月) 本殿(国宝) ガラス越しに撮影

 京都市下鴨神社にて(8月) 特別公開の「大炊殿(おおいどの)」

 京都市下鴨神社にて(8月) 中門に入る巫女 

 京都市下鴨神社にて(8月) 舞殿 

 京都市下鴨神社にて(8月)  橋殿 

 京都市下鴨神社にて(8月) みたらし社と禊の場

みたらし団子発祥の地
 
 京都市下鴨神社にて(8月) 巫女の研修 右写真は三井社への門



 京都市下鴨神社にて(8月)

 京都市下鴨神社にて(8月) 三井社 (西社 中社 東社)

 京都市下鴨神社にて(8月) 縁結びの「相生社」 

 京都市下鴨神社にて(8月) 輪橋 

 京都市下鴨神社にて(8月) 葵祭ゆかりの「双葉葵」 
フタバアオイ 
ウマノスズクサ科 カンアオイ属

葵祭は5月15日に平安貴族そのままの姿で
総勢500名以上の列をつくり、京都御所を出発し、
下鴨神社を経て上賀茂神社へ向かう。
古くは賀茂祭と呼ばれたが江戸時代の1694年
(元禄7)に祭が再興されてのち、内裏宸殿の御簾
をはじめ、牛車、勅使供奉者の衣冠、牛馬に
いたるまで、葵の葉で飾るようになって、
この名があるとされる。

 京都市下鴨神社にて(8月) 糺の森 東京ドームの約3倍の面積

京都市下鴨神社にて(8月) 君が代の「さざれ石」

 京都市下鴨神社にて(8月) 中門 

 京都市下鴨神社にて(8月) 楼門(内側)と楼門回廊


與杼
京都市伏見区 旧郷社
與杼(よど)神社

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千年以上前に佐賀の與止日女(ヨドヒメ)神社
より淀大明神として勧請した由緒深い神社

僧の千観内供が応和年間(961〜)に肥前国佐賀郡に鎮座の與止日女(ヨドヒメ)神社より、
淀大明神として勧請したが、延喜式(901年〜)第9巻「山城国乙訓郡」によれば、與杼神社の名が
あり、応和年間より以前に鎮座していたらしい。後に桂川河川敷の拡幅工事により、明治35年に、
現在の淀城址内に遷座された。
本殿・拝殿は良く当初の建築様式を保存していたので、昭和46年
本殿と拝殿の二棟が国の重要文化財に指定されたが、本殿は、昭和50少年の花火により
本殿は全焼
した。現在の本殿は昭和55年3月に再建されたもの。参考


京都市伏見区淀にて(6月) 與杼(よど)神社参道より拝殿 御神木による鳥居


京都市伏見区淀にて(6月) 與杼(よど)神社 鳥居


京都市伏見区淀にて(6月) 與杼(よど)神社本殿(元重文)
祭神は左から順に速秋津姫命、豊玉姫命、高皇産霊神
昭和50少年の花火により本殿は全焼し、昭和55年3月に再建された

 
京都市伏見区淀にて(6月) 與杼(よど)神社 手水舎 右は拝殿(重文)


京都市伏見区淀與杼(よど)神社にて(6月) 神木大銀杏の注連縄

  
京都市伏見区淀與杼(よど)神社にて(6月) 左より川上大神、豊丸大神、長姫大神

 
京都市伏見区淀與杼(よど)神社にて(6月) 大阪淀屋寄進の高灯篭 
クリックで駒札拡大


城南
京都市伏見区 旧府社
城南離宮 城南宮

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方除、旅行安全祈願の神社
城南宮の鳥羽の地は、平安京の表玄関で交通の要衝であり、鴨川と桂川に臨む景勝地でもあった。貴族
の別荘が多く、平安時代には白河上皇が壮大な離宮(城南離宮、鳥羽離宮)を造営して院政を開始された。
白河・鳥羽・後白河・後鳥羽上皇と4代150年にわたり政治・文化の副都心の賑わいを見せた。白河上皇や
鳥羽上皇は熊野詣の精進所として城南離宮を選ばれ、7日程籠って身を清め、道中の安全を祈願された。
方違えの宿所に城南離宮が選ばれ、方角の災いを除く「方除、旅行安全」の信仰の場となった。


京都府伏見区にて(5月) 曲水の宴城南宮 正面

 
京都市城南宮にて(11月) 熊野出立の城南宮本殿 右は本殿祭壇  右の祭壇クリックで熊野詣出立の地説明板

 
京都府鳥羽伏見にて(1月) 城南宮 初詣の列  右は同城南宮にて(10月) 拝殿

 
京都府伏見区にて(5月) 城南宮舞殿 左写真クリックで拡大

   
京都府伏見区城南宮にて(5月) 手水舎  中央写真は本殿狛犬  右は名水「菊水若水」の説明板 クリックで拡大

 
京都市伏見区城南宮にて(1月) 社殿と「春の山」 
クリックで3月の状態に拡大


京都府伏見区城南宮にて(3月) 梅越しの拝殿と本殿 クリックで拡大

 
京都市伏見区城南宮にて(5月) 城南宮 参道と西鳥居の扁額  クリックで拡大


京都市伏見区城南宮にて(5月) 真幡寸神社
真幡寸(まはたき)神社
城南宮の前身と言われている摂社で
先住の豪族秦氏一族の支配地であり、
秦氏の氏神であった
元の場所(鳥羽真幡木の里)から
城南宮に移されたという
明治天皇大阪へ出立の地
参考ネット
参考ネット2

写真クリックで拡大

 
京都市伏見区城南宮にて(3月) 「春の山」のしだれ梅 クリックで拡大

  
京都市伏見区城南宮にて(3月) 境内の梅(白、紅、桃色) 
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城南宮 花の庭 案内板 城南宮の里桜 


京都市伏見区城南宮にて(3月) 「春の山」のしだれ梅  クリックで拡大

 
京都市伏見区城南宮にて(1月) 桃山の庭(枯山水)  右は新緑の(5月)(クリックで拡大


伏見区城南宮内 芹川神社
(唐渡天満宮) クリックで神社名碑

京都府伏見区 城南宮 立札クリックで拡大
鳥羽伏見の戦の薩長軍陣地
 戦い跡

 
伏見区城南宮にて(1月) 城南離宮の庭 右は(3月)   クリックで拡大 

 
京都府伏見区城南宮にて(3月) 室町の庭の茶室「楽水軒」 右は西側(クリックで拡大

 
京都市伏見区にて(1月) 城南宮 平安の庭(池泉回遊式) 右は室町の庭の蹲 
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城南宮にて(11月) 三照宮社と扁額 
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京都市伏見区にて(1月) 城南宮 室町の庭(池泉回遊式) 右は同園にて(5月)(
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京都市伏見区城南宮にて(3月)  室町の庭(池泉回遊式)  クリックで拡大

 
城南宮室町の庭にて(3月) 「三角灯篭」 右は「枯れ瀧」に見立てた自然石 クリックで拡大

 
京都市伏見区にて(5月) 城南宮 平安の庭 
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伏見区城南宮にて(3月) 平安の庭より神楽殿 クリックで拡大

 
京都市伏見区にて(5月) 城南宮 平安の庭 クリックで拡大

 
伏見区城南宮にて(3月) 石水亭に展示中の、現代版画による源氏物語絵巻の一部 
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鳥羽伏見城南宮にて(1月) 東鳥居  クリックで鳥居扁額

 
京都市伏見区城南宮にて 1月の社務所と3月の斎館(客殿)  クリックで斎館の鳳凰を拡大



伏見
京都市
伏見稲荷大社
御鎮座1300年
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深草の秦氏族になる神社
全国30,000社のお稲荷さんの総本宮
稲荷大神のご鎮座は秦伊呂巨によって和銅四年(711)になったという。太秦に
本拠地をおく秦氏族の秦都理が松尾大社を祀り、その弟・深草の秦伊呂巨が稲荷大社
祀ったと云われている。太秦の秦氏族は、7世紀頃、桂川の大堰を築堤したり、奈良期から平安期に
かけて力のあった藤原氏と姻戚関係を結び、長岡遷都や平安遷都の都城の造営や、加茂川の改修等で
大いに影響を与えた。(神社HPより) 当大社内に末社長者社として秦氏がまつられている。



京都市伏見区にて(3月) 伏見稲荷大社表参道の大鳥居(西向いて撮影)


京都市伏見区にて(3月) 伏見稲荷大社表参道の大鳥居と楼門(改修後:東向いて撮影)

 
京都市 伏見稲荷大社にて(3月) 楼門(改修前) 右は改修後の楼門扁額(クリックで拡大

 
京都市 伏見稲荷大社にて(3月) 拝殿(左写真は改修前、右写真は改修後)(重文)


京都市 伏見稲荷大社にて(3月) 御幸道鳥居

伏見区にて(3月) 伏見稲荷大社 御幸道鳥居

 
京都市伏見区にて(3月) 伏見稲荷大社本殿(重文) 写真右は権殿


京都市 伏見稲荷大社にて(3月) 外拝殿


 
京都市伏見区にて(3月) 伏見稲荷大社本殿(改修後)  写真右は講務本庁と社務所(改修後)


京都市伏見区にて(3月) 西宮社

京都市伏見区にて(3月) 伏見稲荷大社白狐社

 
京都市伏見区伏見稲荷大社にて(3月) 旧社家秦氏を祀る長者社 右はその駒札


京都市伏見区伏見稲荷大社にて(3月) 末社五座

京都市伏見区伏見稲荷大社にて(3月) 長者社 荷田社


京都市伏見区にて(3月) 奥宮


京都市 伏見稲荷大社にて(3月) 史跡

京都市 伏見稲荷大社にて(3月) 神楽殿 


京都市 伏見稲荷大社にて(3月) 茶屋(重要文化財)
寛永18年(1641)禁中に出仕していた羽倉延次が、後水尾院より拝領した

 
京都市伏見区にて(3月) 伏見稲荷大社 千本鳥居(右写真中央に伊勢長関連ページへ

 
京都市 伏見稲荷大社にて(3月) 千本鳥居



京都市 伏見稲荷大社にて(3月)
おもかる石 
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京都市伏見区にて(3月) 伏見稲荷大社奥社奉拝所

京都市 伏見稲荷大社にて(3月) 玉山稲荷社 

京都市 
伏見稲荷大社にて(3月) 

 
京都市 伏見稲荷大社にて(3月) 東丸神社 右は歌碑(
クリックで拡大し読めます
「あかあかと ただあかあかと 照りゐれば 伏見稲荷の~と思ひぬ」前川佐美雄


 
京都市 伏見稲荷大社にて(3月) 後醍醐天皇御製 クリックで説明文拡大
ぬば玉のくらきやみ路にまよふなり我にかさなむ三つのともし火


八坂
京都市祇園
八坂神社
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祇園祭りで知られる神社
全国約2300社の素戔嗚尊
を祀る神社の総本社
八坂神社は祇園さんと呼ばれ、7月の祇園祭で知られる。元々「祇園神社」と呼ばれたが、
明治に「八坂神社」とされた。日本全国に約2300社ある素戔嗚尊(すさのお)を祭神とする
神社の総本社である。「日本書紀」では伊弉諾尊(いざなぎ)と伊邪那美命(いざなみ)
の間に産まれた三貴神すなわち、太陽を神格化 した天照大神(あまてらす)、月を
神格化した月夜見尊(月読つくよみ)、素戔嗚尊は海原を治めるの三貴神である。



京都市東山区 八坂神社 西楼門(重文) (TM氏) 境内配置図 左袖の神像(吽形)
 
 
京都市祇園にて(11月) 八坂神社 本殿(重文) 右は舞殿

 
 京都市祇園八坂神社にて(9月) 本殿(重文) 右写真は(11月)の舞殿(奥に本殿の右部分) 
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京都市祇園八坂神社にて(9月) 社務所と舞殿  クリックで拡大

 
 八坂神社にて (写真左はTM氏) 南楼門と現存する最大規模の石鳥居(重文) 右は9月     クリックで拡大


京都市八坂神社南楼門前にて(10月) 人力車 
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京都市祇園八坂神社にて(9月) 南楼門と斎館  クリックで拡大

  
京都市祇園にて(11月) 八坂神社 西楼門 左側の神像(吽形) 右は(9月)手水舎(
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角のある狛犬
   

 京都市祇園にて(11月) 八坂神社末社 
大国主社(おおくにぬししゃ)

忠盛灯籠(ただもりとうろう)
本殿東側の悪王子社の南隣
京都市祇園にて(11月)
八坂神社末社 
 大神宮社(だいじんぐうしゃ)
 

京都市祇園にて(11月) 八坂神社摂社
悪王子社(あくおうじしゃ)

京都市祇園にて(11月)
八坂神社内 祇園の神水

 
 京都市祇園にて(11月) 八坂神社末社 太田社(おおたしゃ)
 右は摂社 疫神社(やく じんじゃ)


吉水
京都市東山
吉水弁才天堂

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安養寺の鎮守として、弁財天女を祀る。
安養寺は
法然・親鸞両上人の念仏発祥の吉水草庵旧跡

吉水弁財天堂は安養寺の境外のお堂。最澄による創建された安養寺には、また法然上人が吉水の地に開いた
草庵が始まりで、親鸞も身を寄せた。のちに、安養寺を復興した慈鎮和尚が比叡山から弁財天を寺の鎮守として勧請
したのがこの神社。円山公園の「円山」という名前は、安養寺の山号「慈円山(じえんざん)」の「慈」を外して
命名されたもので、安養寺は、かつては円山公園の東北一帯を境内とする大きな寺院であった。


京都東山円山公園にて(11月)  クリックで9月写真を拡大
吉水弁財天堂 隣の安養寺の鎮守



北野
京都市
北野天満宮
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菅原道真を祀る天満宮の本社
延喜3年(903年)菅原道真が無実の罪で配流された大宰府で没した後、都では災害が
相次いだが、道真の祟りだとする噂が広まり、没後20年目、朝廷は道真の左遷を撤回して官位
を復し、正二位を贈った。天慶5年(942年)、多治比文子という少女への託宣に基づいて
天暦元年(947年)、現在地の北野の地に朝廷によって道真を祀る社殿が造営された。



京都市 北野天満宮 社殿 (国宝)


 
京都市 北野天満宮 三光門(中門)(重文) 右は楼門



京都市 北野天満宮 東門(重文)



 
京都市 北野天満宮 参道 右は臥牛の像
牛は天満宮の神使とされる。「道真の出生年が丑年」「命日が丑月の丑の日」「牛が刺客から道真を守った」などくの伝承による

 
京都市 北野天満宮 梅と目白 紅梅 東風吹かば匂ひおこせよ梅の花主なしとて春な忘れそ


金色に輝く社殿の吊り灯篭

京都市 北野天満宮 奉納絵馬

北野天満宮の元となった「地主社」 文子天満宮

文子天満宮は北野天満宮
創建の元となった神社。
巫女文子へのお告げにより
道真が祀られたという

説明板クリックで拡大


 京都市北野天満宮にて(2月) 北門 

京都市 北野天満宮 奉納絵馬

京都市北野天満宮にて(2月) 宗像社
御祭神:田心媛神・湍津姫神・市杵島姫神

 京都市北野天満宮にて(2月) 竃社 
 御祭神:庭津彦神・庭津姫神・火産霊神

京都市北野天満宮にて(2月)  
一之保神社 御祭神:菅原大神 
奇御魂神社 御祭神:道真公の奇御魂

 京都市北野天満宮にて(2月)
 野見宿禰神社  御祭神:野見宿禰
 豊国神社 御祭神:豊臣秀吉公 一夜松社 御祭神:一夜千松の霊


平野
京都市
平野神社

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平野桜で知られる神社。平城京の
今木神・久度神・古開神を遷座・勧請

延暦13年(794年)、桓武天皇による平安京遷都にともない、平城京
祀られていた今木神、平群郡の久度神・古開神を遷座・勧請した
のに始まる。神紋は桜で、今も平野桜の名所として名高い。

 
京都市 平野神社 写真右は(AO氏)


京都市東山 熊野若王子神社 (くまのにゃくおうじじんじゃ)


平野
京都市
六請神社

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天照大神ら六柱を勧請した古社。一時、等持院の鎮守であった。
古来より衣笠山に鎮座し、天照大神ら六柱を勧請して、六請神社となった。足利氏の
等持院創立とともに鎮守社となり、その境内に祀られたが、明治の廃仏毀釈により現地に移動した。
中世以来、この地は埋葬地となっていたことから、六地蔵の信仰と社号の六請が習合したとも云われる。
祭神は伊勢大御神、岩清水大神、加茂大神、松尾大神、稲荷大神、春日大神である。(神社駒札より)



京都市北区等持院にて(3月) 六請神社(ろくしょうじんじゃ)拝殿 クリックで拡大

  
京都市北区等持院にて(3月) 六請神社正面鳥居 クリックで拡大

 
京都市北区等持院にて(3月) 六請神社社務所  摂社 
クリックで拡大


京都市北区等持院にて(3月) 真如寺より六請神社 クリックで拡大







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