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3. 奈良 八所御霊神社 南都鏡神社 氷室神社 春日大社 瑜伽神社 手向山八幡宮 談山神社 橿原神宮 久米御縣神社 |
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八所
奈良市
八所御霊神社
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秋篠寺の鎮守であった
この神社には崇道天皇、火雷大神、伊予親王、藤原廣嗣、文屋田宮麿、橘逸勢、吉備大神、藤原夫人の
八柱が祀られている。奈良県指定の重文。奈良県指定文化財。神社は秋篠寺南門に向かって左手にある。
奈良市秋篠にて(3月) 八所御霊神社(元秋篠寺の鎮守) 位置関係
奈良市秋篠にて(3月) 八所御霊神社(元秋篠寺の鎮守) 拝殿(本殿はこの後方)
奈良市秋篠にて(3月) 八所御霊神社(元秋篠寺の鎮守) クリック拡大説明駒札
南都
奈良市
南都鏡神社
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新薬師寺の鎮守であった
806年に新薬師寺の鎮守として境内南側にて創建された。藤原広嗣が処刑
された唐津の鏡神社から勧請を受けたと伝えられる。現在の本殿は1746年に春日大社の
第三殿を譲り受け、移築されたもので、一間社春日造り建築で、奈良市指定文化財。
奈良市にて(9月) 新薬師寺に隣接する南都鏡神社 クリックで文化財説明板
奈良市にて(9月) 南都鏡神社拝殿 本殿 歌碑はクリックで拡大
「この花の一弁(ひとよ)のうちに 百種(ももくさ)の
言(こと)ぞ籠れる おほろかにすな」
「 この桜の枝には沢山の言葉が込められているので、粗末にしないで 」
万葉集 第8巻 1456番 藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ)<生年不詳〜740>
氷室
奈良市
氷室神社
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平城京に氷を献上した神社
全国の冷凍氷業界の守護
元明天皇の和銅3年、平城新都の左京、春日山に貯水を起こし氷室が作られた。これが平城氷室、
御蓋氷室または春日の氷室などとも言われ、平城京に氷を献上した。平安遷都によりこの献上制度は
廃止された。後に清和天皇が貞観2年に現在地に奉遷せられ、春日大社の別宮として興福寺、春日大社
により営繕が行われたが、明治維新後は専ら氏子と冷凍氷業界の奉賛によって維持されている。
奈良公園にて(8月) 氷室神社 四脚門 境内案内
奈良公園にて(8月) 氷室神社 拝殿・舞殿 右は本殿
奈良公園にて(8月) 氷室神社 手水舎 右は国立博物館から見た氷室神社
春日
奈良市
世界遺産春日大社
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藤原家が壮麗な社殿を造営し鹿島神宮、
香取神宮、枚岡神社から神々様をお招きした
春日大社は約1300年前、国の繁栄と国民の幸せを願い、遠く鹿島神宮から武甕槌命
(タケミカヅチノミコト)様を神山御蓋山(ミカサヤマ)山頂浮雲峰(ウキグモノミネ)にお迎えした。
神護景雲2年(768年)11月9日、称徳天皇の勅命により左大臣藤原永手が今の地に壮麗な社殿を
造営して香取神宮から経津主命様、枚岡神社から天児屋根命様・比売神様の尊い神々様を
お招きし、お祀り申しあげたのが春日大社の始まりである(春日大社HPより)
奈良市奈良公園にて(11月) 世界遺産春日大社舞殿 クリックで拡大
奈良市奈良公園にて(9月) 世界遺産春日大社舞殿 奥に御本殿 一の鳥居
奈良公園世界遺産春日大社にて(9月) 一の鳥居 二の鳥居
奈良公園世界遺産春日大社にて(5月) 二の鳥居へ 右は世界遺産春日大社碑
奈良公園世界遺産春日大社にて(5月) 御本殿 右は舞殿での巫女の舞
奈良公園春日大社にて(11月) 苔むす燈籠群(クリックで拡大) 右写真は5月の二の鳥居から慶賀門と南門への参道
奈良公園春日大社にて(5月) 左に南回廊を見て南門へ 右写真は11月でも青々と苔むす燈籠群(クリックで拡大)
奈良公園世界遺産春日大社にて(5月) 慶賀門前から直会殿の灯篭 御手洗川 右は南門
奈良公園世界遺産春日大社にて(5月) 宝物殿 右は砂ずりの藤(慶賀門前) 万葉植物園の藤へ
奈良公園世界遺産春日大社にて(5月) 右は萬葉植物園の浮舞台
注) 春日大社神苑萬葉植物園は昭和7年に萬葉集にゆかりの深い春日野の地に昭和天皇の
御下賜金によって、約300種の萬葉植物を植栽する植物園として開園された。(春日大社HPより)
奈良公園世界遺産春日大社にて(5月) 内侍門 右は清浄門
奈良公園世界遺産春日大社にて(11月) 参道のイチイガシ ブナ科 コナラ属 巨樹群 クリックで拡大
奈良公園萬葉植物園にて(5月) 古木イチイカシ 奈良市指定文化財
奈良公園春日大社イチイガシ巨樹群附近にて(11月) 山上憶良<660〜733?>歌碑2種 クリックで拡大
万葉集巻八(1537)「秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七種の花」
万葉集巻八(1538)「萩の花尾花葛花なでしこの花 をみなへしまた藤袴朝顔の花」
世界遺産春日大社にて(9月) 春日大社参道 右は夫婦大国社
世界遺産春日大社にて(5月) 夫婦大国社
世界遺産春日大社にて(9月) 参道 鹿
世界遺産春日大社にて(5月) 一言主神社 右は同春日大社にて(9月) 祓戸神社
奈良市
奈良市
瑜伽神社
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飛鳥から奈良へ興福寺と共に遷ってきた
興福寺禅定院・大乗院の鎮守
平城遷都に際し元興寺と共に、飛鳥京の鎮守を飛鳥に似たここ高畑に遷し、現在に至る。もと元興寺禅定院
の鬼門除けの鎮守・守護神として藤原氏等の厚い崇敬があった。祭神は宇伽之御魂大神。その後、禅定院内に
興福寺大乗院が移るに伴いその鎮守社となり、社名も興福寺が重んじた瑜伽の宗論に因んで改名された。
奈良市高畑にて(11月) 瑜伽神社拝殿(ネットより) 正面(クリックで拡大)
奈良市平城の飛鳥にて(11月) 瑜伽神社(重文) 東鳥居 正面鳥居と文化財駒札 クリックで拡大
奈良市平城の飛鳥にて(11月) 瑜伽神社(重文)天神社 クリックで拡大
奈良市高畑平城の飛鳥にて(11月) 瑜伽神社(重文)より見る奈良町(西南方面) クリックで拡大
奈良市高畑にて(11月) 瑜伽神社(重文)の門前町 右は天神社縁起 クリックで拡大
手向山
奈良市
手向山八幡神社
(たむけやまはちまんぐう)
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東大寺の鎮守社
大分県の宇佐八幡宮から分社
東大寺及び大仏を建立するにあたって宇佐八幡宮より東大寺の守護神として
勧請された。宇佐八幡宮からの分社の第一号である。(参考)
奈良公園にて(10月) 東大寺建立のため 宇佐八幡から分社の手向山八幡神社 右は手向山八幡神社校倉
奈良公園にて(10月) 手向山八幡神社鳥居
東大寺二月堂守護 飯道神社
談山神社
奈良県桜井市
談山神社
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中臣鎌子(藤原鎌足)と中大兄皇子(天智天皇)が
「大化改新」の談合を行った謂れの寺院。明治に神社となる
舒明・皇極二代の天皇の時、蘇我蝦夷と入鹿親子は国の政治をほしいままにしていた時、
中臣鎌子(後の藤原鎌足)は国家の正しいあり方を考えていたが、飛鳥の法興寺(今の飛鳥寺)
で蹴鞠会があったとき、聡明な中大兄皇子(後の天智天皇)にまみえることができ、西暦645年
の5月、二人は多武峰(とうのみね)の山中に登って、「大化改新」の談合を行った。後にこの
山を「談い山」「談所ヶ森」と呼び、談山神社の社号の起こりとなった。(神社HPより)
神仏分離以前は、寺院であり、多武峯寺という名称であった。
奈良県桜井市談山神社にて(2月)神社正面 背後の山は談山(かたらいやま) 右は同談山神社にて(2月) 神廟拝所 境内案内図
奈良県桜井市談山神社にて(2月) 拝殿
奈良県桜井市談山神社にて(2月) 正面は神社 楼門、左は東宝物殿 右は十三重の塔(木造)と神廟拝所
奈良県桜井市談山神社にて(2月)総社本殿 藤原鎌足公をお祀りする本殿は、もと聖霊院、大織冠社、多武峰社とも呼ばれた
奈良県桜井市談山神社にて(2月) 東門 十三重の石塔 淡海公(藤原不比等)の墓
奈良県桜井市談山神社にて(2月) 東殿(恋神社) 右は蹴鞠の鞠
奈良県桜井市談山神社にて(2月)
奈良県桜井市談山神社にて(2月) 木造の十三重の塔 |
奈良県桜井市談山神社にて(2月) 西宝物館 奈良県桜井市談山神社にて(2月) 東宝物館 |
奈良県桜井市談山神社にて(2月)春日神社 奈良県桜井市談山神社にて(2月) |
奈良県桜井市談山神社にて(2月) |
後醍醐天皇<1288〜1339> 「花にねて よしや吉野の吉水の 枕の下に 石走る音」 奈良県吉野 吉水神社にて(10月) 吉水神社の歌碑などは 句碑・歌碑の頁にあります |
奈良県吉野にて(10月) 勝手神社 平成13年9月27日、不審火により焼失した。 現在、吉水神社に勝手神社を仮遷座しており、 再建計画中。 |
奈良県桜井市にて(2月) 山辺の道 大神神社参道の祓戸社(はらえどのやしろ) |
奈良県櫻井市にて(2月) 耐久性1300年と言う 大神神社の鋼鉄製の大鳥居 |
明日香村飛鳥坐神社にて(2月) おんだ祭が斎行される神楽殿と西良殿 |
明日香村飛鳥坐神社にて(2月) 社務所 |
明日香村飛鳥座神社にて(2月) 左に金毘羅神社、右に八坂神社 |
明日香村飛鳥座神社にて(2月) 飛鳥山口座神社 皇室の御料林の飛鳥山の山神を祀ったもの |
明日香村飛鳥座神社にて(2月) 折口信夫 「ほすすきに 夕雲ひくき 明日香のや わがふるさとは 灯をともしけり」 |
明日香村飛鳥座神社にて(2月) 白髭神社 天照大神を伊勢神宮まで導いた神様、猿田彦神が 祀られている |
明日香村飛鳥座神社にて(2月) 作者不詳「待つ春や源となる神の石」 |
明日香村飛鳥座神社にて(2月) 末社 |
飛鳥座神社奇祭「おん田祭」 |
参考
(写真と文章はネットより転載) 「おん田祭」は、天狗と翁の面をつけた 村の若い衆が、村内を「厄払い」と云いながら ササラを振り回して暴れ、15:00〜神楽殿で、 田鋤き、田均しの所作を演じ次に神主が 種籾をまく所作をし、次の太鼓でお多福と天狗が 写真のように夫婦和合の神事を行う。五穀豊穣・ 子孫繁栄を祈る奇祭で、使用された福の紙を 持ち帰ると子宝に恵まれるという。 |