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野々上
大阪市
淀川神社
旧十五神社

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俳人与謝蕪村が氏子であった鎮守
神社の近くに蕪村公園、蕪村生誕地碑がある

地域総鎮守の十五神社は明治42年11月、政府令によりご神霊が旭区の大宮神社に合祀され、
社殿があって御神霊なしの状態となっていた。そこで旧村の有志らが起ち上がり、昭和28年10月、
遷座祭を行い、社殿に御神霊を戻し、毛馬町・大東町・友渕町の総鎮守淀川神社として返り咲いた。
この村で生まれた蕪村の生誕300年顕彰して、記念銅像が平成28年1月に設置された。



大阪市都島区にて(3月) 淀川神社 クリックで拡大 

 
大阪市都島区にて(3月) 淀川神社 全景と正面鳥居 クリックで拡大 


大阪市都島区にて(3月) 淀川神社正面鳥居扁額 クリックで拡大 

 
大阪市都島区にて(3月) 淀川神社境内にある氏子与謝蕪村像 クリックで拡大
蕪村像はH28.1.22蕪村生誕300年を顕彰記念に設置された。


平成28年1月22日 産経新聞記事より 蕪村像除幕式 クリックで拡大

 
大阪市都島区にて(3月) 淀川神社 手水舎と口を赤く染めた新しい狛犬(阿) クリックで拡大


大阪市都島区にて(3月) 淀川神社が勧請した十五の神社名
淀川神社は以前、十五神社と呼ばれた
 クリックで拡大
御祭神は天照大御神住吉大神、生野大神、八幡大神、稲荷大神加茂大神松尾大神
大原野大神、子守大神、春日大神、布留大神、廣田大神熊野大神、白山大神、三十川大神の十五社


 
大阪市都島区淀川神社にて(3月) 鳥居(内側より) 稲荷社 クリックで拡大 

  
大阪市都島区にて(3月) 淀川神社に近い淀川堤防にある蕪村生誕地碑 クリックで拡大 

  
大阪市都島区にて(3月) 淀川神社の前の蕪村公園のパネルより 蕪村像 蕪村作の芭蕉旅立ち図 春風馬堤曲 クリックで拡大
春風馬堤曲<関西大学図書館蔵>は日本文学上、特異な名作と言われる(蕪村顕彰俳句大学HPより)
蕪村顕彰俳句大学は、NPO法人近畿フォーラム21」が、大阪府・大阪市等の後援を受けて平成22年に市民講座として開講したもの。
「俳句講演や俳句つくり句会」を毎月開催し、年に2回受講者からの優秀句を選考して「表彰」をしている。


 
大阪市都島区にて(3月) 淀川神社における蕪村生誕300年記念銅像除幕式と蕪村の説明板 クリックで拡大


平成28年12月15日 産経新聞記事より 淀川を行く「毛馬の風景」 クリックで拡大


野々上
羽曳野市
野々上八幡神社
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野中寺の鎮守で八幡大菩薩を祀る
明治の廃仏毀釈により分離された

「中之太子」野中寺に隣接する野々上八幡神社(ののうえはちまんじんじゃ)は八幡大菩薩を祀る。
南北朝時代に兵火で野中寺とともに焼失したが、寛文年間(1661~)の頃、 野中寺の鎮守社として再建された。
後に1868年に神仏分離令により野中寺と分離し村社となった。近年に灌漑用池売却金で改築された。



大阪府羽曳野市にて(4月)  野々上八幡神社(野中寺の西に隣接)正面鳥居

 
大阪府羽曳野市にて(4月)  野々上八幡神社参道石段  写真左クリックで拡大

 
大阪府羽曳野市にて(4月)  野々上八幡神社拝殿(クリックで拡大)  右は本殿

 
大阪府羽曳野市にて(4月)  野々上八幡神社手水舎 右の上印池顕彰之碑はクリックで拡大
上印池顕彰之碑は、都市化による灌漑用池「上印池」の廃止に伴い、その売却金を野々上神社の本殿、
拝殿等の改築、野中寺山門の再建助成、墓地の整備その他に充当したことを顕彰するものである。

 
大阪府羽曳野市にて(4月) 野々上八幡神社境内の「平和の社」 
説明碑はクリックで拡大
「平和の社」は灌漑用池「上印池」の廃止に伴う益金により設置された。



許麻
八尾市
許麻神社

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1100年前の創建とされ
渡来人氏族の祖霊を祀る神社に由来する
江戸時代には久宝寺の牛頭天王と呼ばれた

許麻神社は延喜式神名帳にあり、1100年以前より存在していた由緒ある神社である。
江戸時代には久宝寺牛頭天王と呼ばれた。許麻は高麗に通じ、この地は巨麻荘、許麻荘といい、
多くの渡来民族が住んだ。彼らが祖霊を祭祀したのが、後に神社となったらしい。かって、
この神社内に聖徳太子の創建になる久宝寺観音院があったが、戦国時代に消失した。
太子作と伝わる十一面観音は難を逃れ、現在、近くの念仏寺に安置されている。
久宝寺観音院は寛文7年(1677)再興されたが、明治の神仏分離で廃寺となった。


八尾市久宝寺にて(5月) 許麻神社 正面鳥居 正面拝殿は修理中(H25.5現在)

  
八尾市久宝寺にて(5月) 許麻神社 拝殿(H25.5現在修理中 ネットより転載)
クリックで拡大

 
八尾市久宝寺にて(5月) 許麻神社 末社 厳島神社


三光
大阪市天王寺区

三光神社

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約1600年前に創建され、その末裔が
今も神職を務める由緒深い神社。境内に真田幸村像
があり、大阪城への抜け穴と言われる跡もある

七福神の寿老神として祭られ、景行、成務、仲衷、応神仁徳の五朝に歴任し
我が国最初の大臣で、日本で一番長寿であったと伝えられる武内宿禰の末裔の武川氏が
神職として奉職し、現在は86代目と伝わる。



大阪市天王寺区宰相山公園にて(5月) 三光神社 本殿 天照大神月読尊素戔嗚尊を祀る。

 
大阪市天王寺区宰相山公園三光神社にて(5月) 左から東鳥居 大阪城への抜け穴跡と眞田幸村像


 
大阪市天王寺区宰相山公園にて(5月) 三光神社参道


 
大阪市天王寺区宰相山公園にて(5月) 三光神社駒札 三光神社本殿の真田幸村の鎧

 
大阪市天王寺区宰相山公園にて(5月) 三光神社

 
大阪市天王寺区三光神社にて(5月) 三光神社参道 寿老神


安居
大阪市天王寺区
安居神社(安居天満宮)

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大阪名物「粟おこし」の商標に菅公梅鉢紋が使われているが、この神社が発祥。
真田幸村終焉地でもある。この神社付近は古典落語の天神森で、当時は神社の近くまで海
であった景勝地。大丸百貨店の創業者下村彦右衛門が信仰篤く大丸天神とも云われる

当社は約1400年前、聖徳太子が四天王寺を建てた頃と伝わる。祭神は少彦名神と菅原道真。境内は落語に出る
天神森、安井森とも称された景勝地。昌泰4年(901)道真が筑紫に左遷される途中、藤井寺の道明寺の叔母を訪ねたあと
四天王寺に参拝し、この安居神社で休息したという。当時の村民が、もち米を蒸して乾かした「おこし米」を献上
したのが、大阪名物「おこし」の始まりで、「粟おこし」の商標に菅公の梅鉢紋が使われている。社名は
四天王寺の僧侶が結夏90日間、安居した「安居院(あんごいん)」からきているらしい。



大阪市天王寺区安居神社(やすいじんじゃ)にて(8月) 拝殿(後ろに本殿がる)


大阪市天王寺区安居神社にて(8月) 本殿

 
大阪市天王寺区安居神社にて(8月) 南入口 右は神社由緒略記(クリックで拡大


大阪市天王寺区安居神社にて(8月) 吉田松陰辞世の句と境内案内図(クリックで拡大
吉田松陰の辞世の句
親思ふ 心にまさる親ごころ けふの音づれ 何と聞くらん

 
大阪市天王寺区安居神社にて(8月) 神社名碑「安居天満宮」 右は裏側「演劇堂」とある

 
大阪市天王寺区安居神社にて(8月) 


大阪市天王寺区にて
安居天満宮碑(TM氏)

大阪市天王寺区にて 真田幸村像と戦死跡碑(TM氏)

 
大阪市天王寺区安居神社にて(8月) 

  
大阪市天王寺区安居神社にて(8月) 参道(参道の左は安居ビル) 真田幸村戦士跡の碑)
右端は真田幸村像設立趣意(説明駒札はクリックで拡大 真田幸村の上田城


 
天王寺区安居神社にて(8月) かんしずめの井(安井の清水) 説明駒札(クリックで拡大

 
大阪市天王寺区安居神社(安居天満宮)にて(8月) 手水舎と牛の像

 
大阪市天王寺区安居神社にて(8月) 稲荷神社(摂社)   写真右は淡島大神(摂社)


 
     
平成28年7月14日 産経新聞より  クリックで拡大


大阪市天王寺区にて(8月) クリックで拡大
あべのハルカスより安居神社を展望 左手前は一心寺
中央の森が安居神社(建物は見えない)


大江
大阪市天王寺区
大江神社
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四天王寺の鎮守として聖徳太子の創建
になる
四天王寺七宮の一つである
大江神社は四天王寺鎮守社の一つで、四天王寺の乾(西北)に位置しているので、
乾社と呼ばれ、また毘沙門天を祀っていたので、「毘沙門堂」とも呼ばれた。後に、
慶応三年(
1867)この地が昔、大江の岸と呼ばれていたので大江神社と改称された。
毘沙門天は明治維新後の神仏分離で大津坂本に移ったという。祭神は 豊受大神、
素盞嗚尊、欽明天皇、大己貴命、少彦名命である。由緒駒札



大阪市天王寺区にて(5月) 大江神社 東鳥居


大阪市天王寺区にて(5月) 大江神社 夕日岡の碑

大阪市天王寺区にて(5月) 大江神社 参道石段(百歳の階段)

 
大阪市天王寺区にて(2月) 大江神社参道下の西鳥居 石段は百歳の階段
 駒札はクリックで拡大


大阪市天王寺区にて(2月) 大江神社 拝殿


大阪市天王寺区にて(5月) 大江神社 拝殿

 
大阪市天王寺区にて(5月) 大江神社 本殿 右は拝殿

 
大阪市天王寺区にて(5月) 大江神社 拝殿  右は由緒駒札(クリックで拡大

 
大阪市天王寺区にて(5月) 大江神社 絵馬堂 右は日吉稲荷大明神

 
大阪市天王寺区にて(5月) 大江神社 社務所  右は手水舎

 
大阪市天王寺区にて(2月) 大江神社内大江護国神社 山口藩殉難諸士招魂碑


大阪市天王寺区にて(5月) 大江神社内 羽呉神社
鳥居の向うに珍しい阿吽狛虎の奥に、毘沙門堂があったらしい。
今は阪神タイガースのファンが来る。左が「吽形」、右が「阿形」の狛虎
(参考)京都市鞍馬寺 にも阿吽の虎がある。大阪府枚岡神社(元春日)には狛鹿



大阪市天王寺区にて(4月) あべのハルカス 最上階展望室より夕陽ヶ丘
大江神社と愛染堂(勝鬘院)を展望



坐摩
大阪市中央区 旧官幣中社
坐摩神社
(いかすりじんじゃ)
<通称ざまじんじゃ>
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摂津国一ノ宮で元は旧淀川天満渡辺津
(現在の天満橋の川下あたり)にあった

全国の渡辺・渡部の姓の発祥の地
坐摩大神(いかすりのおおかみ)は、神武天皇が即位されたとき、宮中に奉斎されたのが起源。
坐摩の語源は居住地を守るという意味といわれ、神功皇后が新羅より御帰還の折、旧淀川南岸の渡辺の地
(現在の天満橋の西)に奉祀された。平安時代延喜式には攝津國西成郡の唯一の大社、産土神として今日に
至っている。天正
10(1582)豊臣秀吉大坂築城に当たり命により現在地に遷座された。現在の鎮座地名を
渡辺と称するのも、元の地名が移されたもので、全国の渡辺・渡部の姓の発祥の地でもある。
鳥居は三輪鳥居(三ツ鳥居)と云われるめずらしいもの


大阪市中央区にて(12月) 坐摩神社正面(御堂筋の一つ西の道路より)
この鳥居は奈良桜井の大神神社にある三輪鳥居(三ツ鳥居)と同じもの
写真をクリックすると神社HPの拝殿が出ます


大阪市中央区にて(2月) 坐摩神社鳥居内側 
クリックで拡大

 
大阪市中央区坐摩神社にて(12月) 陶器製の狛犬


大阪市中央区坐摩神社にて(2月) 拝殿 クリックで拡大

 
大阪市中央区坐摩神社にて(2月) 拝殿 左右斜めから 
クリックで拡大


大阪市中央区坐摩神社にて(12月) 拝殿
写真をクリックすると神社HPの本殿と拝殿の鳥瞰写真が出ます

  
大阪市中央区坐摩神社にて(12月) 左は君が代碑 中央は神社碑 右は神社祭神説明板(
クリック拡大
生井神 福井神 綱長井神 波比岐神 阿須波神が祀られている

 
中央区坐摩神社にて(12月) 大きな社務所ビルと境内の紅葉

 
中央区坐摩神社にて(12月) 三叉の蕾と拝殿横の狛犬(一方のみ)

  
大阪市中央区にて(2月) 坐摩神社 大阪神社庁 右写真は社務所 
クリックで拡大

 
大阪市中央区坐摩神社にて(12月) 境内社左は「繊維神社」扁額拡大 右は「大国主神社」扁額拡大 
夫々クリックで2月撮影拡大写真

 
大阪市中央区坐摩神社にて(12月) 境内社左は「相殿神社」扁額拡大 右は「大江神社」扁額拡大 
夫々クリックで2月撮影拡大写真

 
大阪市坐摩神社にて(12月) 境内社「天満宮」 坐摩神社にて(12月) 明治天皇聖躅
(せいちょく)
明治元年(1868)の明治天皇大阪行幸の際に、当社に御親拝なされ、相撲を天覧された。
右は境内社「天満宮」扁額拡大 クリックで2月撮影拡大写真

  
大阪市坐摩神社にて 左写真は(2月)防火陶器神社 中央写真は(12月) 右写真は(2月)稲荷神社 
夫々クリックで拡大

 
大阪市坐摩神社にて(12月) 陶器の灯篭 左は皇太子御成婚奉祝記念灯篭(信楽焼)
平成23年10月19日(水)に公益社団法人・
上方落語協会による「上方落語寄席発祥の地」
顕彰碑の奉納奉告祭・除幕式が行われた。
江戸時代後期、当社境内に上方落語の中興の祖
である初代桂文治が初めて開いた咄の席が
上方落語の寄席興業の始まりとされ、
このたびその業績を顕彰し、原点の証として
碑を奉納された。(神社HP

顕彰碑はクリックで拡大

生国魂神社の米澤彦八と並んで大阪の
神社では大阪落語が重要なイベントで
あったと思われる。
生国魂神社

 
大阪市坐摩神社にて(2月) 西側鳥居  クリックで拡大  

 
大阪市坐摩神社にて(2月) 渡辺町の由来 陶器神社の由来説明板
クリックで拡大


生国魂
大阪市 旧郷社

土佐稲荷神社

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三菱の守護神、元は土佐藩大阪蔵屋敷の鎮守
岩崎彌太郎が土佐藩より土地とともに譲渡された神社
堺事件での土佐藩士切腹の順番をくじ引きした神社
妙國寺のページへ
江戸時代、土佐藩大阪蔵屋敷に隣接する長堀川(現長堀通)鰹座橋のほとりに神社が祀られていた。
この神社に土佐藩第6代藩主山内豊隆が、京都の伏見稲荷から稲荷大神を観請。土佐稲荷神社として土佐藩邸、
蔵屋敷の守護神とした。山内家は参勤の際に必ず立ち寄り参拝した。明治に岩崎彌太郎がこの地を取得した後は、
三菱の守護神とした。(神社HPより)
終戦で、山内家子孫の宮司が引退し、三菱商事大阪支店総務部土佐稲荷担当
の西代(にしんだい)大造氏が神主の資格を得、昭和23年に宮司。戦災復興に努めた。平成5年、西代耕三宮司の時、
三菱金曜会が社殿の建て替えに協力。現在の西代良行宮司の平成21年、新社務所と参集殿を完成した。(参考

 
大阪市西区にて(1月) 土佐稲荷神社 本社殿 
右写真は扁額  神社説明へ クリックで3月拡大

  
大阪市西区にて(1月) 土佐稲荷神社 本社殿への参道 クリックで拡大

  
大阪市西区にて(3月) 土佐稲荷神社 本社殿への南参道 右は東参道 クリックで拡大

  
大阪市西区にて(1月) 土佐稲荷神社 左から社務所(神主は元三菱社員) 本社殿 奥の院 クリックで拡大


大阪市西区にて(1月) 土佐稲荷神社 本社殿への神社遠景 境内の3月31日満開の桜 クリックで拡大

  
大阪市西区にて(1月) 土佐稲荷神社 本社殿への神社遠景 クリックで拡大

   
大阪市西区にて(1月) 土佐稲荷神社 社務所 社務所玄関上と本社殿の三菱の紋 左右の写真は神社駒札 クリックで拡大

  
大阪市西区土佐稲荷神社にて(3月) 末社
若宮社 境内神社石宮社 クリックで拡大 境内配置図

   
大阪市西区にて(1月) 土佐稲荷神社境内末社 左から大黒社 源八社 玉根社 磐居社 クリックで拡大

  
大阪市西区土佐稲荷神社にて(1月) 
写真左は東から撮影 中央は本殿から南を撮影 右は西を向いて撮影 クリックで拡大

  
大阪市西区にて(1月) 土佐稲荷神社境内展望 手水舎 神馬 伊勢方向遥拝書 クリックで拡大

 
大阪市西区土佐稲荷神社にて(3月) 大阪空襲平和を祈る 写真右は土佐藩邸跡に立つ11階の公団住宅
司馬遼太郎が10階に、元野球監督野村克也や森光子も住んだ)
 現代建築のページへ
 クリックで拡大

   
大阪市西区土佐稲荷神社にて(3月) 岩崎家旧邸址の碑と説明板 岩崎弥太郎舊邸址のページへ クリックで拡大

   
大阪市西区土佐稲荷神社にて(3月) さくら祭りの屋台と金魚すくい 本店の開運干支 春の境内風景 クリックで拡大

    
大阪市西区土佐稲荷神社にて(1月) 境内風景と宝井其角の句碑
明星や桜さざめぬ山かつら」 歌碑は不詳 クリックで拡大

   
大阪市西区土佐稲荷神社にて(1月)  兵庫谷源次郎の感謝の碑 
クリックで拡大


国魂
大阪市西淀川区

田蓑神社

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江戸の佃島が大坂の佃町に由来することを伝える古社
東京の佃島と佃煮は、大阪の佃漁民が移住して作った。家康が神崎川・猪名川を
のぼって多田神社への参拝の折、漁民から受けた恩に報い、江戸へ移住させ漁業権を与えた。

 
西淀川区佃にて(1月) 田蓑神社 正面鳥居 右は佃漁民ゆかりの地碑 
クリックで拡大
正面鳥居説明板および佃漁民ゆかりの地碑説明板
平成28年1月21日付け 産経新聞 佃魚民ゆかりの地の記事は遺跡のページ佃漁民ゆかりの地にあり。

 
西淀川区佃にて(1月) 田蓑神社 拝殿と扁額 クリックで拡大

  
西淀川区佃にて(1月) 田蓑神社 本殿 クリックで拡大
住吉の四柱 底筒之男命(そこづつのおのみこと) 中筒之男命(なかづつのおのみこと)
表筒之男命(うわづつのおのみこと) 神功皇后(じんぐうこうごう)が祀られている

  
西淀川区佃にて(1月) 田蓑神社 正面鳥居前の二本柱の古式鳥居 クリックで拡大
右は阪神淡路地震で倒壊後に新設された標柱(表と裏) 倒壊した標柱はモニュメントとして境内に保存。

 
西淀川区佃にて(1月) 田蓑神社参道 左は主面鳥居から北を、右は拝殿から南を見る クリックで拡大

 
西淀川区佃にて(1月) 田蓑神社境内社の鳥居をくぐると
左に東照宮、七重之社、稲生社、金比羅宮がある 
クリックで拡大

  
西淀川区佃田蓑神社にて(1月) 大東亜戦争で亡くなった英霊を慰霊。   上の写真すべてクリックで拡大
中央写真は佃漁民ゆかりの地碑と並んで立つ紀貫之歌碑。紀貫之が田蓑嶋(現在の佃)に立ちより、詠まれた歌、
古今和歌集巻十七にある。「
雨により 田蓑の嶋を けふゆけど なにはかくれぬ ものにぞありける
右写真は、「大和物語」より作られた謡曲「芦刈」ゆかりの地碑(内容は神社HP参照) 

 
西淀川区佃田蓑神社にて(1月) 震災復興モニュメント 
クリックで拡大
 平成7年1月17日の阪神・淡路大震災で、田蓑神社も、拝殿の傾き、社務所の全壊、鳥居、灯篭、参道等多大なる被害
を受けたが、10月15日に早くも復興し、秋の大祭を行うことができた。 折れた標柱は復興のシンボルとして建立された。
右の句碑は 日野資枝<1737-1801>「
宮つくる 田蓑の嶋の 神垣を いのればやがて まもりますらし

 
西淀川区佃田蓑神社にて(1月) 社務所 手水舎 クリックで拡大



生国魂
大阪市

高津宮

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民のかまどの煙から窮乏をしり、免税された仁徳天皇の古都浪速高津宮。
天皇が煙を見られた高殿があるが、高津宮はもとは高津高校あたりにあったらしい。

高津宮は浪速の地を皇都(高津宮)と定め、大阪隆昌の基を築かれた仁徳天皇を王神と仰ぐ神社である。
仁徳天皇が高殿から民の炊煙を見られ窮乏を察し、免税された。それを慕い平安期の清和天皇が貞観8年(866)勅命に
より旧都の遺跡を探索して社殿を築いてお祭りした。以後、皇室、幕府等の度々の御造営寄進を重ねて浪速津の守護神と
仰がれてきたが、700年後の天正11年(1583)豊臣秀吉が大阪城築城に際し比売古曽社の現在地に遷座された。
旧都高津宮は大阪城南の難波宮址あたりであると言われている。大阪も京都、奈良と並ぶ古都であった。


大阪市中央区にて(3月) 高津宮本殿 クリックで拡大

  
大阪市中央区にて(3月) 高津宮本殿 狛犬 手水舎 クリックで拡大

  
大阪市中央区にて(3月)
 高津宮 正面鳥居 西鳥居 西坂説明駒札 クリックで拡大

 
大阪市中央区にて(3月) 高津宮 参道とヒガンザクラ クリックで拡大

  
大阪市中央区にて(3月) 高津宮 参道の梅の橋 写真右端は歌舞伎俳優の寄進垣  クリックで拡大

 
大阪市中央区にて(3月) 高津宮 参道 左写真は南方面下り 右は北(本殿)方面上り  クリックで拡大

  
大阪市中央区にて(3月) 高津宮 裏参道の上に高殿 中央写真高台之頌碑 右は高台之頌碑のある処  クリックで拡大

  
大阪市中央区にて(3月) 高津宮絵馬殿 絵馬殿前境内(左は神輿蔵、正面は文枝碑と本殿)
左写真は絵馬殿にかかる仁徳天皇の歌と右写真は高台に立つ仁徳天皇 
クリックで拡大

仁徳天皇の歌「高き屋に のぼりて見れば 烟立つ 民のかまどは 賑ひにけり

   
大阪市中央区にて(3月) 高津宮 絵馬と桂文枝の碑 クリックで拡大

 
高津宮にて(3月) 大阪市歌の碑
 全国から歌詞が募集された クリックで拡大

  
高津宮にて(3月) 左写真は境内(全面は本殿) 中央写真は北門 右写真は北斜面 クリックで拡大

  
高津宮にて(3月) 左写真は仁徳庭園 中央写真は高倉稲荷社 右写真は安井稲荷社 クリックで拡大

 
高津宮にて(3月) 左写真は高津宮北側の高津公園 右写真は高津公園の梅(麻耶紅梅) クリックで拡大

  
高津宮にて(3月) 美人画家 北野恒富の筆塚 右端写真はアベノカルカス美術館 
北野恒富展案内 クリックで拡大

  
高津宮にて(3月) 写真左は木谷蓬吟・千種顕彰碑 右端は献梅碑 クリックで拡大
木谷蓬吟は浄瑠璃研究科、妻千種は北野恒富等に学んだ日本画家である。
献梅碑には論語を伝えた渡来人王仁博士の句がある浪速津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花

   
高津宮にて(3月) 左は藤沢南岳の勧善歌碑
 南岳は通天閣や道修町の愛珠幼稚園、小豆島の寒霞渓の名付け親
右は江戸の狂歌師鉄格子波丸の歌墳 
 各写真クリックで拡大 

 
高津宮にて(3月) 
伊原セイチ作 「とこしえの舟」



生国魂
大阪市

生国魂神社

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約2670年前に神武天皇が創建したという
近松、西鶴、彦八にまつわる大阪芸能の古里

難波坐生国魂神社
(なにはにいますいくくにたまのかみのやしろ)は難波大社
(なにわのおおやしろ)とも云われ、地元では「いくだまさん」と呼ばれ親し
まれている。約2670年前に神武天皇が創建したと伝えられる。近松門左衛門
の曽根崎心中にも登場する。境内に井原西鶴の銅像や大阪落語の生みの親
米澤彦八の碑もある。大阪大空襲にあったが復興した。



大阪市天王寺区にて(8月) 生国魂神社(いくくにたまじんじゃ) 表門鳥居

 
大阪市天王寺区にて(5月) 生国魂神社(いくくにたまじんじゃ) 表門鳥居


大阪市にて(8月) 生国魂神社 参道


大阪市にて(8月) 生国魂神社 手水舎


大阪市にて(8月) 生国魂神社 本殿(生国魂造り)


大阪市にて(8月) 生国魂神社 本殿前の拝殿

 
大阪市にて(8月) 生国魂神社 右は城方向(きたむき)八幡神社


大阪市にて(8月) 生国魂神社 拝殿

大阪市生国魂神社にて(8月) 鞴(ふいご)神社

大阪市 生国魂神社にて(8月) 稲荷神社

大阪市 生国魂神社にて(8月) 浄るり神社


大阪市にて(8月) 生国魂神社 境内の森


 
大阪市 生国魂神社にて(8月) 皇大神宮  右は家造祖神社

 
大阪市 生国魂神社にて(8月) 天満宮
  右は源九郎稲荷神社


大阪市 生国魂神社にて(8月) 米澤彦八の碑
写真クリックで上方落語の祖の説明碑  彦八の説明動画へ

大阪市生国魂神社にて(8月) 
井原西鶴<1642~1693>像
  く落語の坐摩神社へ

 
千里中央読売文化センターにて入手(8月) 生国魂神社「彦八まつり」案内パンフレット クリックで拡大 

大阪市 生国魂神社にて(8月) 精鎮神社

大阪市 生国魂神社にて(8月) 住吉神社

大阪市 生国魂神社にて(8月) 鴫野神社

大阪市生国魂神社にて(8月) 境内の滝

 
大阪市生国魂神社にて(8月) 松尾芭蕉<1644~1694>「菊に出て奈良と難波は宵月夜
右は中山琴主<1803 ~1880>二つ緒の八雲の琴に神の世のしらべを移し伝え来にけり」


生国魂
大阪市 旧府社

杭全神社

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坂上田村麻呂や後醍醐天皇に縁のある神社
古い連歌所が残され、今も平野法楽連歌会が催される

平安の初期、貞観4年(862)征夷大将軍坂上田村麻呂の孫、当道が平野郷の守護神として、第一社殿を創建。
建久元年(1190)に熊野権現を勧請したのが第三殿、続いて元亨元年(1321)に後醍醐天皇から熊野三所権現の勅額を
賜り第二殿を造営し、熊野権現社の総社とされた。明治に、杭全神社と改称された。日本で唯一連歌所が残っている。
連歌所は室町時代に建てられたが大坂冬の陣で焼失し、現存するのは宝永5年(1708)に再建されたもの(大阪市指定文化財)
1987年に連歌会を復活し、毎月平野法楽連歌会が催される。近くの全興寺が当社の奥の院とか。
杭全神社由緒 駒札より)


大阪市平野区にて(1月) 杭全神社拝殿 この奥に中門と第一殿、第二殿、第三殿がある 
クリックで遠景

   
大阪市平野区にて(1月) 杭全神社拝殿狛犬 左は境内図 右は拝殿内 クリックで拡大


大阪市平野区杭全神社にて(1月)  
クリックで拡大
左から第一殿中門 第二殿中門 第三殿中門 後ろに本殿の屋根が見える
写真は撮れなかったが、第一殿は1711年、春日大社より移築されたもの

  

大阪市平野区にて(1月) 杭全神社大鳥居 左は内側 中央は正面 右は扁額 クリックで拡大

 
大阪市平野区にて(1月) 杭全神社大門(鎌倉時代の建造物) 左正面 右は内側 
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大阪市平野区にて(1月) 杭全神社 左手水舎 中央および右は社務所 社務所の左奥が連歌所 
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大阪市平野区杭全神社にて(1月) 参道と注連柱と大門 注)全国の注連柱、注連石の写真 
クリックで拡大

  
大阪市平野区杭全神社にて(1月) 西門
と西門前の参道 右写真は瑞鳳殿前の参道(注連柱から大門) クリックで拡大

  
大阪市平野区杭全神社にて(1月) 樟社(樹齢千年の大楠)と大公孫樹 
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大阪市平野区杭全神社にて(1月) 左から田村社、十柱社 
クリックで拡大

  
大阪市平野区杭全神社にて(1月) 左から鎮守社、戎社、稲荷社 クリックで拡大
   
大阪市平野区杭全神社にて(1月) 左から日露戦役記念碑、忠魂碑、筆塚、筆塚由来 
クリックで拡大

  
大阪市平野区杭全神社にて(1月) 宇賀神社、環濠遺跡 クリックで拡大

 
大阪市平野区杭全神社にて(1月) 神田
右は大阪市法円坂大阪歴史博物館にて(8月) 杭全神社の御田植神事解説図
  クリックで拡大

  
大阪市杭全神社にて(1月) 左から見松山満願寺 神社境内(西門あたり) 右は遥拝所(伊勢神宮)
 クリックで拡大


大鳥
堺市 和泉の国一の宮

大鳥大社

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全国の「大鳥信仰」の本社
日本武尊が死後白鳥となったという伝説により、最後に留まったこの大鳥の地で
白鳥を祭るために建てられたとされる。本殿は古代神社建築の一つ大鳥造である。
江戸時代には律宗の勧学院として、この境内にあった和泉神鳳寺は羽曳野市の野中寺
京都市の槇尾西明寺とともに律院三大僧坊として栄えた。



堺市大鳥大社にて(7月) 正面一の鳥居 
写真クリックで大社由緒板


堺市大鳥大社にて(7月) 本殿(大鳥造り)



堺市大鳥大社にて(7月) 本殿拝殿


 
堺市大鳥大社にて(7月) 拝殿  右は絵馬殿

 
堺市大鳥大社にて(7月) 参道

 
堺市大鳥大社にて(7月) 参道


堺市大鳥大社にて(7月) 大鳥美波比神社 

堺市大鳥大社にて(7月) 東鳥居

 
堺市大鳥大社にて(7月) 社務所  右は根岸短歌会ほかの碑


堺市大鳥大社にて(7月) 日本武尊命像



堺市大鳥大社にて(7月) 神馬

堺市大鳥大社にて(7月) 手水舎

 
堺市大鳥大社にて(7月) 境内社


道明
藤井寺市
道明寺天満宮

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文楽、歌舞伎、能の「菅原伝授手習鑑」
の舞台となった菅公ゆかりの天満宮

古代陶業発祥地、さくら餅発祥の寺
文楽・歌舞伎および能に出てくる「菅原伝授手習鑑」の「道明寺」は
この場所にまつわる物語である。明治以前は道明寺、道明寺天満宮は一体であった。
明治天皇が奈良の帰りに泊まられたという由緒深い神社である。


藤井寺市にて(4月) 道明寺天満宮 神門

 
藤井寺市にて(4月) 道明寺天満宮御本殿の狛犬(角付)

右は同藤井寺にて(4月) 天満宮記念碑、一茶句碑 小林一茶<1763~1828>「青梅や 餓鬼大将が 肌ぬいで

 
道明寺天満宮にて(4月)御本殿(本殿・幣殿・拝殿)
 天満宮境内の古代鳥居


藤井寺市にて(4月) 道明寺天満宮 御本殿(本殿・幣殿・拝殿)

 
藤井寺市にて(4月) 道明寺天満宮手水舎 右は神牛舎 

 
藤井寺市にて(4月) 道明寺天満宮 撫で牛 右は白牛 

 
藤井寺市にて(4月) 道明寺天満宮 社務所と拝殿 右はさざれ石 
 

 
藤井寺市にて(4月) 道明寺天満宮 境内
  右はご神木


藤井寺市にて(4月) 和合稲荷大神

藤井寺市にて(4月) 天寿殿

藤井寺市にて(4月) 明治天皇行在所

藤井寺市にて(4月) 道明寺天満宮 元宮 土師社

 
        藤井寺市にて(4月) 道明寺天満宮 神門前                大阪府緑の百選碑

藤井寺市にて(4月) 道明寺天満宮 能楽殿

道明寺天満宮にて(4月) 土木工事用修羅(復元)


藤井寺市にて(4月) 道明寺天満宮 土師窯跡碑
我が国の陶業発祥の地として建碑された


辛国
藤井寺市
辛国神社

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1500年前に創建されたという古い神社
カラクニと云う社名から渡来人との因縁を思わせる。

日本書記に、約1500年程前、雄略天皇の御代「雄略13年3月、餌香長野邑を物部目大連に賜う」
とある。餌香長野邑は、旧藤井寺町のあたりと思われる。この地方を賜った物部氏は、その祖神を
祀って神社をつくり、その後、辛國氏が祭祀をつとめ辛國神社と称するようになった。
平安時代には官社となり、式内社として人々の尊信を集めてきた(神社HPより)


大阪府藤井寺市にて(4月) 辛国神社 本殿 
クリックで説明板


藤井寺市にて(4月) 辛国神社 社務所

藤井寺市にて(4月) 辛国神社 境内

藤井寺市にて(4月) 辛国神社 春日天満宮

藤井寺市にて(4月) 辛国神社 春日稲荷

藤井寺市にて(4月) 辛国神社 手水舎




 
みどりの百選碑と神社由来記 
クリックで拡大  

 
藤井寺市にて(4月) 辛国神社 一の鳥居
  右は二の鳥居


住吉
大阪市 摂津の国一宮
住吉大社

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全国約2300社の住吉神社の総本宮
境内に住吉神宮寺もあったが明治に廃仏
摂津国の由緒深い神社で、昭和21年までは官幣大社であった。
全国約2300社余の住吉神社の総本宮である。
御鎮座1800年を記念し、
平成23年に49回目の式年遷宮祭が行なわれる(住吉大社HPより


大阪市 住吉大社にて(7月) 正面参道(東を向いて撮影) 

 
大阪市 住吉大社にて(7月) 太鼓橋(反橋) 大阪みどりの百選碑

 
大阪市 住吉大社にて(7月) 反橋と反橋の両脇に掛かる石橋

 
 大阪市 住吉大社にて(7月) 第一本宮(国宝) 右は第二本宮(国宝)

 
 大阪市 住吉大社にて(7月) 第三本宮(国宝) 右は第四本宮(国宝

 
大阪市 住吉大社にて(7月) 第二本宮(国宝) 外観 右は第二本宮(国宝)内部

大阪市 住吉大社にて(7月) 住吉神宮寺跡の碑

住吉大社内にある「住吉神宮寺跡」は神仏混淆の名残り、
平安時代にはほとんどの神社に神設けられたという。

 この寺は天平宝字2年(758)創建と伝えられ、津守寺(廃寺)、
荘厳浄土寺と住吉神宮寺が三大寺に数えられていた。

 明治初年、神仏分離令により廃絶した。多くの秘仏も散逸
したが、そのうち西塔は徳島県切幡(きりはた)寺に売却、
移築され現存する。住吉踊りは、ここの僧徒により
広められたものという。(大阪市HPより)

 四国第10番霊場切幡(きりはた)寺のページへ

大阪市 住吉大社にて(7月) 住吉鳥居 (四角い柱の鳥居)

大阪市 住吉大社にて(7月) 末社の一つ  
 
 大阪市 住吉大社にて(7月) 第一本宮右の門

 大阪市 住吉大社にて(7月) 第一本宮左の門(外)

 大阪市 住吉大社にて(7月) 大社前付近 

 大阪市 住吉大社にて(7月) 市戎大国社 

大阪市 住吉大社にて(7月) 夫婦楠

大阪市 住吉大社にて(7月) 例祭の神輿

 大阪市 住吉大社にて(7月) 大海神社 

 大阪市 住吉大社にて(7月) 神楽殿
 





大阪市 住吉大社にて(7月) 絵馬殿の奉納額

 大阪市 住吉大社にて(7月) 神館 


平成29年1月14日 産経新聞より クリックで拡大
豊臣の淀君が寄付したと言われる反橋


四条
四条畷市
四条畷神社

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小楠公を祀った神社楠木正行、正成の忠孝両全の像がある。
さらに、最近、
楠木正行、母久子の貞仁両全像が追加建立された

南朝の将として戦い、四條畷の戦いで敗死した小楠公楠木正行を主祭神とし、一族の将士24人を配祀している。
楠木正行の御母堂も並んで祀られている。現在のJR学研都市線(旧片町線)は元は地元民によって建設された四条畷神社
への参詣鉄道であったという。
楠木正行、母久子の貞仁両全の像は平成27年2月に地元女性有志により建立された。


四条畷市にて(H24年1月) 四条畷神社 神明鳥居と正面は拝殿(奥に本殿)
この神明鳥居は御鎮座百年に当たり、平成2年に伊勢神宮より拝受した


四条畷市にて(1月) 四条畷神社拝殿と御本殿(奥)

四条畷市にて(1月) 四条畷神社 御本殿

四条畷市にて(1月) 四条畷神社参道 境内入口の鳥居

四条畷市にて(1月) 四条畷神社 参道石段


四条畷市にて(1月) 四条畷神社 境内入口の鳥居


四条畷市にて(1月) 四条畷神社 手水舎
    

四条畷市にて(1月) なにわ七幸めぐり 
なにわ七幸めぐり 俳句大賞

 
四条畷市四条畷神社にて(1月) 楠木公慰霊塔 説明板(
クリックで拡大
武士の堅き心は桜ばな ちりての後ぞ人や知るらん」楠木正成
楠木公慰霊塔
駒札の内容
平成3年9月15日移設 豊中市の杉野製作所杉野社長が買収した山林に
人知れずあったもの。台座には次の如く誌されている。「楠正成公 勤王の志厚く 
正中 元弘 建武 延元 此の四代の□□□□ 桜井に我が子と別れ 延元三年□月□日
当寺に宿泊 兵庫に於て 自殺し給ふ 元?三年七月□日 大内河内守 義弘 安楽寺
『武士の堅き心は桜はな ちりての後ぞ人や知るらん』四十三才正成」


四条畷神社にて(H24年1月) 楠木正行、正成の「忠孝両全」の桜井の別れの像

  
四条畷神社にて(1月) 御妣神社(みおやじんじゃ)小楠公のご母堂を祀る 左は本殿 右は説明板(クリックで拡大


 
H28年11月26日産経新聞 境内の四條畷神社本殿の横(北側)にある摂社「御妣神社(みおやじんじゃ」(楠正行の母久子を祀る)
の前に楠木正行と母久子の「貞仁両全」の像が平成27年2月に地元女性有志によって建立された。 
クリックで拡大


四条畷神社にて(1月) 楠木天神社
    

四条畷神社にて(1月) 有源招魂社
写真クリックで説明板が出ます


四条畷神社にて(1月) 一の鳥居(写真中央)までの参道
クリックすると写真中央の一の鳥居が拡大


四条畷神社にて(1月) 一の鳥居(望遠で撮影)
鳥居の前の左右の道路が高野街道

四条畷神社にて(1月)
一の鳥居から手前への参道

四条畷神社にて(1月)
楠公のほまれを讃へ風薫る」月甫



四条畷市四条畷神社石段下にて(1月)
四条畷市民の森碑


枚岡
東大阪市 河内の国一の宮
枚岡神社
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「元春日社」と称される由緒ある神社
奈良春日大社創建に際し、当社の神二柱が勧請された。

奈良春日大社創建に際し、枚岡神社の天児屋根大神と比売大神(天児屋根大神の后神)
の二柱がは当社から勧請されたため「元春日社」と称される由緒ある神社。その後、
武甕槌大神と斎主大神(経津主神)が春日大社から勧請され四柱となった。


 大阪府枚岡神社にて(7月) 生駒山の麓 河内一の宮 
元春日社 枚岡神社 正面 木の鳥居(西向き)

 
大阪府枚岡神社にて(7月) 狛犬にあたる鹿 狛犬に変わり鹿が鎮座しているのは奈良春日大社との縁を思わせる。


 大阪府枚岡神社にて(7月) 御本殿 
御本殿の御祭神は、四柱からなる。
春日大社の造営に際し、勧請された
第一殿:天児屋根大神と
第二殿:比売大神
(天児屋根大神の后神)を祀り、

後に春日大社から勧請した
第三殿:武甕槌大神、
第四殿:斎主大神(経津主神)を加え
春日大社と同じ神をお祀りしている。

大阪府枚岡神社にて(7月) 茅の大祓いの輪と逆鉾

大阪府枚岡神社にて(7月) 石段の上は拝殿

大阪府枚岡神社にて(7月) 拝殿、この後に中門がある

大阪府枚岡神社にて(7月) 御本殿前の中門 

大阪府枚岡神社にて(7月) 参道(西に向かう) 正面は木の鳥居

 大阪府枚岡神社にて(7月) 石の鳥居(北向き)

大阪府枚岡神社にて(7月) 末社天神地祇神社

大阪府枚岡神社にて(7月) 梅園 枚岡公園

 大阪府枚岡神社にて(7月) 特徴ある注連縄

 大阪府枚岡神社にて(7月) 摂社若宮社 

 大阪府枚岡神社にて(7月) 鞠場の碑
 枚岡神社でも蹴鞠が行われたらしい、写真の碑が語る

 大阪府枚岡神社にて(7月) 社務所
 拝殿向かって左を行く 

 大阪府枚岡神社にて(7月) 本殿右の参道 
 末社天神地祇神社(正面石段上)、梅林へ向かう 

 大阪府枚岡神社にて(7月)  拝殿  西側より

    

大阪府枚岡神社にて(7月) 参道(東の本殿方向)

枚岡神社にて(7月) 末社天神地祇神社(正面石垣の上)

 大阪府枚岡神社にて(7月) 遥拝所 

 大阪府枚岡神社にて(7月) 迎賓館 


石切
東大阪市
石切劔箭神社
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「石切さん」「でんぼ(腫れ物)の神様」として
親しまれ、癌治療にも霊験ありと参詣者が多い

「でんぼ(腫れ物)の神様」として親しまれている。 創建年代は、詳らかではないが、
代々の社家「木積」家には、皇紀2年(約2670前)に生駒山中に可美真手命が饒速日尊を奉祀されたのを
神社の起源とし、崇神天皇の御世に現本社に可美真手命が奉祀されたと伝わる。 平安時代の日本三代実録
(巻十一)には「貞観7年(866)に河内国正六位の石切劔箭神社従五位下を授く」との記述がみられ、
延喜式神名帳にも「石切劔箭命神社二座」がある。 後に、祭祀の場は現上之社の場所に遷され、
明治38年には現在の本社本殿に合祀された。上之社は奥の院として信仰を集め、昭和7年に
解体保存されていた旧本殿を上之社に移し、昭和47年に往古の姿を取り戻した。



大阪府東大阪市石切劔箭神社にて(5月) 本殿


大阪府石切劔箭神社にて(5月) 本殿 境内案内 

大阪府石切神社にて(5月) 楼門

大阪府石切神社にて(5月) 本殿横の渡り 

大阪府石切神社にて(5月) 水神社  

 
大阪府石切神社にて(5月) 正面鳥居から本殿
 右は東門

 
大阪府石切神社にて(5月) 楼門脇侍像 右は二宮金次郎像


今宮
大阪市
今宮戎神社
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毎年1月10日に商売の神「えべっさん」として庶民に慕われている。
聖徳太子が四天王寺を建立されたときの鎮護としてお祀りされたという。

推古天皇の御代、聖徳太子が四天王寺を建立されたときに同地の鎮護としてお祀りされたのが始まり。
戎さんは、左脇に鯛を右手に釣竿をもっており、漁業の守り神として海の幸の神であった。当社の鎮座地
今宮は昔は海岸沿いにあり、平安中期より宮中に鮮魚を献進していた。また、種々の海産物と里の産物、
野の産物とが交換される、「浜の市」が平安後期、四天王寺の西門に開かれ、その市の守り神としても
当社の戎さんが祀られるようになった。以降市の護り、商売の護りとされるようになった。


 
阪市にて(1月) 今宮戎神社 正面鳥居と門前の修行僧  クリックで拡大

 
阪市今宮戎神社にて(1月)  朝の打ち合わせと各恵比寿グッズ販売風景  クリックで拡大

  
大阪市今宮戎神社にて(1月) 福娘と社殿内部(クリックで拡大) 右写真はお祓い

 
大阪市今宮戎神社にて(1月) 福娘 左写真は歴代福娘(経験者) 右写真はその年の福娘  各写真クリックで拡大

  
大阪市今宮戎神社にて(1月) 福娘三態  各写真クリックで拡大

   
大阪市今宮戎神社にて(1月) 社殿 お神楽  右端の写真は今宮戎神社東門  各写真クリックで少し拡大

今宮戎神社1月9日宵宮の早朝は静かで、古い福笹を納める3っつの樽と大きな賽銭受けが目立つ
その向こうで警備の打ち合わせが行われていた・・・やがて「
商売繁盛で笹もってこい」の掛け声が流れだし、
福娘が縁起物の笹飾りの売り場に並ぶ
昼近くになると一挙に人出が多くなる。夜になると狭い境内に
大きな人の波が押し寄せる。托鉢僧が神社四箇所の門を、すべて陣取っていたのも妙に印象深い


天満
大阪市
大阪天満宮
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官公が太宰府へ赴任する際に立ち寄った大将軍社に起る
不思議な現象から、村上天皇が菅公を祀るよう勅令を出し天満宮を創設

菅原道真公は延喜元年(901)、藤原時平の策略により九州の太宰権帥に左遷される際、
摂津中島の大将軍社に参詣した後、太宰府に向い、2年後に59歳で亡くなった。その約50年後、
天暦3年(949)のある夜、大将軍社の前に七本の松が生え、夜毎にその梢は金色の霊光を放った。
これを聞いた村上天皇は、勅命を以て天満宮を鎮座され、大将軍社を移遷し摂社とした。

大阪市にて(3月) 天満宮 大門(表門) 境内案内図

 
大阪市 天満宮 本殿(本社)クリックで拡大   右は梅園内の祖霊社

 
大阪市にて(3月) 天満宮 本社  クリックで拡大   右は楼門わきの満開の梅

 
 大阪市天満宮にて(3月) 白米稲荷社

 
7月25日の天満宮天満祭 船渡御を先導する雀踊り人形 右は登龍門の説明板(クリックで拡大


 
大阪市 天満宮 本社 クリックで一部拡大            天満宮合格祈願の奉納絵馬


豊国
大阪城内
豊国神社
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明治天皇の勅命により、中之島に創設され、
昭和36年に現大阪市役所付近から大阪城内に移った

豊臣秀吉、秀頼、秀長公を祀る
明治天皇が、国家の為に大勲労のあった豊太閤を大阪に奉祀せよと仰せられ、
明治6年に京都の別格官幣社豊國神社の別社として、大阪中之島(中央公会堂あたり)に、
明治12年に創立された。大正元年中央公会堂建設の為、府立図書館の西方(現市庁舎)に移転し、
大正10年に府社に列せられたが、終戦と共に宗教法人となり神社本庁所属の神社となった。
大阪市庁舎増築のため、縁のある大阪城内の現在地に、昭和36年1月奉遷した。
京都の豊国(とよくに)神社は秀吉公のみを祀る


大阪城にて(11月) 豊国神社(ほうこくじんじゃ) 大阪城内にある


大阪城にて(11月) 豊国神社(ほうこくじんじゃ) 正面鳥居(内側)


大阪城にて(11月) 豊国神社 正面鳥居  豊臣秀吉像


大阪城内豊国神社 大阪城からの大鳥居


大阪城内
豊国神社 豊臣秀吉像
豊臣秀吉像は文化勲章受章者中村晋也の作


 
大阪城にて(11月) 豊国神社 摂社 白玉神社  右は扁額 クリックで拡大

 
大阪城にて(11月) 豊国神社 摂社 若永神社 クリックで拡大


 
大阪城にて(11月) 豊国神社 摂社鳥居  右は結婚式場(クリックで拡大) 


大阪城にて(11月) 豊国神社 北口の鳥居

 
大阪城豊国神社にて(11月) 写真クリックで拡大
左 山口誓子<1901-1994>
 花盛ん築城巨石又盛ん 
右 皆吉爽雨<1902-1983> 刻々に大秋晴となる如し


岸城
岸和田市
岸城神社

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岸城神社は岸和田の鎮守である。だんじり祭
この神社の例祭でだんじり15台が勇ましく宮入する

南北朝時代、京都の八坂神社を勧請し、牛頭天王社と呼び岸和田村の鎮守とされた。
後に小出秀政が岸和田城創建の時、八幡大神を合祀し、代々の城主・住民に崇拝され、
明治維新に社名が岸城神社(きしきじんじゃ)と改められた。現在、9月の敬老の日の前日、
岸和田の15台のだんじりが宮入りする。
だんじりの通る道


岸和田市にて(12月) 岸和田城主を祀る 岸城神社 


岸和田市にて(12月) 岸和田城横 
岸城神社鳥居 
写真クリックでネットに接続 

 岸和田市にて(12月) 岸城神社内
 岸和田戎神社

岸和田市にて(12月) 岸城神社内 稲荷大明神

岸和田市にて(12月) 岸城神社 舞殿


箕面
箕面市の神社
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箕面公園 聖天宮 西江寺(さいこうじ)

聖天宮 西江寺 縁起  写真クリックで拡大

箕面市 琵琶をもつ
妙音天

箕面山 龍安寺弁財天  

箕面市 天児屋根命神社 通称;瀬川神社
(あめのこやねのみことじんじゃ)

大阪府箕面市瀬川神社(通称)


大阪府箕面市瀬川神社(通称)

天児屋根命神社


池田
池田市の神社
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池田市五月山 がんがら火祭りの愛宕神社  神社縁起クリックで拡大


大阪府池田市にて(1月) 住吉神社
 クリックで拡大

 池田市にて 住吉神社2大鳥居より拝殿 
クリックで拡大

  
池田市にて(1月) 左から住吉神社拝殿の扁額と社務所と大鳥居(内側より) クリックで拡大

 
池田市住吉神社にて(1月) 左から稲荷神社、神武天皇稜と明治天皇陵の遥拝所 クリックで拡大

  
池田市住吉神社にて(1月) 左から天満宮と稲荷神社 クリックで拡大


池田市にて(4月) あやはの宮 伊居太(いけだ)神社 クリック拡大

 
池田市にて(4月) あやはの宮 伊居太(いけだ)神社 参道

 
池田市にて(6月) あやはの宮 伊居太(いけだ)神社 
由来書はクリックで拡大

 
池田市にて(4月) 伊居太神社 末社 左から豊受皇大神宮 天照皇大神宮 松尾大明神 国常立尊 住吉大明神

  
池田市にて(4月) 伊居太(いけだ)神社の末社「星の宮」 由来書はクリックで拡大


大阪府 阪急池田駅南側の呉羽神社鳥居

大阪府 池田市 呉羽神社楼門

 
大阪府 池田市 呉羽神社 本殿
 呉羽神社内 池田戎  地図


大阪府池田市 五社神社


  
大阪府池田市にて(12月) 鉢塚 五社神社 五社神社内  鉢塚古墳案内板 
写真クリックで案内板拡大

神明社
池田市 久安寺前より
大阪府池田市宇保町
猪名津彦神社
阿知使主(あちのおみ)

都加使主
(つかのおみ)の父子二柱

仁徳天皇はこの渡来人父子に
猪名の地を与え,
織殿,縫殿を建てて
技術の普及伝播につとめさせた


豊中
豊中市の神社
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大阪府服部天神にて(8月)(TM氏) 足の守護祈祷



豊中
茨木市の神社
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茨木市
茨木市安威
阿爲神社
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 当神社は隣接する大念寺ともに、藤原鎌足の創建による。
古来、神仏習合し大念寺の鎮守として祀られてきた。
 当社は大念寺の西隣りにあり、苗森大明神といわれ、藤原鎌足の祖先神「天兒屋根命」を祀る。阿為神社は
大念寺とも藤原鎌足公が創建に関わり、当神社は鎌足公の勧請と伝えられ、古くから神仏習合して祀られてきた。
阿為神社の54日の例祭には、神輿が大念寺にお参りする神事が行われる。平成17年以来、秋に蹴鞠会が奉納される



茨木市安威にて(7月) 阿爲神社本社 境内図 クリックで拡大

 
茨木市安威阿爲神社にて(7月) ユーモラスな狛犬 クリックで拡大

 
茨木市安威阿爲神社にて(7月) 参道 阿爲神社Wiki クリックで拡大 

 
 
茨木市安威阿爲神社にて(7月) 左から大正13年1月26日昭和天皇が皇太子の時の御成婚記念の松の碑
手水舎 明治43年10月安威村在郷軍人会・有志者が建設した戦死者忠魂碑 
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茨木市安威にて(7月) 阿爲神社本社 右は社務所 
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茨木市安威阿爲神社にて(7月) 参道 クリックで拡大

 
茨木市安威阿爲神社 恒例の蹴鞠の会と社紋(大念寺ネットより) 
阿爲神社は平成17年(2005)に本殿を新築、落慶行事として「蹴鞠」神事を奉納、以降、毎年11月に
「蹴鞠の会」が行なわれる。蹴鞠は、京都の下鴨神社・白峯神宮・藤森神社や大津の平野神社、奈良の
鎌足公と関係深い多武峰の談山神社で行っている、京都の「蹴鞠保存会」が行う。
社紋は大念寺と同じ藤原氏の上がり藤の紋

  
茨木市安威阿爲神社にて(7月) 摂社 左は出雲神社 中央は鹿島神社
右は市杵島姫神社・稲那神社・金山彦神社 
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茨木市安威にて(7月) 阿爲神社摂社 左は八幡神社 中央は秋葉神社
右は大年神社 
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茨木市安威阿爲神社にて(7月) 摂社 左は菅原神社
 中央と右は稲荷神社 クリックで拡大

  
茨木市安威阿爲神社にて(7月) 句碑 クリックで拡大
明治44年生まれの高井文子が百歳のときに行われた阿爲神社の蹴鞠を詠める「
神ここに蹴鞠の庭の照紅葉
高井文子の師匠であった安威在住の故人富士憲郎
くちなしの香のほのぼのとあるところ



上穂積春日神社

 
茨木市西穂積にて(1月) 上穂積春日神社 正面鳥居 右は扁額  
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茨木市西穂積にて(1月) 上穂積春日神社 拝殿 右は手水舎  
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茨木市西穂積にて(1月) 上穂積春日神社 本殿 右は境内風景  クリックで拡大

 
茨木市西穂積にて(1月) 上穂積春日神社 本殿  
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茨木市西穂積にて(1月) 上穂積春日神社 白銀稲荷大明神 手水(自然水) 境内風景 
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茨木市西穂積春日神社にて(1月) 正面鳥居 境内常夜灯(文化元年:1804の銘あり)と1月のスミレ 
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