[神 社] 中項目・目次          HPのトップへ 
  1.西日本  2.京都  3.奈良 4.大阪 5.兵庫 6.滋賀・和歌山 7.東日本 

5. 兵庫 大物主神社 須佐男神社 湊川神社 住吉神社 長田神社 廣田神社 生田神社 西宮神社 多田神社 関守稲荷神社
綱敷天満宮 四宮神社 北野天満社 塩田八幡宮 金山彦神社 宝塚市の神社
 

                     5. 兵庫               HPのトップへ 

大物
尼崎市
大物主神社

本ページの目次へ

源義経、弁慶が頼朝から身を隠した場所
醤油発祥の地碑がある。2000年の歴史のある神社

主祭神 大物主大神 市杵島姫命 田心姫命 湍津姫命
尼崎は「海が幸(あまがさち)」に由来する恵み豊かな所で、この神崎川と武庫川間の三角州に大物主神社が創建された。
浜は大物浦と呼ばれ、海上交通の要所であり、平清盛がここに厳島神社から勧請して往来の安全を祈念したという。ここから
源義経が兄頼朝から逃亡の船出をした。当社近くの七軒長屋に、謡曲や講談の『舟弁慶』で知られる隠れ家があった。
大物主大神すなわち大国主命は、国生みをはじめ、医薬、醸造、男女の縁、運命などを司る神とされている。参考


尼崎市大物主神社にて(8月) 正面鳥居(南向き) 写真クリックで説明駒札

 
尼崎市大物主神社にて(8月) 本殿 
 写真右は万度石(百度石は多いが万度石は珍しい)



尼崎市大物主神社にて(8月) 拝殿

 
尼崎市大物主神社にて(8月) 左は義経と弁慶が頼朝の追手を逃れて船出前に逗留した家跡碑  右は手水
義経弁慶隠家跡」の七軒家長屋は神社の東の道路上あたりらしい


 
尼崎市大物主神社にて(8月) 左は外の参道 右は東鳥居(宗像東宮、大物主神社)

 
尼崎市大物主神社にて(8月) 汁醤油発祥の地碑        右は神社由緒駒札(クリックで拡大
平安時代末期に尼崎の大物で醤油技術が生まれたという。戦前は大塚、長尾、寺岡、藤井、小坂、井沢、庄司などの醸造元が

あった。大塚家から千葉に嫁いだ縁でキッコーマンに醤油醸造技術が渡ったらしい。その後、伝統的醸造法が途絶えていたものを、
戦後40数年を経って復活され「尼の生揚醤油保存会」で保存されている。その復元を記念して碑が建立された。



須左
尼崎市
須左男神社

本ページの目次へ

川西市の多田神社とつながる
約1000年前の創建になる清和源氏発祥にからむ神社

源満仲が尼崎のこの寺から矢を放ち、矢の落ちた池田五月山の奥の地を多田(現川西市)となずけ、
尼崎から多田に移った。ここに多田院(多田神社の前身)を建てるなど清和源氏武士社会の発祥地となった。
この神社は隣接する日蓮宗広済寺と一体であったが明治の廃仏毀釈で分離させられた。



尼崎市須佐男神社にて(8月) 拝殿奥に本殿


尼崎市須佐男神社にて(8月) 東鳥居 多田神社との繋がり



尼崎市須佐男神社にて(8月) 参道 再建の由緒

 
尼崎市須佐男神社にて(8月) 須佐男神社由緒書き駒札
(クリックで拡大)


湊川
神戸市
旧別格官幣社
湊川神社

本ページの目次へ

大楠公楠木正成を祀る
境内に県内全神社を包括する兵庫県神社庁がある

楠木正成は、延元元年(1336)ここで足利尊氏と戦い殉節した。 後に墓は荒廃したが、元禄5年
(1692)徳川光圀が「嗚呼忠臣楠子之墓」碑を建立し、以来、水戸学者らにより正成は理想の勤皇家として
崇敬され、慶応3年(1867)に尾張藩主徳川慶勝により国家による楠社創立の建白がなされ、明治元年
(1868)、明治天皇は大楠公の忠義を後世に伝えるため、神社の創建を命じ、明治2年(1869)、
墓所・殉節地を境内地と定め、明治5年(1872)湊川神社が創建された。


 
神戸市中央区湊川神社にて(6月) 表神門 右写真は社号碑(
クリック拡大) 境内案内図へ

 
神戸市中央区湊川神社にて(6月) 別格官幣社の碑 大鳥居

 
神戸市中央区湊川神社にて(6月) 参道 宝物館前の大灯篭


神戸市中央区湊川神社にて(6月) 御本殿

 
神戸市中央区湊川神社にて(6月) 御本殿(天井画)  手水舎

 
神戸市中央区湊川神社にて(6月) 東門  東門前大通り


神戸市中央区湊川神社にて(6月) 兵庫県神社庁
兵庫県内の神社3,835社包括管轄している 
クリックで拡大

 
神戸市中央区湊川神社にて(6月) 結婚式など楠公会館 六角堂


神戸市中央区湊川神社にて(6月)
宝物殿

神戸市中央区湊川神社にて(6月)
左奥に能楽堂神能殿(
クリックで拡大)と兵庫県神社庁(右)

 
神戸市中央区湊川神社にて(6月) 手水


神戸市中央区湊川神社にて(6月) 史跡楠木正成公戦没地(楠公自刃の場)

 
神戸市中央区湊川神社にて(6月) 史跡楠木正成公戦没地(楠公自刃の場) 
クリックで拡大駒札

 
神戸市中央区湊川神社にて(6月) 尚志館前の庭


神戸市中央区湊川神社にて(6月
徳川光圀(水戸黄門)公銅像
 
「嗚呼忠臣楠子之墓」駒札 クリックで拡大



神戸市中央区湊川神社にて(6月)
楠木正成公の「嗚呼忠臣楠子之墓」手水舎

 
神戸市中央区湊川神社にて(6月) 「嗚呼忠臣楠子之墓」への神門と楠木正成公墓


神戸市中央区
湊川神社
にて(6月)
表神門右

明治天皇御製 湊川懐古碑

あた波を
ふせきし人をみなと川
神となりてそ
世をまもるらむ


写真クリックで拡大


神戸市中央区湊川神社にて(6月) 菊水天神

 
神戸市中央区湊川神社にて(6月) 楠本稲荷神社


住吉
神戸市兵庫区
住吉神社

本ページの目次へ

清盛塚のある海の守り住吉神社
明治時代に大阪の住吉大社より勧請し設立したが、先の大戦の神戸大空襲で消失し、後に復興した

   
 
神戸市兵庫区にて(10月) 清盛塚のある 住吉神社鳥居  
クリックで拡大


神戸市兵庫区にて(10月) 住吉神社 本殿

 
神戸市兵庫区にて(10月) 住吉神社 稲荷社と手水舎

 
神戸市兵庫区にて(10月) 住吉神社由緒と歴史 クリックで拡大
右は神社境内を駐車場として借りているレストランの清盛メニュー



長田神社
神戸市
旧官幣中社 長田神社

本ページの目次へ

三韓征服の神宮皇后の創祀
になる鎮座1,800年の由緒ある神社

日本書紀によると、神功皇后摂政元年(201)神宮皇后が韓国征服後、新羅より難波に帰還する途中、
武庫の水門あたりで、事代主の神より「吾を長田國に祀れ」との神託を受け、この地に創祀された。
この由緒から、神戸の地名も生まれたという。平成13年(2001)に鎮座1,800年が祝われた。


神戸市にて(6月) 旧官幣中社 長田神社参道 赤い橋は藻刈川にかかる
この鳥居は阪神淡路大震災で倒壊破損したが、前回の遷宮のあと伊勢神宮から頂いたもの


 
神戸市長田神社にて(6月) 大鳥居(西鳥居)  右は社格を表す旧官幣中社の碑


神戸市旧官幣中社長田神社にて(6月) 拝殿 この奥に本殿 事代主神(ことしろぬしのかみ)を祀る


神戸市長田神社にて(6月) 参道 於虚事代(そらにことしろ)神と於天事代(あめにことしろ)神の二柱

 
神戸市長田神社にて(6月) 拝殿 右は拝殿より奥の本殿 事代主神(ことしろぬしのかみ)を祀る

 
神戸市長田神社にて(6月) 神門と廻廊の一部  右は神門内部の授与所(受付)


 
神戸市長田神社にて(6月) 手水舎  右は珍しい千度石

 
神戸市長田神社にて(6月) 参集殿 昔は鶏が多く放たれチキンテンプルと呼ばれたが今は鳩が多い

 
神戸市長田神社にて(6月) 東鳥居と絵馬殿 チキンテンプルと呼ばれたたが今は鳩


神戸市長田神社にて(6月) 茶室

神戸市長田神社にて(6月) 伊勢神宮遥拝所

 
神戸市長田神社にて(6月) 眼鏡碑 クリックで眼鏡碑設立趣意駒札拡大表示

 
神戸市長田神社にて(6月) 長田神社の由緒駒札(クリックで拡大) 右はさざれ石


神戸市長田神社にて(6月) 歌舞伎役者寄進の灯篭


 
神戸市長田神社にて(6月) 末社楠宮稲荷社 奥に楠の神木 右は末社横の蛭子、大国石像

 
神戸市長田神社にて(6月) 末社 蛭子社 右は出雲社


 
神戸市長田神社にて(6月) 摂社 月読社  右は松尾社

 
神戸市長田神社にて(6月) 神戸市制定天然記念物の大楠


廣田
西宮市

旧官幣大社 廣田神社
本ページの目次へ

1800年前神功皇后が朝鮮征伐の凱旋の帰途、
武庫の沖で御託宣を受け天照大神荒魂をお祀りした

廣田神社は約1800年前、神功皇后が朝鮮征伐の凱旋の帰途、武庫の沖で
天照大神の御託宣を受け天照大神荒魂をお祀りしたもの。この地の神社群
は都の西にありということから、西宮と呼ばれた。(由緒碑
小葉の三つ葉躑躅と阪神タイガースの必勝祈願で有名



 西宮市 広田神社にて(1月) 拝殿 阪神タイガース必勝祈願の宮

 
 西宮市 広田神社にて(1月) 参道 

 
 西宮市 広田神社にて(1月) 参道 右は脇殿八幡神社・住吉神社


 西宮市 広田神社にて(1月) 拝殿   
写真クリックで由緒書を拡大

 
 西宮市 広田神社にて(1月) 拝殿  右は手水舎

 
西宮市 広田神社にて(1月) 拝殿から奥に本殿 右は本殿

 
西宮市広田神社にて(1月) 末社 松尾神社 右は五末社 稲荷神社・地神社・春日神社・子安神社・八坂神社
*摂社とはその神社の祭神と縁故の深いを祀った神社、末社はそれ以外のものとされる(参考

 
西宮市 広田神社にて(1月) 末社齋殿(ときどの)神社
  右は宝塚市の摂社伊和志豆(いわしず)神社

 
西宮市広田神社にて(1月) 広田山公園の池


 西宮市 広田神社にて(1月)
御神水
 写真クリックで拡大

  西宮市 広田神社にて(1月)
石組の庭

タイガース必勝祈願絵馬
写真クリックで拡大

 
西宮市広田神社にて(1月) 社務所
  右は参集殿

 
西宮市広田神社にて(1月) 兵庫県天然記念物コバノミツバツツジ群落の碑

右写真はコバノミツバツツジ ツツジ科 ツツジ属 写真はネットから転載


生田
神戸市中央区
旧官幣中社 生田神社
本ページの目次へ

オリックス必勝祈願の宮


 神戸市生田神社にて(1月) 正面大鳥居 

 
 神戸市生田神社にて(1月) 拝殿 右は南鳥居


 神戸市生田神社にて(1月) 拝殿 

 
 神戸市生田神社にて(1月) 大海神社 右は松尾神社


 神戸市生田神社にて(1月) 楼門 

 
 神戸市生田神社にて(1月) 蛭子社 右は戸隠社

 
 神戸市生田神社にて(1月) えびらの梅  右はえびらの梅碑


  
 神戸市生田神社にて(1月) 弁天社:市杵島神社             生田池          ハート型の縁結び絵馬

 
 神戸市生田神社にて(1月) 稲荷社 右は人丸社、雷大臣社、塞神社


 神戸市生田神社にて(1月) 
生田の森 神木の楠 

 神戸市生田神社にて(1月) 
 生田森坐社(いくたのもりにいますやしろ) 
 生田神社境内案内 



 神戸市生田神社にて(1月)
生田の森碑

 神戸市生田神社にて(1月) 生田の森 

 神戸市生田神社にて(1月) さざれ石 

 
 神戸市生田神社にて(1月) 折れ鳥居 安政南海地震で鳥居が支柱を残して崩壊し、折れた鳥居の上部と柱
写真右は「かぢはら井」800年前、源平生田の森の合戦の折、梶原景季がこの井戸の水を汲んで生田の神に武運を祈ったと伝わる。


神戸市生田神社にて(1月)  白鳳<作者詳細不詳>
ふるさとの歴史きはめて百年の歩みを語る杜の老樹に」 

神戸市生田神社にて(1月)
森の東口にある稲荷社の隣に、楠の大木の切り株
の一部が展示されている。500年の樹齢を持つ神木は、
神戸大空襲で焼けたが、蘇った。再生・再起・復興の象徴
となっている。駒札に白鳳<作者詳細不詳>の歌

「五百年の楠の年輪尊貴なり幾多の森のいにしへしのぶ」



西宮
西宮市
旧県社 西宮神社

本ページの目次へ

全国えびす神社の総本社
正月の一番札奪取の儀式でも知られる
明治5年に廣田神社から分離独立した

西宮のえびす様は、大阪湾神戸・和田岬の沖より出現された御神像を、西宮・鳴尾の漁師がお祀りしていたが、
御神託により、この西宮の古社廣田神社の浜南宮の内に祭られたのが起源と伝わる。えびす大神は漁業の神として
信仰され、西国街道の宿場町西宮に市が立ち、商売繁盛の神として、西宮郷の銘酒と共に、隆盛を極めた。
明治5年、官幣大社廣田神社と分離し、県社となった。



西宮市 西宮神社にて(1月) 表大門(赤門)と大練塀(重文)

 
西宮市 西宮神社にて(1月) 拝殿  右は境内


西宮市 西宮神社にて(1月) 拝殿を通して本殿(神職による祈祷中)


西宮市 西宮神社にて(1月) 南門 

西宮市 西宮神社にて(1月) 神職整列


西宮市 西宮神社にて(1月) 拝殿と本殿(奥)
本殿にはスサノオ大神、天照大神、えびす大神を祀る


  西宮神社にて(1月) 大国主西神社 
元は境内の阿彌陀堂という仏堂で、享保20年(1735)、
大己貴命 少彦名命二柱を勧請し神社にしたとされている

 西宮神社にて(1月) 手水舎



西宮市 西宮神社にて(1月) 参道 左は新祈祷所

 
西宮市西宮神社にて(1月) 南宮神社(広田神社) えびす大神は古社廣田神社の浜南宮の内に鎮座した
右写真は南宮神社の親子連れの狛犬


 西宮神社にて(1月) 百太夫神社 人形遣い達の祖神百太夫神を祭る
室町時代以降、西宮の散所村(現・西宮市産所町)に住んでいた人形遣い達が、
えびす様のご神徳を人形操りに託して全国を廻っていた。この人達は、江戸時代に西宮を離れ淡路島に移り、
現在は淡路島の人形浄瑠璃や大阪の文楽となって、国の重要無形民俗文化財に指定されている。



 西宮神社にて(1月) 御輿殿 

 西宮神社にて(1月) 児社(このやしろ) 

 
  西宮神社にて(1月) 松尾神社 
 右は六甲山神社

 
 西宮神社にて(1月) 梅宮神社 右は沖恵美酒(おきえびす)神社

 
 西宮神社にて(1月) 稲荷大明神  右は火産霊(ほむすび)神社

 
 西宮神社にて(1月) 神池にかかる反橋「瑞寶橋」 右は神池を囲む石の庭園


西宮神社にて(1月) えべっさん筋の向うから「表大門(赤門)」



多田
川西市
旧県社 多田神社
本ページの目次へ

元多田院という寺で明治に神社となる。
元多田院の仁王像は近くの満願寺山門に移管された

多田神社は天禄元年(970)に創建され、元多田院、多田大権現社と言われる大社。
御祭神は、第五十六代清和天皇のひ孫贈正一位鎮守府将軍源満仲公をはじめ、頼光、頼信、
頼義、義家の五公をお祀りしている、源氏発祥の地である。 源氏の系図 
(源満仲の子孫に源頼朝)(多田神社HP御由緒より)

 
川西市にて(9月) 清和源氏発祥の地 多田神社南大門
(県の重文) 明治時代に仁王は万願寺へ 境内案内
多田神社楼門は、多田院の仁王門であり、両脇に仁王像があったが、明治4年神仏分離の折、
仁王像は満願寺山門に移転され、今も安置されている (多田神社HP南大門より



川西市にて(9月) 多田神社門前の猪名川にかかる赤い橋

 
川西市にて(9月) 多田神社 拝殿(重文) 右は御本殿(重文)

 
川西市にて(9月) 多田神社 厳島神社弁才天(県の重文) 右は多田神社西門(県の重文)

 
川西市にて(9月) 多田神社 西門(県の重文)と東門(県の重文)


清和源氏発祥の地 多田神社 隋神門(重文)
門の両脇に豊岩間戸尊、櫛岩間戸尊の二体の随神像が安置されている

 
川西市にて(9月) 多田神社 田尻稲荷神社

 
川西市多田神社にて(9月) 車清祓所 右は多田神社宝物殿右の銀杏は水戸黄門の手植え


川西市にて(9月) 多田神社内の樹齢1000年の無患子
県指定郷土記念物 むくろじ ムクロジ科 ムクロジ属

川西市にて(9月) 多田神社
多田天満宮

 
川西市にて(9月) 多田神社内 六社神社  右は多田神社社務所

 
川西市にて(9月) 多田神社 遥拝所  右は包丁塚


関守稲
須磨
関守稲荷神社

本ページの目次へ

須磨の関までが摂津、その西が播磨である
紀聞集に須磨の関は摂津と播磨の境とあり、平安末期の歌人源兼昌が詠んだ
「淡路島通う千鳥の鳴く声にいく夜寝覚めぬ須磨の関守」の須磨の関はこのあたりと思われる。
明治初年に千森川で出土した「長田宮、川東左右関屋跡」との石標に基づき稲荷社を設営した。


兵庫県 須磨 関守稲荷神社

  
須磨の関跡の石標 須磨の関の由来についての説明板 クリックで拡大読めます
淡路島かよう千鳥の鳴く声に・・・」
源兼昌歌碑へ
関守神社の句碑・歌碑は本HPの「句碑・歌碑」のページへ

 
兵庫県須磨 村上帝社  右は琵琶塚の碑  もう一つの兵庫区にある琵琶塚へ


綱敷
神戸市須磨区
綱敷天満宮

本ページの目次へ

菅原道真公をお助けした縁により創建された神社
道真公は九州太宰府に左遷された際、須磨の浦で波が高くなり航海を中断された。その時、
漁師達が網の大綱で円座を作り、休憩の場を与えたことにちなんで創建されたのが綱敷天満宮である



兵庫県須磨 綱敷天満宮



兵庫県須磨 天満宮 筆塚
左写真は綱敷天満宮
菅原道真の生い立ちと大宰府まで


四宮
神戸市中央区
四宮神社

本ページの目次へ

この神社の創建は約1800年前に遡る。
荒木村重の花熊城の鬼門鎮護の神であった。
花隈芸者の名付けの神で知られる。

神功皇后が摂政元年(201)2月の三韓征伐の帰途、生田の神をお祀りされる時に、ハヵ所に鎮座する神々を
順に巡拝された四の御前の神と名付けられた。祭神は素盞鳴尊(すさのおのみこと)が誓約(うけい)でお産れになった
三女神の一柱の市杵島姫命と七福神の一柱といわれている弁財天である。永禄年間、荒木村重が織田信長の命令で
花熊(隈)城の鬼門鎮護の神に定められた。その後花熊城ともに戦火を受け、現在地に再建された。
鬼門鎮護、福徳円満、文学芸能の神として、花隈芸者の名付けの神として知られる


 
神戸市中央区にて(12月) 四宮神社 相楽園の南、ひょご県庁の西北に位置する。 都市計画により神社面積が半減した。


北野天
神戸市北野
北野天満神社

本ページの目次へ

平清盛が福原遷都のために
京都北野天満宮を勧請して造営
異人館の街が北野と呼ばれのはこの神社による

治承4年(1180)平清盛が京都から神戸・福原に遷都するに当たって禁裡守護、
鬼門鎮護の神として、京都北野天満宮を勧請して祀られた。神社前の道は北部の西国
街道として往来も多かった。明治開港と共に外国人が多く住み、風光を賞で異国
情緒豊かな異人館を残して、神戸の名所に数えられるようになった。



神戸市北野異人街にて(12月) 北野天満神社



道場
神戸市北区道場
旧郷社 
塩田八幡宮

本ページの目次へ

1200年の由緒ある神社。京都の岩清水八幡宮の別宮であった
応仁の乱で焼失したが、赤松家、九鬼家の尊崇、寄進を受け復興した

大同年間(810)頃に大歳神社と称した。その後、山城国石清水八幡宮より 応神天皇・神功皇后・玉依姫命の
御神霊を勧請合祀され、石清水八幡宮別宮塩田八幡神社と称した。摂津国守護職赤松範資より社領寄進を得たが、
応仁の乱(1467〜77)により社殿その他の建造物を焼失した。 しかし赤松氏の尊崇は歴代篤く、寺社領、
梵鐘等の寄進も得、徳川幕府下、明暦3年(1657)三田藩主九鬼隆昌より浄財寄進があり社殿の
再建がなり、九鬼家当主代々の奉納、寄進が続いた。(神社HPより)



神戸市北区道場にて(8月) 塩田八幡宮 正面 クリックで拡大

  
神戸市北区道場にて(8月) 塩田八幡宮 参道 
クリックで拡大

 
神戸市北区道場にて(8月) 塩田八幡宮 御本殿と由緒記 クリックで拡大(由緒記が読める)

 
神戸市北区道場にて(8月) 塩田八幡宮 本殿と祖霊殿 
クリックで拡大

   
神戸市北区塩田八幡宮にて(8月) 摂社厳島神社と説明板 クリックで拡大

  
神戸市北区道場にて(8月) 塩田八幡宮 社務所、忠魂碑 手水舎 クリックで拡大
社務所の門は昔、 八幡宮坊寺院が京都御室仁和寺の直末寺であったことを思わせる。

   
神戸市北区道場にて(8月) 塩田八幡宮末社 左から水神社、劔御前社、稲荷社 右は本殿前の百度石 クリックで拡大


神戸市北区道場にて(8月) 塩田八幡宮末社 左から山ノ神社、若宮八幡社、武内神社および岩清水祠 クリックで拡大


道場
猪名川町
旧村社
 金山彦神社
本ページの目次へ

平安時代大同2年(807)に多田銅山が
開かれ、続いて、金山彦神社が創建された山神

大同2年(807)創建との社伝を持つ金山彦神社は、多田銀銅山の栄枯盛衰を見守ってきた。
山の神大山祇命と金山彦命、金山比売命が祭神。伊佐那岐・伊佐奈美両神の子である、金山彦命と
金山比売命は鉱山の守り神、のち金属関係の守護神となり、各地に神社がある。(HPより
神社の石碑から豊臣秀吉の多田銀銅山支配の形跡がみられる。


  
兵庫県猪名川町多田銀銅山にて(9月) 金山彦神社 参道入口
両脇の石碑は豊臣秀吉の支配をあらわす
 クリックで拡大

  
兵庫県猪名川町多田銀銅山にて(9月) 金山彦神社 参道  クリックで拡大

  
兵庫県猪名川町多田銀銅山にて(9月) 金山彦神社 拝殿と井戸 
クリックで拡大

  
兵庫県猪名川町多田銀銅山にて(9月) 金山彦神社 本殿 クリックで拡大

 
兵庫県猪名川町多田銀銅山にて(9月) 水香山曠明院神宮寺 右は青木間歩入口 クリックで拡大
八幡大菩薩のように神に菩薩の号を付したり、熊野権現のように
神社に権現号を付す習いにより、天正16年(1588)神宮寺を儲けたという(説明板より)


宝塚
宝塚市の神社
本ページの目次へ
兵庫県 宝塚市 小浜 
小浜皇大神社(こはまこうたいじんじゃ)
宝塚市小浜5丁目4番4号
大正元年武庫川の氾濫で
大破した見佐神社を合祀、

社名を皇太神社から
皇大神社へ改称


(TM氏)


有馬
有馬温泉の神社
本ページの目次へ

(TM氏) 兵庫県
有馬温泉 温泉神社


本ページの目次へ