[神 社] 中項目・目次          HPのトップ
  1.西日本  2.京都  3.奈良 4.大阪 5.兵庫 6.滋賀・和歌山 7.東日本 

2.京都 2.1京都-1  2.2京都-2 大原野神社 石清水八幡宮 飛行神社 離宮八幡宮 長岡天満宮 
綺原神社 薪神社 宇治上神社  宇治神社 新羅大明神  御霊神社・堤防神社朝暉神社 

                    2.2 京都-2              HPのトップ

大原
西京区 旧官幣中社
大原野神社

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1200年前に藤原氏の氏神として
奈良春日大社に準ずる旧官幣中社

当社は延暦3年(784)、桓武天皇が長岡京へ遷都した際、后の藤原乙牟漏が藤原氏の氏神
奈良春日大社の分霊を勧請し、長岡京に近い大原野に祀ったのに始まる。嘉祥3年(850)、
藤原冬嗣を祖父に持つ文徳天皇が社殿、鯉沢の池を造営した。大原野神社は奈良の春日大社
に準ずる扱いを受け、明治4年に官幣中社に列した
建物は高都市指定有形文化財

 
京都洛西にて(6月) 大原野神社 一の鳥居 写真クリックで当社御由緒板を拡大表示

 
京都洛西にて(6月と11月) 大原野神社2 一の鳥居の扁額
 右は秋の拝殿 クリックで拡大

 
京都洛西にて(6月と11月) 大原野神社2 新緑の二の鳥居 右は一の鳥居から二の鳥居への秋の参道(クリックで拡大

 
京都洛西にて(6月) 大原野神社 二の鳥居と参道


 
京都洛西大原野神社3にて(11月) 三の鳥居への参道 クリックで拡大

 
京都洛西大原野神社にて(6月と11月) 文徳天皇が奈良の猿沢池を模して造ったと言われる「鯉沢の池」 秋はクリックで拡大

 
京都洛西にて(6月と11月) 大原野神社3 三の鳥居から拝殿 秋の三の鳥居はクリックで拡大

 
京都洛西にて(6月) 大原野神社2 手水舎と鹿の水口 クリックで秋の手水舎を拡大

  
京都洛西大原野神社にて(11月) 拝殿の狛犬は鹿である  クリックで拡大
(注;左は雌で右は雄と思われるが、角がないが雌鹿とは限らない)


 
京都洛西大原野神社にて(6月)  中門拝殿と拝殿の奥の本殿
本殿は一間社春日造の社殿が4棟並ぶ形式は春日大社と同じ


 
京都洛西大原野神社にて(6月) 本殿前での結婚式 クリックで拡大

 
京都洛西大原野神社にて(6と11月月) 二の鳥居とへの参道 右は拝殿二の鳥居からの参道(クリックで拡大

 
京都洛西大原野神社にて(6と11月) 拝殿からの参道 クリックで秋の参道拡大

 
京都洛西大原野神社3にて(6月) 清和天皇産湯の清水と伝わる「瀬和井」 クリックで拡大

 
京都洛西大原野神社2にて(6月) 摂社 若宮社 右は「大原野社神鹿苑」碑

 
京都洛西にて(6月) 大原野神社 鯉沢の池 池の睡蓮 スイレン科 スイレン属

 
京都洛西大原野神社にて(6月と11月) 文徳天皇が奈良の猿沢池を模して造った「鯉沢の池」 右は「春日の茶屋」クリック拡大

 
京都洛西大原野神社にて(11月) 拝殿への参道
(右に鯉沢の池と春日の茶屋) 境内風景  クリック拡大

 
京都洛西にて(6月) 大原野神社 二の鳥居へ帰る参道
クリックで秋11月) 右は駐車場へ抜ける参道

 
京都洛西大原野神社にて(11月) 紅葉の燃える境内(拝殿前附近) クリック拡大

 
京都洛西にて(6月) 大原野神社 社務所と源氏物語ゆかりの地説明板  クリックで拡大

 
京都洛西にて(6月) 大原野神社2社務所から拝殿へ  右は大原野神社3 宮司官舎門
クリックで秋の官舎前

 
京都洛西大原野神社にて(11月) 大原野神社の大森林から勝持寺へ クリックで拡大

 
都洛西大原野神社にて(6月) 写真左富小路禎子  写真右植松壽樹 クリックで少し拡大
富小路禎子<1926〜2002>
母胎より彼岸に到るここの道いましばらくの緋なる夕映
植松壽樹<1890〜1964>竹郡に降る音ありて更くるらむ 雪の一夜を来て泊まりたし

 
京都洛西大原野神社にて(11月) 歌碑の前、宮司官舎前 
クリックで拡大

 
京都洛西大原野神社にて(6月) 歌碑 左は五島 茂、右は島美代子 クリックで拡大
五島 茂<1900-2003>
 「まさかりを過ぎしもみじ葉ためいろのくれなゐ霧らし夕日かがよふ
五島美代子<1898-1977> 目さむればいのちありけり露ふふむ朝山ざくら額にふれゐて


石清水
八幡市 旧官幣大社
石清水八幡宮

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日本三大八幡<宇佐八幡・鶴岡八幡・石清水八幡>の一社。
日本三社<伊勢神宮・賀茂神社(上賀茂と下鴨)・石清水八幡宮>の一社
平成27年に本殿他10棟が国宝に認定された。
徒然草に書かれている神社。
平安前期に大分県の宇佐神宮から勧請され、後に源頼朝により鶴岡八幡宮が当社から勧請された。
皇室の祖神を祀るので伊勢神宮に継ぐ第二宗廟として天皇家から崇敬され、多くの天皇が参拝した。
京都の鬼門(北東)の延暦寺とともに、裏鬼門(南西)を守る神社として当社は重視されている。武家の中では
源氏から武神としての信仰が篤く、各地に八幡宮が勧請された。
仁和寺の和尚の話 (徒然草第五二段
で有名。近代には、エジソンが白熱電球のフィラメントにこの神社の竹を使用した。
これが日本のカーボンファイバーの製造世界一に繋がっているという。


 
京都府八幡市石清水八幡宮下院にて(6月) 一の鳥居 扁額には2羽のが向き合う
  右は一の鳥居扁額


八幡市石清水八幡宮下院にて(6月) 日本庭園放生池


 
京都府八幡市石清水八幡宮下院にて(6月) 日本庭園放生池

 
京都府八幡市石清水八幡宮下院にて(6月) 頓宮南門 右は北門

  
京都府八幡市石清水八幡宮下院にて(2月) 写真左は頓宮殿を囲む連子窓 写真中央は頓宮殿から見える五輪塔
写真右は五輪塔(航海記念塔)(重文)を近くで撮影したもの クリックで拡大

  
京都府八幡市石清水八幡宮下院にて(2月) 岩清水八幡宮五輪塔(航海記念塔)(重文) 
クリックで拡大


京都府八幡市石清水八幡宮下院にて(2月) 頓宮殿(
クリックで6月の写真

 
八幡市八幡宮下院にて(6月) 高良神社 左写真は神社横の石清水八幡宮斎田碑 
クリックで説明板

 
八幡市八幡宮下院にて(2月) 高良神社 鳥居の向こうに拝殿と右は本殿 クリックで拡大

 
京都府八幡市石清水八幡宮下院にて(6月) 二の鳥居 表参道口
右は古い岩清水八幡宮の境内絵図(クリックで拡大) 境内絵図には頓宮厄神として出ている


京都府八幡市石清水八幡宮下院にて(6月) 裏参道口

徒然草 第52段仁和寺にある法師
仁和寺の老僧は「一生に一度は石清水八幡宮へ詣りたい」と思っていた。念願叶って
石清水八幡宮へ行き、山麓の頓宮や高良神社だけを参拝して満足し、そこが石清水だと
思い込んで石清水八幡宮の本殿がある男山に登らずに帰ったという話。

ここからケーブルで本殿のある男山山上石清水八幡宮上院へ

 
京都府八幡市にて(6月) 京阪男山ケーブル 山上駅 トンネルと鉄橋 写真クリックで少し拡大


京都府八幡市石清水八幡宮上院にて(6月) 三の鳥居

 
京都府八幡市石清水八幡宮上院にて(6月) 参道


京都府八幡市石清水八幡宮上院にて(6月) 本殿(国宝)および廻廊、外殿

 
京都府八幡市石清水八幡宮上院にて(6月) 本殿前幣殿及び舞殿 社務所

 
京都府八幡市石清水八幡宮上院にて(6月) 楼門 右奥は本殿(国宝)


京都府八幡市石清水八幡宮上院にて(6月) 南総門と廻廊(国宝)


八幡市石清水八幡宮上院にて(6月) 摂社若宮社・若宮殿社(重文)

 
京都府八幡市石清水八幡宮上院にて(6月) 摂社住吉社(重文) 末社一童社 右写真は竜田社、貴船社

 
八幡市石清水八幡宮上院にて(6月) 末社永田社、生田社、廣田社 右写真は気比社、摂社水若宮社(重文)

 
京都府八幡市石清水八幡宮上院にて(6月) 境内エジソン記念碑前付近 右は湧峯塔

 
京都府八幡市石清水八幡宮上院にて(6月) 参道と手水舎


 
京都府八幡市石清水八幡宮上院にて(6月) 神馬舎 写真右は校倉

 
京都府八幡市石清水八幡宮上院にて(6月) 社務所・書院 右は伊勢神宮遥拝所

 
都府八幡市石清水八幡宮上院にて(6月) 東参道と西参道



京都府八幡市石清水八幡宮上院にて(6月) 茶室鳩峯庵

 
京都府八幡市石清水八幡宮上院にて(6月) 茶室鳩峯庵 「エジソン記念碑」の隣にひっそりと建つ、茶室

 
八幡市石清水八幡宮上院にて(6月) 鳩嶺茶園跡碑 右は酒樽飾り


八幡市石清水八幡宮上院にて(6月) 清峯殿(式場・会議室・宴会場)

 
京都府八幡市石清水八幡宮上院にて(6月) 北総門 右写真は東総門


 
京都府八幡市石清水八幡宮上院にて(6月) 台所守護 竃神殿

 
京都府八幡市石清水八幡宮上院にて(6月) 奈良・高野道への道標と街道

石清水八幡宮にて(6月) エジソン記念碑
写真クリックで説明文
エジソンが白熱電球に、境内の竹を使用し
良質であったので商品に使用した。
その縁により境内に記念碑を建て、
毎年2月11日にエジソン生誕祭が行われている。

記念碑の左部分の英文
Genius is one per cent inspiration
and ninety-nine per cent perspiration”



ハイテク素材@ 産経新聞 平成28年12月12日(月)夕刊より 上下夫々クリックで拡大
エジソンが白熱電球に、石清水八幡宮の竹の炭化繊維を使用したのが炭素繊維の始まり。後に大阪工業試験所
(現産業技術総合研究所)の進藤博士が製造に成功し、東レがカーボンファイバーの世界トップの本格製造を行っている。

ハイテク素材A 12月13日夕刊の記事は大阪府池田市産業技術総合研究所へ  この研究所が鉄より軽くて強い夢の
炭素繊維(カーボンファイバー)の製造法における世界的な成果を出し、東レが製造法を引き継ぎ、釣竿、ゴルフ倶楽部シャフト、
義足から車体、航空機のボディーへと利用が拡大している。
ハイテク素材B 12月15日 ハイテク素材C 12月16日 
ハイテク素材D 12月17日夕刊の記事は
滋賀県東洋紡へ

京都府八幡市石清水八幡宮前安居橋にて(6月)
能蓮法師<生没不詳>歌碑

岩清水 清き流れの絶えせねば
やどる月さえ 隈なかりけり

京都府八幡市石清水八幡宮上院にて(6月) 歌碑

松田南窓<生年不詳>
道も狭に 椿の花の散り布きて
あゆみためろふ 八幡神山

 
石清水八幡宮展望台にて(6月) 谷崎潤一郎文学碑 右は展望台から京都市方面
小説「蘆刈」で男山を描写 写真クリック文学碑は説明文、展望風景は拡大します

再び男山山麓に戻る


 
京都府八幡市石清水八幡宮前にて(6月) 江戸時代の古地図に出ている
放生川(ほうじょうかわ)に架かる安居橋(あんごばし)

 
京都府八幡市石清水八幡宮前安居橋にて(6月) やわた放生の景の碑
 右は安居橋から高良神社を見る


飛行
八幡市
飛行神社

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日本初の飛行実験に成功した二宮忠八翁が、神社を創建し、
飛行機事故殉難者の御霊をお祭りし、航空業界の安全と発展を願う。

二宮忠八は慶応2年(1866)海産物商二宮家の四男として生れ、12歳で父を亡くし、伯父の薬種商の手伝いをする。
物理や化学に深い興味を持ち、忠八凧と呼ばれた独創的な凧を作った。明治20年(1887)、丸亀歩兵第12聯隊付に入隊、
明治24年4月同練兵場で、日本人初のゴム動力によるカラス型飛行器の飛行に成功。更に人の乗れる玉虫型飛行器を考案、
明治26年に試作実験の矢先、日清戦争が起り出兵し、軍用飛行機の研究開発を上申した。却下されたが後に評価。
大正4、忠八翁が自宅地に飛行神社を創建した。忠八に関する博物館記念館が大阪市と香川県にある。



京都府八幡市にて(6月) 飛行神社正面 ジュラルミンの鳥居

 
京都府八幡市にて(6月) 飛行神社本殿 左から薬光神社、飛行神社、祖霊社

  
京都府八幡市にて(6月) 飛行神社本殿 左から薬祖神を祀る薬光神社、中央は饒速日命(にぎはやひのみこと)
を祀る飛行神社、右は航空殉難者を祀る祖霊社 
夫々クリックで拡大

  
京都府八幡市にて(6月) 薬光神社、飛行神社、祖霊社の説明文 夫々クリックで拡大

  
京都府八幡市にて(6月) 左から手水、境内風景、右は常盤稲荷神社 
クリックで拡大

 
京都府八幡市にて(6月) 航空機のプロペラ 右は零式艦上戦闘機(ゼロ戦)の実物


京都府八幡市にて(6月) ロケットエンジンらしき展示物

 
京都府八幡市にて(6月) 飛行神社資料館内部の様子(ネットより転載)
右は大阪市港区JR弁天町駅 JR西日本交通科学博物館にある忠八の飛行機模型

 
京都府八幡市にて(6月) 資料豊富な飛行神社資料館内部の様子 隣に関連図書室がある


香川県仲多度郡まんのう町 二宮忠八飛行館 二宮忠八について


離宮
乙訓郡 大山崎町 旧府社
離宮八幡宮

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石清水八幡宮の元社にあたる神社。祭神は八幡大神
平安京の守護神として国家安泰のため宇佐神宮から分霊した神社
日本の製油発祥地であり「大山崎油座」の制度で繁栄した

貞観元年(859)に清和天皇が、神託により国家安泰のため宇佐神宮から分霊し平安京の守護神として奉安する
ため、九州に赴いた大安寺の僧行教が帰途山崎の津で神降山に霊光を見、その地に石清水が湧いたのを帰京後清和天皇
に奏上したところ、勅命により国家鎮護のため石清水八幡宮が建立された。そして嵯峨天皇の「河陽離宮」跡であった
ので社名を離宮八幡宮とした。神官が搾油器を発明し荏胡麻油の製造を始めたことから、日本の製油発祥地とされ、
大山崎油座の制度で油の販売権を独占した。明治9年に神領の大半が現JR用地とされ、社地は縮小された。


京都府乙訓郡大山崎町にて(10月) 離宮八幡宮 正面鳥居の向こうは中門 参考

 
京都府乙訓郡大山崎町にて(10月) 離宮八幡宮 総門(
写真クリックで神社の由緒説明板を拡大
と離宮 河陽(かや)宮址の碑(
クリック拡大) 神社参考資料


京都府乙訓郡大山崎町にて(10月) 離宮八幡宮 中門より拝殿を見る

 
京都府乙訓郡大山崎町にて(10月) 離宮八幡宮 拝殿より本殿を見る 
写真右は本殿の供物一斗缶の「油」が並んでいる 
クリックで拡大

 
京都府乙訓郡大山崎町にて(10月) 離宮八幡宮 本殿(写真左は西側 右は東側)


大山崎町離宮八幡宮にて(10月)南門の由緒説明板 クリックで拡大


 
京都府乙訓郡大山崎町離宮八幡宮にて(10月)精油発祥地碑と荏胡麻
エゴマ シソ科 シソ属 クリックで拡大


京都府乙訓郡大山崎町にて(10月) 離宮八幡宮 東門

 
京都府乙訓郡大山崎町にて(10月) 離宮八幡宮 参道


京都府乙訓郡大山崎町にて(10月) 離宮八幡宮 境内


 
京都府乙訓郡大山崎町にて(10月) 離宮八幡宮 境内

 
京都府乙訓郡大山崎町にて(10月) 離宮八幡宮 境内


 
大山崎町離宮八幡宮にて(10月) 菅原道真腰掛け石 クリックで説明板
菅原道真<845〜903> 腰掛け石にて「君が住む 宿の梢をゆくゆくも かくるるまでも かへり見しかな

 
京都府乙訓郡大山崎町離宮八幡宮にて(10月)左写真は勝竜寺城主が寄進した手水鉢 右は大分県の宇佐八幡宮
より分霊の帰途、ここでお告げにより清水が湧きだし岩清水八幡宮を創建した謂れの泉 
写真クリックで説明板

 
京都府乙訓郡大山崎町離宮八幡宮にて(10月) 境内摂社 左は天照大神 右は蛭子社

 
京都府乙訓郡大山崎町離宮八幡宮にて(10月) 境内摂社 左は鹿島神宮 右は気比神社



大山崎町離宮八幡宮にて(10月) 境内摂社 勝手神社

 
京都府乙訓郡大山崎町離宮八幡宮にて(10月) 境内摂社 左は腰掛天神社 右は式内社


 
都府乙訓郡大山崎町離宮八幡宮にて(10月) 境内摂社 右は高良社


京都府乙訓郡大山崎町離宮八幡宮にて(10月) 境内摂社 若宮社


大山崎町離宮八幡宮にて(10月) 境内摂社 稲荷社  住吉社


京都府乙訓郡大山崎町離宮八幡宮にて(10月) 境内遺構

 
京都府乙訓郡大山崎町離宮八幡宮にて(10月)手水所

 
京都府乙訓郡大山崎町離宮八幡宮にて(10月) 境内に立つ油祖像と神馬

  
京都府乙訓郡大山崎町離宮八幡宮にて(10月) 境内に立つ石標 クリックで拡大

 
京都府乙訓郡大山崎町離宮八幡宮にて(10月) 




長岡
長岡京市 旧府社
長岡天満宮
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菅原道真公が詩歌管弦を楽しまれた所
菅原道真公が在原業平らと共にを楽しまれたところ。 公が太宰府へ
左遷された時、ここに立ち寄り「我が魂長くこの地にとどまるべし」と名残を惜し
まれたので、公御自作の木像をお祀りしたのが当神社のはじまり。
爾来皇室の篤い崇敬と御寄進御造営をうけてきた。



 長岡京市にて(10月) 長岡天満宮本殿 昭和16年(1941年)、平安神宮の旧本殿が移築された。 (説明板

 
        長岡京市にて(10月) 長岡天満宮 正面大鳥居                大鳥居の扁額

 
 長岡京市にて(10月) 長岡天満宮 本殿 右は本殿前鳥居











長岡天満宮にて(10月)
敬神生活の綱領
クリックで拡大

長岡京市にて(10月) 長岡天神
清廉潔白至誠十貫の碑









長岡天満宮にて(10月)
本殿前牛の像
クリックで拡大

 
長岡京市にて(10月) 八条が池 中堤霧島つつじ
  右は長岡天満宮庭園錦景園

 
 長岡京市にて(10月) 長岡天満宮八条宮智仁親王よって造られた八条が池 水上橋と六角堂 
平成26年に橋は白木の橋へと修復された。 
クリックで改装後の水上橋 改装後の水上橋はネットより
右の像は中小路宗城像八条宮智仁親王によって築造された「八条が池」の整備に貢献した元宮司の像(クリックで拡大

 
 長岡京市にて(10月) 長岡天満宮社務所 右は神楽殿


 
 長岡京市にて(10月) 長岡稲荷大明神 右は長岡天満宮参道鳥居

 
長岡京市にて(10月) 「八条が池」の水上料亭錦水亭 手前は加賀藩前田候の寄進の八条が池の太鼓橋
右は長岡天満宮 明石池 
 レストランの頁へ


長岡天満宮にて(10月) 説明板 
クリックで拡大


  
京都府木津川市
綺原神社

(綺原座健伊那太比賣神社)
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大日本史、日本書紀などに記述がある
秦氏一族の創起と云われる由緒深い神社

綺原神社は日本書紀などに、綺原座健伊那太比賣神社(かんばらにますたていなだひめじんじゃ)
と記述されており、祭神は健伊那太比賣(たていなだひめ)である。健康で稲作に勤しめるよう祈願
したと思われる。地名の綺田(かはた)は紙織または神織に由来し、神に献ずる衣服を織る技術者集団
綺氏(秦氏)一族の創起だと云われる。その後、菅原道真公の天神社と八王子社を祀る。
蟹の恩返しの蟹満寺に近い。
神社由来駒札より)

 
京都府木津川市にて(2月) 綺原神社(かんばらじんじゃ) 
クリックで拡大

  
京都府木津川市にて(2月) 綺原神社拝殿、本殿 右は神社説明駒札 クリックで拡大

 
京都府木津川市にて(2月) 綺原神社 クリックで拡大


薪神
京都府京田辺市 旧村社
薪神社
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能楽発祥地の神社。
頓知の一休さんの一休寺の門前、薪能金春芝旧跡に隣接する。

  
京田辺市にて(4月) 薪神社(たきぎじんじゃ) 能楽発祥の地碑 クリックで拡大

 
京田辺市にて(4月) 一休寺一休坂前 薪能金春芝旧跡の碑  クリックで拡大


京田辺市にて(4月) 薪神社内 能楽発祥の碑 右写真は一休坂

京田辺市にて(4月) 一休坂の碑
一休寺門前のこの坂を上ると薪神社

 夫々クリックで拡大


宇治上
宇治市 旧村社
世界遺産
宇治上神社
 
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現存する日本最古の神社建築(国宝)の神社
菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)、応神天皇、仁徳天皇を祀る。
本殿は現存する日本最古の神社建築。本殿、拝殿ともに国宝である。

1052年創建の平等院との深い関連性が考えられている

宇治市 世界遺産宇治上神社にて(2月) 鳥居

宇治市 世界遺産宇治上神社にて(2月) 正面

宇治市観光協会 宇治上神社にて(2月)
拝殿(国宝)
正面

宇治市 世界遺産宇治上神社にて(2月)
本殿(国宝)

宇治市 世界遺産宇治上神社にて(2月)
 拝殿(国宝)裏

 宇治市 宇治上神社付近にて(2月)
 宇治上神社庭跡

宇治市 宇治上神社にて(2月) 春日社
(重文)
    

宇治市 宇治上神社にて(2月)桐原水(
きりはらすい
宇治七名水の一つ

宇治市 宇治上神社にて(2月) けやき

宇治上神社にて(2月)

宇治市 宇治上神社にて(2月) 社務所

宇治市 宇治上神社付近(2月) 厳島社 


宇治
宇治市 旧府社
宇治神社
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宇治上神社と宇治神社両方は平等院の鎮守社であった
喜撰法師の「わが庵は・・・」の歌碑がある
明治維新前は宇治上神社と宇治神社両方を合わせて宇治離宮明神、八幡社と呼ばれt。
宇治神社を下社・若宮とするのに対して、宇治上神社は上社・本宮と呼ばれ
延喜式神名帳
には「山城国宇治郡 宇治神社二座」とあり、それぞれ宇治神社・
宇治上神社である。平等院ができるとその鎮守社とされた。(解説原典


宇治市 宇治神社にて(2月) 拝所

宇治市 宇治神社にて(2月) 正面鳥居

宇治市 宇治神社付近にて(2月) 本社(重文)
仁徳天皇との皇位を巡る葛藤から
宇治で自殺した菟道稚郎子の
等身大の坐像(重文)
を祀っている。
付近は菟道稚郎子が造営した
桐原日桁宮跡と伝えられている。

宇治市 宇治神社にて(2月)末社
手前から廣田神社、松尾神社、高良神社、伊勢両社

宇治市 宇治神社にて(2月) 末社
向うから順に住吉神社、日吉神社、春日神社

 宇治神社にて(2月) 
宇治市観光協会


 

宇治市 宇治神社にて(2月) 桐原殿 拝殿(西側横) 
小倉百人一首第8番
宇治市 宇治神社にて(2月) 
喜撰法師<生没年不詳>

わが庵は都のたつみ
しかぞすむ
世をうぢ山と人はいふなり

この歌から
「喜撰」は宇治茶)の銘柄
とされ、茶の隠語となった。



新羅
宇治市
新羅大明神

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三室戸寺と三井寺の別院であった
この新羅大明神は園城寺のた新羅善神堂を勧請

三室戸寺は観音菩薩を本尊とし、平安時代に天台宗三井寺の別院として創建されたが、その時、
園城寺の新羅善神堂を勧請したもの。新羅大明神とは、須佐王命の事で、朝鮮の新羅とは関係がない。

 
 宇治市三室戸寺にて(11月)新羅大明神 説明碑



御霊
福知山市
御霊神社・堤防神社朝暉神社
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御霊神社は稲の神社、後に明智光秀も祀られた
朝暉神社は福知山城天主にある
御霊神社の祭神は宇賀御霊大神であって元来稲を主宰し給う神を祀ったことから五穀豊穣
商売繁昌の神として崇められてきた。その後、明智光秀公を祀ったことから御霊神社となった。


 福知山市御霊神社にて(3月) 頼山陽
明智光秀が本能寺へ引き返す時の心境の漢詩 

福知山市御霊神社にて(3月)  正面鳥居

      

 福知山市御霊神社にて(3月) 叶石  

 福知山市御霊神社にて(3月)  堤防神社


福知山市福知山城にて(3月) 
小天守東側にある朝暉(あさひ)神社


 福知山市御霊神社にて(3月)
   

 福知山市御霊神社にて(3月) 
光秀を讃える川柳句碑 
「免税と決めて光秀名を残し」
汀亭 参考

福知山市御霊神社にて(3月)
 からくり時計 

 福知山市御霊神社にて(3月) 社務所 
 右は本殿


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