[仏 閣] 中項目・目次          HPのトップ
 1.滋賀・和歌山 2.中国・四国 3.中部・北陸・東日本 4.京都 5.奈良 6.大阪 7.兵庫

4.京都 4-1 市内(東-1) 方広寺 永観堂 南禅寺 南禅院 金地院 天授庵 妙法院 三十三間堂 法住寺 養源院 智積院 専称寺 相国寺 大光明寺 
銀閣寺 宝鏡寺 本法寺 妙顕寺 慈受院 頂妙寺 金戒光明寺 真如堂 浄土院 六波羅蜜寺 瑞泉寺  青蓮院 法然院  安楽寺 
霊鑑寺 知恩院 仲源寺 西大谷 東大谷 東山浄苑 建仁寺 建roku仁寺  六道珍皇寺 高台寺 圓徳院 大雲院  雙林寺 長楽寺 安養寺 清水寺 本能寺跡 
4-1 市内(東-2) 4-2 市内(中)  4-2 市内(西)  4-3 京都府下


4-1 京都市内(東-1)続き

天台宗
天台宗
青蓮院門跡
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天台五門跡、天台三門跡の一つ
旧粟田御所 国宝青不動の寺

青蓮院は東山区粟田口にある天台宗の寺院で青蓮院門跡とも称する。
開基は伝教大師最澄、本尊は熾盛光如来(
しじょうこうにょらい)である。

 
京都市東山区 天台宗青蓮院門跡前にて(12月)

 
京都市東山区 天台宗青蓮院門跡にて(12月) 天然記念物・楠の大木に囲まれた長屋門

 


京都市東山区 天台宗青蓮院門跡にて(12月)

京都市東山区 天台宗青蓮院門跡にて(12月)大玄関

東山区 天台宗青蓮院門跡にて(11月)
華頂殿掛図

 東山区 天台宗青蓮院門跡にて(12月)
 華頂殿入口

京都市東山区 天台宗青蓮院門跡にて(12月)
相阿弥の庭より華頂殿

東山区 天台宗青蓮院門跡にて(11月)
華頂殿の屏風

 
 東山区 天台宗青蓮院門跡にて(11月) 相阿弥の庭 龍心池


京都市東山区 天台宗青蓮院門跡にて(12月)
華頂殿 三十六歌仙額絵がある

 東山区 天台宗青蓮院門跡にて(11月)
 相阿弥の庭より華頂殿

京都市東山区 天台宗青蓮院門跡にて(12月)
相阿弥の庭より小御所

 東山区 天台宗青蓮院門跡にて(11月)
 華頂殿 木村英輝氏奉納の青い蓮の襖絵(60面)

青蓮院門跡にて(11月) 小御所への渡り横の「一文字手水」

青蓮院門跡にて(11月) 小御所への渡り


 東山区 天台宗青蓮院門跡にて(12月)鐘楼


京都市東山区 天台宗青蓮院門跡にて(12月)

 東山区 天台宗青蓮院門跡にて(12月)日吉社

 
京都市東山区天台宗青蓮院門跡にて(12月) 好文亭の紅葉と相阿弥の庭より小御所



天台宗青蓮院門跡にて(12月) 好文亭 写真クリックで説明板
青蓮院を仮御所としていた後桜町上皇が学問所として使用した茶室

 
京都市東山区天台宗青蓮院門跡にて(12月)
 小堀遠州の霧島の庭


東山区 天台宗青蓮院門跡にて(12月)
堂内の厨子にはご本尊熾盛光如来」
(しじょうこうにょらい)
の曼荼羅を安置
本堂の東裏に国宝青不動画像(複製)を安置




 東山区 天台宗青蓮院門跡にて(11月)
 厨子にはご本尊熾盛光如来」曼荼羅を安置
 

 青蓮院門跡 青不動掛図(国宝) 
 <特別開帳案内パンフレットより>

 熾盛光堂」(しじょうこうどう)(11月)


 「熾盛光堂」(しじょうこうどう)(12月) 
 背面に青不動掛図(国宝)複製が安置

天台宗青蓮院門跡にて(11月) 宸殿 前庭の橘(右)と桜(左

 天台宗青蓮院門跡にて(11月)
 宸殿内部の御簾 

東山 天台宗青蓮院門跡にて(12月)四脚門(表)

 東山 天台宗青蓮院門跡にて(12月)四脚門内側
 
京都市東山区天台宗青蓮院門跡にて(11月) 植髪堂      親鸞聖人童形像   


京都市東山区青蓮院門跡横 花山院陵への道

京都市東山区青蓮院門跡横 花山院陵への門


浄土宗
浄土宗
善気山法然院萬無教寺

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京都市東山 法然院萬無教寺 苔むす萱葺きの山門と白砂壇

京都市東山 法然院門前にて 法然院境内地図

浄土宗元祖法然房源空上人ゆかりの地

 京都市東山法然院 伽藍

 法然院の秋 
法然院の写真は(TM氏)による
 

善気山 法然院 萬無教寺

西田幾多郎、田辺元、三木清らゆかりの
哲学の道
にて
 


安楽寺
浄土宗
住蓮山安楽寺

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京都市 東山 安楽寺

安楽寺 行きかた 
説明版クリックで拡大
安楽寺の写真は(TM氏)による


臨済宗
臨済宗南禅寺派
円城山霊鑑寺門跡

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臨済宗南禅寺派の門跡尼寺
1654年(承応年)後水尾天皇が皇女を開基として創建された。
代々皇女が住職を務めて、谷御所、鹿ケ谷比丘尼御所とも呼ばれている。



京都市 霊鑑寺(れいかんじ) 
 
臨済宗南禅寺派の門跡尼寺 霊鑑寺
霊鑑寺 椿の名木
霊鑑寺の写真は(TM氏)による


浄土宗
浄土宗総本山
華頂山知恩院大谷寺

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法然が開いた浄土宗総本山
知恩院は東山区の浄土宗総本山。本尊は開基の法然上人像(本堂)および阿弥陀如来(阿弥陀堂)である。
浄土宗総本山知恩院は元々、勢至堂の所にあったが、徳川時代に拡張され、現在の体裁を調えた。現在の御影堂あたり
一帯は、昔は白毫寺というお寺があり、知恩院拡張のため移転させられたという。(参考


 京都市東山にて(11月) 浄土宗総本山 知恩院 三門(国宝) 


京都市東山にて(11月) 浄土宗総本山 知恩院 
三門(国宝)(TM氏)

京都市 東山 知恩院
 (TM氏)
知恩院建物紹介


 京都市東山にて(11月) 浄土宗総本山 知恩院 本堂 御影堂(国宝) 写真クリックで平成大修理中


 京都市東山にて(11月) 浄土宗総本山知恩院 
阿弥陀堂  クリックで(9月)の写真

 京都市東山にて(11月) 浄土宗総本山知恩院
 
手水舎と向うは阿弥陀堂

 
京都市東山浄土宗総本山知恩院にて(9月) 手水舎(
クリックで拡大)    右は(11月)にて 御影堂(国宝)


京都市東山 知恩院 男坂 (TM氏) 
 京都市東山にて(11月) 浄土宗総本山
知恩院 南門
(円山公園側)  知恩院 配置図

知恩院御影堂 正面右上の軒裏
左甚五郎の忘れ傘
(TM氏)
境内図 知恩院の七不思議

法然上人幼少の像 「せいし丸さま
法然上人は勢至菩薩の生まれ変わりとし
幼名を勢至丸
という

京都市東山知恩院にて(11月) 友禅苑 門前
クリックで拡大


 
 京都市東山にて(11月) 浄土宗総本山知恩院 宝仏殿 右写真は(9月)正面から阿弥陀如来(クリックで拡大


京都市東山知恩院にて(9月) 経蔵(重文) クリックで拡大

京都市東山にて(11月) 浄土宗総本山知恩院 経蔵(重文) 

京都市東山 浄土宗総本山知恩院 
坂村真民<1909~2006> 「念ずれば 花ひらく
句碑・歌碑のページへ

 京都市東山にて(11月) 浄土宗総本山知恩院 
 70tの釣鐘の大鐘楼(西側
) 除夜の鐘を17人で突く 

  
京都市東山区知恩院にて(9月) 大鐘楼(東側)および説明板 クリックで拡大

  
京都市東山浄土宗総本山知恩院にて(11月)  納骨堂   右写真は(9月)の納骨堂(クリックで拡大

 
京都市東山にて(11月) 知恩院 霊塔 右は方丈玄関前の仏足石(クリックで拡大

  
京都市東山区知恩院にて(9月) 方丈玄関(写真中央)と玄関前庭  右は方丈庭園(京都市指定名勝)出入口  クリックで拡大

  
京都市東山区知恩院にて(9月) 方丈(南側および東側) 右は大方丈説明板     クリックで拡大

 
京都市東山区知恩院にて(9月) 方丈庭園(京都市指定名勝)  クリックで拡大

  
京都市東山区知恩院にて(9月) 方丈庭園(京都市指定名勝)  クリックで拡大

  
京都市東山区知恩院にて(9月) 方丈庭園(京都市指定名勝)  クリックで拡大

  
京都市東山区知恩院にて(9月) 大方丈東側 中央は小方丈南側  右は小方丈説明板     クリックで拡大

  
京都市東山区知恩院にて(9月) 方丈庭園(京都市指定名勝)  クリックで拡大

   
京都市東山区知恩院にて(9月) 方丈庭園(京都市指定名勝)  
クリックで拡大

 
京都市東山区知恩院にて(9月) 権現堂への門および権現堂  クリックで拡大

    
京都市東山区知恩院にて(9月) 東照宮五重塔 茶室および権現堂への参道  クリックで拡大

  
京都市東山区知恩院にて(9月) 知恩院の七不思議  クリックで拡大

 
京都市東山区浄土宗知恩院にて(11月)黒門道場門 右写真は集会堂への四脚門(クリックで拡大
現在集会堂は御影堂平成大修理のため法然上人御堂として本堂の役割を果たしている



 知恩院蓮如上人生誕地前にて(11月)
 親鸞聖人旧御廟所 本願寺発祥之地 
蓮如上人御誕生之地 元大谷崇泰院の碑

 京都市東山区蓮如上人生誕地前にて(11月) 
 門前左の碑を拡大(左写真)


浄土宗
浄土宗
仲源寺

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眼病に霊験があるという寺院


京都市祇園にて(11月) 浄土宗仲源寺 
目疾(めやみ)地蔵 眼病に霊験がある 
洛陽三十三所観音霊場第十六番札所



浄土真宗 
浄土真宗本願寺派
西本願寺・大谷本廟

(西大谷・祖廟)
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西本願寺の宗祖親鸞の墓所
世界遺産西本願寺の飛地境内建物

東山区の大谷本廟(おおたにほんびょう)は浄土真宗本願寺派(西本願寺)の宗祖親鸞の墓所である。
通称西大谷、祖廟と呼ばれ、伏見区の日野誕生院、右京区の角坊(すみのぼう)とともに西本願寺が所有する
飛地境内建物である。 西本願寺のページへ 日野誕生院のページへ 
境内配置図へ  大谷本廟案内動画

  
京都市東山区にて(2月) 浄土真宗本願寺派西本願寺 大谷本廟 総門(内側) 写真クリックで太田日本病説明板
左総門扉の七五の桐紋(皇室の紋で一時関白秀吉にも使用が許され、現在、内閣が使用)および総門扁額はクリックで拡大


 
京都市東山区にて(2月) 浄土真宗本願寺派西本願寺 大谷本廟 総門(正面と内側) 写真クリックで拡大

 
京都市東山区にて(2月) 浄土真宗本願寺派西本願寺 大谷本廟 参道(総門方向と五条通り方向)と円通橋 
写真クリックで拡大

  
京都市東山区にて(2月) 浄土真宗本願寺派西本願寺 大谷本廟 皓月池

   
京都市東山区にて(2月) 浄土真宗本願寺派西本願寺 大谷本廟 参道の円通橋 
写真クリックで拡大

 
京都市東山区にて(2月) 浄土真宗本願寺派西本願寺 大谷本廟 仏殿(本堂)と仏壇 クリックで拡大

  
京都市東山区にて(2月) 浄土真宗本願寺派西本願寺 大谷本廟 鐘楼  
クリックで拡大

 
京都市東山区にて(2月) 浄土真宗本願寺派西本願寺 大谷本廟 読経所と仏殿(左) 仏殿(右)クリックで拡大

  
京都市東山区浄土真宗本願寺派西本願寺 大谷本廟 にて(2月) 読経所(左)、読経所と二天門、仏殿(右) 
クリックで拡大

 
京都市東山区浄土真宗本願寺派西本願寺 大谷本廟 にて(2月) 明著堂(本廟の拝堂) クリックで拡大

  
京都市東山区大谷本廟 にて(2月) 明著堂(本廟の拝殿) 右は親鸞聖人御廟八角堂(ネットより転載) 
クリックで拡大
親鸞は鳥辺野北の大谷に葬られ、末娘の覚信尼(1224~83)が文永9(1272)年に知恩院三門北の崇泰院
廟堂を営み、遺骨を安置した。その堂は内紛のため破壊されたが、三世覚如(1270~1351)が再建し
専修寺と号し、さらに本願寺と改称した廟堂は江戸時代初めに、ここ西大谷に移った。


 知恩院蓮如上人生誕地前にて(11月)
 親鸞聖人旧御廟所 本願寺発祥之地 
蓮如上人御誕生之地 元大谷崇泰院の碑

 京都市東山区蓮如上人生誕地前にて(11月) 
 左写真は門前左の碑を拡大 (場所は知恩院三門北)

  
京都市東山区大谷本廟 にて(2月) 二天門とその左右にある二天  クリックで拡大

   
京都市東山区西本願寺 大谷本廟 にて(2月) 第1無量寿堂(左)と納骨堂内部(中)、礼拝堂(右)  
クリックで拡大

  
京都市東山区浄土真宗本願寺派西本願寺 大谷本廟 にて(2月) 礼拝堂と戦没者記念堂  
クリックで拡大

  
京都市東山区浄土真宗本願寺派西本願寺 大谷本廟 にて(2月) 大谷本廟内石窟と説明板 クリックで拡大

   
京都市東山区浄土真宗本願寺派西本願寺 大谷本廟 にて(2月) 写真左親鸞聖人像(総門前)
写真中央親鸞聖人童形像(第一無量寿堂内)、写真右覚信尼公(読経所前)と説明板 
クリックで拡大

  
京都市東山区浄土真宗大谷本廟にて(2月) 御荼毘所(親鸞の火葬場) 御荼毘所案内板 肉弾三勇士之墓 クリックで拡大

  
京都市東山区大谷本廟にて(2月) 写真中央は大谷本廟 守衛所(太鼓楼)と右は殉教碑 
クリックで拡大

   
京都市東山区大谷本廟にて(2月) 詠人不詳句碑「朝夕に 御法きけとや つげの鐘」 
右写真は昭和9年3066人の死者と行方不明者を出した室戸台風の追悼法要碑「師弟愛の碑」 
クリックで拡大


浄土
浄土真宗大谷派
東本願寺・大谷祖廟
(東大谷)
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東本願寺の宗祖親鸞の墳墓の地
大谷祖廟は東山区にある真宗大谷派(東本願寺)の飛び地境内にある宗祖親鸞の
墳墓の地。通称「東大谷」、江戸時代には「大谷御坊」と呼称された。江戸時代初期、東本願寺の建立
にあたり、大谷祖廟も建設された。この地は、近くの長楽寺、雙林寺の寺領の割愛によるもの。


京都市東山区にて(9月) 真宗東本願寺 東大谷大谷祖廟 御廟 クリックで拡大


 京都市東山にて(11月) 東大谷 大谷祖廟 総門(内側)と太鼓堂

 
京都市東山区にて(11月) 東大谷大谷祖廟 本堂


  
京都市東山区にて(9月) 真宗東本願寺 東大谷大谷祖廟 本堂 クリックで拡大

 
京都市東山にて(10月) 東大谷境内  総門(内側)と太鼓堂  
クリックで拡大

  
京都市東山大谷祖廟にて  左から総門(9月表側)、総門(10月内側)、太鼓堂(10月)  クリックで拡大

  
京都市東山区大谷祖廟にて(9月)  総門から本堂へ 手水舎 境内図  
クリックで拡大


東山区大谷祖廟にて(9月)  大谷御廟入口(八坂神社南楼門石鳥居前)  クリックでTM氏撮影冬の入口

 
京都市東山区大谷祖廟にて(10月)  参道(八坂神社南門方面)    
クリックで拡大

 
京都市東山区大谷祖廟にて(9月)  参道(東大谷総門方面) クリックで拡大

 
京都市東山区大谷祖廟にて(9月)  参道(長楽館前) 正面に総門 右は(10月)   クリックで拡大

 
 京都市東山にて(11月) 東大谷 北門 および鐘楼
 

  
 京都市東山にて(11月) 東大谷墓地入口  鞍馬石の蹲(9月)  句碑(句碑のページへ)  クリックで拡大
東本願寺第23世大谷光演(俳号句仏)<1875~1943>の句「
口あいて落花ながむる子は仏


  
浄土真宗
東本願寺東山浄苑
(本願寺維持財団)
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宮家から賜った東山六条山に
本願寺維持財団による壮大な納骨堂
財団は福井県吉崎御坊の事業も行う

東山浄苑は、伏見宮家から東本願寺へ御降嫁された折に 嘉枝宮和子女王が持参された東山六条山に
設けられた大規模な納骨墓所。今日の財団問題とは、昭和48年10月、大谷暢順氏が理事長に就任し、昭和49年
嶺藤亮内局が発足して以後、宗務総長・財務長等の宗派の役職者が財団の理事から排除されたことから始まる。
昭和55年、真宗大谷派本廟維持財団から本願寺維持財団へと名称を変更し、真宗大谷派を無視したものとなった 

この財団は東山浄苑、吉崎御坊(東御坊)の運営と文学賞等の文化振興事業を行っている。

  
京都市山科区にて(2月) 東本願寺東山浄苑 総門 右は六条山扁額 クリックで拡大

   
京都市山科区東本願寺東山浄苑にて(2月) 嘉枝堂【かえどう】(本堂) 右は嘉枝堂内部 写真左は東本願寺第21世法主・
大谷光勝に御降嫁された伏見宮邦家親王第四女子 嘉枝宮和子(かえのみやともこ)女王の像(説明文)   
クリックで拡

 
京都市山科区東本願寺東山浄苑にて(2月) 六角堂 御本尊は阿弥陀如来  クリックで拡大
親鸞聖人が夢告を受けた京都烏丸の六角堂(頂法寺)を基にした伽藍  六角堂のページへ

 
京都市山科区東本願寺東山浄苑にて(2月) 黒書院、レストラン花山(「京料理・濱登久」) 右は中村汀女と弟子の句碑
クリックで拡大   中村汀女<1900~1988>伴ひて清水も阿蘇も見すべきに
     汀女の弟子明子「泣かしめよ山茶花白き師の前に

   
京都市山科区東本願寺東山浄苑にて(2月) 響流庭(ごうるてい) 水琴窟と加茂七石   クリックで拡大

   
京都市山科区東本願寺東山浄苑にて(2月) 大谷暢順法王の叙勲記念銅像 
中央の写真は常楽堂(地上2階、地下1階)の納骨堂 
 右は総門 クリックで拡大


建仁寺
臨済宗建仁寺派大本山
東山建仁寺

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禅寺としては京都で最古
琳派の祖俵屋宗達の風神雷神の襖絵がある

建仁寺は東山区にある臨済宗建仁寺派大本山の寺院。山号を東山(とうざん)と号する。
本尊は釈迦如来、開基(創立者)は源頼家、開山は栄西である。明治の廃仏毀釈、神仏分離
の法難による塔頭の統廃合で土地を政府に上納し、境内が半分近く縮小された。
境内図 空から動画案内


京都市東山建仁寺にて(2月) 三門(望闕楼) クリックで拡大

 
 京都市東山建仁寺にて(1月) 三門(望闕楼) 建仁寺境内図はクリックで拡大 


京都市東山建仁寺にて(2月) 建仁寺沿革・由緒 案内石碑 クリックで拡大

 
 京都市東山にて(1月) 建仁寺 本坊 右はクリックで2月の写真拡大 

  
京都市東山建仁寺にて(2月) 本坊前の参道 本坊玄関と衝立 クリックで拡大 
衝立は「大哉心乎」(大いなる哉心や=人の心は本来自由で大らかである) 建仁寺開山栄西禅師の興禅護国論の序


  
京都市東山建仁寺にて(2月) 方丈勅使門正面 方丈玄関 玄関の衝立 クリックで拡大 

 
京都市東山建仁寺にて(1月) 北門 右は新しい寺標碑(2013年に建設)のある北門  クリックで拡大

  
京都市東山建仁寺にて(2月) 建仁寺の護持会「健和会」が、2014年の開山・栄西800年大遠忌を記念して、
2013年11月22日に境内の北門前と開山堂前の2ヶ所石塔を建立除幕した。中央はその両石碑建立記念碑。 
クリックで拡大


京都市建仁寺にて(1月) 陀羅尼の鐘 境内見取り図


 
京都市東山建仁寺にて(1月) 法塔前の鐘楼 もう一つの鐘楼陀羅尼の鐘 
クリックで拡大


 京都市建仁寺にて(1月) 方丈庭園 潮音庭 

京都市東山建仁寺にて(1月) 方丈

京都市建仁寺にて(1月) 方丈庭園大雄苑と勅使門内側

京都市建仁寺にて(1月) 方丈 ○△□乃庭

 京都市建仁寺にて(1月) 法堂天上の双龍図
小泉淳作画伯作 法堂天井画「双龍図」
平成14年に建仁寺開創八百年を記念して奉納

 京都市建仁寺にて(1月) 法堂の釈迦如来像 
 脇侍は迦葉尊者と阿難尊者
   


京都市東山建仁寺にて(2月) 法堂 境内見取り図 クリックで拡大 

 
 京都市東山建仁寺にて(1月) 法堂 


 
京都市建仁寺にて(1月) 開山堂楼門 右写真(2月)は平成26年に開山栄西禅師八百年大遠諱に建立した石碑
開山の栄西は岡山県吉備津宮の出身に因んで岡山産花崗岩「北木石」を用いている。 
クリックで拡大 

  
京都市建仁寺にて(2月) 開山堂通用門 写真中央の奥が開山堂 右は特別公開案内板 クリックで拡大 

 
京都市東山建仁寺にて(2月) 開山堂楼門「宝陀閣」内側(左は開山塔より見る)(右は客殿・方丈より見る)
開山堂楼門階上には陶製の十六羅漢像等(方丈にて公開)を安置 クリックで拡大 

  
京都市東山建仁寺にて(2月) 開山堂内にある開山塔(開山栄西禅師像等が安置) クリックで拡大 
写真左は開山塔南側の庭 写真右は開山塔南庭にある栄西禅師が宋より持ち帰った菩提樹

  
京都市東山建仁寺にて(2月) 開山堂客殿の襖絵「龍虎図」「松鶴波図」
楼門「宝陀閣」に安置されている陶製の十六羅漢像 クリックで拡大 


京都市東山建仁寺にて(1月) 浴室 クリックで(2月)写真を拡大
建仁寺開創八百年記念として浴室が復元されrた

京都市東山建仁寺にて(1月) 勅使門(矢の根門)(重文)
クリックで(2月)写真を拡大

 
 京都市東山建仁寺にて(1月) 桑の碑茶碑 写真クリックで拡大  

 
京都市建仁寺にて(1月) 開山堂前の桜 写真クリックで拡大

 
 京都市東山建仁寺にて(1月) 楽神廟道元禅師修業地  
クリックで(2月)写真を拡大


京都市東山建仁寺にて(1月) 惣門(西門)


 
京都市建仁寺にて(1月) 塔頭大中院山門と右は(2月)内部参道 クリックで2月の写真を拡大

 
京都市建仁寺にて(1月)田村月樵の硯碑 田村月樵は園部生れ、南画や日本画、西洋画も描いた。 右は霊照堂(納骨堂)


 京都市東山建仁寺にて(1月) 舞妓 クリックで拡大 

 京都市建仁寺にて(1月) 方丈裏の茶室の庭

 京都市東山建仁寺にて(1月) 
方丈の掛図 虎と龍 

 京都市東山建仁寺にて(1月)
 方丈庭園(内庭)潮音庭 

  
建仁寺所有 俵屋宗達作 風神雷神図屏風(国宝) 建仁寺HPより参考転載  屋宗達の墓のある頂妙寺へ 
左右両端の写真は平成27年10月 京都国立博物館 琳派展パンフレットより
 夫々クリックで拡大 


 京都市建仁寺にて(1月) 方丈から法堂への渡り

 京都市東山建仁寺にて(1月) 茶室 東陽坊 

 
 京都市東山建仁寺にて(1月) 方丈庭園大雄苑 


京都市八幡市松花堂庭園にて(10月) 建仁寺垣 詳細はクリックで拡大
松花堂庭園内にて復元



建仁寺塔頭 正伝永源院

 
 東山建仁寺にて(2月) 正伝永源院(塔頭) 



東山建仁寺にて(2月) 正伝永源院(塔頭) 国宝復元茶室「如庵」

東山建仁寺にて(2月) 正伝永源院(塔頭) 庭園


建仁寺塔頭 禅居庵・摩利支天

 
東山建仁寺にて(2月) 塔頭禅居庵・摩利支天山門(正面) 右は山門内側 クリックで拡大

  
東山建仁寺にて(2月) 塔頭禅居庵庫裏 庫裏前参道 クリックで拡大

 
 京都市建仁寺にて(1月) 魔利支天堂(塔頭) 
東山建仁寺にて(2月) 塔頭禅居庵庭園 枯山水 
クリックで拡大


建仁寺塔頭 両足院

 
 東山建仁寺にて(1月) 両足院(塔頭) 右は山門

 
東山建仁寺にて(2月) 両足院(塔頭)庭園 池の向うは茶室2棟 右は両足院玄関

 
 東山建仁寺にて(2月) 両足院 庭園

 
京都市東山建仁寺にて(1月) 塔頭両足院毘沙門天堂 庭園

 
 東山建仁寺にて(2月) 両足院毘沙門尊天

建仁寺塔頭 その他


 東山建仁寺にて(2月) 西来院(塔頭) 

 東山建仁寺にて(2月) 荼枳尼尊天(塔頭) 境内図


臨済宗
建仁寺境外塔頭
臨済宗建仁寺派

大椿山六道珍皇寺

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現世から霊界へつなぐ六道の辻にある六道詣りの寺
小野篁が冥界に通った伝説の井戸がある。謡曲熊野の舞台。

この寺は平安京の霊界である火葬地・鳥辺野と、現世との境である六道の辻にある。
夏の盂蘭盆会に先立ち、先祖の霊を迎える準備の六道詣り(8月7日~10日)が行われる。
小野篁が冥界に通った伝説の井戸が今も保存され、謡曲熊野(ゆや)の舞台にもなった。



京都市東山にて(2月) 建仁寺境外塔頭 六道珍皇寺 本堂 クリックで拡大
本尊は薬師如来(重文・薬師堂で保存し平時は別途制作の約四如来を祀る) 寺院説明板
本堂の前の「三界万霊十方至聖」の石塔婆があり、提灯にあのよへの入口、この世への出口と書かれている

  
京都市東山にて(2月) 建仁寺境外塔頭 六道珍皇寺 山門 
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京都市東山にて(2月) 建仁寺境外塔頭 六道珍皇寺 薬師堂と鐘楼(迎鐘) クリックで拡大
薬師堂にて本尊の薬師如来(重文)を保存する


 
京都市東山六道珍皇寺にて(2月) 閻魔王像と小野篁像の安置堂 クリックで拡大
右の閻魔像は京の冬の旅50回記念ガイドブックより転載

 
京都市東山六道珍皇寺にて(2月) 小野篁が通った伝説の井戸(左は行き、右は黄泉帰り) クリックで拡大

  
京都市東山六道珍皇寺にて(2月) 小野篁卿 黄泉がえりの井説明板と碑 クリックで拡大

 
京都市東山六道珍皇寺にて(2月) 山門前の謡曲「熊野・ゆや」碑  右は地蔵堂 クリックで拡大
碑文は 謡曲熊野<謡曲(ようきょく)・謡(うたい)とは能の詞章>の一節である。
河原おもてを過ぎゆけば 急ぐ心の程もなく 車大路や六波羅の 地蔵堂よと伏し拝む 
観音も同座あり 闡提救世の 方便あらたにたらちねを守り給へや げにや守の末すぐに たのむ命は白玉の 
愛宕の寺も打ち過ぎぬ 六道の辻とかや げに恐ろしや此道は 冥途に通ふなるものを 心細鳥辺山 
煙の末も薄霞む 声も旅雁のよこたはる 北斗の星の曇なき 御法の花も開くなる 経書堂はこれかとよ 
其たらちねを尋ぬなる 子安の塔を過ぎ行けば 春の隙行く駒の道 はや程もなくこれぞこの 車宿 馬留 
ここより花車 おりゐの衣播磨潟飾磨の徒歩路清水の 仏の御前に 念誦して母の祈誓を申さん 

 
京都市東山六道珍皇寺にて(2月) 本堂横の庭園 クリックで拡大

  
京都市東山六道珍皇寺にて(2月) 左は北の坪 中央と右は本堂東のセンリョウと庭園 クリックで拡大

 
京都市東山六道珍皇寺にて(2月) 北門内側 右は松原通りに面した山門内側 クリックで拡大


六道珍皇寺と建仁寺の位置関係 クリックで拡大


臨済宗
臨済宗建仁寺派
鷲峰山高台寿聖禅寺

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秀吉とねねを祀る
高台寺は東山区にある臨済宗建仁寺派の寺院。山号は鷲峰山(じゅぶさん)、
寺号は高台寿聖禅寺。豊臣秀吉の正室北政所(高台院)が秀吉の冥福を祈るため建立。
釈迦如来を本尊とする禅宗寺院で、秀吉と北政所を祀る霊廟がある。


 京都市東山にて(11月) ねね高台院の鷲峰山高台寺 庫裏 境内配置図


 京都市東山にて(11月) 高台寺 台所坂 

 京都市東山にて(11月) 高台寺 山門 

 
京都市東山にて(11月) 鷲峰山高台寺 観月台 と開山堂      方丈前庭の唐門と方丈 


京都市東山にて(11月) 高台寺 中門 

京都市東山にて(11月) 高台寺 中門を入り開山堂 


 京都市東山にて(11月) 鷲峰山高台寺 
方丈前庭園
と勅使門 向うに霊山観音 クリックで拡大


京都市東山にて(11月) 高台寺 霊屋 

 京都市東山にて(11月) 高台寺 遺芳庵  

 京都市東山にて(11月) 高台寺 時雨亭 

 京都市東山にて(11月) 高台寺 傘亭 

   京都市東山高台寺にて(11月) 高台天神

 京都市東山高台寺にて(11月) 臥龍廊 

 
 京都東山にて(11月) ねね終焉の高台寺塔頭圓徳院  円通院の頁へ 高台寺塔頭配置図   右は高台寺掌美術館
    

東山圓得院前 北政所御殿跡

東山にて(11月)ねねの道 圓得院への地図

道標

 
 京都東山ねねの道にて(11月) 高台寺塔頭月真院 高台寺党御陵衛士屯所跡 

  
京都東山ねねの道にて(8月) 高台寺塔頭月真院 御陵衛士屯所跡 右は高台寺塔頭案内図 
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京都東山ねねの道にて(8月) 高台寺塔頭月真院 御陵衛士屯所跡 クリックで拡大


臨済宗
臨済宗建仁寺派
高台寺塔頭 圓徳院

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高台寺のページへ

北政所(高台院)が晩年の19年間を過ごした終焉の地
高台院没後9年目に木下家菩提寺として高台寺塔頭寺院となった

秀吉の正室北政所高台院は、高台寺を建立した頃、伏見城の北政所化粧御殿を移築してこの邸に移り住んだ。
その後北政所ねねは1624年、77歳で没するまで19年間余生を送った。元々、この邸は北政所の甥・木下利房ら木下家の
屋敷であった。利房の死後1627年、その菩提を弔うため利房の院号圓德院を寺号として、高台寺の塔頭となった。
本尊は釈迦如来。開基は三江紹益。境内の三面大黒天は秀吉の念持仏である。圓徳院北庭は桃山時代の代表的庭園
の一つ、伏見城の北政所化粧御殿前庭を移築し、小堀遠州が手を加えたもの。国指定名勝庭園である。長谷川
等伯による襖32面の墨画は、唐紙の山水図襖であって国の重要文化財である。
由来記) 境内図 

 
京都東山ねねの道にて(8月) 高台寺塔頭圓徳院 長屋門と唐門  高台寺のページへ   クリックで拡大
山門は歴代藩主木下家の屋敷であったので、長屋門の形態がとられている。 唐門の扁額はこちら

    
京都東山ねねの道にて(8月) 高台寺塔頭圓徳院*  庫裏と方丈 緑豊かな参道  
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京都東山区高台寺塔頭圓徳院*にて(8月)  長谷川等伯筆方丈襖絵(重文) 
右はねねの像(寺院パンフレットより) 
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京都東山ねねの道にて(8月) 高台寺塔頭圓徳院 方丈への参道と秀吉の手水鉢    
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京都東山ねねの道にて(8月) 高台寺塔頭圓徳院 方丈への参道と方丈前南庭    クリックで拡大

 
京都東山ねねの道にて(8月) 高台寺塔頭圓徳院 方丈前南庭    
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南庭は森 蘊(もり おさむ)博士指導による徳村宗悦氏の作

   
京都東山高台寺塔頭圓徳院にて(8月)  南庭から北庭への宝物館付近の整備された中庭   
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京都東山圓徳院にて(8月) 国指定名勝庭園 北庭  
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北庭はねねが高台寺建立の頃、伏見城より移築し、後に小堀遠州が整備した。


  
京都東山圓徳院にて(8月) 国指定名勝庭園 ねねが伏見城から移築した北庭    クリックで拡大

   
京都東山圓徳院にて(8月) 名勝庭園北庭を出ると三面大黒天と歌仙堂 
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京都東山圓徳院にて(8月) 大黒天と歌仙堂と掌美術館から大黒門を経てねねの道へ  クリックで拡大


大雲院
浄土宗単立
龍池山大雲院
(銅閣寺)

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織田信長と子信忠の菩提を弔う寺院
寺院は古いが昭和に、元大倉家の別荘地に移築。
石川五右衛門の墓もある。

大雲院は天正15年(1587)正親町天皇の勅命により、織田信長と子信忠(法名は大雲院)の菩提を弔う
ため、御池御所に開山された。後に転々として昭和48年、現在の元大蔵家別荘地に移転され本堂が落成した。
本尊は阿弥陀如来。通称銅閣寺
祇園閣は元大倉家の別荘の一部で、明治の設計者伊東忠太による、
伊東忠太関連写真ネット


京都市東山にて(8月) 浄土宗龍池山大雲院 総門内側 クリックで拡大
総門の表側(9月に撮影)  寺院説明駒札

 
京都市東山にて(8月) 浄土宗単立寺院 龍池山大雲院 南門と本堂  クリックで拡大
本堂の阿弥陀如来坐像 (寺院パンフレットより)

 
京都市東山にて(8月) 浄土宗龍池山大雲院 本堂前の平和観音と寝釈迦  クリックで拡大

  
京都市東山にて(8月) 浄土宗龍池山大雲院 本堂への参道  クリックで拡大


浄土宗単立寺院 
(TM氏)
大雲院「祇園閣」

 京都市東山にて(11月)浄土宗単立寺院 「ねねの道」の北 
 龍池山 大雲院「祇園閣」 高台寺より展望
 祇園閣は伊東忠太の設計

  
京都市東山にて(8月) 浄土宗単立寺院 龍池山大雲院 祇園閣  クリックで拡大

  
京都市東山区大雲院の外部から(9月) 左写真は大雲院総門 祇園閣 右写真は円山地蔵尊  クリックで拡大

  
京都市東山区大雲院にて(10月) 円山地蔵尊と大雲院龍池会館  クリックで拡大

 
京都市東山区大雲院にて(8月) 書院(元大倉喜八郎別荘)と弁天社、鐘楼
 
 クリックで拡大(書院はクリックでパンフレットの写真が出ます)

  
京都市東山区大雲院にて(8月) 墓地参道口と案内碑 右は織田家墓所説明碑
案内碑は織田信長・信忠公と石川五右衛門が並んで立っている クリックで拡大

  
京都市東山区大雲院にて(8月) 織田信長・信忠碑 右は五右衛門の墓 クリックで拡大
織田信長・信忠公も石川五右衛門も、佛となれば差別なし

  
京都市東山区大雲院にて(8月) 伽藍配置図と祇園閣 本堂の阿弥陀如来坐像と胎内物の阿弥陀如来立像
寺院パンフレットより   
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雙林
天台宗
霊鷲山沙羅双樹林寺
法華三昧無量壽院
延暦寺別院 金玉山雙林寺

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最澄が唐より帰国後、建立した大寺院
後に寺領は高台寺、東大谷廟、円山公園に割譲し
現在は本堂と飛び地の西行庵・芭蕉堂だけとなった。

当寺は、1200年前延暦24年(805)伝教大師最澄の創建と言われる。大師が唐から帰朝後、宮中にて、
天下泰平・国体安穏・万民快楽の我が国初の護摩供養・大祈祷を行った。持ち帰った天台密教経疏500巻と護摩の
器具を桓武天皇に献上。天皇は伽藍を建立させ、日本初の護摩祈祷道場とした。ここが唐の沙羅双樹林寺に似ていて
霊鷲山沙羅双樹林寺法華三昧無量壽院とした。弘仁14年(823)比叡山延暦寺の別院となった。当寺は鎌倉時代まで、
数万坪の広大な寺領に17の支院を有していたが、建武2年(1335)足利尊氏と新田義貞との戦や、応仁の乱などにより
荒廃したが、秀吉が本堂を再建した。その後、慶長10年(1605)に高台寺、承応2年(1653)に東大谷廟の造営
および明治19年(1886)に円山公園の設営のため、寺領を献上し、今は僅かに本堂と飛地境内の
西行庵、芭蕉堂を残すだけとなった。薬師如来(重文)と歓喜天を祀る
HPより

京都市東山区にて(11月) 天台宗 金玉山雙林寺 
クリックで寺標

 東山にて(11月) 天台宗 金玉山雙林寺
 広大な敷地が円山公園設置のため
 召し上げられたという 
 説明板(
クリックで拡大

 
京都市東山区にて(9月) 天台宗 金玉山雙林寺 クリックで拡大

  
京都市東山区天台宗金玉山雙林寺にて(11月) 伝教大師(最澄)童形像と拾遺都名所図会雙林寺HP) 説明板・図会はクリックで拡大

西行庵
この地は、西行の終焉の地と伝わる。西行庵の創建は不明であるが、明治26年(1893)に、富岡鉄斎が勧進文
を書き、庵主小文法師が浄財を募り、当時の京都市長内貴甚三郎らの尽力により再建されて現在に至る。当庵は、
 母屋浄妙庵、茶室皆如庵からなる。茅葺きの母屋は、大徳寺塔頭真珠庵の別院を移したものである。皆如庵は、北野の
久我別邸より移された桃山時代の名席で、円窓床と道安囲い点前座が有名である。毎年3月中旬には皆如庵で西行忌
茶会が行われる。「
願わくは花の下にて我死なむその如月の望月のころ」(駒札より


東山区雙林寺境外地にて(9月) 西行庵クリックで拡大

  
京都市東山区天台宗金玉山雙林寺境外地にて(9月) 花月庵西行庵西行堂を花月庵と呼称雙林寺HPより

  
京都市東山区雙林寺境外地にて(10月) 花月庵玄関(内側) 中央の写真は浄妙庵 西行庵  クリックで拡大

  
京都市東山区雙林寺境外地にて(10月) 母屋「浄妙庵」への門 茶室「皆如庵」花月庵 右は雙林寺所有地碑  
クリックで拡大


芭蕉堂
芭蕉堂は、天明4年(1784)に東山の雙林寺境内に借地をして南無庵を建て,
天明5年(1785)には芭蕉堂を建て、後に借地を買い取ったらしい。(参考ネットP87) 毎年4月11日には花供養、
11月12日には芭蕉忌が行われる。芭蕉堂の芭蕉の木像は蕉門十哲の一人森川許六が刻んだもの。(駒札)


  
京都市東山区にて(10月) 芭蕉堂東正面) (西行庵の隣接地につきここに掲載した)


京都市東山区にて(9月) 芭蕉堂(北側の道路より) クリックで拡大

   
京都市東山区芭蕉堂にて(9月)  
クリックで拡大   句碑のページへ


長楽
時宗
黄台山長楽寺

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最澄が延暦寺別院として創建
平清盛の娘・建礼門院徳子御出家の寺
寺領は東大谷廟、円山公園に割譲し縮小
庭園は
相阿弥作。頼山陽の墓、水戸烈士の墓所

延歴24年(805)桓武天皇の勅命により、伝教大師を開基として大師御親作の観世音菩薩を本尊として創建された。
当初は比叡山延暦寺の別院であったが、室町時代の初期、宗祖一遍上人時宗に改まり、明治39年に時宗の総本山格の
名刹七条道場金光寺が当寺に合併され今日に至る。当寺はもともと広大な寺域を持った寺院であったが、幕命により
大谷廟建設に境内地を割譲、明治には、境内の大半を円山公園に割譲した。庭園は、相阿弥が足利将軍義政の命で
銀閣寺の庭を作る前に試験的に作庭したという名園
。本尊は18本の手を持つ准胝観音。(寺院HP



京都東山にて(10月) 円山公園奥 東大谷横 時宗黄台山長楽寺参道  クリックで(11月)の参道

 
京都東山区にて(10月) 円山公園奥の長楽寺 三門 クリックで拡大
木曜日は山門は閉鎖されます。閉鎖時の山門(9月) 境内案内図

   
京都東山にて(9月) 円山公園奥 東大谷横 長楽寺参道 長楽寺境内図 クリックで拡大
写真右端は頼山陽墓地案内碑


  
京都東山長楽寺にて(10月) 本堂(京都市有形文化財) 左は御詠歌額 右は長楽寺駒札 クリックで拡大

   
京都東山長楽寺にて(10月) 本堂内仏壇(秘仏本尊の御前立は見当たらない) 写真左は長楽寺碑 
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本尊は十八の手をもつ准胝観音菩薩であって秘仏。寺院HPに御前立の写真がある。歴代天皇の即位式など御こ開帳されるという。

 
京都東山長楽寺にて(10月) 本堂と鐘楼 クリックで拡大

  
京都東山長楽寺にて(10月) 寺院パンフレット 右は秘仏准胝観音菩薩の写し 
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京都東山長楽寺にて(10月) 拝観所 安徳天皇像(写)と御衣の御幡(山口氏謹製品) 
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京都東山長楽寺にて(10月) 拝観所内の建礼門院像と建礼門院御塔 
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京都東山長楽寺にて(10月) 相阿弥庭園(銀閣寺庭園の作庭前に試作したという) クリックで拡大
当山山麓より湧き出る名水が平安の滝の修行地に流れ落ち、池水に融合する。
八大将軍足利義政の命により銀閣寺庭園の試作として造園された。築山庭造傅に相阿弥作の
名園として「庭の景すぐれて自然の趣あるすがた」とたたえるとある。(駒札より

  
京都東山長楽寺にて(10月) 相阿弥庭園 
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京都東山長楽寺にて(10月) 相阿弥庭園 クリックで拡大

    
京都東山長楽寺にて(10月) 左から時宗宗祖一遍上人尊像(重文) 客殿・雙龍舞閣 庫裏 甘味処紅葉庵 
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一遍上人は51歳で神戸市真光寺で没した。  真光寺のページへ 
客殿・雙龍舞閣とは別に、甘味処紅葉庵は門前に、宿坊「遊行庵」が八坂神社の南西の道路向かいにある。

    
京都東山長楽寺にて(10月) 左から平安の滝 頼山陽墓碑 頼三樹墓碑 長楽寺墓地図 クリックで拡大


時宗
時宗
慈円山大乗院安養寺
(吉水草庵)

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法然上人の修行の道場「吉水草庵」
親鸞も加わり多くの信者を集めたが弾圧を受け
法然は土佐へ親鸞は越後へ流罪となった因縁の寺院
「円山公園」の名称はこの寺の「慈円山」に由来するという

安養寺は、桓武天皇が平安京鎮めのため、伝教大師が比叡山延暦寺と同時代に創建され古刹である。
後に、法然上人続いて親鸞上人の吉水草庵になった。応永の頃の古地図によれば、知恩院の御影堂あたり一帯は
白毫寺というお寺で、隣に安養寺大懺法院、吉水東新坊、中坊など吉水草庵の建物が記載されている。(参考

廃仏毀釈で境内地の多くを円山公園にとられたが、明治9年設立の円山公園の名称は、慈円山安養寺を円山と
称したことに由来する。江戸時代の安養寺は寺坊6ヶ寺をもつ大寺院であったが、明治32年の大火で寺の
殆どが消失した。本坊、弁天社、雨宝堂と六坊の一つ左阿弥(現在は料亭)と公園名が残った。

 
京都東山にて(9月) 円山公園奥 慈円山大乗院安養寺 山門と参道  クリックで拡大

  
京都東山にて(9月) 円山公園奥 慈円山大乗院安養寺 本堂と阿弥陀三尊立像  
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京都東山にて(9月) 円山公園奥 慈円山大乗院安養寺 本堂への参道、書院、寺院駒札  クリックで拡大

  
京都東山慈円山大乗院安養寺にて(9月)  本堂脇の阿弥陀如来石像、南無阿弥陀仏碑、吉水弁財天堂 
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京都東山にて(9月) 元安養寺坊左阿弥(現在料亭) 慈円山大乗院安養寺境内図 右は安養寺境内の句碑  クリックで拡大
句碑 桂樟蹊子<1909~1993>「露けしや真葛ヶ原に石の階」
桂樟蹊子は京都市生まれで水原秋桜子門下。京都馬酔木会を起こし、「霜林」を主宰。



清水寺
世界遺産 北法相宗
音羽山清水寺

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奈良の興福寺・薬師寺と同じ法相宗であった。
1965年に北法相宗として分離した古い寺院

西国三十三所観音霊場「第十六番」京都の仏閣の目次へ
法相宗は唯識宗ともいう。4~5世紀のインドの仏教学者、弥勒・無着・世親が開立した
瑜伽(ゆが)派の教理を戒賢論師らが整理し、それを唐の玄奘三蔵の弟子・慈恩大師が『成唯識論』
を基礎として開宗したもの。奈良時代に唐に留学した元興寺の道昭が日本に持ち帰り(南寺の伝)、さらに
興福寺の玄昉も伝えた(北寺の伝)。清水寺は開創以来、興福寺の北伝の法相宗を伝承してきたが、
1965年「北法相宗」として独立。「北」は「北寺の伝」に立脚するとともに、南都・奈良
に対して北の京都に立地するという意味である。(清水寺縁起より)



京都市東山区清水寺にて(2月) 写真左から右奥へ仁王門(重文) 西門 三重塔(重文)


京都市東山区清水寺にて(2月) 馬駐(うまとどめ)(重文)

 
京都市東山区清水寺にて(2月) 善光寺堂 右写真は善光寺堂の右手前に安置された首振り地蔵 
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首ふり地蔵は、首が動かせる珍しい地蔵。 自分が恋い想う人の住む方向に首を向けて祈願すると、想いが叶うといわれている。


京都市東山区清水寺にて(2月) 経堂

京都市 清水寺 仁王門(重要文化財)
写真クリックで清水寺ネット境内略図に接続
洛陽三十三所観音霊場(TM氏)

 
京都市東山区清水寺にて(2月) 本堂(国宝)の舞台 境内図


京都市東山区にて(2月) 北法相宗音羽山清水寺本堂(国宝)と清水寺舞台 境内図
写真クリックで地主神社を含む境内に変わります


京都市東山区清水寺にて(2月) 鐘楼

京都市東山区清水寺にて(2月) 田村堂

 
平成27年9月TV朝日放映「ぶっちゃけテレビ」より 清水寺を創建した坂上田村麻呂夫妻像  クリックで拡大
清水寺を創建した征夷大将軍 坂上田村麻呂 夫妻像は、田村堂内部のご開帳により放映された

 
京都市東山区にて(8月) 北法相宗音羽山清水寺 西門 右は鐘楼


京都市東山区にて(2月) 北法相宗音羽山清水寺本堂(国宝)と清水寺舞台
クリックすると舞台の左部分を拡大


京都市東山区清水寺にて(2月) 音羽の滝
写真クリックで中央部を拡大

京都市東山区清水寺にて(2月) 音羽の滝
写真クリックで中央部を拡大 TV放送画面へ

京都市 音羽山 清水寺 舞台 本堂(TM氏)

清水寺 轟門(普門閣)(重文)
 (TM氏)

  
京都市東山区清水寺にて(2月) 奥の院修理につき移転中のぬれて観世音  
クリックで拡大

 
京都市東山区清水寺にて(2月) 随求堂(ずいぐどう) 右写真は(8月)

 
京都市清水寺にて(2月) 胎内めぐり入口のある随求堂(ずいぐどう)  
クリックで拡大(左写真は説明版)

 
京都市東山区音羽山清水寺にて 放生池(2月) 右写真は放生池(8月)

 
京都市東山区音羽山清水寺にて(2月) 放生池



京都市東山区清水寺にて(8月) 北総門 成就院へ


月照信海両上人遺跡 信海上人辞世歌碑(左) 歌碑ページへ
月照上人辞世歌碑(中央)、
西郷隆盛詩歌碑(右) 
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月照上人辞世歌
“大君の為には何か惜しからむ 薩摩の迫門に身は沈むとも”


京都市東山区清水寺にて(8月) 塔頭成就院 「月の成就院庭園」(国の名勝)がある

 
京都市東山区清水寺にて(8月) 塔頭成就院参道

 
京都市東山区清水寺にて(8月) 成就院西庭の樫の巨木と三角灯篭  右写真は南庭


京都市東山区清水寺にて(8月) 「月の成就院庭園」(国の名勝庭園)
相阿弥原作小堀遠州補修あるいは松永貞徳の作と伝わる江戸初期の庭



京都市東山区清水寺にて(8 塔頭成就院庭園(国の名勝庭園) 借景で拡がりがある
後方の借景は高台寺山 中央は籬島(まがきじま)石 右に蜻蛉灯篭 その右に烏帽子石

 
京都市東山区清水寺にて(8月) 塔頭成就院庭園 秀吉寄進の誰が袖手水鉢 右写真は西庭の手水(水琴窟の横)


京都市東山区清水寺にて(8月) 塔頭成就院庭園 右奥に持仏堂(護摩堂)

 
京都市東山区清水寺にて(8月) 成就院庭園 中央部に手毬灯篭(右は拡大写真)

  
平成27年9月TV朝日放映「ぶっちゃけテレビ」より 右端は月照西郷の会談があった成就院  
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安政の大獄に始まる井伊大老の恐怖政治により、薩摩藩と朝廷との橋渡し役の月照にも危険が及んだ。西郷は月照を薩摩藩内に
匿おうとしたが、西郷を理解した島津斉彬は亡く、後継藩主はこれを断り、月照と死を選んだ。西郷は奇跡的に助かり、奄美に流刑となった。


京都市東山区清水寺にて(8月) 中興堂

 
京都市東山区清水寺にて(2月) 約1200年前 阪上田村麻呂が東北地方征伐で捕らえた
アイヌの勇者アテルイとモレの顕彰碑 
写真クリックで顕彰碑を拡大します


京都市東山区清水寺にて(2月)
京焼色絵陶器陶芸家 仁清弟子
尾形乾山記念碑
 クリックで説明碑

京都市東山区清水寺にて(2月)
京焼色絵陶器陶芸家
野々村仁清記念碑
 クリックで説明碑


京都市東山区清水寺にて(2月) 清水寺から京都駅と京都タワー
写真クリックで京都タワーを拡大


京都市東山区清水寺にて(2月) 地主神社 地主神社のページへ


平成27年9月TV朝日放映「ぶっちゃけテレビ」より 地主神社  
クリックで拡大

 
京都市東山区清水寺にて(2月) 
清水寺参道門前町

 
京都市東山区清水寺にて(8月)  清水寺参道門前町

 
京都市東山区清水寺にて(8月)  清水寺参道三年坂碑  右は参寧坂碑

 
京都市東山区清水寺にて(2月) 来迎院(経書堂) 右は伝説の願掛け石「おもかる石」部分拡大 
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京都市清水寺にて(2月) 手水舎の龍

京都市清水寺にて(2月) 春日灯篭


京都市東山区清水寺にて(2月) 音羽地蔵尊


京都市東山区清水寺にて(2月) 福禄寿

 
京都市清水寺にて(2月) 十一の塔と筆塚 写真右は光明皇后 子安塔跡の碑


京都市東山区清水寺にて(2月) 

京都市東山区清水寺にて(2月) 舞台の足組


元京都府知事蜷川虎三<1897~1981>
道はただ一つ その道をゆく 春

 
京都市東山区清水寺にて(2月) 桜の献木林  写真右は(8月)成就院参道の地蔵尊群


本能
本能寺跡 
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本能寺跡碑
京都市中京区元本能寺南町

織田信長 自刃の本能寺跡 地図


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